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09 磁石のこころ




きくらがカラオケボックスの部屋に入って30分も経たず、佳音ときくがヴォイヴォイ叫んでいる時のことだ。


『館内、カラオケをお楽しみ中のお客様に緊急案内を申し上げます。ただいま、予報外の銀雪が葵町全域に降雪しています。このままカラオケをお楽しみになりながら、銀雪が止むのをお待ちください。決して外には出ないようお願い致します』


さくらがキラキラ星を歌っている最中にそれはアナウンスされた。


「銀雪……っ!?」



佳音とききょうらはアナウンスの直後、同時に同じ言葉で反応したが、それぞれ反応した意味は全く違う。


佳音はミリオンを思い、ききょうらは魔法少女が来襲してくることを危惧した。


だが、共通して感じたことが一つだけある。それは、


『銀雪が降るのを聞いていない』ということである。



「きぃ~らきぃ~らぁひぃ~かぁるぅ~おそぉらぁのほぉしぃよぉ~」


さくらの呑気な歌声に手拍子を叩きながら、彼女らは『如何にしてこの場を離れるか』ということばかりに思考を奪われていた。



「銀雪警報……ですね」


「ええ。確か、予報は島根だったはずですが……」


お互いこの銀雪について話しつつ、相手の出方を伺っている。内心穏やかでないききょうは、一刻も早くこの場を離れ、外に出たいと思っていた。


だが、不自然にこの場を離れ、もしも百花繚乱した瞬間を見られでもしたら……。



――魔力と変身能力を失ってしまう。


ただでさえ、魔法少女との戦いは大きな局面を迎えようとしている。ここで誰か一人でも欠けてしまうことは避けたかった。


「みんなのうーたーがー とどけーばーいーいーなぁ~」



――まさか予報外の銀雪が降るなんて。しかも、同日に複数個所降雪なんて前代未聞じゃない!


佳音の脳裏には、大慌てのミリオン局内が浮かび、地に足がつかない気分を味わっていた。


――どうしよう、こんな大事なときにいないとか、これじゃ藤崎司令に『あいつはやっぱり役に立たないぴょん』って思われちゃう!


成果を出して逆にミリオンから抜ける計画が、序盤で崩れそうな予感に佳音は佳音で顔を青くした。


銀雪が降っている中、「外に出る」とは言えないだけに、彼女らの目は笑えていないのだ。


小学生の合唱のような、無邪気なさくらの歌が終わった時、勢いよく部屋のドアが開いた。


驚いたききょうと佳音が、ドアを振り返ると……クレインの姿をしたきくが満面の笑みで立っている。


「き、きく……さん!?」


「ヴォォオイ! KickKick……あ、違うっけ。イエロークレイン! 銀雪が降るとあっちゃ黙ってられないっすなぁ~!」


「きゃああああああっっ! KickKickの生コスだぁあああああ! たまんなぁあ~~~い!」


思考に固められていた佳音は、きくの姿をみて一気にボルテージが上がり、ミリオンのことなど吹き飛んでしまったようだ。


「きくさん! この期に及んでそのような格好を……」


ききょうの言葉を手で制すと、きくはききょうを強く見つめ、なにかを訴えた。


――これ、は……


ききょうは、きくのコスチュームを見てあることに気付いた。それできくの言わんとしていることを察したのだ。


「ふふふ、きくりんが何故にカラオケを選んだのかっ! それはここでかのんのんに生クレインジャーを披露してやるためなのぢゃっ! トゥハッ!」


「すっごぉーい! マッジでぇえ~!」


そう叫びながら、佳音はキラキラと輝く瞳でききょうに目を移す。


「ききょうさんも変身コスプレするっすか!?」


ちらり。


ききょうはきくを見ると、満面の笑みで親指を立てていた。


「お……お~ほっほっほっほっ! 仕方ありませんわね、佳音さん! ではこのききょうことエメラルドブルークレインジャー……」


「ブルーね。普通のブルー」


「こほん、……ブルークレインジャーになってさしあげますわ! 行きますわよピンククレインジャー!」


ききょうはフードメニューを食い入るように睨んでいるさくらの手を引き、部屋を出ていった。


「き、着替えにいったんすね! うひょー!」


佳音がはしゃぐのをきくは一緒になって踊る。バタバタと手をはためかし、パンクロックバンドの曲を入れた。


「あったりまえじゃん! 銀雪止むまで暴れるぞぉ~ヴォオオイ!」


「ヴォオーイ!」



「どこいくのききょー! さくら、もっと歌いたぁ~い!」


ききょうに手を引かれたさくらは、歌い足りない不満をぶつける。


「それどころではありませんわ、さくらさん! 予報のない銀雪が降っているのです!」


「え! でもひまわりたち行ったもん!」


「そうではありませんことよさくらさん! ひまわりさんたちが行った地とは別に、この地でも銀雪が降っているのです!」


「ぶっ飛びぃ!?」


葵町は吹雪のような銀雪が舞い、駅周辺から見える景色を一面銀世界にしていた。


「こ……こんな激しい銀雪……」


ききょうは銀雪に染まる町に圧倒され、それ以上の言葉を失ったまま立ち尽くす。


さくらは不思議そうな表情で、ききょうの横で吹雪く銀雪を見詰め「あれぇ……」と呟いていた。


ききょうとは違う種類の異様さを感じたさくらは、一人外に出て空を見上げ、身体で銀雪を受け止めている。


「どうしたのですか? さくらさん」


「んー……あのね」


『緊急銀雪警報! 緊急銀雪警報! 葵町に予測外の銀雪が降ります! 外にいる方はすぐに屋内へ避難してください! 銀雪予報で観測できなかった銀雪が降ります! 時間はいまより二時間後、前後する可能性もありますのですぐに非難してください!』


繰り返し町のスピーカーから流れるアナウンスを聞きながら、ききょうはいつかもこんなことがあったと思い出した。


「あの巨大な魔法少女の時でしたか……」


アーキオプタリスクが現れた時のことを思い出し、ききょうは少し微笑む。


思えば、あれがさくらと共闘した最初の戦いだった。……あの時は、このような怪しい少女と共に戦えるものかと思ったが、目の前にいる彼女は今、なによりも七鶴の支えになっている。戦力としても、精神的にも、だ。

「さくら……、このプルンネーヴェ、知らない」


「なんですって?」


さくらの言葉にききょうが返した直後だった。町を染めていた白銀の雪が次第にその色を変え、町の景色を更に変えてゆく。


「こ、これ……は!?」


目を見開き、この状況に絶句するききょうの傍でさくらは、見たことのないと表した銀雪に向かってもう一つ吐いた。


「紅い……プルンネーヴェ……!」


真っ白だった葵町の空は、赤く変色した銀雪によって真っ赤な空に変わり、その光景はさながら地獄絵のようだ。


「さくらさん! 変化しましょう!」


「え、うん!」



『百花繚乱!』



何が起こっているのかは分からないが、とにかく前例のない異常事態に二人はクレインに変化し、空へ飛んだ。


だが紅い銀雪が降る空に飛んだききょうは脇に感じる違和感に振り向いた。


「さくらさん?」


一緒にいたはずのさくらがいない。


さくらは飛び立った時と同じ場所で立ち尽くし、丸い瞳でききょうを見上げている。


よく見るとさくらはクレインの姿になっていなかった。


「さくらさん!」


「ききょう! さくら……魔法が、使えないよ!」


「なんですって……?! 魔法が……」


真っ直ぐと不安と絶望に染めた表情で自分を見上げているさくらの顔に、それが真実であると察したききょうは、この異常事態に重ねて起こった不足の事態に言葉を失った。


「なにが……起ころうとしておりますの……?」





「おい! 紅い銀雪が降ってるって!」


「わあああ! マジでぇ!? めっちゃ怖ぇえ!」



慌ただしく人が行き来するのを、ドアのガラス越しに見た佳音は、曲と曲の合間できくに尋ねた。


「なんか慌ただしいですね……なんか、あったんでしょーか」


「おりょ? 銀雪降ってるだけだしょ?」


銀雪が降っている……という情報しか知る由のないきくは、そのようにしか答えることが出来ない。


「あの、見に行きましょうよ」


佳音の提案に、きくはぶんぶんと首を横に振り「もうすぐききょうちんがブルークレインジャーのコスで来るから!」と外の様子を見に行きたがる佳音を治める。


「でも……」


「お、次はヘビメタ殺しいくっすかぁ!?」


「え、マジですか? いいですねぇヴォオーイ!」



――ひぇぇ……、ききょうちんなにやってんだよぅ……早く来ておくれよぅ。


「ききょうさんのコス楽しみだなぁー!」






「ガル! あれはなんなのですか!? 紅いプルンネーヴェなど私は知りません」


ナハティガルの城。


大魔女の間から飛ぶ声は、珍しい人物の声だった。


「ええ、それはそうでしょう」


ティーカップを片手にテーブルにつくガルは、その声に対しても態度や感情を変えることなく言い放った。


「お答えなさい!」


その声の主とは、大魔女クレインである。


大魔女クレインは、奥の間から出ることなくガルに問うが、ガルは紅茶をすするのみで答えることはなかった。


その様子を、カナリーが不安げな表情で見守っている。



「ガル!」


「大魔女。静粛にお願い致します。……紅いプルンネーヴェ、ご存知でないのも無理はありません。なにせ【アレ】を使うのは初めてですし、大した実験もしておりませんのでまさかプルンネーヴェが紅く染まるなど、私としても予想外でした」


「質問の答えになってません!」


ふふ、か細く声を出して笑うガルは、何をそんなにムキになるのか、とでも言いたげにカップを置いた。


「【アレはなんだ】と仰いましたね、大魔女クレイン。そのお言葉をそっくりお返しいたしましょう」


「……どういうことです」


「ですから、そのままお返しいたしますと申したのです。……【アレはなんだ】と」


空間が凍り付きそうなほど張り詰める中、明らかにガルは大魔女よりも自身の立場が上であると主張するような態度を取った。


これまで反抗的な態度は愚か、まともな反論すらしたことのなかったガルが明らかに、【敵意を持って】大魔女クレインの鎮座する奥の間を睨みつけたのだ。……薄笑みを浮かべ。


「あの人間、なにかの役に立つ日も来るかととって置きましたが……。まさか」


「人間……。なにを考えて……いえ、【なにをしようとしている】のです、ガル!」


「さぁ。私がなにをするかは、すべて【貴方が昔なにをしたか】で決まります。……信じておりますよ。大魔女、クレイン」


奥の部屋から出られない大魔女は、明らかになにかを企んでいるガルに対して、ただその場で拳を握るしかなかった。



「カナリー。手筈は整っていますね?」


大食堂の長いテーブルの端で、カナリーは「しゅしゅしゅ」といつもの笑い声を上げた。


「全て順調っしゅよ、ガル」


闇を纏う瞳は紫の不吉な光を放ち、心なしかガルは笑ったようにも見えた。


「珍しく機嫌がいいみたいしゅね」


「なにを申すのですか、カナリー。この私が機嫌の上げることなどあるはずがないでしょう」


「しゅしゅしゅ……確かに、そうしゅね。機嫌がよくなるのは、これからしゅもんね」


「ええ。全ては、これからです」






――紅い銀雪。


誰も見たことのない不吉を纏った紅い銀雪は、町の至るところに積もってゆく。バスロータリーの噴水や植え込み、バス停の雨よけ……。


真っ赤に染まっていく異様な光景の中で、さくらは空にいるききょうを見詰めるしか出来ないでいる。



「こんなの、さくらはじめてだよぅ……。変身も魔法も使えないなんて」


涙目で目を見張るさくらがいくら魔力を行使しようとしても全く無駄に終わる。


一方でききょうが百花繚乱で変化が完了し、魔法も問題なく使えそうな状態で、どうしてさくらだけが変化できないのか分からない。


分からない……が、分からないのは魔法が使えない理屈であって、なにが原因なのかは分かっている。



そう、この紅い銀雪。


それしか考えられないのだ。


「さくらさん! ひとまずカラオケボックスに戻ってください! そしてきくさんを」


「う、うん! わかった!」


さくらがビルの中へ消えるのを見届け、ききょうはさらに上昇し、町を見渡すことにした。


「紅い銀雪に、魔法を封じられたさくらさん……。これでなにも起きないはずがありませんわ……」


ききょうが口に出して言った通り、今のところ魔法少女は出てきていないものの、これだけ異常な悪条件が重なっている。


もはやこれはなにか凶事の前触れだと思うのが普通であろう。


「しかし……なにも感じませんし、なにも見当たらないとは……」


もしかしたら、天災に近いものでなにかの偶然で雪が赤くなった?


ならばさくらが魔法を使えない理由が成り立たない。


さくらが嘘を吐いているのでは?


――まさか。そんなわけが……。



複雑な感情と、良い可能性と悪い可能性ばかりを交互に考えながらききょうはなにも見落とさないように、目を凝らして変化がないか町を見渡す。



「あれは……!」


そんなききょうの目に、一人の男が目に入った。この紅い銀雪が降る町を悠々と歩いているのである。


「なぜこんな時に外へ出ているのです!」


紅い銀雪がさくらの魔法を奪う以外の影響はわからないが、銀雪に充てられた人間と言うのはある程度、銀雪にされされ続けると【羽根化】してしまうのだ。


銀雪が日本に降雪するようになって古い。


今更そんな常識を知らない日本人などいるはずもなかった。だから、これまでききょうは子供以外でそんな無謀なことをする人間は見たことがなかったのだ。


だからこそききょうは目を疑った。


すぐに空中から急降下しつつ、その男の元へと急ぐ。


百花繚乱……変化の瞬間を見られでもしない限り、クレインがその魔力を失うことなどない。


だからと言ってクレインが人目にでるようなことをしてはいけない。極力、クレイン以外の人間と接触すべきではないのだ。


こういったイレギュラーでなければ。


男は、葵町駅の線路を守るフェンスに沿って歩いていた。


男の前にききょうは降り立つと「なにをしてらっしゃるのですか!」と怒鳴り、男にここを立ち去るように促す。


男は黒いコートに黒いシャツ、黒いズボンと全身黒一色の異様ないでたちであった。


男はききょうが突然空から降り立ったことにも特に気にする様子もなく、それどころかききょうの顔すらもほとんど見ない。


「どうしたのですか? まさか、羽根化が……!」


「オマエ、人間か……?」



「え、ええ……そうに決まってるではありませんか」


クレインの存在は知られるべきではない。その掟に従い、ききょうは自分をただの人であると見得を切った。


人間であることには間違いはない。


「そうか、人間か……。ならば丁度いい」


男はコートからおもちゃのようなステッキを取り出し、ききょうに向かってかざす。



「な、なにをするつもりですの」


利休鼠りきゅうねずみ


男のステッキから火が噴き出し、ききょうを襲った。


「こ、これは、『六鶴魔法』!?」


「なんだ、利かないのか。手強い【人間】だな。じゃあ、これはどうだ」


炎に包まれるも、クレインの魔装束の坊魔法で守られたききょうに向かって、立て続けに彼は魔法を唱える。


柳煤竹やなぎすすたけ


「また六鶴魔法を……!」


火柱の剣を作り上げ、男はききょうに向かって斬りかかる。ききょうは突然の攻撃なのにも関わらず、華麗なステップを踏むようにして避けた。


「ほぼ物理武器に近い魔法だから、利くんじゃないかって思ったが、避けられたら意味ないわな」


ふふん、と鼻だけで笑った男はききょうとダンスを楽しむように、炎の剣を振り回す。


「貴方は一体……一体だれだというのです! なぜ私達と同じ『魔法』を」


「っへぇ、これが《魔法》かぁ。あの鳥どもに聞いた通りかもな。死んでいる内に日本はえらく変わってしまったようだ」


直感的に『この男はまずい』、ききょうはそう捉え「魔法少女たちの手下だったのですね!」と威嚇するが、男は「魔法少女? なんだそりゃ」と言うばかり。


「この紅い銀雪はなんですの!? 知っているのでしょう?!」


「ああ、これね」


攻める手を休めずききょうは紅い銀雪について必ずなにかを知って居るはずだと踏み、彼の話を聞きだそうと試みたのだった。


「この銀雪は、マギ魔法が使えなくなる。ナハティガルなら能力の1割をだすことさえ難しいだろう」


「それならなぜ貴方は魔法が使えるのですか!」


「なぜ? なぜだろうな。直感的にマギの魔法がダメなら六鶴魔法をやってやろうと思ったら出来ただけさ」


攻撃の手を緩めない男に対し、ききょうは『浅縹あさはなだ』と詠った。


ききょうのキセルの先から飛び出した無数の煙が男の自由を奪う。


「貴方は……人間? 一体何者ですか……答えなさい!」


「……人間かどうかなんて、それがそんなに大切かね。やれやれ、まいったねどーも」


男のいでたちとは温度差のある、おもちゃのようなステッキが鈍く光ると、彼の自由を奪っていた煙を一瞬で吹き飛ばした。


「わたくしの煙が……!」


「しかし、何者だと言われればそれはそれで答えるのに困るというもんだ。自分の名前も知らないなんて笑われるだけだものな。ひとまずはそう、俺の事は【ナナシ】とでも呼んでくれ」


黒い炎が纏わりついたステッキは次第に形を変え、日本刀のように変わっていく。


「……ほう。刀か、悪くない」


得体の知れない男を前に、ききょうはこの男を攻撃するべきか否かを迷っている。


どこから見ても普通の人間ではないことは明らかではあったが、ききょうを食い止めているのは殺意のなさである。


これだけ魔法を使い仕掛けてきても、この男からは『仕留めよう』という気概が全く伝わらない。


つまり、この男には敵意もなければ悪意もない。


ならば一体なぜ、なんの目的がでここにいるのかもわからかった。


「魔法少女の仲間ではないといいましたね」


刀に形状を変え、纏っていた黒い炎さえも吸収した刀をぼんやりと見詰める男は「魔法少女……もしかしてそりゃナハティガルのことかい」と尋ねた。


「ええ、私達はそのナハティガルを魔法少女と呼んでいます」


「そうか。じゃあ、お前はナハティガルの敵ってことか?」


「その通り、わたくしどもの敵は……」


風。


ききょうが顎下から僅かな風を感じたのは、無意識にそのひと振りを回避し、男と距離を保ちながら真正面に対峙した後だ。


「よくよけたな」


「貴方は……!」


バク転で避けたはずのききょうの蒼い装束の胸元から腰に掛けて布一枚が綺麗に切れていた。


「魔法少女って謂われりゃわけもわかんなかったけどよ、ナハティガルの敵ってんなら話は早いわ。お前、俺の敵な」


全く殺意のなかった男に斬られた装束を、指の感触で確かめながらききょうはこれまで感じたことのない気持ちの悪さを覚えた。


「……早く帰りてぇんだわ。さっきまで死んでたからよぉ」


男がききょうにゆっくりと歩きながら近寄り、光を放たない瞳のまま彼女を見詰める。


睨まれるではなく、見詰められる。


正常な男女の関係ならばともかく、この状況で見つめられているききょうは非常に戸惑いを隠せなかったのだ。


敵意も殺意も感じないのに、敵意と殺意を持って迫りくる男。紅い銀雪と、謎の男……。


男は無表情で時折笑いながら後ずさりで距離を一定に保つききょうににじり寄る。


「逃げないのな。俺はどっちでもいいんだが」


ききょうの脳内は、この男が『何者であるか』ということよりもこの状況を如何にして『回避するか』という思考に占領されていた。


得体の知れない魔法を使う男。


魔法少女たちナハティガルは全て女性で構成されているはず。


これまでのクレインの戦いの歴史の中でもただの一人として男性のナハティガルなど聞いたことがない。


さらにマギの呪文ではなく、六鶴魔法を使う。


六鶴魔法を使うということは、魔具を使用しなければならない。……ということは、あの真っ黒な刀が魔具だということだ。


男はききょうに対し、『逃げないのな。俺はどっちでもいいんだが』と言った。


つまりこの言葉からは『逃げるのなら逃げるでいい』とも読み取れるからである。



だが、ききょうには【この場を離れる】という選択肢はなかった。


この場を離れてしまった場合、紅い銀雪が降り積もるこの状況でなにが起こるか分からない。


得体の知れない銀雪と、得体の知れない男。


ここで自分が離れ、なにかが起こってしまうことのほうがよほどききょうにとって脅威であったといえる。






「店長、紅い銀雪が降ってるってマジっすかぁ?!」



トイレの振りをしてきくはカラオケボックスの店長にかじりついた。


「マジマジ。マジだって、長年この町に住んでて銀雪には慣れっこだけどさ、紅いのは初めてだねー。ははっ」


「ははって、軽ッ!」


テンポのいい突っ込みをしたきくは、フロントの正面にある階段から窓の外を除いた。


「ありゃりゃー! こりゃマジっすなぁ! ……うう、かのんのんの相手してる場合じゃないっぽ」


きくは真っ赤に染まった町の景色を見詰めながら唸った。


「きーくー」


そこへさくらが階段を全段飛ばしでやってきたかと思うと、きくのリアクションも待たずに「外にいこっ!」ときくの手を掴む。


「いだだだ! ちょ、ちょっとさくらちん、痛いってばぁ! といいますか、かのんのんを放っておくことは……」


「いいから来て来て! ききょう一人はヤババだからー」


「ありゃりゃー」


「やばばー」


よくわからないが、妙な掛け合いできくはさくらに外へと強引に連れ出されてしまった。



「ありゃりゃ……こりゃヤバスですなぁ……」


外に出たきくは、改めてこの異常な事態に関して口を呆然と開ける。まるでケチャップを掛け過ぎたピザみたいだと、きくらしい個性的な感想を頭に浮かべていると、さくらが掴んだ手をぶんぶんと乱暴に振り回した。


「いだだ! さくらちん、痛いって意味知ってる? さっきからきくりん痛い痛いって言ってるよね? え、もしかしてドS?」


「ねぇねぇきくは魔法使える? さくらね、なんだか魔法が使えないの。だから変身も出来なくて」


「おりょ? そりゃ参った感じすなぁ……魔法魔法」


さくらの話にきくは左手を眼前に掲げると『蒸栗むしぐり』と詠う。


するときくの掲げた左手が柔らかい光を纏い、指先に集まった。


「う~ん、きくりんは普通に魔法使えるっぽ。さくらちんが使えなくてきくりんが使えるってことは……多分、『マギ魔法』だけ制限されてるんじゃないかなぁ」


「ええー! じゃあさくらぶっ飛べないじゃん!」


「まぁまぁ、そういう日もあるってことで……」


さくらをなだめながら、さすがのきくも気付いていた。


【マギ魔法が使えないということは、魔法少女も魔法が使えないということ。クレインだけが魔法を行使できるこの状況の意図も意味もわからない】と。



「一体この銀雪を降らせて、誰が得するんすかねぇ……」


きくが舞い降る紅い銀雪を見上げる傍で、さくらは何度もマギ呪文を唱えては唸っていた。


「マギ・シャルロット! マギ・コライユ! マギ・ビーツ! ……う~ん、ダメだぁ……ぶっ飛べないよぉ!」


さくらは地団駄を踏んだ。


「けどこの緊急事態に葵町に魔法を行使できるのがきくりんとききょうちんだけとなると……。おりょりょ、きくりんが行かないわけにはいかないっすなぁ」


きくが溜息と一緒にそう呟き、さくらに向かって佳音の部屋に戻るように告げる。


「ええっ、さくらだめなのー!」


「今回ばかりはさくらちんの出る幕は無さそうなんで。ほんとはきくりんもこんなわけワカメな銀雪はごめんなんすけど、しゃーないよねぇ」


「やだやだやだやだやだやだ! さくらも行く! さくらも行くのー!」


「あとであんこパフェのメガ盛りおごるからぁ(ききょうちんが)」


そう言ってきくはさくらを置いて外へと飛んで行ってしまった。


さくらは無力な自分に苛立ちを「んなー!」と声に出して叫び、しばらく頬を膨らませてうーうーと唸っていたものの、そんなことをしても現状が変わらないことを悟ると不満そうな表情で佳音のいるはずの部屋へと戻った。



「……ほよ?」


部屋に戻ったさくらは誰もいない部屋に首を傾げ、部屋を間違えてしまったのかと、隣の部屋に乱入した。


「きゃああ! だ、だれぇえ!」


「わああー!」


勢いよく入ってきたさくらの前に、いちゃつくカップル。テーブルにはから揚げとポテト。


「もぐもぐ、あれあれおかしいな、かのんのんもぐもぐはいったもぐもぐ」


「ひぃぃー! 人の頼んだから揚げ勝手に食べながら喋ってるぅぅうう!」


「もぐもぐ、あ、コーラフロート一個ちょーだい」



注文用の受話器の向こうで、店員が「かしこまりました」と言った頃、佳音はエレベーターで一階に下りてきていた。


「KickKick? さくらちん?」



真っ赤な銀雪が降りしきる町並を見上げて、佳音はいなくなったさくらやきくたちを目で探す。


「あ……そうだ」


佳音はもしものためにと、銀雪の危険数値を検出するメーターを持ってきていた。


日本で一番、銀雪の降雪が頻出する地域である。予報外の銀雪が降ってもおかしくはない。佳音はそう思いそれを持ち込んでいたのである。


【0.1sn】


「れ、0.1sn!? うそ、銀雪の数値……非降雪時とほぼ同じ数値じゃん! こ、壊れてんのかな」



メーターが故障しているのだと思い、佳音はメーターを手で叩き、電源を入れ直し再び検出させる。


【0.1sn】


「まただ……やっぱり壊れてない? いや、壊れてるのかな? うう~ん」


本来、通常の銀雪降雪時、このメーターで危険値は30~40を超えた時である。


一般的には浸透していないが、ミリオンの長年の調べにより降雪危険数値が30を下回っている場合、銀雪が降っていようとも人間が羽根化せずに耐えられる数値なのだ。


そして、0.1というと銀雪が降っていない数値とほぼ同じなのである。


そのため、佳音は信じられないといった様子でメーターを呼称ではないかと疑った……というわけなのだ。


「そうだ……藤崎司令に報告しなくちゃ」


さくらやきくがいてはミリオン本部に連絡を開くことはあまりよくない。


彼女らのことは普通の女子高生であると信じてはいるが、それでも秘密機構であるミリオンのメンバーであると知られるわけにはいかなかった。


それゆえ、佳音は藤崎にこの【紅い銀雪】という前代未聞の事態を報告出来なかったのだ。



しかし……


「え? え? なんで!? 電話が繋がらない! ネットも……圏外じゃん! ああもう! どういうこと!?」


彼女が持っているスマホの画面には、インターネットが圏外、電話も圏外というこのご時世でありえない表示がされていた。


仕方なく、佳音はこの光景を写真に収め藤崎に後から伝えようとカメラを起動する。


カメラならば電波状況に影響されるはずがない。起動を待ち佳音は真っ赤に降りしきる紅い銀雪と真っ赤な町にスマホのレンズを向けた。


だがそこでも佳音の想像にしていない事態が起こったのだ。


「銀雪が……映らない」


カメラのレンズを通してスマホの画面でみる葵町の街並には、銀雪どころかほんの少しの赤すらも映らない。


ごくごく普通の街並が映し出されていたのだ。


「ど……どういうこと!? ふ、降ってるよね? これ、降ってるよね??」


一応、何度かシャッターを切ってみるが、フォルダーに収納された画像にはやはり銀雪は一切映っていなかった。


「でも誰も出てないよね……町の皆には見えてる、ってことだよ……ね」



状況が呑み込めず、思考を張り巡らすも結論に辿り着けない佳音はただ自分の目にははっきりと見える紅い銀雪を見詰め、立ち尽くししかなかった。


呆然と町並を眺めている佳音の目に、なにかカラスのようなものが見えた。


気のせいかと、黒い何かが動いた箇所を目を細めてみつめる。


「カラス? 銀雪の中を飛んでいる鳥なんているの?」


銀雪が降ると、人間以外の動物も外には出なくなる。


人間のように羽根化することはないと立証されてはいるが、どの動物も必ず外に出たがらないのだ。


結果、銀雪が降っている間、如何なる生物も外に出ない。死の町と化す。


要は、人間であろうが人間以外であろうが、銀雪が降る中、生物がそこにいるはずがないということだ。


だから佳音はたかがカラスであっても、外にそれがいることが異常なことだと思った。


「カラス……じゃない?」


だが、彼女が見たのはカラスではない。


「黒い……服の、人?」


それはカラスではなく、黒い服に身を包んだ人……いや、男。そう、【あの男】である。


「人が外にいる!」


男は表情を変えず、ずんずんと歩いている。佳音は、その男を見て思わず叫んだ。


「あの! 危ないですよ! 迂闊に外に出ちゃうと……」


「……!?」


男は佳音を見つけると、少しの間立ち止まり佳音を見ている。


「こっちへ来てください! こっちへ!」


大声で男を呼び、佳音は手招きをした。瞬間、男の姿がその場から忽然と消え、佳音はぎょっと顔を突き出した。


「え、あれ!? 消え……」


「よォ、人間」


男……ナナシは、消えたかと思うと佳音の目の前に突如として現れたのだ。


思わず二歩ほど後ずさって驚く佳音は、「え? え?」と驚きながらも、「あの……危ないので中に……」と話し掛ける。



「ここは……なんだ」


「え、カラオケボックス……ですよ」


「カラ……空桶坊主? 寺みたいなもんか。ここに人間はいるのか?」


「人間って……。はい、たくさんいますよ」


「そりゃあ丁度いい」





「ききょうちーん!」


きくがききょうを見つけたのは、店から飛び出して数分後の事だ。


比較的簡単に見つけられたのは、ききょうが空にいたからである。


ききょうを見つけたきくは、その佇まいから上空から様子を伺っているのだと思った。だが、ききょうの顔を見た時にそれは違うのだと気付く。


「ききょう……ちん?」


「……」


ききょうは、大きく肩で呼吸をし、目を見開いたまま額を大量の汗で濡らしている。


「ききょうちん」


「……っ、き、きくさん」


二度目の呼びかけに反応したききょうはきくの顔を見るなり、切迫した形相で「あの男……、ナナシ、ナナシはどこですか!」ときくに詰め寄った。


「男ぉ? ナナシぃ? ナナシって名無しのごんべ的な?」


「冗談を言っている場合ではありません! 男の魔法少女が現れたのです!」


「男だったら魔法少女じゃないっしょ? ってか、男って」


ききょうの言っていることがいまいち理解出来ないきくだったが、その形相からしてただごとではないことは分かっていた。


その上で、ききょうを落ち着かせなければと、いつもよりもゆっくりとした口調で話す。


「落ち着いてよききょうちん、一体なにがあったん? 男の魔法……少年? 青年? がどうしたの」


「え、ええ……わたくしが上空から様子を見ていると、一人の男性が歩いていたのです。普通の人間かと思いまして……、危険だから屋内に逃げるように言ったのですが、彼は突然魔法を」


「ふむふむ、ということはやっつけちゃった感じ?」


ききょうは無言で首を横に振った。


「おそろしく強い方でした。わたくしは上空に逃げるのがやっとで」


「上空に? 魔法少女なのに空飛べないっすか?」


「……それが、その男【ナナシ】は空も飛べませんし、それに六鶴魔法を使うのです」


「六鶴……魔法ォ?! またまたぁ……」


きくの言葉にききょうは反応しない。その様子を見たきくは「……マジ?」と真剣な表情を作って尋ねた。


「何者かは分かりませんが、わたくし一人では勝ち目がありませんでしたわ。それにわたくしが空に飛んだ時も、彼は一切追おうともしませんでしたの……。

 きくさん、今度は二人でナナシを倒さなければ」



きくは頭に「やだなー」と置いた上で、


「でもやっつけなきゃ、ヤバス……って感じっぽいすな!」


怯えているようにも見えるききょうの姿。


きくはききょうのこのような姿を見たことがなかった。


これまで長い間、クレインとして戦ってきた仲間の初めて見る姿。



それにきくには一番苦手なタイプであるききょうが、必死に自分に言い聞かせて無理矢理奮い立たせている。


いつも自分よりも一段高いところから物事を見ているようで、その丁寧な言葉づかいもあり大人びて感じていたききょう。


そのききょうの不安げな姿に、きくは自分と同じものを感じた。


――そういや、ききょうちんもきくりんとタメだったっけ。


勝手にききょうを上に見ていたのは自分の方ではないのか。きくはふとそんなことを思った。



『どうせ性格も趣味も価値観も違う。わかりあえるはずがないし、自分のやっていることを理解できるはずもない』



だから喧嘩もしなかった。相手にしていなかったから。


それは、おそらくお互い様であったとしても。


――ききょうちん、いいとこのお金持ちだけどその分自由もなければ、習い事も厳しいって言ってたな。



まだクレインになる前の幼いころ。


六鶴の家系は定期的に家族で集まっていた。だからきくは昔からききょうらのことは知っていたが、今になって思い出してみればあの時のききょうは、誰とも話さずただ静かに佇んでいた。


その時から子供なのに、大人みたいだなぁと思っていたが、今思えば母親に厳しく躾られていたのだろう。


今隣にいる、敵に感じる恐怖を必死に抑えている少女。


――ああ、そうなんだ。ききょうちんも、クレインなんだっけ。


戦いたいクレインなど一人もいない。


遊びたい。おいしいものを食べたい。おしゃれをしたい。恋をしたい。勉強をしたい。夜更かしもしたい。


やりたいことの中に、【戦いたい】などあるはずもない。


それは全員同じことなのだ。


ききょうがいくら大人びていて、落ち着いていようとも戦いたいわけがない。


きくに対して『戦士たる自覚』を問うききょうの言葉は、もしかして……自分自身に言い聞かせていたのでは?


「おりょりょ……そりゃあ考えすぎっすなぁ」


「大丈夫、ききょうちん! きくりん……いや、イエロークレインジャーKickKickがいるっすよ!」


「きくさん……、ふふ、頼りありませんわ」


「おりょ?」


「とにかくそのナナシとかゆーのを探しちゃおー!」


「そうですね……!」



ききょうがこの時なにを想ったのかはわからない。わからないが、昨日までよりも少しだけ、きくを仲間として信頼したのかもしれない。



『キィー……ン』


光の走る音。


超音波のような強烈な、尖った刃物のような音が葵町全土に広がった。


「なんですの!?」


「なにごとっすかぁ!?」


きくとききょうのハモった驚愕の言葉の先に、さきほどまで彼女らがいたカラオケボックスのビル。


ビルを中心に、巨大な魔法陣が光っていた。それも、黒く、黒く光っていた。


「あれは……あの『魔女』の黒い光……!」


ききょうが漏らした『あの魔女』とは、ガルのことだ。


かつて現れた3人の魔女の中でも圧倒的な力を誇り、絶対的な凶悪さ、そして呪文を唱えずに放つ魔法力。


一度見た者は忘れるはずがなかった。



当然、その黒い光から現れるのはガルかと思われた。


……が、彼女らが想像していたものと違うものが現れたのだ。


『マギ・オーダー・サイクロプス』


どこからともなく詠う呪文。その呪文の種類に聞き覚えのあったききょうが思わず叫ぶ。


「オーダー呪文……?!」


巨大な魔法陣から、ビルを破壊しながら現れたのは一つ目の巨人。



「ひ、ひぃえ~!」



緑色の肌、筋骨隆々の身体、そしてビルよりも巨大な姿。


直径30メートルは裕にあると思われるほど、見る者に絶望感だけをすりこむ巨躯。


「召喚……獣!」


もう一度、その姿にききょうが叫んだ。


「よォ、クレイン……だっけ」


聞き覚えのある声に目を移すと、サイクロプスの肩に乗るナナシがいた。


「おりょぉおおお! ひ、人が肩に乗ってるっすよ!」


きくがあわあわとナナシに指を指し叫びを上げ、ナナシはその黄色いきくの声に振り向くと、人懐っこく笑った。


「へ?」


「元気がいいなァ。俺は元気のいい奴は好きだ、頑張って死なないように戦えよ」


「死なないように……って、なんすかぁ!」


ナナシは笑うと、ききょうの方にも向くと「じゃあな、また会えたら会おうぜ」と残し、肩から消えた。


「お待ちなさい! ちょっと!」


ききょうが呼び止めようと叫ぶが、ナナシは構わず消えてしまった。


「ナナシ……」


ナナシが消えた途端、紅かった銀雪は白く代わり通常の銀雪へと変わった。


「うわああー! バケモノだぁ~!」


「ひぃいい!」



サイクロプスが現れたことで、破壊されたビルから命からがら助かった人間が、そびえるサイクロプスに恐怖の悲鳴を上げる。


「ありゃ! 生きてる人たちがいる……っつか、さくらちんとかのんのん!」


きくはサイクロプスの足元へと飛んでゆきながら、ビルにいるはずのさくらと佳音の身を案じた。


「きくさん! 危険ですわ!」


ききょうが『淡紅藤!(あわべにふじ)』と詠うと、蒼い煙がきくを覆い、キセルを釣り竿のように引っ張り上げるときくの身体がぐい、と引っ張られた。


「ぐおぅ!」


きくがいた場所に、サイクロプスのパンチが空振る。


まさに危機一髪だった。


「お気持ちは察しますが、その召喚獣の足元にゆくのは危険ですわ! きくさんも無事ではおれませんことよ!」


「うぅ~でもぉ~!」


泣きべそをかいてききょうを見るきくと、ききょうの耳に瓦礫が崩れる音。


そして、次の瞬間大きな瓦礫がサイクロプスの顔面に投げつけられた。


「ぅがぁあ!」


サイクロプスにも痛みがあるのか、ぶつけられた箇所を手で抑え、苦しそうな声を上げた。


「ぶっ飛び……さくらロケットォ!」


続いて聞こえた『聞き慣れた叫び声』と、鈍く響き渡る衝撃音。


そして同時に《く》の字に折れ曲がるサイクロプスの身体。


「さくらちん!」

「さくらさん!」


同時にその名を呼ぶと、その先にクレインの装束に身を包んださくらが頭突きの体勢で空中に浮いていた。


「へっへへぇ~、魔法使えるようになったよー!」


頭をさすりながらさくらは笑った。


「さくらちん! かのんのんは!?」


「かのんのんはいなかったよぉ」


さくらが言い終える前に、サイクロプスの棍棒がさくらの背後から命中し、さくらは駅のホームに吹き飛ばされ、彗星が墜ちたような激しい音ともに土煙を上げた。


「さくらさん!」


「ききょうちん! さくらちんをお願いしていいっすかぁ!? きくりんは、かのんのんを!」


「かしこまりましたわ……! あの巨体に踏まれでもしたらただじゃ済みませんことよ! お気をつけて!」



サイクロプスの足元に積まれた瓦礫の山に向かい、きくは「かのんのん!」と叫んだ。


瓦礫の下敷きになった町民が苦しみに呻き声を上げ、ぴくりとも動かない人間、血まみれで助けを求める人間が辺りに転がっている。


「ありゃ……りゃ……これは、ひどいっす……」


それらを無視するわけには行かなかったが、今のきくには佳音の無事が先決であった。


「必ず、すぐに助けるからちょっと待つっすよ!」


後ろ髪を引かれる想いで彼らを横切り、きくは佳音の名前を呼びかける。


「かのんのーん! かのんのーん! どこっすかぁー!」


『バリ……ボリョ……』


不気味で不快な音にきくは立ち止った。


その音を頼りにきくが駆けつけると、見覚えのある魔法少女の後ろ姿。なにかを食っているようだった。



「魔……法少女? 違う」


それを魔法少女だと思ったが、記憶を辿りすぐにその姿が魔法少女ではないことにきくは気付いた。


「魔女!」


「……!? その声は、クレインっちか」


ゆっくりと魔女は振り返った。


――そんなはずはないっす、確かにこの魔女は死んだはず。


きくは言葉にならない言葉を心の中で吐いた。


そう、その魔女は、さくらがたおしたはずだった。


「折角、久しぶりに【人間(食事)】にありついたというのに、無粋っちね。まぁ、『あたちの敵討ち』には丁度いいっちが」


バキン、と食べていたなにかをへし折りそれを無理矢理口に入れまたバリバリと頬張った。


きくは、『魔法少女が食事をとる姿』を始めて見た……、彼女らの食事、つまり『人食い』のシーンである。


今、へし折ったのは羽根化した人間……ということだ。


きくに背を向けていた魔女がゆっくりとこちらを振り向き、口元を手で拭う。


その拍子、なにかが落ちた。


「……え」


黄色いスマートフォン。珍しい色ではあるが、本体そのものの色ではない。


その黄色さは、個性的なスマートフォンケースの色だった。そして、きくはそのケースに見覚えがあった。


『そんなにKickKickファンなら、これをあげちゃうっすよぉ~』


『え、え、いいんですかぁ!? わあ、すっごい! KickKickって書いてる! ヴォオイ! とも! うわあ嬉しい!』


瓦礫のでっぱりにぶつかり、裏向けに落ちた黄色いケースのスマートフォン。そのケースには、『KickKick』の文字。


……バキン?


きくの脳裏に、先ほど魔女の後ろ姿から聞こえたなにかをへし折る音が蘇る。


そして、その直後に魔女本人から「食事をしていた」という言葉も。


食事……人間。魔女、魔法少女は人間を喰う生態を持った人類の敵である。


つまり、この魔女が食っていたのは……


「ぅぅあわりゃあああああ!!」


焦点を見失いそうになるほど目を見開き、きくはかんざしの魔具を髪から抜くと、正面にかざした。



『照柿!(てりがき)』



バチバチと稲妻を纏った簪を刀のように振り上げ、頭上で両手に持ち替えると、魔女に向けて思い切り振り下ろした。


電撃を携えた一撃を身体を消して躱した魔女は、きくから数メートル離れた場に再び姿を現し、『マギ・フラスカティ』と詠う。


「やはり地上での近接戦闘には術後詠唱が効果的っちね。そんなこともこうなるまで忘れていたっち」



きくを馬鹿にするように、魔女はちちちと笑い笑った。


「かのんのんをどこにやったすかぁ!」


振り向きざまに電撃攻撃をもうひと振りするきくをもう一度躱すと、魔女は笑いながら「かのんのん?」ときくの言葉に反応した。


「ああ、もしかしてあの髪の短い人間の女のことっちか?」


「そうっす! それがかのんのんっすよぉ! どこっすかぁ!」


「ちちち、それだけムキになってるってことは、もう分かってるっちね? さすが人間っち、合理的かと思えば対峙すると感情が優先される。だが、分かるっちよ。あたちがもっとも強く持つ感情も【怒り】っち!」


紅いドレスを纏った魔女は、長いスカートの裾をはためかせ、なにも持たない両手を真横に広げると掌に魔法陣をふたつ出現させる。


『マギ・グリエ』


両手の魔法陣から光と共に轟炎が放たれ、周囲が火に包まれた。


「熱い! にゃろぉ、かのんのんは、かのんのんはどこっすかぁあ!」


さらに電撃のレベルを上げ、簪の先端から水色の雷がほとばしり、肩やスカート部分に火種を纏わりつかせながらきくは魔女に突進してゆく。



しかし、その瞬間きくの目の前に魔女の広げた掌が突然現れ、咄嗟にきくは反応できなかった。


「《かのんのん》は喰ってやったっち。味は、まあまあだったっちね」


マギ・グリエの術下である掌からオレンジとレッドが混ざった激しい光が放たれ、同時に激しい爆発が起こった。



「きくさん!?」


爆発音に振り返ったききょうにサイクロプスの棍棒が命中し、「きゃあっ!」と悲鳴と共に吹き飛ぶ。


駅前のビルの直撃するかと思われたが、ビルは破壊されない。


「う……さ、さくらさん!」


「にっへへぇー。大丈夫、ききょう?」


吹き飛ばされたききょうを背後からキャッチしていたのはさくら。さくらはさくらで、先ほどの直撃でボロボロにはなっているものの、毎度のタフさでダメージはなさそうだ。


サイクロプスはききょうらが無事なのを見つけると、迷うことなくまた追撃にと進撃を始めた。


「うーん、さくらがあのひとつ目オバケをぶっ飛ばしたいんだけど、強力な魔法を詠う時間くんないからなぁ」


自分で言った直後に、「あ! 空からビームしちゃえばいいんだ! それでいこう!」と閃いたリアクションを取る。



「だめですわ、さくらさん! 普段は空対空のですから強力な魔法でも扱って問題なかったのです。ですが、今のように空から地上に向けてでは話が違いますわ!

それによって町に被害が出てしまいます!」


「ええっ! そっかぁうう~ん」


「それよりも、さきほどきくさんが向かった先で爆発が起こりましたわ! なにかあったのは確かなのですが、あの巨人が立ちはだかり向かうことが……」


さくらは「う~ん」としばらく唸ったが、すぐに顔を明るくした。


当然、その表情にききょうが嫌な予感を持ったのは言うまでもない。


「さ、さくらさん……なにかよくないことをお考えになっておられるのでは……」


さくらはこの状況にも関わらずにんまりと笑顔を浮かべると「だいじょーび!」とピースをして見せた。


「ただ、ちょっと上級魔法だから集中しなきゃなの。ききょう、魔法発動までちょっとだけあのひとつ目オバケの相手できる?」


嫌な予感はしつつも、この状況でさくらに起死回生の策を託さねばならなかったききょうは、さくらを見詰めながら真剣な顔で言った。


「わたくしを見損なわないでいただきたいですわ。鶴野のクレインは六鶴のどの家系よりも気高く、優秀な力を引き継いでいますのよ」


「なんか難しいこといってるけど、だいじょび! じゃあ任せるよっ!」


そう言ってさくらは目を閉じ、魔法発動のための準備に入った。


「ああは言ったものの、大変ですわ……」


空中でサイクロプスの目線の高さで対峙するききょうの胸の下に、鋭い痛みが走った。


痛みの走った患部を手で触ってみるとさらに鋭い痛みに声が漏れる。


「くっ、さきほどの一撃で肋骨が……。ですが、このくらいで済んだのは不幸中の幸い……というほかありませんわね」


さくらがききょうを空中でキャッチしていなければ、もっと取り返しのつかない怪我をしていたかもしれないと思うと、ききょうの背中に寒気が走る。


「さくらさん……それにきくさんを信じるしかなさそうですわ。そのかわり、このブ男の相手はお任せください」


キセルをぐるりと回し、煙で直接魔法陣を描く。


「みなさんの奥義は攻撃系で羨ましいとずっと思っていましたが、我が鶴野の奥義はこんなときに使うのですね……」


キセルを正面を割るように縦に構えると、サイクロプスに向けて詠う。



『鶴野奥義 桔梗ききょう!』


煙で描いた魔法陣から、サイクロプスを覆い隠すほどの大量の煙が放出される。


「がばあああああ!」


視界を奪われたのか、サイクロプスは雄叫びを上げながら棍棒を辺り構わずに振り回している。


そして、ききょうは手に持ったキセルの口を咥え、思い切り吹いた。


「うがっ!?」


サイクロプスを覆っていた煙が、数百……いや、千を超える数の『ききょう』となって現れる。


「全て実体なのにわたくしと意識を共有しておりますのよ。みなさんのような一撃の美学はありませんが、貴方のような無粋なブ男の足を止めるにはこれ以上ない奥義でしょう?」


「ぐぅああっ!」


ききょうの言っている言葉が分かっているのかいないのか、サイクロプスはさらに激しく暴れる。


だが、ききょうと意識を共有しているだけあってこんなにも夥しい数の実態がいるのにも関わらず、サイクロプスの攻撃は一撃たりとも分身に当たらない。


「それと、実体があるということは……こんなゴージャスなことも可能なのですわ」


ききょうが蒼い光の魔法陣を出現させると、千を超える【ききょうたち】も同じく魔法陣を出現させる。



紺桔梗こんききょう!』



キセルから真っ黒の煙がどろりと出現し、【ききょうたち】はきせるを振り抜いてそれを一斉にサイクロプスへと投げつける。


サイクロプスにぶつかった黒い煙は液体のようにべちゃりとサイクロプスの身体に広がり、一気に浴びたサイクロプスは数か所を除き真っ黒になった。


「ぐがっ?!」


サイクロプスが煙に真っ黒になった直後、異変を口に出したサイクロプスは振り回していた棍棒を落とし、地面に膝を突くとそのまま前のめりに倒れてしまった。


いや、倒れたというより、なにかに【押しつぶされた】ようだった。


「紺桔梗は鉛の性質を液状化した魔法ですわ。それを浴びた者は鉛の重さを強制的に背負わされることになるのです……。いかがです? それだけの鉛を浴びればさぞ重いことでしょう」


「ががぁ……!」


悔しそうなサイクロプスは、顔面を地に付けたまま空にいるききょうを睨みつける。


うつぶせに倒れ込むサイクロプスは、身体中の筋肉に力を入れ、それに伴いバキバキとなにかが割れる乾いた音が、大音響で駅前の葵町に響き渡る。


「そう、ですが弱点がございますの。一度浴びた鉛の煙は、伸縮性を失ってしまうのです。そのため、重量を課す代わりに耐久力は脆い……。非力な魔法少女にならば破られはしないでしょうが、貴方のようなブ男でしたら……」


「もがららあっっ!」


全身から割れた黒い鉛の煙がバラバラと崩れ落ち、ゆっくりとサイクロプスは起き上がる。


その様子をききょうとききょうたちが黙って見つめていた。


「このようにすぐ自由になってしまうのです。ですが、この程度の自由さえ奪うことが出来れば問題ありませんね? さくらさん」


一度地に伏せられた怒りにサイクロプスは一直線にききょう本体に襲いかかった。



「うん、大丈夫だよ! さっすがききょう!」


激しい足音と共にサイクロプスが襲い掛かるが、ききょうは動じず、どこからか『マギ・アクアパッツァ』という呪文が轟く。


ききょうの横を巨大な腕が横切り、サイクロプスの顔面に強烈なパンチを見舞う。


よろけたサイクロプスの顔面を掴み、持ちあげると凄まじい扇風音で回し蹴りが腹にめり込んだ。



「……さくら……さん?」


ききょうは自分の目を疑った。


目の前で繰り広げられているのは、サイクロプスと同じサイズになったさくらの姿。


まるで怪獣同士の戦いのようだった。


嫌な予感とはなぜにこうも的中するものなのか。


あらゆる状況をシミュレートしていたのにも関わらず、この【さくらが巨大化】というケースだけは予想の遥か斜め上をいっていた。



「さくらさん! 町を破壊しないよう気をつけてください!」


「わかったぁ~! じゃあちょっとで済むように頑張るね!」


「ちょ、ちょっとでもダメで……」


言うのをやめ、ききょうはきくの元へと急いだ。



どれだけさくらに注意を促したところで、彼女が敗けてしまえばサイクロプスは止められない。


そんなことになるよりも、彼女を信じて任せるほかない。ききょうはこの状況下でそれが最善の選択だと判断したのだ。


「さくらさん! わたくしの紺桔梗ぶんしんは置いてゆきます! サポートはお任せください!」


「うん、助かるー! よっしゃくらえーすぺしゃるさくらパーンチ!」


派手な衝撃音と、サイクロプスのものらしい白い液体。恐らく血液だと思われる。



「きょ、巨大化とは……」


任せはしたものの、文字通りぶっ飛んださくらの発想にききょうは言葉を詰まらせた。



「ききょうちん! 来ちゃダメっすぁ!」


きくの元へ向かうききょうの耳にきくの叫びが聞こえ、瞬間紅い光線がききょうを襲う。


きくの声から光線をいち早く察したため、辛うじてききょうはそれを躱すことができたが、無理に身体を捻り先ほどの怪我に痛みが走る。


「うっ! ……きくさん! 無事なのですか!」


「ききょうちん、逃げ……わっ!」


なにかを殴打するような鈍い音。ききょうは再度きくの名を呼ぶが返事はなかった。


「クレイン・さくら……は、サイクロプスと戦っているっちか。巨大化魔法とは、相変わらずデタラメな魔法力っちね。まぁそれももう不思議ではないっち」


ようやくききょうが声の主を捉えることが出来た。


さくらを知っている風な口ぶりと、聞き覚えのある独特な口調。


だが、その姿は知っているそれの姿とは似ても似つかない。


真っ赤に黒や白のラインが入ったドレス。大きなリボン、悪魔のようなコウモリ型の羽根。


それ自体は、魔法少女にありがちないでたちだ。


だが、その強烈な色合いはあまり見たことがない。


それに、その魔女はステッキも魔具らしきものも手に持っていなかった。


代わりに手に持っていたのは、傷ついたきく。


きくは髪の毛を掴まれ、引き摺られながら時折血を含んだ咳をしている。



「ダメっすよ……ききょうちん、この魔女……ヤバスっす……」


「……ッ」


だがそれよりもなによりも、ききょうを驚かせたのはきくの姿でも、聞き覚えのある口調でも、魔具を持たないその手でもない。


その顔だ。


「佳音……さん?」


その魔女の顔は、佳音のものだった。


いや、違う。


顔が佳音のものではなく、この魔女自身が佳音なのだ。



「ほほう。やっぱりお前達の知っている人間っちか。だったら今後もやりやすいっちね。

 あの憎いクレイン・さくらや、お前達人間を喰い殺すための、道具としてっち!」


口元は笑っているが、目つきは敵意と殺意、そしてなによりも憎悪に染まり、魔女は続けた。



「お前達、このあたちの名を知ってるっちか! あたちは、ナハティガルの誇り高き三大魔女の一人……業怒のクックー! お前達クレイン……いや、クレイン・さくらに殺された屈辱をお前達クレインと全人間の命と等価交換しにきたっち! ありがたくその首を差し出すっち……あたちの魔法で、頭だけを活かし、自分の身体が喰われるところずっと見せてやるっちよ……」


「やはりあの時にさくらさんが斃したはずの魔女なのですね……! なぜ佳音さんの身体を!」


きくをゴミのように投げ捨て、クックーは顎を上げききょうを見下すように睨み、答える。


「ああ、この身体っちか。たまたまあったから使ったっち」


「た、たまたまですって……」


「うるさいっちね。なぜこのあたちが下等なゴミクズにいちいち説明しやらねばならないっちか」


クックーの手が赤く染まり、空間を占拠するように丸い魔法陣に囲まれる。


「お前はいちいち喋り方がガルに似ていてイラつくっち。判決は……爆殺っちね」



『マギ・ビステッカ』



囲まれた空間内で爆発が起こり、ききょうがもろにそれに巻き込まれ、きくはききょうの名を叫んだ。


「ききょうちぃいーん!!」


「ご安心ください……無事ですわ」


空からやってきたのはききょうだった。呆気にとられた顔できくは言葉を失っているが、ききょうはなんでもないような涼しい顔で言う。


「奥義発動中の実体分身と本体を入れ変えることが出来るのです。空間で爆発したのは確かにわたくし本体でしたが、爆発の寸前で本体と実体を入れ替えたのですよ」


「なんかチートっぽいけど良かったぁあ!」


チートの意味は分からないが、ききょうは泣きじゃくるきくに笑いかけた。


「しかし、まだ終わっておりませんわ」


強い眼差しでききょうはクックーを睨み、その知っている姿に拳を握った。


「佳音さんは、生きているのですか」


「生きているかだっち? 不思議なことを聞くッちね。この顔、この身体、この声。どこからどう見てもお前たちの知っている人間じゃないっちか?」


そう言いながらクックーは、佳音の顔や腕を見せつけ邪悪な笑いを見せた。


「かのんのんを食べたからそんな顔とか身体とかになったっすかぁ……!?」


膝をつきながら苦しそうな声でもってきくはクックーに質問するが、クックーはそれに対しまたしても不思議そうな表情できくを見た。


「いちいち訳の分からないことをきくっちね……。ああ、そういえばさっき食ったって言ったっちね」


そうである。きくはクックーと対峙した際、彼女が食っていたのを佳音だと思った。


だが、振り返り正面から彼女を見た時、それが佳音のそれであるとわかったのだ。


きくは油断をしたからやられた……という言い訳をするつもりはなかったが、少なくともこの予想していなかった事態に面食らったのは確かである。


「生きているとか、食ったとか喰わないとか、くだらないことばかりに囚われ、そうして自らを滅ぼしていくっちね。貴様らクレインどもは……」


「きくさん、とにかく奴を戦闘不能まで追い詰め、佳音さんがどうすれば戻るのかを聞きださせなければなりませんわ!」


ききょうが実体分身の自分を3体ほど呼び寄せ、同時に魔法陣を展開する。


「おっと!」


大声でそれを止めたのは、クックーだ。


邪悪な瞳で、なにか魔法を繰り出そうとしているききょうを見詰め、自らの頬を四本の尖った指で引っ掻いた。


深く頬にめり込んだ指に裂かれた頬は痛々しく抉れ、噴き出さんばかりに血が溢れる。


「な、なにするっすかぁ! かのんのんの顔にぃ!」


「……ッ!?」



クックーの行動に思わずききょうの魔法の手も止まり、魔法陣が蒸発するように消える。


「ちちちィイ! ハッハァ! この身体はか弱き人間の物っち! いくらあたちがこれを器にしているかといって、肉体の限界が向上しているわけじゃないっちよ? 人間が受けて死ぬようなダメージを喰らえば、当然この肉体の死は訪れるッち! ……まぁ、死にさえしなければカナリーの回復魔法で問題なく元通りっちがね……」


ききょうときくは、言葉を失くしただ佳音の姿をしたクックーを睨みつけるしか術がない。


右手を真横に伸ばすと、肩の付け根から真っ赤な魔法陣が掌へ向かって徐々に大きく成りながら出現し、その指先についた自らの頬を掻いた血でなにかを付け足した。


「死と寿命という時限爆弾がついたこの肉体っちが、お前らクレインどもをこの手で殺せるのなら、もはや贅沢など言いはしないっち。シンプルに、死ね」


『マギ・カスレ』


丸い魔法陣が車輪のように回転し、炎を纏うと火の玉を撒き散らしながら円盤のように二人を襲う。


「飛び道具が飛び道具出しながらとか反則っすよぉ!」


「もとより正攻法で魔女が挑んできたことなどありませんわ!」


襲い掛かる炎の車輪を同時に跳び、避けたが車輪より放たれる火の玉が足や胸に当たり、衝撃と共に焼く。


「ありゃッりゃア!」


「くっ、これは……ッ!」



「焼き加減はどれがいい? レアか? ミディアムか? それともこんがりウェルダンっちかぁ?」


次は左手から同様の車輪を出現させ、容赦なく放つとききょうときくは反撃どころかそれを避けるのに精一杯であった。


「この身体、死のリスクはあるが悪いことばかりじゃないっち」


炎の車輪の攻撃をあの手この手で躱しながら、クックーの言っていることにききょうは耳を傾けた。


(一体、なにを仰っていますの……?)


「魔法力が上がり、プルンネーヴェに頼らなくても魔法を行使できるってことっちね。なるほど、これならクレイン・さくらの無尽蔵とも思える魔法力の説明がつくっち」


クックーの言った言葉に、ききょうは振り返りさくらと接戦を繰り広げているサイクロプスを見た。



「だから、あんなにも巨大な召喚魔法を……」


「正解っち! 見事正解した青のクレイン、貴様には業火の車輪、もう一つプレゼントっち!」


両手を正面に突き出し、二つの車輪を作りだした時よりも巨大な魔法陣を出現させr、喪ぢ通り二倍も大きい炎の車輪を作りだすと、避け続けている二人に放った。


「ちちちちち! 喰らえっち!」



「ええええ~!? もう一個ォ!?」


きくの悲鳴も虚しく、容赦なく三つの車輪は二人を襲う。


合計で三つの車輪がききょうときくを襲い、意思を持っているとしか思えないトリッキーな動きを繰り返す炎の車輪を、ひたすらに避け続けクックーの相手どころではなかった。


「クックー!」


上空からの声。その声の主は、やはりききょうたちの知っている声だった。


「いつまで遊んでしゅか! 城でガルが待ってるしゅ」


「ちち、なんだぁカナリーっちか。久しぶりの対面なのにつれないっちね」



上空から現れたのは、カナリー。


この状況で、さらに魔女クラスが敵戦力に加わることにききょうときくは戦慄を覚え、顔つきが変わる。


「なんか、このタイプのピンチ、最近多くないっすかぁ?」


おもわず漏らすきくの本音に、ききょうは共感しつつも、だからといってこの厄介な炎の車輪が消える訳でもない現状に舌打ちをするほかなかった。


「お前の復活には大きな意味があるんしゅ。また調子に乗って【死なれでもしたら】困るんしゅよ」


「はぁ? どういう意味っちかそりゃあ」


「わからなかったしゅか? 相変わらず単細胞で単純な奴しゅ。好戦的な性格は死んでも治らなかったらしいしゅな」


「そうっち、あたちは誇り高きナハティガル至高の戦士っちからな。例え同胞であっちも、この誇りを汚す奴は力でねじ伏せ、命乞いの最中に慈悲なく殺すっち」


クックーの煽りに、カナリーはふん、と短く吐き、「さぁ戻るしゅ。ガルまで怒らせたくないしゅ」といった。


「ふん。わかったっち、助かったなクレインども。次までその命を取っていてやるっち。土産にそのカスレの車輪とサイクロプスだけは置いて言ってやるっち」


そういうとクックーはカナリーの元まで上昇すると、消えてしまった。


「ちょ、かのんのん返せってば……かのんのぉーん!」


「きくさん、佳音さんはひとまず大丈夫ですわ! それにわたくしたちの状況が変わったわけではありませんわ」


ききょうの実体分身が魔法陣を展開し、なにか魔法を行使しようとキセルをかざした。


「……ッ!」



すると車輪は魔法陣を展開したききょう向かって突進してゆく。


魔法を展開したききょうの分身を破壊した車輪は再びきくたちの元へと襲い掛かり、ききょうはそれにあるヒントを見た。


「きくさん! この車輪は魔力を感知して自動攻撃するタイプのようです!」


「おりょっ!? なるほど、あいわかった! ……って、だからどうすりゃいいっすかぁ!」


「変身を解くのです!」


きくは思わずききょうの提案に「なんですとっ!」と反応し、続いて「そりゃできないっしょ!」と叫んだ。



「大体そんなことしちゃったらききょうちんに三つの車輪が集中するじゃないっすかぁ!」


「ええ、その通りですわきくさん。そうするための変身解除ですの」


「ききょうちん、この状況に頭パンクしちゃったっすかあ!? そんなことでき……っ」


「大丈夫、わたくしを信じてください」


ききょうは車輪の攻撃をかわしながら、きくを真っ直ぐに見詰め、その瞳はきくに選択の自由を与えない。


「だぁ! わかったわかったよききょうちん! どうなってもきくりん知んないからね!」


「……恩にきりますわよ。きくさん」


なにに恩をきるんすかっ! そう胸の中で叫んだきくだったが、車輪の攻撃の隙に変身を解除した。


「本当にこれでいいんすね! 信じてるっすよぉ!」


変身解除したことで飛んでいられなくなったきくが地上に向かって落ちながら叫んだ。


ききょうは落ちてゆくきくに向かって笑みを浮かべると、KickKickの『ヴォオイ!』のポーズを取って応えた。


「ききょうち……ん」


地上に近づき、激突するまで十数メートルの高さできくは魔具・百々松を地上に投げながら叫ぶ。


「百々松ちゃん、よろしく!」


ひよこ型に戻った魔具・百々松はきくのリクエストに「アイサー!」と答え、大きく膨らんだ。


大きなクッションのようになった百々松の上に落ちたきくは、特に傷もなく着地してすぐに上空を見上げた。




「行きますわよ! これより鶴野ききょうの……いえ、Kick―YOのオンステージですわ!」


ききょうは宣言するように叫び、両手を前に出し魔法陣を展開させる。


三つの炎の車輪はそんなききょうに目がけてミサイルのように突進した。


「きゃあああっ!!」


車輪がききょうの腹を貫き、ききょうの身体は真っ二つになったかと思うと、煙になって消えた。


「こちらですわよ!」


その数十メートル離れた箇所で更に実体を移したききょうが魔法陣を展開。


数秒も裕を与えずにこのききょうも一瞬でやられる。


炎の車輪は、尚も回り続け次から次へと魔法陣を展開するききょうの実体を攻撃しては分身を破壊してゆく。



「ふんごー! さくらすぺしゃるナックルぅうー!」


とてつもない轟音を炸裂させ、サイクロプスの顔面にパンチを見舞うさくらは、ききょうたちに起こっていたことなど知る由もない。


「ぅあががぁあ!」


巨人同士の取っ組み合いは、まるで互角だった。街中で巨大化したまま攻撃呪文を使う訳にも行かないさくらは、ひたすらに肉弾戦で応戦するものの出来るだけどちらもダウンしないように戦っているため、本来の数割の力しか出せないでいたのだ。


「うぅ~! さくら、こいつぶっ飛ばしたいのにぃ~!」


棍棒で殴り掛かる手を掴み、目玉にパンチ、腹にキックをお見舞いするが、見るままにタフなサイクロプスにはあまり効いているように思えなかった。


「さくらさん! 離れてください!」


そのとき、さくらをききょうの声が止めた。


「え? え? どこどこききょ~!」


さくらの囲むようにききょうの実体分身たちが魔法陣を次々と展開し、それをドミノ倒しさながらに炎の車輪が分身を破壊しながら追いかけてゆく。


「なになにこれぇ!? ぶっ飛びぃ!」


あれだけ夥しい数いたききょうの分身はもう両手で数えられるほどの数に減り、ききょうの展開する魔法陣に誘われるまま車輪は魔法陣とききょうの分身を破壊しながら突き進んでゆく。


だが、不思議なことにききょうの分身を破壊する度に車輪の破壊力が増していっているようにも見える。


「さくらさん、その車輪には絶対触れないよ……」


実体の一つがさくらに話している最中に車輪がききょうを潰し、次のききょうの元へと走る。



そして、ききょうの実体は残り一つ……つまり、ききょう本体のみになった。


「さぁ、そろそろフィナーレですわ。あとは頼みますよ……きくさん」


ききょうに言われて距離を離したため、サイクロプスがさくらに棍棒を振りかぶった。


「わーわーわー! さくらぶたれちゃうってばぁー!」


ききょうは魔法陣を自らの正面に展開した。だが、その魔法陣はこれまでほかの実体が展開したものとは違うものだ。


ききょうは、サイクロプスの背後にいた。


散々実体を破壊し続けた車輪が勢いを増してききょうに突進するが、ききょうと車輪の間にはサイクロプス。


意思のない車輪たちはサイクロプスごとききょうを攻撃しようと凄まじいスピードでサイクロプスの腹部に


『ボンッ!!』


爆風と共に火柱があがる。


駅周辺が消えてなくなるかと思うほどの爆発と爆風。


「あ、ががぁ……あ」


爆煙が明けると、黒焦げになったサイクロプスが白目を剥いて立ち尽くしていた。


「私の実体分身が展開しているのは、攻撃力を上げる魔法ですわ。あの魔法陣をくぐる度に攻撃力が向上し、千近くのそれをくぐったミサイル爆弾に匹敵する破壊力を持った車輪……いかがでしたか? まさに、煙に巻かれた気分でございましょう」


サイクロプスの背後でききょうが行使した魔法は、サイクロプス周辺に魔法陣により防護壁を張る魔法だった。


あれほど壊滅的とも思える爆発だったのにも関わらず、サイクロプスの立つ人気のないロータリー周辺だけ円を描くように無くなっていたが、それ以外はほとんど被害がない。


――さくらを除いては。



「……ぽへっ、ききょうぉ~なんでさくらまで」


「すみませんさくらさん。さくらさんまで防護魔法を行使するのが困難でしたので……。しかし、さくらさんならきっと大丈夫だと思いましたわ」


爆撃に巻き込まれところどころ焦げ、口から煙を吐くさくらは、「な、なるほどぉ~さすがききょう……」とダメージはあるものの特に気にしていないような笑顔で答える。


「無口上詠法(詠わずの魔法)での950を超える攻撃力増加魔法に街を守る防護魔法、それ以前に行使した奥義……流石のわたくしも……もう……」


ききょうはそこまで辛うじて発すると、そのまま地上に落ちた。


「が、ががぁ……があ~!」


満身創痍のサイクロプスは、ききょうの放った起死回生の一撃でも斃すに至っていなかった。


それでもギリギリの状態であるには間違いなかったが、怒りの感情がサイクロプスを支え、背後のききょうに振り向くと、思い切り棍棒を振りかぶる。


「しまった、ききょう!」


これには完全に油断していたさくらは、出遅れてしまう。確実にサイクロプスを屠ることは出来るがききょうへの一撃に間に合うと到底思えない。



『下鶴奥義・菊』



サイクロプスが棍棒を振り下ろしたのに、衝撃音も振動もなく、ただ一つその奥義詠唱の文言だけが響いた。



「ありゃりゃぁ~、きくりんの奥義もすごいとは思うんすが、使いどころ限られるよねぇって思ってたんすなぁ。けど、今ハッキリと使いどころってのが分かったっぽ」


サイクロプスの棍棒がきくの額から数センチのところで静止し、サイクロプスは完全に動きが止まっていた。


背中には大きな菊の花がいくつも咲き、これがサイクロプスの自由を奪っているらしい。


「さくらちん! このデカブツを空にぶっ飛ばせるっすかぁ!」


きくの声に二人の無事を確信したさくらは、サイクロプスの肩をむんずと掴み、「ぶっ飛ばすのは得意だよー! 任せて!」と答える。


「よいしょっと……、よぉし、ぶっ飛べ! さくらすぺしゃるぶっ飛ばしキィィイッッッック!」



さくらはサイクロプスの身体を持ち上げると頭上上空に思い切り蹴り上げ、サイクロプスは「があああ~!」と叫びをあげた。



「き、きく……さん」


「ききょうちん、今から無茶言うけど大丈夫すかぁ?」


ききょうの上半身を抱くきくは、変身した姿だった。


「ふ、ふふ……あなたにできて、わたくしにできないことなどありません……わ」


「言ったな、ゴージャスめ! じゃあ、行くよKick―YO!」



Kick―YOという言葉を聞き、ききょうはボロボロの身体を起こし不敵に笑った。


「ええ、よろしくってよ。KickKick」


ききょうは気付いていた。きくが自分のことを【偽ゴージャス】でなく、【ゴージャス】と呼んだことに。


そして、きくが求めることにも。


「さくらちん、次はきくりんとききょうちんをあのデカブツにぶん投げるっすよぉお!」


「なんだかわかんないけどそういうノリ好きぃー!」


さくらはきくの指示になにも疑わず、謂われるままに思い切り空中のサイクロプスに向けて二人をぶん投げた。


「きくさん、こんなときですが……その」

「ききょうちん、この状況だけど……あの」


ほぼ同時に切り出そうとしたのに、二人は顔を合わせ笑った。


「……いえ、行きますわよ! KickKick!」


「ぃよしきたぁ、Kick―YO!」


「ぶっ飛び!」

「ききょうKick!」



ミサイル打ち上げのような垂直に上昇しながら、ききょうときくは足を突き出し、ヒーローが怪人にとどめを刺すような飛び蹴りの恰好でサイクロプスに突っ込んだ。



「ばぐわあああああ!」


サイクロプスの断末魔。そして……二人のキックがサイクロプスを突き抜ける。


「ヴォオイ!」

「ヴォオイ!」


サイクロプスは、爆散し魔界へと還った――。





「これはえらいこっちゃなぁ……」


島根から帰ったつばきが駅周辺の有様を見て、眉をひくつかせながら呟いた。


「一体なにがどうなったらこんなことになるんだよ!」


そして、ふじの怒りがさくらに向けられる。


「ふぇー! さくらのせいじゃないもん!」


「さくらちゃん、嘘ついちゃだめだよ。こんなことするのはさくらちゃんしかいないじゃない」


ひまわりが優しい笑みでさくらに話し、その笑顔とは逆走するストレートな内容に、さくらは更に泣いた。


「世の中ね、泣いて済むことと済まないことがあるって……知ってる?」


相変わらず笑いながらさくらに話すひまわりのその様子に、今まで怒っていたふじも矛先をきくに向けた。


「お前らもお前らでなんでさくらを止めないんだよ! なにがあったってんだよ!」



ふじの叱責にきくとききょうは佳音のことが同時に脳裏をよぎり、なにから話せばいいのか迷ってしまった。


「まぁしかし……これはちょっと面倒なことになるさね。うちらの正体がバレかねないさ」


チョコホームランを加えながらぼたんがつばきの横で破壊後の駅を眺めながら言う。


「これはいくらなんでもやりすぎだけど……大変だったんだね」


苦笑いのつばきやぼたんたちの中で、純粋な瞳で胸を撫で下ろし、ひまわりはききょうときくに笑いかけた。


ひまわりのその振る舞いに、たった一日だけ会っていないだけなのにきくは涙を溜めて抱き付く。



「んなぁーん! ひまちん、会いたかったよーう!」


「んぎゅっ、はは……ほんと、無事で良かった」


きくがひまわりの胸に汚れた顔をこすり合わせながら、えんえんと泣く。……が


「ん? ちょっときくちゃん」


「おーいおーいおい、おろろーんおろろーん」


「きくちゃん……私の服で顔拭いてるよね?」


「ぎくりんこ」


ひまわりが怒りに顔色を染め、拳を握るとそのプレッシャーに押されたのかきくはたじたじと後ずさりをした。


「ご、誤解っすよ……きくりん……」


「きくちゃん! 心配したんだからね!」


「かたじけなーい!」


ひまわりはきくを追いかけ回し、きくはぴょんぴょんと跳びはねながら逃げまわった。


「ききょう、なにがあったんだよ。この有様、ただ事じゃねーだろ」


ふじの問いに「ええ」と返事をしたのち、ききょうは傷み汚れた髪を手ぐしでときながら、少し声を低くして【ナナシ】、そして【クックーの復活】について、サイクロプスの強襲のことを簡潔に話した。


「マジかよ……男の魔法少女って、あ。そりゃもう少女じゃないか。ともかく男の魔法使い、そいつは厄介そうだし……クックーって、あの性格の荒い魔女だよな? キツイなぁー! ってか、それでよく無事だったな」


ききょうはふじの問いに「それは……」としながら、さくらを向いた。


「さくらさんのおかげですわ。今回も」


ききょうの言った『今回も』という言葉には、この戦いに於いて……いや、これからの戦いでさくらがキモになるであろうことが含まれていた。


「そちらはどうしでしたの?」


ききょうがふじに島根での戦いのことを尋ねると、ふじは特に反応もなく「いつも通り……一人の魔法少女だけだった。つばきのいい練習相手になったよ」と答える。だがその上でふじは自分の考えも併せて述べる。


「葵町以外での戦いって大体しょぼい相手だってのはわかってたけど、今回はきっと葵町からあたしらを追い出して人間を喰うことが目的だったんだね」


「いえ、ふじさん。目的が葵町だということは同意しますが、おそらく人間を喰うことが目的ではありませんわ」


意外なききょうの反論に、ふじは少し驚いた様子で「なんで」と聞き返す。


「さきほど申しました【ナナシ】が、クックーという魔女を復活させるためにわざわざクレイン不在の場所によこしたのだと思います。それに、いくら魔法処女や魔女だからと言って、島根と葵町という離れた地で同時に銀雪を発生させるなんてことは不可能ですわ。できたとしても、同じ規模での降雪は難しいでしょうし、そうなればやってくる魔法少女もかなりレベルの低い魔法力の魔法少女になるはず」


「けどよ、こっちでも銀雪降ったんだろ?」


ききょうは言い忘れていたことが一つあったことを思い出し、胸の前で組んだ手で顎に触れると「紅い銀雪……」と呟いた。


「紅い銀雪?」


「そうですわ。紅い銀雪が降ったのです。あの紅い銀雪の状況下では、なぜかさくらさんの魔法が使用できませんでしたわ。それどころか百花繚乱すらもままならない状況……。その中で私ときくさん、それに【ナナシ】だけは魔法を」


そこまで言うとなにかに気付いたようにききょうの言葉は止まった。


「……色彩魔法」


「色彩魔法? そりゃあたしたちクレインだけに使える魔具を使った魔法だろ? それがどうしたんだよ」


「【ナナシ】は黒い刀を持ってましたわ、それを媒体として魔法を行使していました。そして、彼が使っていたのは……色彩魔法」


二人の間で空気が止まった。


「どういうことだよ。色彩魔法ってあたしらしか使えないんじゃないのかよ! ん、ということはその紅い銀雪が降っている時は、マギ魔法がきかないってことだよな」


「確かに。紅い銀雪が降っている間は魔法少女も魔女も現れておりません。そのように考えるのが自然です……わっ!」


ききょうが話している途中で、きくが背中にタックルをかまし、ききょうらしからぬ間抜けな声が漏れた。


「な、なんですのきくさん!」


「ちょ、助けてききょうちん! ひまちんだけならまだいいけど、なんかさくらちんまできくりんを亡き者にしようと……」



ひまわりの目線を追うと、ひまわりとさくらが立っていた。


「ききょうちゃん、そこをどいて……きくちゃんにはきつーいお仕置きが必要みたいだから」


おお、ひまわりの目が逆三角形だ。そうとう怒っているらしい。



「さぁ、さくら。あの小うるさい犬っころをやっつけるんさ。したらチョコホームラン奮発するさ!」


「わんわん!」


ぼたんが面白がってきくにさくらを消し掛けている。チョコホームランを咥えつつ、きくを指差しわんわんと返事をしたさくらに「犬はあっちさ」と律儀に突っ込む。


「ちょっとあんたらなにしてんのさ! 遊んでる場合じゃ……はふっ!」


ふじもやはり最後まで台詞を言えずに吐息を漏らした。胸元には後ろから胸を鷲掴みにする手が。


「なんかそういうノリっぽかったからどさくさ紛れに乳揉んだった! どないしたらこない大きくなるん? なぁなぁ教えてぇや、やっぱ彼氏に揉まっ!」


ふっとぶつばき。調子に乗り過ぎたようだ。


「な、なんですの……この無茶な状況は」


「いいから、助けてってばききょうちん! ……あ、Kick-YOだっけ! 助けてKick-YO!」


きくの掛け声に二人を除いた彼女らが一斉に注目する。


「Kick-YO? KickKickじゃなくて?」


ひまわりが空を見上げながら、疑問を投げかけるとききょうは慌てた。


「あ、あれはその時のノリでというか……その、きくさんに合わせただけで!」


「何言ってんの超ノリノリだったじゃんか! ほら、やろうぶっ飛びききょうKick!」


「あ、あの、それは違いますわきくさん! なんといいますが」


あたふたしているききょうが珍しく、きくを狙っていたクレインたちは、その様子を呆然眺め様子を見守っている。


「なにが違うっていうのさぁ~ん、ほれっ」


きくがスマホの画面をみんなに見せつけると、そこには佳音の前でブルークレインジャーに扮していたときの、滑稽なポーズをとっているききょうの姿が映っていた。


「まァ!」


ききょうが「やめなさい!」と慌ててきくのスマホを奪おうとするも、華麗に避けるきく。そうしながらもひまわりたちに画面を見せつけている。


「ほーれほれほれ」


「き、ききょう……あんたって、こんなことするタイプだったんだな……」


「これはキツイさ」


「あーしはアリやと思うで。まだはっちゃけ方が足らんと思うけど」


各々が好き勝手にききょうの写真に対してコメントを言う中、ひまわりの一言が決め手になった。


「まあまあ、いいじゃない! かわいいよ? ききょうちゃんがコスプレするのも……」


「コ、コスプレ……!」


石化。



「ありゃりゃ? ききょうちん、彫刻みたいになったすなぁ、こりゃまいった」


てへ、と頭をこつんこするきくに石化したはずのききょうから殺意に満ちた視線が送られている。


「きぃくぅさぁああん! そもそも貴方がネットアイドルのような不謹慎なものをするからこういった辱めに私が晒されたのですよ! お分りですか? これが大人の世界なら訴訟ものですわよ! 大体、いんたあねっとで観ましたが、見るに堪えませんわ! ヴォイヴォイうるさいだけのあんなことをして恥ずかしくありませんの!? わたくしは恥ずかしかったので、写真を見せられれば恥ずかしくてこの場から逃げたくなりますわ! 貴方の毛の生えた心臓が本当に羨ましいですわ」


「はぁ~あ!? なぁに言ってんすかぁ! っていうかエメラルドブルークレインジャーとか言っちゃってノリノリだったじゃないっすかぁ! 大体エメラルドブルーとかそんな色の戦隊見たことないっすよ! これだから中途半端な金持ちは趣味だけ悪くて押し付けるんだもんなぁ~! っていうかネットできくりんの配信いつの間に見てたんすかぁ?! なんも言ってないのに見たってことは本当はやりたかったんしょ?」


「なにがやりたいものですか! あんなみっともない格好、お母様にもし見られたら生きていけませんわ! そのような生き恥を好んでされてられるきくさんのことなど理解できるわけがありません!」


「ありゃっ! それは嘘、嘘っすね! やりたくない人が自分をKick―YOとか名乗らないってぇ! っちゅうかみっともないってまた言ったすね! 言っとくけどあの配信見てるのが何人いると思ってるんすかぁ! 多い時は1000人すよ1000人! ききょうちんよりも断然ファンが多いんすよ」


「だからなんですの!」

「わかんないんすかぁ!」


二人はものすごい剣幕で捲し立て合いながら最後に「ヴォオイ!」とそっぽを向いた。


「ヴォオイって……」


声を出さずに呟いたひまわりの一言が、この二人を除くクレイン達の心になぜか響いた。



「仲良くなったのかと思ったけど」


「やっぱりというかなんというさね……」


「犬猿の仲っちゅうオチやったらあかんかな」


「考えればこの二人が噛みあうことなんてあるわけないか」


「抹茶わらびパフェ食べにいこー!」



……ヴォオイ


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