最終話 好きだからに決まってるだろう
鏡の向こう。
そこには、嬉しそうに笑うセイルがいた。
『母上が……元に戻りました!』
「……そうか」
シェルドが、小さく息を吐く。
どこか安堵したような声音だった。
『父上。母上を守ってくれたんですね。
ありがとうございます!』
シェルドの表情が少しだけ柔らぐ。
「婚約者……いや、
セフィだからな。守るのは当然だ」
『……あれ?
父上、なんだか少し変わりました?』
短い沈黙。
紫の瞳がそっと伏せられる。
「セフィを、失いたくないと思った。
これは……観劇のような激情と、同じなんだろう」
『父上……』
セイルが目を大きく見開く。
『僕、感動しました。
親の成長を見守る子供って、こういう気持ちになるんですね』
「おい。どういう意味だ」
『いえ……』
セイルが、ふっと笑った。
『でも、母上だけじゃないんです』
「……?」
『僕も、もう大丈夫そうなんです』
その表情が、少しだけ寂しそうに曇る。
『今日で、会うのは多分最後になります』
シェルドが息を呑んだ。
「……そうか」
穏やかな声だった。
その口元は、微かに緩んでいる。
「また、いつか会えるんだろう。
私の息子なら」
『……ですね!』
セイルが、嬉しそうに笑う。
セフィラと同じ、碧の瞳で。
『父上。本当にありがとうございました!』
次の瞬間、淡い光が鏡いっぱいへ広がった。
セイルの姿が、ゆっくり消えていく。
「…………」
静まり返った部屋へ、柔らかな光だけが残っていた。
***
翌日。
レオルは、正式に学園を離れることが決まった。
その日の放課後。
セフィラたちは、学園の応接室へ呼ばれていた。
「……申し訳、ありませんでした」
レオルが深く頭を下げる。
その顔色は、まだ酷く悪い。
「セフィラ嬢にも。殿下にも」
拳が、小さく震えていた。
「アリス様のためだと……思っていたのです。
アリス様が、虐めで傷ついているのを見て……
助けたいと……」
苦しげな声だった。
セフィラが静かに口を開く。
「レオル様。
もう……自分を責めすぎないでください」
「っ……」
「私は、ちゃんと無事ですから」
碧の瞳が、真っ直ぐレオルを見つめていた。
「次は」
シェルドの目が細くなる。
「周囲ではなく、本人を見ろ」
シン、と部屋の空気が止まった。
沈黙。
「レオル様」
落ち着いた声が、部屋へ響く。
レオルがゆっくり顔を上げる。
そこにいたのは、
女の姿へ戻ったアリスだった。
「昨日もお伝えしましたが」
アリスの表情が引き締まる。
「闇の精霊は、負の感情を増幅させます。
あなたの想いを、闇の精霊が利用した」
「その事実は、変わりません」
アリスの瞳が、わずかに伏せられる。
「確かに私は、一部の生徒の行為で傷ついていました。
……あの婚約破棄までは」
レオルが、苦しげに顔を歪める。
「私は……取り返しのつかないことを――」
「そんなに私が好きなら」
ピンク色の瞳が、レオルをキリッと見つめる。
「ちゃんとした男になって、戻ってきてください」
「……!」
レオルが、大きく目を見開いた。
「まぁ、私が貴方を好きになる保証なんて、ありませんけど」
アリスが小さく肩をすくめた。
その後。
闇の精霊の影響も明らかになり、学園内でのセフィラへの疑惑も徐々に消えていった。
どこか生徒たち自身も、
今回の出来事へ、後ろめたさを感じているようだった。
そして数日後。
朝。
二人は、いつものように同じ馬車で登校していた。
先に降りたシェルドが、セフィラへ自然と手を差し出す。
「……ありがとうございます」
セフィラが、そっとその手を取った。
そのまま、二人は並んで校舎へ向かって歩き出す。
繋がれた手が、少しだけくすぐったい。
その時だった。
「セフィー様!」
「きゃっ!?」
後ろから、突然抱きしめられる。
驚いて振り返ったセフィラが、目を丸くした。
「アレス様……!?」
そこにいたのは、
男の姿になったアレスだった。
「お前、女へ戻ったんじゃなかったのか?」
シェルドが、わずかに眉を顰める。
「こっちの姿、結構気に入ってるんです」
アレスがけろりと答えた。
「しばらく結界も安定してますし。
それに――セフィー様の反応、可愛いですし」
「っ……!」
セフィラが一気に真っ赤になる。
次の瞬間、シェルドの眉間へ深い皺が寄った。
気づけば、ぐい、と彼女を抱き寄せていた。
「セフィは、私の大切な婚約者だ。
気安く触れるな」
「婚約者だからですか?」
「好きだからに決まってるだろう」
反射的に口をついていた。
「男だろうが女だろうが、関係ない。
お前になど、渡すものか」
一瞬、空気が止まった。
セフィラの顔が、さらに赤く染まる。
「まぁ、一応譲りましたけど」
アレスがくすりと笑った。
「セフィー様。
この人が嫌になったら、いつでも私のところへ来てくださいね」
ピンク色の瞳が、悪戯っぽく細められる。
「聖女コネもありますし。
男でも女でも、貴方のことを愛し抜きます」
「……お前……」
シェルドの目が、じとりと細められる。
セフィラは真っ赤なまま固まっていた。
周囲では、登校してきた生徒たちが、
ざわざわと騒ぎ始めている。
『父上ーー!!』
どこかで、
少年の悲鳴のような声が、聞こえた気がした。
朝の日差しは、変わらず三人を照らしていた。
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