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10 ひまわりと笑う犬





「よし高宮こっちだ!」


球技場のフィールド、人工芝の上をスパイクで蹴り、7番の背番号を付けた高宮が9番の玉木きゅんの指示を受けパスを回した。


そのままボールを受け取った玉木きゅんが、次から次へと迫りくるディフェンスをかわし、ボールをゴールへと運んでゆく。


「玉木、横ぉ! 横だ!」


「はい!」


先輩選手の声を背中で聞きながら、目だけで横の視界を確かめた。


「こっちだ玉……くっ!」


パスをよこせと指示を出した先輩が2時の方向に走り込んできたが、敵チームのブロックで道を塞がれてしまった。


塞がれた道の隙間を走りながら探すが、パスを通すルートが見つからない。


そうこうしている内に仲間や先輩にパスを回せる状況も逃してしまった。


「くそ!」


試合終了まであと6分。点数は1対1の同点だ。このボールを決めれば試合は明るい方に変わる。


絶対絶命の玉木きゅんは、イチかバチかの策に出ることにした。


「うおおっ!」


玉木きゅんが一人でシュートを決める気なのだと、その気迫で敵はおろか味方にも伝わり、その熱が観客席にも熱風となって伝わりそうだった。


無茶なスタンドプレイにも見える玉木きゅんの戦略だが、後がないチームメイトたちはそんな玉木きゅんの道を開けるためにオペレーションを変更してブロックする。


「玉木ぃ! いけえ!」


まるで曲芸師のように、次々とディフェンスを躱しゴール前まで辿り着いた玉木きゅんはその勢いに乗ったままシュートし、そのボールはキーパーの腕の先を……


「ゴォォオオル!」


「うおぉおおおっっ!」


会場中が歓声に沸き、全員が玉木きゅんを称えた。玉木は喜びのアクションを取ると、観客たちに向けてアピールする。



「すごーーい! ね、ね、ひまわりぃ! あれってあそこの網にどーんってボール入れたらいいの!?」


「うん、そうだよ!」


「っへぇえ! 楽しそぉ~! 今網に入れたのって玉木だよね? すごいねすごいね!」


なぜかさくらは玉木きゅんのことを呼び捨てにするが、すごいと思っているのはどうやら本音のようだ。


「うん……す、すごいよね……玉木くん」


「あー! ひまわりぃ、玉木のこと好きだもんね!」


ぶほっ! とお決まりの噴き出しを披露したひまわりは、誰もいない宙にブラブラとジェスチャーをする。


「わたわたしはべつべつべべつに玉木くんののことをすすすすき焼き……じゃなくて好きだなんてそんそそんなことはないっていうか、それはその嫌いとかじゃなくてむしろ好きすす、っていうかあのあのあの」


と必死に言い訳をするのをさくらがニコニコと見守っていた。


客席には、彼女らの通う学校の生徒たちが詰めかけており、この大会が如何に重要なものかをうかがわせる。


今ではさくらがサッカー部のマネージャーになったことなど、すっかり無かったことになっていてサッカー部には別のマネージャーが付いていた。


当然といえば当然なのだが、内心の複雑さをひまわりは笑顔で隠し、その場をやり過ごす日々が続いている。


選手たちに水のボトルを渡す姿をチラリと視界に入り、出来るだけそれが目に入らないよう努める。


だがこんなときに限ってその新マネージャーは、玉木きゅんと親し気にしているのである。



(玉木君、あのマネージャーの人と仲いいな……。もしかして、好きなのかな? そうかもしれないな)


……なぜそのように思うのかはわからないが、とにかくひまわりは玉木きゅんに夢中なのである。


二重のややたれ目。はにかんだ笑顔がかわいい、ポニーテール。


野球部やサッカー部の女子マネージャーと聞いて我々が想像するイメージを、そのまま具現化したかのようなわかりやすいマネージャー象。


だが同時にそれは、完璧にイメージと一致するもので、ある種この年頃の男子が夢に見た理想の姿でもある。



「……」


玉木きゅんと仲睦まじげに談笑する姿を、ひまわりはこれまで何度も見た。綺麗な黒髪のポニーテール。声援、手を振る玉木きゅん。


それらすべてが羨ましかった。


「どしたの? ひまわりぃ」


「う、ううん! もういこっか?」


「ええっ! まださっかー終わってないよ!?」


「うん、もう大丈夫……。きっと大丈夫だから……」



不満に頬を膨らませながらもさくらはひまわりのいうことに従い、会場を共に後にした。



電車の中で車窓に映る自分の姿を見てひまわりは溜息を吐く。うなじの短い後ろ髪の毛先を指で遊びながら、「やっぱり長いほうがいいのかなぁ」と、映る自分に問いかける。


「長いのがいいと思うの!」


チューチューと凍らせればシャーベットに早変わりする瓜型のジュースを飲みながらさくらは、関心なさげにアドバイスをした。


「本当にそう思う? さくらちゃん」


「んー? でも短いのも同じくらいいいかな」


「どっちなのよ……もう」


割と真面目に聞き返したひまわりは、カバンを抱きしめた。



あのマネージャーには、自分の持っていないところが沢山ある。


サッカーが好きであること、髪が長いこと、たれ目であること、八重歯がかわいいこと。


それに対して自分はどうか? とひまわりは自分自身を分析してみる。


すると出てきたのは、髪が短く、サッカーをしている玉木きゅんは好きだがサッカー自体はよく知らない。特徴のない目に揃っているだけの歯。


傍から聞けば別にどうということはないが、全てを比べる対象にしてしまっているひまわりには、それらは大きいことなのだといえた。


「だから私なんて……」


さくらがチューチュージュースを飲み終えたのと同じくして、ひまわりは呟いた。



思えばここのところはクレインの戦いが悪化したことで、玉木きゅんとの距離は一向に縮まっていない。


ひまわりは淡い恋心を玉木に抱いていることは、きくやさくらにはバレバレだったが、なぜかひまわり自身は知られていないと思っていたらしく、本人の中ではひっそりと誰にも悟られずこの恋が終わることを予感していた。


自分はクレインとして戦わねばならない。という自覚と使命感は、七鶴の中でも強いほうだったひまわりは、恋などしていてはいけないと思っていた。


だから、恋人のいるふじのことを強烈に羨ましく思い、誰にでも気兼ねなく話せるさくらのような性格になりたいとも思っていた。



黙って玉木きゅんを見守っているだけならば、失恋は避けられない。だが、ひまわりはそれでよかった。


遠くで見ているだけで、それだけでよかった。


だが、現実にこうして玉木きゅんと親しくする女子が現れるとそんなひまわりの決心は、彼女の思う以上に揺らぐ。


「なんなのこの気持ち……。こんなの私じゃないって!」


自分の奥から沸き起こる嫉妬。その感情を醜いものなのだと、ひまわりは必死で抑えた。


「ひまわりぃー、駅着いたよー」


「あ、うん。降りようさくらちゃん……って、ここ過ぎてるよっ!」





ふむ、と一言呟いた藤崎だったがそれは面白がっているようでも興味深そうにしているのでもなく、困惑している様子でもあった。


「葵町駅の惨状です。如何ですか?」


現場に足を運び、自らの目で破壊された駅周辺の様子を見た藤崎だったが、腕組みをし空を見上げつつ目を閉じて考えを巡らせる。


「一体どういうことだ……」


「死者は4名。カラオケビルにいた客と、店員です。いずれも崩落した瓦礫に潰され、圧死しました」


黒スーツの男が淡々と読み上げる事故時のデータ。


藤崎はここに来る以前にも聞いていたが、それらの被害者の中に佳音の名前はない。


もちろん、怪我人で病院に搬送されている者のリストにもその名前は無かった。



だが、佳音が葵町についた際。定期的に送ってきていた報告文書メールが存在する。


それは彼女が確かにこの町に来ていたという証拠でもあった。


だが佳音はその日以来、連絡が取れなくなっている。そして、葵町のこの現状……。まともではない。


ほぼ同じようなタイミングで島根と葵町に銀雪が降ったのだ。そんな事例はこれまでに一度だってない。


そんな異例づくめの渦中に、葵町で消えた佳音。


【KickKick=銀雪で捉えられた少女】という彼女の唱える説を一蹴した藤崎だったが、彼女の失踪とこの町の有様を見る限り、佳音の唱えた仮説を無視することは出来なくなっていた。


「半知がその少女を追って失踪したというのなら、一度きちんと調べてみる価値はありそうだな。もしも人間が銀雪に関与しているのだと分かれば、【大和】を使用する道は大きく変わりそうだ」


復旧作業が進む中、葵町には本当の雪がちらつき始め、ほろほろと漂い落ちる雪の粒を瞼で受けた藤崎は、佳音を強く想った。


「すまなかったな。半知、あの時信じてやれないで……」


瞼を開けた藤崎の目の前には空が広がり、たんぽぽの種子がふわふわと漂うような雪が舞い落ちている。


その空と空に隙間を作るようなビルの影。


都内ほど高くはないが、空を邪魔するには十分だ。だが、あの中には人の息遣いがあり、それらは誰も知らない。


銀雪の中でなにが起こっているのか。


当然、藤崎もそれを知る由はなかったが、知りたいと思った。純粋な知的欲求。


佳音に対する心配か、未知に対する好奇心か。



その答えは、今のところ出る様子は……ない。





一方で、暗い廊下を歩いているのはクックーであった。


命の期限が自然に訪れる人間の身体。いわば最初から【死を約束された呪われた身体】である。


彼女たちナハティガルには寿命の概念がなく、外的要因以外に死ぬことはほぼないのだ。


その為、彼女らは寿命が存在する人間を自分たちよりも下等な存在としていた。


オスとメスが交配しなければ子孫を生めない。その上死に怯えて暮らさねばならない。そんな未完成の人間を、彼女たちは過小な存在とした。


そんな人間に、自分が落ちぶれたのである。


「しゅしゅしゅ、復活したはいいしゅけど、すぐ死ぬとは……酷いしゅ」


食卓の部屋へクックーが足を踏み入れると、開口一番カナリーが笑った。


「ふん。あたちはクレインを殺すためだけに生き返ったっち。こんな下等で愚かな人間の借りてでもっち……!」


佳音の姿をした自らを晒し、クックーはどの感情が今支配しているのかを読ませない態度で言った。


「ステッキさえあれば、それと有限生物と同化させることで復活できる……。こんなもの使うことが来るとは思ってなかったっち」


しゅしゅしゅ、としつこくカナリーは笑いビスケットのような菓子をかじった。


「そうっち。この体は有限だけど、中々都合がいいっちよ。例えば、この身体なら【鳥化】することはないっち。魔法源であるステッキを核にしているから、前より魔力も上がってるっち。もしかしたら今なら貴様を殺すことも簡単かもしれなっち。試してみるっちか?」


そう言いながら右手の拳を赤く熱を放出しながら輝かせるクックーに対し、カナリーは無言で目を逸らした。


「そう。それでいいっち、どうせあたちは人間と同じ寿命で必ず死を迎えるっち。死が約束されているのなら、盛大に暴れてから死んでやるっちよ!」


ひゃははは、といつもと違う盛大な笑い声を上げてガルの元へと歩く。


「帰ってきたっちよ……ガル」


「……ひとまずお帰りなさい、とでも言っておきましょうか。クックー」


自らの魔法力が上がっていることを自覚しているクックーは、もしかすると今の自分なら……と思ったが、間近で対面すると、やはり足元にも及ばないということだけは肌で感じ取った。


「命が有限になったことで、お前を超える魔女になることが絶望的になったのは残念っちね」


「ええ。私も同じ思いです、クックー」


ティーカップをテーブルに置き、半分瞼を閉じた状態でガルは「ところで……」と話を切り替える。


「記憶を欠損している……なんてことはありませんか?」


それを聞いたクックーは、一瞬驚いた顔を見せたがすぐに口角を釣り上げ、邪悪な笑みを浮かべた。


「ああ、ばっちり覚えてるっち。なにもかも……っち」


「そうですか。それは良いことですね」



おもむろに立ち上がったガルは、無言で「ついてきなさい」とクックーを呼んだ。


「ちちち……」


今からなにをするのか、詳しいことは理解していなかったが、自分が復活させられたということはなにか革命が起こる時だと思っていたクックーは、含んでいた笑いをこらえきれず声に出した。


「これはこれは……楽しみっち」


「大魔女クレイン」


ガルとクックーが向かったのは、奥にある部屋。大魔女クレインの鎮座する部屋である。


「……ガル。それにクックーですね。人間を核を刺し復活を遂げるとは。貴方にもそのような命に対する執着があったのですね。私は嬉しく思いますよ」


大魔女の言葉を受けたクックーは「そりゃどうもっち」とこれまで彼女と話してきた口ぶりとは大きくかけ離れた口調で答えた。


しかも、それに対しこれまでならばガルが必要以上に注意と警告を行ってきたはずだが、ガルはただ黙ってクックーの言いたいように言わせている。


「それで、私になんの用です」


クックーは自分がガルにここへ連れてこられた意味をすぐに悟った。


「なるほど、こりゃあたちしか知らないことっちね。復活した喜びとクレインたちへの怒りで、すっかり忘れていたっち」


「……?」


「大魔女。もうお分かりでしょう。ガルが知ってしまった事実を。復活をするまで私には確信がありませんでしたので、直接貴方を言及しませんでしたが……。

 記憶を戻して蘇ったクックーはその確実な情報を持っています。それがなにかおわかりですか」


「なにがいいたいのです」


大魔女の返事に、思わずクックーが笑った。


「ちっちっちっちっ! 馬鹿な奴っち、我らナハティガルを裏切った最悪の魔女がまさか大魔女だとは……。笑えるっちね!」


オーバーに笑い騒ぐクックーは、ひとしきり笑った後で「だけどあたちが笑っているのは、あんたにじゃないっち」と付け足す。


「裏切り者と知らずこれまであんたに服従してきたあたちと、あんたの裏切りに気付かず死なせた同胞たちの行き場のない魂にっち!」


ガルは伏し目がちに奥に鎮座する大魔女に向け静かに睨む。その瞳は冷たく、暗く、容赦のない。


もはや彼女がナハティガルの象徴と言っていいほどの、鋭い目つきだった。


「もう言い逃れはできません。大魔女……」


「……」


もはや観念したのか、大魔女はガルの言葉に帰すことも無く無言に伏した。


無言の大魔女に対し、クックーは尖り狂った声で叫んだ。怒りと、虚しさと、敵意と……殺意を張り巡らせた声で。



「クレイン・さくらはあんたの子っち! よくもこれまであたちたちを欺き続けたっちな!」


怒りが着火剤になったかのような、真っ赤な炎を全身に纏ったクックーは、怪物を思わせる凄まじい殺意の形相で大魔女を睨んだ。


「……ふむ。貴方が自らの子を人間側に立たせ、私達と戦わせている意味がわかりませんでしたが……」


顎付近に触れながら、ガルは小さく「なるほど」と呟いて頷いた。


「色々と繋がって参りました。マギ呪文を操る7人目のクレイン。貴方が根拠もなく張り巡らせた金の魔法陣。そして、交配で子孫を設けない我が種に於いて、プルンネーヴェの状況下でなくとも活動でき、魔法力を行使できる。これは人間とナハティガルの両方の血を受け継いだから生まれた……謂わば【ハイブリット】とも言える新種。となると、当然あのクレインには父親がいるはず」


表情を変えずに淡々と自らの見解と仮説を語るガルは、そこまで言うとぴたりと話を止めた。


「お分りですか、大魔女クレイン」


シルエット越しの大魔女クレインは微動だにせず、ただ黙って聞いていた。


「不思議に思っていたのです。大魔女ともあろうお方がなぜにここまで魔力を感じないのか。あの村で魔力が落ちていることは承知していたつもりですが、それにしても魔力が弱すぎる……。金の魔法陣を敷いた後からは更にそれは顕著でした。そして、我らの前に

【クレイン・さくら】が現れるようになってからは、私達の前に姿を現すこともなくなり、魔力もほとんど感じなくなった――。

 これがなにを意味するのか……私はずっと考えてきました。ずっと、です」


それに、ガルはそう付け足すと大魔女のシルエットを射抜くような眼力で睨んだまま、魔法陣を出現させた。


「ひゃーっはっはっはっはっち!」


魔法陣から現れた人影を見たクックーは、その場で笑い転げ、愉快そうに指を指す。「人の顔見て笑うのは失礼だぞ」と人影はクックーに言った。


「この声……まさか……まさか!」


この日、初めて大魔女は動揺した声を上げ、微動だにしなかったシルエットが立ち上がる。


「……それに、この男を喰わずに生かしておくとは。理解に苦しみました。しかしそれもこれで」



人影は奥の大魔女の部屋まで歩いてゆくと、ガルに振り返り「ここか?」と尋ねた。


「ええ、頼みますよ。……ナナシ」


「よしきた」


黒い刃を振りかざし、大魔女のシルエットに向けナナシは「悪く思うな」と一言発した。


「よ……与作……さん」


カーテンごとシルエットを袈裟斬りに振り下ろし、花魁を思わせる姿の大魔女がガルやクックーの前に現れたかと思うと、胸から血を噴き出させる。


「与作……? なんだあんた、俺を知っているのか?」


ナナシに斬りつけられた大魔女クレインの髪は銀色で、目のフチに赤い紅を引いた美しい美女は、大魔女として初めて姿を現せ、そして命の終わりを想わせる。


大魔女クレインはそのままナナシに向かって倒れ込むと、口から一筋の血を流したまま愛しそうにナナシの顔を見上げた。


「与作……私の愛しい人」



「あんた……」


ナナシは与作と呼ばれてもピンと来ていない様子だった。だが、なにかを言おうとしている大魔女を抱き止めると、「なんだ? なにが言いたい」と虫の息の大魔女に問いかける。


「貴方に斬られて死ねるなんて、私がこんなに幸せで許されるのでしょうか……」


「幸せ? 死ぬのがか? 俺に殺されたのにか?!」


「貴方だからですよ、与作さん……。私達の子、さくらは立派に戦っています。【あの時の約束】通り、強く……強く。私は悔いを残さずに死に向かうことが出来そうです。

 ただ、心残りは……金の魔法陣……が、消え……」


「おい! あんた! しっかりしろ、おい!」


段々と大魔女の瞳から生気が失われてゆく。それを胸で抱えつつ見守っていたナナシは、自分でも気づかないほど大きな声で大魔女を呼びかけた。


「おい! あんた、しっかりしろ! あんた名前は!」


「ふふ……よ、さくさん……私は……おつる……です……よ」



次の瞬間、ナナシの腕に抱かれた大魔女の身体にずん、と衝撃が走った。


何事かと見ると、大魔女の背を炎の拳で貫くクックーが笑っている姿が視界に入る。


「ひゃはははははははっち! ザマァないっち! 大魔女とは思えない惨めな死っち!」


クックーが狂ったように笑う様に、ナナシの心に込み上げる感情。確実にそれは怒りであったが、それが怒りである根拠が理解出来ないナナシは、その場から動けないでいた。


徐々に手の中で軽くなってゆく大魔女を見ると、そこには大魔女クレインの姿はなく、その代りに一匹の鶴の死体が横たわっている。


「……あ……うああああっっ!!」


自分の中でも説明のつかない気持ちに、ナナシは膝を崩して天井に向かって叫んだ。


「うわあああああっっ!」


彼はなにかを思い出した訳ではない。むしろ、なにも思い出せないことに憂いているのだ。この理由のつかない怒りの感情がなにかも分からず。


そんなナナシに構わず、ガルはクックーを連れ、こと切れた大魔女……鶴の首を引き摺りながらカナリーのいる食堂へとやってくると、高らかに宣言するのだった。


「聞きなさい。これよりこの私、ガルが大魔女を引き継ぎます。大魔女が死んだ今、金の魔法陣は消滅するのは時間の問題。滅びかけた我らナハティガルが人間に報復する時がようやく来たのです。クックー、カナリー。すぐに準備なさい。人間を滅ぼす準備を!」



「大魔女ガル様の御心のままに!」


クックーがガルを称える言葉を上げると、カナリーも立ち上がり復唱する。


「大魔女ガル様の御心のままに!」





「……あれ」



電車を降り家へ向かう帰路の途中、不意にさくらが立ち止まった。


不思議そうにした表情のさくらに、声をかけるとさくらは目元に触れ、それもまた不思議そうに見つめている。


「どうしたのさくらちゃん」


「……んとね、なんか涙が」


さくらの目に触れた手に濡れた水滴。それは涙に間違いなかった。


「え? 目にゴミでも入ったのかな。ちょっと見せてみて」


「うん」


ひまわりがさくらの顔に近づき、近くでさくらの目を見ると、さくらの目から次から次へと涙が溢れた。


しかも、それは片目だけではなく両目からだ。



「ど、どうしたのさくらちゃん!? なにかあったの?」


驚いたひまわりが尋ねるが、さくらは溢れる涙とは対照的に普段と同じ表情のまま首を横に振っている。


「ん~ん。なにも悲しいことなんてないよ。でもね、涙がなんでか止まらないの」


「どうしよう眼科行く? うーん、でもさくらちゃんが人間じゃないってバレちゃうかも……。うぇー! どうしよう!」


ひまわりがあたふたとどうするべきか悩み、スマホで解決策を調べようとしたその時だった。


「あ、ひまわりタンマ」


「え?」


さくらの声に彼女を向いたひまわりは、くしゃりと崩れかけたさくらの顔を目撃した。


「え? え?」


「なんかね……ひまわり。急にすごく悲しくなってきたの。なんだかわかんないけど、すっごく……すっごく悲しいの」


今にも泣き叫び出しそうなさくらの顔にひまわりは慌てると、「ちょ、ちょっと落ち着いてさくらちゃん!」となだめるも手遅れの様だ。



「うぇ、うぇ……うえええーん!」


「さ、さくらちゃん?!」


「ええーん! 悲しいよーう、辛いよーう!」


号泣するさくらを見て、ひまわりはこんなにも感情を表に出すタイプのさくらだが、悲しみを表に出したことがあまりないことに気付いた。


特に、さくらがこんなにも泣いたところを見たことがない。


それに気付いたひまわりは、慌ててなだめるのをやめ。一目もはばからずさくらを抱きしめる。


「さくらちゃん。いいよ、泣いていいよ。なんだかわかんないけど、さくらちゃん頑張ってるもん。私もみんなもさくらちゃんにいっぱい助けてもらった。さくらちゃんは私の友達だよ」


「うえええーん! ひまわりぃぃ……」


さくらはそれこを赤ん坊に帰ったように背と腕を丸め、足をバタバタさせて泣き叫んだ。


さくらを抱きしめながら、ひまわりはさくらの頭を撫でた。その姿はまるで母のようでもあった。


それは、さくらの母である大魔女クレインがこの世に別れを告げたのと同時。


さくらにそれを知る術はなかったが、理屈ではない絆や繋がりが、彼女にそれを知らせたのだろう。


彼女が泣き止むまで、ひまわりはずっとさくらを抱きしめ、頭を撫で続けた。



「母様ぁあ~……!」



さくらの口から無意識に出たその言葉が、全てを物語っているのであった――。





『それでは次の銀雪予報をお知らせします。来週、冷え込む寒気と共に16日に葵町に銀雪が降るでしょう。時刻とは19時より一時間ほど。葵町にお住まいの方は、戸締りをきちんとしたうえで警報解除まで決して外出しないよう注意してください。

 また葵町では前回、予報外の銀雪が降っており不安定な予報となっています。住民の皆様はこれまで以上の警戒を持つよう心掛けましょう』


テレビの予報が告げる次の銀雪。


それをラジオのように聞き流しながら夕食を作っていると、玄関からドアが開閉する気配を感じた。


「おかえり、そら


はて? 宙とは誰のことだろうか。この後に及んで新キャラとは。


「母さん、勝ったよ!」


勢いよくキッチンのドアを開けた少年の姿は見覚えのある姿であった。


この姿は……先ほどひまわりが熱狂していた玉木きゅんではないか。なるほど、彼の名はこれまで玉木きゅんで浸透していたから宙と言われても分からなかったのである。


「そう! 良かったわね、頑張ってるもんねー宙は。ということは、次の試合もあるってことよね」


「あったりまえだろっ! 勝ったんだから! えっと16日だったかな」


玉木きゅんの「16日」という日を聞いて、母は料理の手を止めて明後日を見つめて考えた。


たった今なにかで16日というワードを聞いた気がするからだ。


靴下を脱いでバスルームに向かってゆく玉木きゅんは「風呂入るから!」と母に宣言し、母は同じタイミングでそれを思い出した。


「あ、そうだ! 宙、16日に警報出てるわよ」


「え? 銀雪?」


「そう。16日の19時から銀雪降るって」


「関係ないよ。その試合は葵町じゃないから!」


あらそう? と母は答えると料理に戻った。


湯が張ったバスタブに浸かった玉木きゅんは、今日の試合で1ゴールを決めた興奮を思い返していた。


「俺がゴール決めたの、御鶴木見てたかな……」


おや? 聞きづてならないことを呟いたではないか。


もしや玉木きゅんはひまわりのことを……。



バシャバシャと音を立てて、湯船に波を立てて顔に浴びる玉木きゅんは、ひまわりへの想いを飛ばし次の試合のことを考えるようにした。


なぜならば、次の試合こそが大事な試合だ。


これに勝てば、高校サッカー選手権大会へのチケットを得ることが出来る。そうすれば、夢に描いたプロサッカー選手が現実により近くなる。


いくら頑張っているからといって、来年もここまで漕ぎつけることが出来るとは限らない。


要するにここからが正念場なのである。


「高校サッカー選手権大会に出場決めたら、行くところまで思いっきりやって御鶴木に告白しよう」


おやおや、これはこれは……。


まさかの両想いである。ふじに続いてひまわりにも恋人ができる日も近いということになる。


あの純粋一直線のひまわりが恋人など作ってしまうとどうなってしまうのか……という一抹の不安がよぎるが、それはほかのクレイン達に任せるとしよう。


「よし、気合いいれっぞ!」





同じ頃、ひまわりとさくらもバスタイムだった。


さくらとひまわりはいつも一緒に風呂に入っているのだが、さくらはあらゆる風呂用のおもちゃを色々なところで買っては、それで遊ぶ。


結果、長風呂になってしまうのだ。


先に出ればいいものを、それに毎日付き合うのがまたひまわりらしいとも言えるだろう。


「ひまわりはさー、玉木に好きってなんでいわないのー」


アヒルの口から水が飛び出るゴムのおもちゃで遊びながらシャンプーハットをつけたさくらは聞いた。


「すっ、すき焼き!? おいしいよね、うん! た、たまっ、玉木……あっ、ちが、玉子でじゅるじゅるーって、あ、さくらちゃんは春菊入れる派? あたしはその白滝派であのっそのっ、すき焼き……」


「あははー! ひまわりって玉木の話するといつもおもしろくなるよね! 玉木とチューしたい? ねぇねぇ? チューしたいの」


「チューチュータコカイナァアアア! えっなに言ってるの? またまたさくらちゃんってば、そそそ、そんな」


「……ひまわり何回シャンプーするの?」


ひまわりはシャンプーを手に取り髪を泡立たせたかと思うと、流しても無いのにまたシャンプーを手に取りシャカシャカと洗う、をもう5回は繰り返している。


「わ、わたしのことなんて……玉木くんが相手にするわけ、ないし……。サッカーのこともわかんないし、あのマネージャーかわいいし」


ぶつぶつと呟きながらひまわりは、シャカシャカとアフロヘアーのようにシャンプーを泡立たせている。


さくらはそれを不思議そうに見つめながら、頭におもちゃをたくさん乗せながら尋ねた。


「ねぇねぇひまわりぃ。《さっかあ》に詳しくなきゃ玉木はひまわりのこと好きにならないの? 《まねえじゃあ》がかわいかったら玉木はひまわりのことを嫌いになるの?」


「えっ……。そ、そうだよ! きっと……私なんか」


ザパッと音を立てて湯を割り立ち上がったさくらを見上げたひまわりは、何があったのかと息を呑んだ。


「よし! 今からさくらが玉木のところに行ってぶっ飛ばしてくる!」


「へっ!?」


「さくらが玉木をぶっ飛ばして、ひまわりを好きになってもらうの!」


「ええっ実力行使?!」


さくらの突然の宣言に思わず目を見開いたひまわりだったが、泡が目に入り痛みに叫んだ。


「はびゃわああっ!」


「じゃあひまわり、さくら行ってくる!」


「ままま、待ってってば!」


さくらの腰にしがみつき、ひまわりは痛む目を堅く閉じながら叫ぶ。


「離して離して~! さくらが今から玉木の頭ぶっ飛ばしてナハティガルに送ってやるんだから!」


「目的がなんか変わってるよぉ~! そんなことしなくていいから、お願いだからいかないで!」


「ええい止めてくれるな、止めてくれるなぁ!」


シャンプーのぬめりで滑り抜けそうになるさくらに必死でしがみつき、さくらを行かせまいとひまわりも譲らなかった。


「そ、それにその格好で行くつもり!? さくらちゃん裸だよ!?」



ひまわりの声にさくらは自分の身体を爪先から見渡すとさすがのさくらも「ひゃあっ!」と叫んだ。


(さくらちゃんもやっぱり女の子だね、やっぱりこの恰好じゃ……)


「さくらの大事なしゃんぷーはっとつけたままだった! これ無くなったらさくらしゃんぷー出来ないぢゃん!」


「そこーっ!?」


ひまわりの全力突っ込みに構わず、さくらはシャンプーのボトルを直接頭にポンプする。


「先に髪の毛洗ってから玉木をぶっ飛ばす!」


うおお~! とすごい勢いでシャカシャカ洗うさくらを尻目にひまわりはこっそりとバスルームを出た。


「玉木ころす玉木ころす玉木ころす」


完全に目的を見失っているさくらは凄まじい速度で頭を洗いながら玉木への呪詛を唱え続けた。


「さ、さくらちゃ~ん」


「ひまわりっ、止めないで! さくらは玉木をころすんだから!」


「た、玉木くんのこともいいけど……ほら、これなんの匂いだと思う……」


 バスタオル一枚の姿でバスルームのドア越しに現れたひまわりの手には、かき氷形のアイス『バリバリきゅん』があった。


「くんかくんか……その香りは! バリバリきゅんのハニーソーダ味!?」


(す、すごい……さくらちゃん、犬以上の嗅覚だ……)


「そうだよ! これ食べてから玉木くんのところに行っても遅くないんじゃない?」


内心ドギマギしながらひまわりは勝算のある賭けにでた。


「ひまわり……さくらのこと、馬鹿だと思ってる?」


「え、え? そんなことは……」


残像が出来るほどのスピードで洗い終え、すでに湯船で100秒を数え始めているさくらは、落ち着き払って言った。


「ううん。ひまわりはさくらのことを馬鹿にしてるもん。だって、さくらは……」


しまった、逆効果だった?! とひまわりが思った時にはおう遅かった。


さくらはひまわりの正面に立ち、身体中から湯気を漂わせると、なにかを悟りきった無の表情でひまわりを……いや、バリバリきゅんを見詰めた。


「さくらはね、バリバリきゅんを食べたら玉木のところに行くとか、そんなバリバリきゅんに失礼なことはしないの」


「……へ?」


「バリバリきゅんは神聖で特別な食べ物だから、バリバリきゅんを食べる時はそれだけで一日が終わってもいいと思っているの。しかも……それ、ハニーソーダ味は、季節限定だよね?」



 なにもかもを見通した瞳で、さくらは神のような静けさでひまわりの手からバリバリきゅんを奪う。


 そうして、我こそが秩序の化身とでも言いたげに言うのだ。


「さ、さくらちゃん……?」


「玉木のことなどもうどうでもいいのだ。ひまわり、ご苦労だったな。これは有難く頂戴しよう……」


文字通りさくらはバリバリきゅんハニーソーダ味(120円)で、神に昇華したのだ。


魔法を行使しバスタオルで身体を拭くと、さくらは裸でシャンプーハットをつけたままひまわりの部屋へ浮きながら帰っていった。


「さくらちゃんが神様になっちゃった……」





――某月15日・銀雪予報前日



空は橙色に染まり、鏡餅の頂上に飾られたみかんのように目立ちながらも、ずぶずぶと半身を沈ませてゆく時刻。


グラウンドでは玉木きゅんが1人ボールを操りながら駆けている。


試合を想定に入れてか、ジグザグに走り込み、時折フェイントを織り交ぜながらゴールネットへと向かってゆく。


ほかの部活仲間たちは明日の試合に向けコンディションを整えるために今日は早くに帰宅していた。


玉木きゅんは玉木きゅんで他の皆と同じく早い帰宅を勧められていたが、彼にのしかかったプレッシャーがそれを許さなかったのだ。


不安や緊張、期待と高鳴り。


それらを全身に纏わせながら、身体を動かすことでしかそれを紛らわせる術を持たない。


とにかく身体を動かして練習をする。明日どのような結果になっても後悔しないよう。


ベストを尽くせるように、と。



同じ頃、誰もいない教室でひまわりは明日の授業の予習をしていた。もうじき教室も締められるため、時間は迫っている。


オレンジの光が教室中を照らす中、教室の中央付近の席に座るひまわりは玉木きゅんがグラウンドで練習していることに気付かなかった。


ただ、自分も明日の銀雪に向けて学校を休まなければならない。


葵町で予報が発表された前日は、他のクラスメートに遅れないようにと出来るだけこうして残るようにしているのだ。



「WAO! 御鶴木サンじゃないですかぁ! ホワッツ!? こんな時間まで教室に残ってなにしているですか?」


久々に登場した担任に見つかり、ひまわりは「すみません、もう出ます!」と返し、ノートや筆箱をカバンへと詰め込む。


さくらときくはそんなひまわりのことなど関せず、抹茶デストロイパフェを食べに行ってしまった。


「あ~りゃりゃあ、相変わらずひまちんは真面目すなぁ~? きくりんたちJKのもてはやされる人生は短いんすからもっと気楽にやろーさ。おっとちょっとぼたちん節が出ましたねぇ」


2時間ほど前にひまわりがきくにかけられた言葉だ。さくらも最初はひまわりを待つと言っていたが、抹茶デストロイパフェの響きにノックアウトされ、きくと一緒に帰ってしまった。



「いつ死ぬかわからない……か」


ふといつかきくがききょうに言った言葉を思い出した。出来るだけ考えないようにはしていたが、やはりそれは真理だ。


ふじもききょうも自分もぼたんもきくも。つばきやさくらだって、何度も死を連想した場面があった。


それなのになんとか今を生きている。


魔女が3体同時に現れたとき。ふじが目を奪われたとき。さくらが死の淵に立たされた時。


どの場面で死んでもおかしくなかった。自分がいまこうして生きているのも奇跡に近い。


だが、代々クレインとはこうして生きてきた。


自らの青春と、命と引き換えに。戦ってきたのだ。


「空松」


教師がいないことを確認すると、ひまわりは自身の魔具である空松を呼んだ。


「なんだピヨ」


「あのね、もしもあたしが戦いで死んじゃったら御鶴木のクレインはどうなるの」


「出来る限りは母親のやまぶきに代返りするピヨ」


「じゃあ、お母さんが死んじゃったら?」


「残念ピヨが、そうなれば御鶴木のクレインは終わりピヨ。それだけかピヨ」


「……うん。ありがと」


いくら外見が愛らしく、口調もカワイイといっても遅松を除いた魔具は、所詮魔具。ただの喋る武器であって、彼らに感情そのものはない。


話すだけ時間潰しにもなりはしないのだ。


――いつ死ぬのかわかんないんだったら、日々を精一杯後悔しないように生きなきゃ、勿体ないよね。


ひまわりは立ち上がり、カバンを持つと教室を後にした。




下駄箱を出てすぐに望めるグラウンドに一つの影があった。


たった一人でボールを追いかけまわす姿に、ひまわりは無意識ながら見蕩れる。


「誰だろう。かっこいいな……玉木くんみたい」


遠目で誰かまではわからなかったが、暗くなるグラウンドの人物を見詰めた。


「……あれ、もしかして」


次第にそのシルエットは、《玉木きゅんに似ている影》ではなく、《玉木きゅん本人》ではないかと思えてきた。


まさかと思いつつも、想いを寄せる玉木きゅんだったらどうしたらいいかわからない反面、嬉しい事だとひまわりは心臓を高鳴らせて目を細めた。



「玉木くんだ……」


心臓が一度止まり、間を置いて息を吹き返したように激しく打ち付ける。


自分の中でもこれが恋であると、きちんと認めてこなかったひまわりだったが、この激しい息苦しさを感じ本格的にこれが恋なのではないかと自覚しはじめる。


ひまわりに気付いた人影は、ボールをカゴに戻すと傍に置いていたカバンを背負ってひまわりに向けて歩いてきた。


「ど、どうしよう……どうしよう……」


初めての経験にひまわりはパニックになりながら、周りを三歩ずつうろちょろとしながら、走って帰るべきか玉木きゅんを待つべきか迷っている。


「あれ、もしかして御鶴木か?」


「あっ! あの違うのこれはその、たまたま今帰るところだったっていうかあの、今日はすき焼きで……」


「すき焼き?」


聞き返した玉木きゅんの言葉に顔を真っ赤にしたひまわりは声を裏返し、狼狽える。


「もしかしてさ、俺の事待っててくれた……とかって、考えすぎ?」


「あばばばばっ!」


ひまわりはまさかの言葉に両手を鶏のようにバタバタとしながら、日本語と言う言語を瞬時に忘れ去ってしまったようだ。


「そんなっ! 待つとかそんなの……あるわけ、あの……ないっていうか! でもその、それって別に変な意味じゃあの……」


分かりやすくパニックに陥るひまわりは、壊れたロボットのような動きでこの場をどうすればいいか分からないでいた。


「……なんだ。違うんだ。あ、じゃあ、あのさ」


ひまわりが自分を待っていた訳ではないと知った玉木きゅんは少し残念そうにしながらも、意を決したように切り出した。


「え? え?」


「明日の試合でもしチームが勝ったらさ、話があるんだ!」


ひまわりの顔も真っ赤だったが、負けないくらいに玉木きゅんの顔も真っ赤に染まっていた。


だがひまわりにはそれをまじまじと見る余裕もなかったうえに、夕日のオレンジで彼の顔色などわかるはずもなかった。


「は、話!? ……ごめん! め、迷惑だったよねいつも試合見に行ったりして……も、もう行かないから! 許して……」


玉木きゅんは「えっ?」と顔を上げたが、ひまわりはコキコキとした動きのまま「じゃあ帰るから!」と走った。


「あ、あのっ! 明日……銀雪が降る前の18時! 話があるからグラウンドで待ってて! 絶対だからな!」


「わ、わかんない!」


玉木きゅんの言葉を背で受けながら、ひまわりはそう返すのが精一杯だった。


ひまわりがそこから去った後、一人残った玉木きゅんは、走り去ったひまわりの残像に呟く。


「……絶対勝つから」



「あ~りゃりゃ? あれはひまちんじゃないっすかぁ」


「あ、ほんとだー! ひまわりぃー、一緒に帰ろー!」


ひまわりが駆けているところに、抹茶インフェルノと抹茶デストロイを食べたきくとさくらが出くわした。


いつもとなんら変わらない態度で彼女らはひまわりに一緒に帰宅しようと誘ったが、ひまわりの返事は普段のそれとは違うものだったのだ。



「ごめん無理!」


「あ~りゃあ、じゃあ一緒に帰るっすかぁ……え、無理って言ったすかぁ!?」


ひまわりが絶対に言わなさそうな返事にきくは思わずノリ突込みのようになってしまった。


「ぶっ飛びぃ!」


さくらもいつもと違うひまわりの様子にお決まりのぶっ飛びで驚いて見せたが、当のひまわりはというとそれに反応している余裕などなく、ただ息が上がって走れなくなるまで全力で駆けてゆくのみだ。



「玉木くんが明日……私に話? ななな、なんだろう。迷惑だからもう俺の顔見るなって言われるのかな。それともお前ショートカットで蹴りやすそうだから今度お前の頭でシュートさせろとか? なんだろう、なんだろう……怖いなァ」


これまで恋愛というものとは無縁の世界で生きてきたひまわりは、あからさまにチャンスのフラグが立っていてもそれをチャンスであると、ポジティブにとらえられなかった。


浮かんでくるのはネガティブなイメージばかり。


玉木きゅんから告白されるなんていうことは、ものの見事に微塵もひまわりの脳裏には無かった。


ただ酷い言葉や酷い行為で振られるのだとばかり思い、死んでしまいそうに思いつめた。




その晩、ひまわりは一睡もできなかった。





某月16日


ナハティガルの城。絶え間なく轟く雷鳴と稲光。その度に暗闇の城が一瞬だけ照らされ、闇の中の、更に闇の中に彼女らがいることを知らせた。


長い食卓を囲む3人の人影。


それはもちろん、カナリー、クックー、ガルであった。


「大魔女ガル。先の大魔女クレインが没した後、消滅すると言っていた【金の魔法陣】っち、なぜ解除されないっちか!」


苛立っているのはクックーであった。



その苛立ちはカナリーにも伝染しているのか、カナリーも不服そうにガルに向けて話す。


「金の魔法陣が消えない以上、状況は変わらないしゅ。大魔女クレインが生きていても、死んでもなにも変わらないのなら奴を生かしておく意味があるしゅか!」


そう言ってカナリーが目線を送ったのは、黒い刀の鞘を抱いたように座り込むナナシであった。


「ふむ。貴方達の苛立ちは承知しています。金の魔法陣が消えない理由については、私も分からないとしか言えない現状です。大魔女クレインが張っていたと思っていましたが、大魔女がこの世から去った今、未だ存在し続けていることは疑問しかありませんね」


「呑気に分析してる場合っちか! あたちは時間が限られているっちよ!? 金の魔法陣が消えないのなら今すぐあたちを出すっち!」


「落ち着きなさい。クックー」


「これが落ち着いてられるっちかァア!」


大声で叫んだクックーは両手の拳から炎を漏らし、食卓のテーブルを叩き、その箇所がプスプスと煙を漂わせ焦げ付いていた。


「いいっちかガル。いくら大魔女が子の存在とクレインさくらのことを伏せていたとは言え、あたちらは大魔女を殺すという禁忌を行ったっち! それなのに金の魔法陣が解けないとなると、あたちたちはただ単に大魔女を殺しただけっちよ!」


「私は言いましたよ。クックー……『落ち着きなさい』と」


ガルが空気を凍らせ、クックーを睨みつけるとクックーは唇を噛んだまま反論を止めた。


「そこの【ナナシ】についても、問題はないでしょう。いくら反旗を翻そうともここでクレイン達の魔法を詠ったところで勝ち目はありません。そしてなにより彼の記憶は私が【人質】として取ってあります。まだまだ存分に働いてもらわなければいけません」


「しゅしゅしゅ、ですがガル。その【ナナシ】がいつカナリーたちナハティガルを裏切るとも限らないしゅ」


「その場合には、シンプルに殺せばいいのです」


「ち! 殺せばいいと言うっちが、この人間のもつ記憶は役に立つから生かしていたんじゃないっちか」


「それだけではありません。それにこの人間が切り札になる……なんていうこともありませんし、逆らえば殺せばいいのです。味は若干変わってしまったでしょうが、食べる分にも問題はないでしょう」


そこまで言った上でガルは、控えめな溜息を吐くと目を閉じた。


「ナナシを喰わなかった大魔女クレインが何故魔力を有していたのか。今回の金の魔法陣が消え無かったことでようやく理解できました」


「どういうことっちか」


「大魔女クレインは『最初から魔力を持っていなかった』と考えるのが自然でしょう」


「な、なんでしゅと!? そんなことは有り得ないっしゅ! 金の魔法陣もそうっしゅが、魔法力のないものがそもそもこの城に居続けることなど不可能しゅ! 鳥化したナハティガルですらこの世界では長く生きてはいけないっしゅ!」


「だから死んだのです」


ガルの一言にカナリーは黙った。カナリーも眉間の筋肉を痙攣させながら話を聞いている。


「彼女は、もはや瀕死の状態でずっとこの城に居た。だから彼女は私達にほぼ姿を見せたことはありませんでしたし、大魔女として弱った姿は見せられなかったのでしょう。ですがそれ以上の理由があったのです」


「それ以上の理由っち……?」


「そう。それはあの【さくら】の存在。急にクレイン達に加入し、現れたことから【さくら】は恐らく、ずっとこの城の大魔女の部屋にいたのでしょう」


「!?」


衝撃的なほどの沈黙が、場を支配した。


淡々と話を続けるガルの、とんでもない一言だと言えた。


恐ろしい仮説である。なぜなら、この城に彼女らナハティガルを窮地に追い込むマギのクレイン、さくらがずっと居たというのである。


それに気付かず、敵として現れたさくら。ガルの言っていることが本当ならば、これほど彼女らに取って愚かで恐ろしく、侮辱的なことは無い。


「それは本当だっちか……」


「おそらく」


ガルの返事にクックーの身体から炎が噴き出した。



「大魔女クレェエエイィィィイイイインンンン!!」


怒りの慟哭。


一度死に、下等な生物だと見下した人間の身体で恥ずべくして復活したクックーの怒りは、凄まじいものだった。


今はもう亡き大魔女クレインに対しての憎悪、嫌悪、怒り。


これらはこれまでの生涯でもっとも強烈な感情。


「しかし、いくら大魔女クレインが外に出てこなかったとはいえ、彼女の魔力がないことくらいなぜカナリーたちにはわからなかったしゅ」


カナリーがやはり腑に落ちないといった様子でガルに質問をすると、ガルは瞳を開けた。


「ひとつ。クレインさくらが私達と同じナハティガルの血を持っていたこと。

 ひとつ。大魔女が子を身ごもっていることを見抜けなかったこと。これは本来雄のいないナハティガルでは有り得ない生殖行為から彼女が妊娠しているなどと思いもしなかったせいです。

 ひとつ。魔力を失っていた大魔女クレインは、体内にいたクレインさくらから魔力を分けてもらっていたのでしょう。魔力がなくとも鳥化せず魔女の姿をしていられたのは、その時の魔法のせいだと思われます」


「なんで大魔女はそうまでして人間側に立つ! 我ら同胞はどうなってもいいっちか!」


「……さぁ。それはあそこにいるナナシに聞いてみないことには分かりはしません」


怒り心頭のクックーの言葉を、ガルの視線の先にいるナナシへと投げながら言った。


「ということは……金の魔法陣は……」


怒りに身を任せるクックーを尻目にカナリーはなにかに気付いた素振りで顔を上げた。



「そう。金の魔法陣を張った術者は大魔女クレインではなく、クレインさくらです」



クックーの動きが止まり、ゆっくりとガルに振り向くとクックーは唇を震わせながら、「クレインさくらっちと?」と聞き返し、ガルが頷くのを待った。


「そうです」


「ちちち……ちちちち! ちーっちっちっちっ!」


するとクックーは突然、大声で笑い出したのだ。


「そうか! そうっちか! 自分を見失うほど怒りを覚えたっちが……そんなにシンプルな話なら、話は別っち!」


クックーは微動だにしないナナシの元へ歩いてゆき、ことの成り行きに興味も示さなければ理解もしていない彼に向かって言った。


「つまり……クレインさくらを殺せばいいっちね? じゃああたちがやることは別に何も変わらないっち」


「……」


再び大声で笑いながらクックーは食卓を後にした。





15:00


「ひまちん……忍者になったっすか?」


ひまわりのコミカルな格好に思わずきくも引きつった笑いを浮かべた。


「な、なにが!? なにかおかしい?」


きくの言葉に振り返ったひまわりはタオルを顔に巻き、目だけを出した状態だった。


よくもまぁこんな格好で「なにかおかしい?」と聞けたものだ。



「いや、ひまちんがそれでいいんならきくりんは別にあーだこーだ言うつもりないっていうかぁ……」


明らかにきくはひまわりと出来るだけ目を合わせないようにしているらしかった。


「おかしなきくちゃん」


口角を上げたまま片方の口元をぴくりとさせたが、きくはとりあえず笑ったままでキープした。



ここは玉木きゅんの試合が行われる球技場。今日は銀雪の予報が19時より出ているため学校は全校生徒午前中のみの登校だったため、ひまわりときくはここにいた。


というよりもクレインの家系は、銀雪予報の日は基本的に学校にはいかない。


理由はもうお分かりだと思うが、彼女らは魔法少女と戦わねばならないからである。


学校側はその理由は知らないが、代々葵町の最高役員たちからそうするように指示が続いているため、詳しくを言及するものはいないのだ。


それを利用してひまわりは銀雪までの間、葵町から数駅離れた球場までやってきた……というわけである。


銀雪予報は時折前後することがあるため、予報の出ている日は原則原則外出禁止となっているため、葵町の住民は外に出られない。


ということは学校の生徒が試合を見に来ているということはほぼ有り得ない。だからこそひまわりは意を決してやってきた。(心細いからきくも連れてきた)


この場にさくらがいないのは、さくらがはしゃげば確実に自分の存在がバレてしまうからであり、あくまでこっそり試合を見てこっそりと帰り、こっそりと変身して戦おうという寸法である。(変身はそもそもこっそりしなければならないが)



「ありゃりゃ、ひまちん玉木っちを応援したいんならこそこそしてもしゃーなくないですかねぇ」


「いいの! 私は誰にもバレないし目立たないこの恰好で応援して人知れず帰るんだから!」


「バ、バレないつもりすか……」


「? どういうこと?」


分かっていないっぽいひまわりに対してきくは言葉を呑み込んでもう一度笑ってみせた。


「けど銀雪予報の当日にこんなところ来てんの知れたら、またききょうちんやらふじりんに怒られるっすなぁ」


きくの言った言葉に、思わずひまわりは「うっ」と苦しい呻きを上げ、その直後に眉を下げてきくを見た。


「ご、ごめんね。きくちゃん。無理に着いてきてもらっちゃって」


ひまわりが少し気まずそうに言うときくは首を横に振り、お馴染みの「あ~りゃりゃぁ」を言う。


「なぁに言ってんすかぁ。きくりんは元々問題児すから、こんくらいは宵の口っすよぉ。っていうかきくりんしか着いてきてくんないしょ?」


「……だね」


照れた様子のひまわりが一言返事をすると、続いて「ありがとう」とストレートな感情を言葉にした。


「それより試合始まるよぉひまちん。玉木っちを応援するんしょ?」


「うん!」


タオル忍者のひまわりは観客席の目立たない場所に座ると、対戦チーム同士で対峙している絵を見渡した。



グラウンドでは、各プレイヤーたちがポジションにつき、キックオフを待っていた。


その中に当然、玉木きゅんもおり鼓動の高鳴りを押えながら笛の音が鳴るのを今か今かと待ち、真っ直ぐボールを見つめている。


(駄目だ。落ち着け、今日は絶対に勝つ。勝つんだ! そして告白して……)


無理に集中しようとすればするほど、頭に血が昇りぐらりとしそうになる。そんな視界を紛らわそうと、玉木きゅんは観客席に目を移す。


キックオフまでのわずかな時間ではあったが、玉木きゅんは奇跡的に一発でひまわりを見つけた。


タオル忍者と化していたひまわりに驚いたが、玉木きゅんにはそれがひまわりであるとすぐにわかったのだ。


(御鶴木……? 来てくれたのか?? 学校は……)


と、そこまで頭を過ったが玉木きゅんはすぐに(いや、そんなことはどうでもいい!)と結論づけた。


そして、彼はホイッスルと共に強く想った。


(御鶴木が来てくれてるんなら、なにがなんでも勝つ! 絶対勝つ!)


「勝つんだ!」


ホイッスルが鳴り、ゲームが開始された。



「玉木っちぃ~頑張るっすよぉ~!!」


きくが元気よく応援する横で、ひまわりは祈るように手を組み、真っ直ぐグラウンドを見詰める。


「だあああっ!」


玉木きゅんはすぐにボールを奪い、ゴールに向かってがむしゃらに駆けてゆく。その姿はまさに風を斬るような勢いだ。


「た……玉木くんっ……!」


思わずひまわりの声が漏れる。玉木きゅんの前には誰もおらず、キーパーだけがゴールを死守せんと両手を広げて待ち構えていた。


「玉木ぃー! いけえ!」


「そのまま入れろぉお!」


ほかのチームメイトからも檄が飛ぶ。その声に後押しされるように、大きく振り上げた右足。


「しゅっ!」


シュート。


レーザー光線のように直線状に真っ直ぐ飛ぶミサイルのようなシュートがゴール目がけて跳ぶ。


「いっけぇー!」



ドンッ、という音だけが場内に響いたような気がしたひまわりは、その瞬間目を凝らした。


ゴールネットにボールは入っていなかった。その代りにキーパーは両手を伸ばした状態で倒れ込んでおり、ワンテンポ遅れてボールが地面に落ち、キーパーが急いでそれを取る。


――ゴールならず。


「ドンマイ! 玉木、よくやった!」


「攻めるなぁ、ペース上げ過ぎんなよ!」


チームメイトたちの声に玉木きゅんは額の汗を拭いながら返事をしてゆく。そして再びポジションについた。


「っかぁ~! 惜しかったっすなぁ玉木っち」


「うん……でも、大丈夫。玉木くんなら大丈夫……」


開始5分も経たない内に攻めた玉木きゅんのプレイに、相手チーム完全に玉木きゅんを警戒始めた。


あわや1ゴールを許すところだったこともあり、監督からはなにかしらのサインが飛ぶ。


「さぁて、愛しの玉木っちは活躍するっすかねぇ」


「うん……大丈夫。きっと玉木君は大丈夫!」


力強い眼差しに、とてもタオル忍者とは思えないな……ときくは心の中で呟いた。




試合は開始すぐの玉木きゅんの特攻以降は膠着状態が続いていた。ハーフタイムも終わり後半の試合運びはそれでも両者一進一退の攻防を繰り返している。


当然、玉木きゅんもその中で攻めきれずにいる状況に肝を煮ていた。


汗でぐっしょりのユニフォームは、寒空の風を吹き飛ばすように湯気を放ち、虎視眈々と相手の隙を狙っている。


その緊張感はひまわりにも伝わっており、ずっと祈りの手を崩さない。


その健気さを見てさすがのきくもあまり口を挟まない。


「勝てたらいいっすなぁ……」


「うん。絶対、勝つよ……玉木くんなら」


もはやそれは玉木きゅんにではなく、ひまわり自身に言い聞かせているようにも聞こえる。


とにかく、ひまわりは信じていた。


この試合を制し、玉木きゅんはもっと高みに行くべき人間だと。自分のように戦いに縛られ、身動きの取れない人間ではない……と。



ひまわりの憧れはそういったところにあったのかもしれない。



『♪』


きくのスマホからKickKickのテーマが流れ、着信を知らせた。


慌ててきくは電話を取ると「おりょっ!? それはまことっすか!」と返事をし、電話を切るとひまわりの耳元に話し掛けた。


「葵町で銀雪が降り始めたみたいっぽ」


きくの報告にひまわりはぎょっとした表情を見せ、すぐに時計を確かめた。


「まだ16時……3時間も早い」


「っとに、人の都合丸潰ししてくれる連中すなぁ」


きくが辺りを見渡しながら、ひまわりに耳元でボリュームを抑えた声で言う。


「それが結構な量降ってるっぽいんすよねぇ。ちょっとこの辺で変身してから飛んでいったほうが早いじゃん的な。幸い球場は人目つく場所少ないから、急ごうひまちん」


ひまわりはグラウンドでボールを追いかける玉木きゅんに後ろ髪を引かれる想いを抱えながら、「うん……」と答えて観客席を後にした。



「うわあっ!」


ひまわりたちが通路に出たのと同じくして玉木きゅんが、相手チームのプレイヤーにぶつかり転倒した。倒れた際に肩を強打したらしく、ピッチから外され医務室に行くことになったのだ。


玉木きゅんはすかさず観客席にいたひまわりを探したが、そこにはひまわりはいない。


「御鶴木……痛っ!」


「おい、誰か玉木を連れて行ってやれ」


「いや、いいっす。一人で行ってきます……」


この大事な試合中に怪我なんて……。玉木きゅんは情けなくなり、一人になりたかった。


試合の進み具合も気になるが、そこに自分が立てない現状に耐えられなかったのだ。


球場内の医務室は近い。何度かこの球技場で試合をしたことのある玉木きゅんは知っていた。


試合の時間もまだしばらくある。怪我をすぐに見てもらいたい気持ちもあったが、経験上ピッチに戻れるほどの痛みではないことは分かっていた。


「あの時せめてゴール決めてりゃ……」


悔しさばかりが玉木きゅんの全身を覆った。その悔しさが彼をすぐに医務室へと行かせなかったのだ。



「先に外出るっすよ!」


玉木きゅんが医務室を過ぎて、球技場外に出ようとした時だった。


黄色い法衣を纏ったきくが横切っていったのである。


だが玉木きゅんは一見してそれがきくだとは気付かなかった。


ただ、なぜこんなところにコスプレした女の子がいるのかと不思議になっただけだ。


「ちょっと待ってってば!」


遅れて聞こえた先に目をやると、そこには客席から姿を消したひまわりが居た。


「御鶴……」


玉木きゅんは思わずひまわりに向けて、名前を呼ぼうとしたその時だ。



「百花繚乱!」



「えっ」


外からは見えない位置。そう、丁度今玉木きゅんの立つ位置からでしか見えない場所にひまわりはいた。


そして、玉木きゅんの見ている前でひまわりは変身してしまったのだ。



「今行く!」


だがひまわりは玉木きゅんが見ているとも気付かずに、空へと飛び去ってしまった。


玉木きゅんは信じられないと言った様子で目を丸く見開き、空へと消えてゆくひまわりの背を見ていた。


「御鶴……木……?」





葵町の上空では巨大な魔法陣が出現し、稲妻が光っていた。


冷たい雨が降りしきり、強い風も吹いている。この上ない悪天候だと言えた。



魔法陣を空から見上げながら、魔法少女が現れるのを待っているさくらたちは、全身を濡らしている。


「参りましたわね。私の煙が唯一弱いのはこう言った風と雨ですわ。出来る限りのことは致しますが、今回はサポートに徹するしかなさそうですわね」


ききょうが雨を不快そうに払いながら、忌々しそうに唇を噛む。


「っつか、ひまわりときくはどこだよ! 最近必ず誰か遅刻するよな」


機嫌が悪そうにしながらふじは魔法陣に向かって大きめのトーンで吐き捨てた。


「心配しやんでも放っておきゃきくもひまも来るさね。それよりも目下の失敗ごとはそんなことじゃなくて、葵町の銀雪下で戦うことさ」


「そらどういうことですのん、ぼたんはん」


「前回の戦いで葵町駅周辺が大破してる上に、死人まで出てるさ。確実にあれで警戒してる機関があるはずさ。これまでみたく映像に映らない銀雪の恩恵も信用し過ぎると痛い目会うさ。うちらのホームグラウンドかもしやんけども、なにより注意しなきゃダメさね」


ぼたんの推察に、クレイン達は息を呑んだ。


「ごめんみんな! ちょっと遅れちゃった」


そこへひまわりときくが息を切らしてやってきた。


ふじは不機嫌そうに彼女らに振り返り、「なんで遅刻すんだよ! 今日銀雪が降るって知ってただろ!」と息巻いた。


「ありゃりゃ~予報では19時って言ってたんで高を括ってた的な感じでして」


「あ? そんなもんがいいわけになるかよ! 不測の事態に備えて学校とか休んでんだろが!」


妙に当たりの厳しいふじに対し、多少ムッとしたきくがなにか反論しようとするのをひまわりが止めると、申し訳なさそうに謝る。


「ごめんねふじちゃん……私が悪かったよ」


ふじは素直に謝るひまわりを見ず「ちっ」と舌打ちをして魔法陣を見上げるが、そんなふじにききょうが口を挟んだ。


「ふふふ、お気に召さらず。確かに遅刻は感心できませんがふじさんのご機嫌がななめなのは別の理由があるのですわ」


ふじが「ききょう!」と名を叫び、ききょうは口を押えてそそくさと後ろに下がった。



「わかるっしょ。ふじは朔ともっと一緒にいたかったのに数時間も早い降雪に超機嫌悪いんよ。周りに当たる程度にまだまだお子様さね」


「はぁ!? な、なにいってんだよ! あんたに彼氏いたことあんの? あたしのなにがわかるってんだよ!」


顔を真っ赤にして怒鳴るふじの声を耳に指で栓をしながらぼたんは「あーあーはいはいうちが悪かったさね世界は二人のためにあるさ」といなした。


「こない状況で突っ込みにまわれへんとはあーしもまだまだやな……」


なぜか悔しそうに唇を噛み締めるつばきは、手帳をとりだしメモを取った。


「……そりゃなんすか?」


「ネタ帳や。東のもんに舐められたらあーしらは終わりやからな」


真剣な顔でそのように話すつばきにきくは内心(クレインに関西人がいるって結構な弊害な気がするっすなぁ……)と呟いた。


クレイン達は久しぶりの全員総出での戦いを前に普段よりもリラックスしているように見えた。


これまで誰かが欠けての戦いが多かったように思えたので、単純に心強さがあるのだろう。


それだけに彼女らが如何に不安の中で戦ってきたのが伺える。


だが――



「さくらちゃん?」


七鶴の中で最も騒がしく賑やかなはずのさくらがここへきて一言も発しない。ただ、稲妻走る魔法陣を見上げているだけだった。


「どうしたの? なにかあったのさくらちゃん」


心配そうに覗き込むひまわりに、さくらはぽつりと言った。


「あのね、ひまわり……。さくら、嫌な予感する」


「嫌な予感?」


誰が口にしても不安になる言葉だが、いつもの天真爛漫さが売りのさくらが口にすると不安はさらに増す。


ひまわりはさくらが見詰める魔法陣を見上げると、ふと頭に玉木きゅんが過った。



――もしも私が今日死んだとしたら、きっと玉木くんの試合を最後まで見ておけばよかったって思うのかな。



魔法陣から徐々に現れ始めた足。


赤と黒のチェック柄が印象的な靴。その姿にさくら、ききょう、きくが反応した。



「あれは……」


「うん、かのんのん」


やがて全身が露わになると、紅い日傘を差した佳音の姿をしたクックーがクレイン達を見下ろした。


「ごきげんようクソクレインども」


「ぐぅ~声までかのんのんのままっす!」


きくが怒りの感情を滲ませると、唸るように言った。


「お三方、落ち着くさ。まず奴さんから佳音って人を引き離せる見込みがあるのかないのか見極めなきゃだめなわけ。見込みありゃ善処するけど、見込みなけりゃ……」


「ちょいぼたんはんなに言わはるつもりですのん!」


つばきがきくら三人を気遣ってぼたんが言わんとしていることを遮ろうとするもぼたんは構わない。


「斃すしかないさね。じゃないと葵町のみんな死ぬさ。それは人類自体の死と同じ意味さね」


殺す、ではなく斃すと言ったところが、ぼたんの精一杯の優しさだった。


「そ、そんなあほな……!」



つばきが気をもんで三人を見たが、意外にも三人は動揺している様子は見せない。


「ききょうはん、きくはん……さくらはん」


「心配しなくていいっすお。こう見えてもきくりんはいつでも覚悟出来てるっすよ。……かのんのんを巻き込んじゃったあの時から」


「あら、きくさん奇遇ですわね。わたくしもそこは同意見ですわ。わたくしたちは戦う使命を持っていますの。佳音さんがもしもあの魔女の中にいなければ、わたくしどもが責任を持って清算いたします」


そしてさくらがふたりに続く。


「ってーかかのんのんは大丈夫! 絶対に取り込まれたりしてない!」


さくらの力強い言葉に、ききょうときくは強く頷いた。


それを見たつばきやぼたんたちは不安を拭い去るようにクックーを見直る。


「じゃ、まあ……行くか!」


ふじの掛け声に、七鶴は一斉に「行こう!」と返事を返した。




「ちちち……盛り上がってるみたいっちな。この人間を傷つけないように戦うがいいっち。どの道貴様らクレインにこの人間は救えないっち。それ以前に、今日ここで貴様らは死ぬ運命なのだからな」


そう独り言を呟いたクックーは持っていた日傘を放り投げると、日傘は燃えて無くなった。


七鶴たちの目の前で日傘と一緒にクックーの姿が消えた。


次の瞬間、数百メートル離れていたと思われるクックーがクレイン達の中央に姿を現す。


「なんさ! 無詠唱魔法!?」


にやりと笑うクックーは両手を広げ、胸と背を覆うような円を描く魔法陣を出現させ、炎を爆発させる。


「きゃあっ!」

「わああっ!」


瞬時に起こった出来事に、ギリギリで自らを守ることが精一杯のクレイン達の中、再びクックーの姿が消えた。



「魔力が上がってる!? 前々から厄介な魔女っだったのに無詠唱魔法まで使われたら最悪さね!」


ひとり下駄の力で他のクレイン達よりも距離を離したぼたんが苦しそうに口元を覆いながら唸る。


「まだガルほどの強力魔法を無詠唱では出来ないっちが、人間の潜在能力にはほとほと感心するっち」


「なっ……!?」


ぼたんとの会話を成立させたクックーは、誰よりも距離を離したはずのぼたんの懐に現れた。


炎を纏った裏拳がぼたんの脇腹に命中し、ぼたんは真っ直ぐ吹き飛んだ。


「ぼたちん!」


ぼたんが吹き飛ばされるのを目撃したきくがぼたんの名を叫んだのと同時に、痛烈な膝がきくのミゾに直撃した。


「あっりゃ……あっ!」


「あのクレインを先に攻撃したのは、クレイン随一の機動力を誇る奴に肉迫すれば貴様らに『もう逃げられない』と思い知らせることが出来るからっち。ねぇ、《KickKick》?」


頬と頬が触れるほどの距離で、クックーはきくに耳打ちをすると、きくは苦悶の表情の中に驚きの色を添えた。


「かの……んの、ん……?」


続けて二撃目の掌底がきくを吹き飛ばすと、警戒していたふじの背後に現れる。


「なんだと!?」


「絶賛絶望中っちか?」


ふじの背中に打ち下ろした拳が炸裂し、真っ逆さまに墜落してゆく。



それらを全て目で追えなかったききょうは、他の面々に比べてすぐ近くにいたつばきに呼びかける。


「つばきさん、わたくしから離れぬよう! 次はおそらくっ……!」


「さすがっちね。貴様はガルと同じく頭が切れるタイプッち。……実力は遠く及ばないっちがね」


「ききょうは……っ」


話している間にききょうがクックーによって吹き飛ばれ、それはつばきを巻き込んだ。



「み、みんな!」


余りに一瞬の出来事にひまわりは仲間達を案ずる一言を発するのがやっとだ。


「ひまわり! みんなを連れて逃げて!」


さくらは衝撃的な言葉を言った。流石のひまわりも耳を疑い、「何言ってるのさくらちゃん!」と聞き返すが、さくらは余裕がないように目でクックーの姿を追っている。


そして、さくらはひまわりの目の前で消えたかと思うと彼女の鼻のすぐ先に突然現れる。


同時に、硬い石と石がぶつかり合ったような衝撃音が耳を抜けていった。


「ちちち……! 順番が違うっちよ、クレインさくら!」


「ぶっ飛びぃ……!」


さくらは腕をクロスしてクックーの一撃を受け止めた。


クックーの一撃は間違いなく、ひまわりを襲ったものだ。さくらが防がなかったらひまわりはひとたまりもなく吹き飛んでいただろう。


「さくらちゃん……」


「ひまわり、ごめん。みんなが邪魔だっていうわけじゃないの。クックーはさくらだけをやっつけに来てる。だからさくらじゃなくてみんなを先に攻撃したんだ」


「バッチリ正解っち。正解した褒美をやらなくてはフェアじゃないっちね……。では、これをくれてやるっち!」


さくらが受け止めた拳から球体上の光が膨らんだ。


「ひまわり、早くみんなを連れて逃げて! さくらが本気でやらないとみんな死んじゃう!」


さくらが必死な形相でひまわりにここから離脱することを促し、それが冗談でもなんでもないことをひまわりは悟った。


「さくらちゃん……大丈夫だよね! 信じていいよね!」


一瞬でもクックーから目を離していけない状況で、さくらはひまわりに向けて振り返ると、笑った。


「だいじょーび! さくらがクックーを弱らせるまで巻き添えにならないところに!」


さくらの言葉に強く頷いたひまわりは、彼女の言う通り吹き飛ばされた仲間たちの元へと急いだ。



「みんな死んじゃう、っちか。そりゃそうっちね、あたちは『貴様らを殺しにきた』っち」


「銀雪を早く降らせて魔女クラスが1人でやってくるのってなんか変だって思ってた!」


クックーの拳の先から膨れた球体が二人を包むほどの大きさになると、クックーは微笑みながらさくらを睨む。


『マギ・ポモドーロ』


二人を中心に十字型の爆炎が上がる。それはひまわりがこれまでの戦いで初めて見るほどの巨大な爆炎だった。


「さくらちゃん!」


焔が晴れてゆくと、二つの影がうっすらと輪郭を見せ、クックーとさくら双方にダメージがないことをひまわりに知らせる。


「……良かった」


さくらの無事な姿を確認し、安堵するのと同時にさくらがやはり自分よりも途方もなく高い位置に居ることを思い知った。


「私達だけじゃ……」


ひとりでかぶりを振るひまわりは、気を失っている面々の元へと急ぎながら、一人ずつ回収してゆく。


櫨染はじぞめ


しゅるしゅると帯を伸ばし、散らばったクレインたちを包まらせて引っ張ってゆく。


ひとまずここから離れたところでさくらが言った通り、クックーが弱まるのを待ち一斉に攻撃するしかない。それこそ奥義クラスの魔法を行使するしかなさそうだとひまわりは思った。


「さくらちゃんがいなかったら、私達【約束の世代】は……」


やはりちらつく玉木きゅんの姿。


「よかった。玉木くんは戦いと関係なくて」


同時にやはり自分は、玉木きゅんに相応しくない。あのマネージャーと幸せになってほしい。


それは本音じゃないとしても、ひまわりはそう思うことでしかこの境遇に身を置く術がない。



「とにかく、今はここから離れてみんなとあの魔女を斃す作戦を……」


丁度ひまわりがクレイン達全員を帯で捕まえた頃だった。急に重さを感じ、飛行中の高度が下がり始めた。


「え? え!? なんで??」


魔力を上げようと集中するが、魔力は上がるどころがどんどん下がってゆく。



ひまわりの高度は更に下がり続け、地上までジュウスメートルのところまで近づいてしまった。


「これ、重さとか関係なく……私の魔力が……」


ひまわりはこのままだと地上に降りざるを得ないと知り、出来るだけ目立たない路地へ他のクレイン達と一緒に降下した。


「ど、どうしたんだろ……私……」


動揺したひまわりは『花葉はなば』と詠う。


この魔法は帯をムチのようにしならせ、近接戦闘時の武器に使う、魔力の小さい初歩魔法である。


だが鞭のように重みを持つはずの帯は、なんの変化もなくゆらゆらと揺れている。


「嘘……私、魔法が……」


信じたくはない現実。この状況。さくらがクックーと命を賭けて戦い、チャンスを伺っている。


そのチャンスにクレイン達を回復しておき、クックーを斃す算段を立てなければならない……のに、だ。


ひまわりからは魔力が消えている。


そして――。



「え……」


ひまわりの姿は、魔装姿から制服姿に変わってしまった。つまり、変身が解けたのだ。


ひまわりの顔から血の気が引き、青ざめてゆく。


「私……私、は……」


現実を受け止められないひまわりは、自らの掌を見ながら言葉を失い、足を震わせた。


「戦え……ない? なんで……なんで!」


思わず声が大きくなり、その声に反応したきくが小さく「ん……」と呻いた。


「き、きくちゃん」


ひまわりの脳裏に色々なシチュエーションが駆け巡った。


目を覚ましたクレイン達はどんな反応をするだろう。これまで共に戦ってきた彼女らは、変身できなくなってしまったひまわりに、どんな言葉を投げかけるのだろうか。


瞬時にあらゆる場面が巡り巡り、ひまわりはおかしくなってしまいそうになった。




「あれ……? どこすかここは……」


最初に目を覚ませたのはきくだった。空でクックーと対峙していたはずなのに、今置かれている状況は全くそれとは違う路地。


見渡せば他のクレイン達も横たわっている。


「ちょっとみんな起きるっすよ!」


きくが隣に横たわっていたつばきを揺り起こし、つばきは「こんなんイカ焼きちゃうって」と寝言を言いながら目を覚ました。


「あら……? あーしら戦ってたんちゃうかったっけ? きくはん」


「おりょりょ……?」


「どないしはったん」


きくは他の面々を眺めながら、不思議な顔を浮かべ呟いた。


「ひまちんだけ、いないお」





冷たい雨と銀雪が混じる街中、ひまわりはひとりで当てもなく歩いていた。


魔法を失い、変身も出来ない。


その理由は、わかりきっている。



『誰かに変身を見られた』という他にない。


代々クレインが変身能力を失くす時というのはそういう場合だ。


歴代のクレインでも数人いた……と聞くが、まさか自分がそうなるとは思ってもみなかった。


それもそのはずである。


ひまわりだけにあらず、クレインたちは誰かに見られないよう最大限の注意を払って変身する。


それは前述の通り、先人の失敗から教訓を得たからである。



これまでのクレインの歴史の中で、数人いたとされる変身不能者。


自らの子にバトンタッチすることでなんとかクレインは存続してきたという。


無くなってしまったしまった魔力は、代替わりすることで次世代に引き継がれる。



当然だが、魔力を失った当時に夫がいたクレインばかりではない。それ相応の時間をかけクレインを復活させた。


だがその間、六鶴は羽根が一つ欠ける訳であってそれまでは激闘は必至だったという。


サポートに回りながらも自らの失態で、永久に戦うことが出来ないクレインとはどのような気持ちだったのか。


ひまわりは痛いほどにその気持ちを味わっていた。


しんしんと降る雨がひまわりを濡らす。


銀雪の耐性だけはあるので羽根化はしない……が、ひまわりは羽根化することを望んでいた。


――こんな自分は、生きている価値すらない。


彼女の心情を代弁するとこういう気持ちだった。


さくらが今戦っている。


そのさくらが自分を必要とした。クックーが弱ったところで一緒に戦ってくれ……と。


だが今の自分は、さくらの元へ行くことさえ叶わないのだ。



「飛べないのがこんなに辛いことなんて……」


クレインに取って『飛行能力』とは魔法以前の技術。初めて変身したその日から、教わらずとも行使できる無償の技。


謂わば歩くことと同義であるともいえる飛行能力を失ったということが、ひまわりを苦しめていた。


――変身ができないことは最悪の失敗。絶対に許されない。だけど、空も飛べないんじゃ、死を覚悟でみんなを連れることも出来ない。


地上から幾ら見上げたところで、目や肌を刺す雨粒と稲光りしか見えず、さくらとクックーの戦いなど肉眼で確認できるはずもなかった。


それでどうやってさくらの戦局を見極めることができるのか。


変身も魔力も飛ぶことすらもできない自分は、ただの人。いや、それ以下かもしれない。


自責の念がひまわりを苦しめる。


「うう……どうしよう……さくらちゃん……みんなぁ……!」


力なく誰もいない道。空き地に設置された立ち入り禁止のフェンスによりかかったひまわりは、雷鳴に混じって泣き叫ぶ。


「わああー……!」


次から次へと溢れ出す涙が頬を伝う前に、雨が流してゆき、幾ら雨に当たっていても洗い流せない罪の意識に、ひまわりは侵された。


くしゃくしゃの泣き顔に容赦なく雨が刺さり、彼女の絶望をより深いものにしていく。


「なにが……約束の世代……なにが、帯のクレイン……私なんかが、クレインなんかになる資格……最初からなかったんだ」


精神的に墜ちてゆくひまわりを止める者は誰もいない。


ひまわりは自分の居場所を失った。


それを理解してしまったから、きくらの前から姿を消したのだ。



「なんだお前。なぜ外に出ている」


フェンスに依りかかり、へたり込んで泣いているひまわりに話し掛ける声。


涙と雨で全身をグシャグシャにしたひまわりが振り返ると、黒いコートに黒い鞘の刀を持つ男が立っていた。


そう、ナナシである。


ひまわりはききょうやきくの話でしかナナシを知らなかったが、その風貌で彼がナナシであると一目で分かった。


そして、銀雪の振る最中で羽根化の影響を受けずにいるひまわりを見て、ナナシもまたひまわりが何者であるかを悟った。


「……お前は、クレインの一人か。確かクックーが来ているはずだが、お前は戦わないのか」


ひまわりの鼓動が激しく打つ。


ナナシが話す言葉になにも返事が出来ず、ただどうすればいいのかを考えた。


だが、ただでさえ絶望的な心情だったひまわりには、この状況に対処できるほどの思考力は残っていない。


「なんだ。えらく嫌われたものだ、会話すらもしてもらえないとはな。ほかのクレインはどうした」


「……」


なにも言葉が浮かばない。なにも発することが出来ない。


つまり、なにも手がない。



ガチガチと歯と歯がぶつかり、手足の先から全身にかけて震えが止まらない。


ひまわりはナナシに対してなにも対抗する術も、この場から逃げ出す術もなにもないことに気付いてしまったのだ。



「震えているのか? なぜだ、変身して戦えばいいだろう。この俺を見ただけで震えが来るほど弱い戦士ではないのだろう。クレインという戦士は」


ひまわりの本能が逃げろと言っている。この場にいてはいけないと叫んでいる。


震える手で、足で、その場から逃れようとフェンスを掴みナナシから離れようとするも、上手く動けない。


全身の震えがそうさせているのだ。


「よもや……お前、変身できないのか?」


「う、うぅ……、死ぬ……死んじゃう……うう」


ナナシの指摘に、ひまわりは自らの死を感じた。変身出来ないことを敵に知られるということは、つまり……死ぬということ。


ひまわりは思った。


――こんなところで、誰もいないところで、死ぬなんて。玉木くんの試合も、どっちが勝ったかわからないまま……玉木くん……わたし、玉木くんのこと……


「そうか、変身能力を失ったか。誰かに変身を見られてしまったのだな」


這いずりながら必死でナナシから逃れようとするひまわりの背を見詰めながら、ナナシは静かに続ける。


「惨めな姿だ。魔力を失い、変身能力を失ったクレインとはこんなにも脆いものなのか。ふむ、戦士が戦えないとなれば当然かもしれんな」


相変わらずひまわりの耳にはナナシの話など入ってこず、彼の言うように惨めともいえる恰好で這いずった。


「玉木くん……玉木……くぅん……」


泣きながら、ひまわりは無意識に玉木を求めた。


ひまわりの中で、自分が変身能力を失ったことでさくら達を裏切ってしまったという罪悪感に包まれ、それからの逃げ道が想いを寄せる玉木になったのだろう。


「玉木……? そいつに変身を見られたのか? そうか、ならば貸しを作ってやる」


「……え」


「悪いがお前の記憶を覗かせてもらうぞ」


ナナシが玉木の名を発したことに反応したひまわりが、振り返ろうとしたその時だった。


濡羽ぬれば


ナナシの掌を中心に黒茶色の魔法陣が出現し、吸い込まれるようにナナシの掌に貼り付いた。


その掌でひまわりの肩を触れると、なにかが入ってきたかのように背を震わす。


「なるほど、こいつがそうか。待っていろ、お前に魔力を戻してやる」


「魔力を……」


そこでひまわりの意識は闇に包まれた。






「ちちち……! さすがに大魔女クレインの子っち! 何故貴様が我々魔女と互角以上に渡り合う魔力があるのか、ようやくわかったっちよ!」


高速の戦いの中で、佳音の顔をしたクックーがさくらとぶつかりながら言い放った。


「母様……?! なんでさくらのことを!」


空中で堅いなにかが衝突し、衝撃波が周囲の雨と雲を払った。


そしてさくらとクックーがやや距離を開けて対峙する。


「なんでかっち? その答えは簡単ッち。大魔女クレイン……いや、あのクソ裏切り者は死んだっち!」


雷鳴が轟き、稲光が走った。


まるでさくらの心情を表すかのように。


「ちちち! ショックっちかぁ? なぁ、クレインさくら! ショックだっちか!」


半狂乱のように笑うクックーは、呆然とするさくらを更に挑発した。


さくらの瞳からは涙が溢れ、頬をつたってゆく。


「ちちち……チィ~チッチッチッチィッッ! 絶望しろ! 全てを憎め! お前のたったひとりの母親はこのクックーが直々に殺してやったっちぃ! さぁ、来い! あたちがどれだけ強くなっても貴様とは互角! 互角と言うことは、あたちを殺すことができるかもしれないっちよ!」


嬉々としながらクックーは、腹を抱えて笑い狂うと「だぁけぇどぉ~」と付け加えた。


「この身体は人間のものっち!! あたちを殺せばこの人間ももれなく死ぬっち!」


クックーは気付いていた。


今のクックーとさくらが互角なのは事実。だが互角なのにさくらはクックーに対する攻撃に全力を込めていないということを。


即ちそれは、クックーの肉体が佳音のものであるということに他ならない。


「ちちち、いい顔っち……大好きな母親を殺したあたちを殺せば、大好きな人間のお友達が死ぬことになる! だけど安心するっち。一つだけ全てまるっと解決出来る方法があるっちよ」


そう言うとクックーはその場から消え、瞬時にしてさくらの目の前に現れた。


「今! ここで! お前が死ぬことっち!」


さくらの前に現れたクックーは既に拳を振り上げた状態で、出現したと同時にさくらの顔面を殴りつけた。


さくらは殴られた反動で後方に吹き飛び、吹き飛んだ先にまたクックーが出現した。


「ッチ!」


撃ちおろすハンマーブローに、さくらは重力と衝撃にしたがって墜ちてゆく。


「丁度雷が鳴っていていい感じっちね……」


クックーは人差し指を立て、片手を振り上げた。


『マギ・スペチャーレ・チェーナ!』


クックーの振り上げた指先に稲妻が落ち、先端に帯電する。そして、墜ちてゆくさくらに向けて振り下ろした。


さくらの身体に雷撃が落ち、水色と黄色の光が空気中を痺れさせながらさくらを焼く。


「きゃっあっ!」


さくらの悲鳴を聞いたクックーは、白目を剥き恍惚の表情を浮かべ、天を仰ぐように両手を広げると声の限り叫んだ。


「気持ちィイイイイイイイッッッ!!」


ぷすぷすと煙を上げ、黒焦げになったさくらは空中でそのまま煙に包まれる。


「おい! 冗談じゃないっち! これで終わりだなんて言うなっち! こんなものじゃ済ませないっちよ! お前は手をもぎ、足を千切り、腹を裂いて内蔵を引きずりだして、生きたまま食い殺してやるっち!

 魔法で首だけの状態で行かせておいてお前の身体を喰った後、他のクレイン達も同じ殺し方をするっち!

 だからここで死ぬことなんてあたちが絶対に許さないっち!」


叫びながらクックーは墜ちてゆくさくらを追いかけ、地上に激突する前に足を掴もうとしたところだった。


「なっ!?」


掴んだはずの足が煙になって蒸発、その姿をクックーの目の前から消したのである。


「煙っち……?!」


「煙に巻かれた気分はいかがですか?」


振り返ったクックーの視界、一番最初に現れたのは巨大なキセル。


そう、それはききょうの姿だった。


「勝手にキマってんじゃねーぞ! 簡単にさくらをやらせっかよ!」


瞬間、クックーの脇を暴風雨が襲いたまらず身体ごと飛ばされる。


「なんだっち……!」


すぐに踏ん張り、暴風雨に耐えたクックーに水晶のような球体が2つ同時に襲い、それを払おうと触れた瞬間、球体が爆発する。


「小癪っち……!」


「あ~りゃりゃ、小癪なのがきくりんのチャームポイントですんで、しょーがないっぽ」


きくが頭を掻きながらおどけて見せ、それに怒りを露わにしたクックーがきくに向けて炎術魔法を放った。


「あ、よいしょっ!」


きくの目前まで襲った炎が大きな傘で防がれ、それが晴れると同時につばきの姿。


「あーしも一応成長しとるっちゅうとこ見せとかなあかんかなー思いまして……。お粗末ですぅ」


と得意の関西弁でにっこりと笑って見せる。


「まあ、そういうことさね。おたくがどれだけ強くても、強いって情報だけありゃ充分さね。しかし、急に強くなるのは勘弁さ」


遥かさきからさくらを抱き抱えたぼたんがそう言い放ち、クックーの力ではそこまでの距離を誰にも邪魔されず一瞬では追いつけないことを思い知らせた。



「み、みんなぁ……」


「遅くなって勘弁さ、さくら。クックーの強くなり具合が急すぎて下手打ったけど、もうあんな失態はしないさね」


「うししっ! うんっ!」


さくらは、ぼたんの横に姿勢を立て直すとクックーに指差した。


「ぃよし! 立ち直ったもんね! 母様のことはショックだし、悲しいけど……これでもさくらは【約束】を守るために覚悟してここにいるんだもん! 絶ッッッ対、負けないもん!」



「ぐぐ……クソゴミどもめ……。いいっち、あたちが貴様ら全員、食い散らかしてくれるっちぃ!」


鬼の形相でさくらたちを睨みつけるクックーは怒りで我を忘れかけている。


「ありゃりゃ……食い散らかすとか超おっかないこと言ってるっすよぉ……」


きくが困ったように笑いながら、クックーの迫力に震えを感じ、ふじの後ろに隠れた。


「って、おい! なにしてんだよきく!」


「なあなあ、ひまわりはんおらんで?」


つばきの一声に各クレインたちは辺りを見渡すが、ひまわりの姿が無い。


「まさか斃された……なんて」


ききょうが口走りさくらを見るがさくらは首を横に振った。


「あっれぇ~?? おかっしーな、ひまわりにはみんなを連れて逃げて、起きたらみんなで帰ってきてって言ったのに」


さくらの言葉に首を傾げつつも、すぐにクックーを睨むききょうは「ひとまず、無事ということと捉えておきますわ!」と言いつつ、キセルを回した。



「しつこいようですが雨の日はわたくしの真骨頂じゃありませんことよ! ですが雨の日でも役に立つ魔法のひとつやふたつはこのわたくしでも持っていますわ!」


暗紅あんこう


キセルの先を逆さに向け、ききょうは思い切りにキセルを吹く。


どろりとした深紫と灰と黒を混ぜ合わせた人型のなにかが生まれ、のそりのそりとクックーに向けて迫ってゆく。


「にゃあ~るほどぉ~」


その人の形をした泥のようなものに、きくはかんざしを突き刺した。


きくは突き刺した簪を指差すと、手首を返すと同時に


ひわ


と詠った。



何かが集束してゆく、針の尖端のような磨いた音が簪の頭に付いた丸いガラス玉から響いた。



「ぃよしっ! 準備完了っすな!」


いしし、ときくが笑うとききょうも不敵な笑みで一度頷いた。


「ふんっ、なにがおかしいっちか!」


その様子を見たクックーが、人型の泥を払う。


……が、人型の泥は意思を持っているかのようにクックーの払った腕に抱き付くと、まとわりつくようにクックーの全身に貼り付いた。


「おりょりょ、意外とすんなりと思う壷的な?」


「なっ……!?」


きくがパチンと指を鳴らすのと一緒に、唇をたこのように突き出す。


「どーん」


ききょうの作りだした泥に刺さった簪が、きくの口火と同時に爆発し、爆炎がクックーを襲った。


「ぐぐ……! このクソ……クレインどもがぁああ!」


怒りに狂うクックーが絶叫し、感情を爆発させた。


怒りに任せ炎上魔法を周囲に発生させたクックーの懐にさくらの顔が突如として現れ、クックーを覗き込むようにして拳を強く握る。


「さくらとクックーが互角ってさっき言ったよね? さくらもそう思う! だから、7対1ならさくらたちの《あっとーてきしょーり》だ!」


「貴様……ッ!」


クックーが拳を放とうとしているさくらを止めようと、魔法を展開しようとした時、クックーの身体の自由を奪う力。


さきほどききょうが放出した泥の人型が、簪爆弾に耐えてクックーの自由を奪ったのだ。


「ぐ……! 馬鹿な……っち!」


「ぶっ飛び……飛んでけパァアアアンチ!」


クックーのみぞおちにめりこむさくらの拳。


めり込んだ拳は、大きく空へ突き刺さるようにクックーを真上に吹き飛ばした。


「ぐ……がああああぅっっっ!!」


クックーの断末魔。


さくらの一撃は確実にクックーを捉えたようだ。



「ありゃあっ! ちょっとさくらちん! あれじゃあかのんのんが死んじゃうす!」


慌てたきくに振り返るさくらは満面の笑みで笑い、「大丈夫!」と自信あり気に言った。


「さくらのパンチには魔力しか込めてないから、かのんのんの身体はなんともないはずだよ。直接素手で攻撃しなきゃダメだけど、これでいけばかのんのんにダメージなくクックーにだけ攻撃できる!」


「おりょぉ~! なんすかぁそのチートっぽい能力!」


きくがややずるいとも思えるさくらの能力に驚き、それに遅れてぼたんとふじが吹き飛んだ先のクックーを見て、状況を理解する。


「なるほど……じゃあうちらのすることはわかりやすいさね」


「要は、あたしらはさくらがあの魔女に接近するサポートにまわればいいってことね」


さくらは強気な眼差しで一度、強く頷き「うん!」と力強く答えた。


「ちょいちょいちょい! さくらはんのこと疑ってるわけやあらへんけど、魔力だけ込める攻撃なんてそない簡単に出来るもんなんかいな!」


つばきが焦ったようすで番傘を閉じて横やりを差し、ぼたんの代わりにふじが口を開いた。


「つばき。多分、あんたはものの本質を分かってると思うからその質問が飛んだんだと思う。つまり、あれだろ? 魔力だけ込める攻撃なんて、魔女相手にそんな手加減して勝てるのか……って」


図星を突かれたのか、つばきは頷きも返事もせずただ唾を呑んだ。


「優先順位で言うなら、佳音を取り戻すのは2番目」


きくとききょうは少し俯きながらもふじの言葉には口を挟まなかった。


ふじが結論を言おうとしたところをぼたんがふじの肩を叩き、続きを引き継ぐ。


「なにより最優先は魔女を斃すことさね。さくらのことは信用してるよ。だけどだからといって手加減できる相手なんかじゃないさ。結果、佳音の身体を取り戻せなかったとしても……」


無言と、沈黙。


それが全てを物語っていた。


『善処はするが約束はできない』という意味がその場を包囲し、それは即ち佳音の死も充分として有り得ると言うこと。


この無言にはそれが……詰まっている。



「だいじょーび! さくらが絶対かのんのん助ける! ……さくらは【約束の子】だから。絶対に、大事な人は死なせない!」


さくらが時折口にする【約束の子】。これが一体何を差しているのか、誰もが気になるところではあったがひとまず目の前の障害を乗り越えなければならない。


それが総意であるということは、全員で見上げた顔が物語っていた。


「あいつをやっつけるのはさくらに任せて! だからみんなはあいつをやっつけるために協力して! ……それと、ひまわりの帯の魔法が欲しいのにどこ行ったんだろ」


クレインたちはお互いの顔を見合わせたが、誰としてひまわりの居所を知るものはいない。


「とにかく! 見敵爆殺ってことだぁ!」


扇子を広げ、腕を背に振りかぶりふじは魔法に備え、ぼたんはさくらの手を掴む。


「移動はうちにお任せあれ!」


ふじとは真逆の方向に飛んだつばきは番傘を突き出し、「あーしは取りこぼし担当っちゅうわけやね!」と鼻息を巻いた。



「……で、結局」


「わたくしたちが余ってしまうというわけですね……」


きくとききょうは先の一件以来、すっかりセットになることが多くなった。


「行くよ! さくら!」


「うん! ぶっ飛べぇ!」


赤丹あかに!』



その場から消えたぼたんとさくら。そして次の瞬間には遥か上空に吹き飛ばされたクックーの元に出現した。


「なっ!? クレインさくらぁあ!」


カカトから焔を噴き、強力な魔法を詠唱しようとしていたクックーは、突如として現れた二人に一瞬動きが止まる。


その隙をさくらが見逃すはずがない。


『マギ・フオルムレ!』


さくらの雷撃をまとう掌底がクックーの胸に直撃し、クックーの動きが止まった。


「ぐ……雨で電撃が体内に残……るっち……!」


「もういっちょ!」


「がぁああっ!」


二撃目の衝撃に叫びをあげるクックーは、たまらずさくらに向けて腕を払うが、ぼたんの制御下にいるさくらは瞬時にその場か消えた。


「っ気持ちいい! ぼたん、これ無敵かもっ!」


「丁度うちもそう思ってたところさね」


「これならいけそう! けどけど、ひまわりがいないと……」





魔法少女たちの城では、さくらたちの戦いの場を同じく雷鳴が轟き、暗い世界を闇のままにはしない。


その中で血の紅茶を楽しむガルと、カナリーが居た。


「しゅしゅしゅ。大魔女ガル、良かったっしゅか? クックーだけを行かせて。如何に奴が人間をアースにして魔力が飛躍的に上がったとはいえ、クレイン7人に勝てるとは思えないしゅ」


カナリーはクックーのことを案じているのか、面白がっているのか分からないような話を投げかけ、カップソーサーをテーブルに置いたガルは、カナリーの問いに対し一度だけ頷いた。



「ふむ、カナリー。貴方の言うことは尤もですね。今のクックーの魔法力なら、私達の一人を同行させることも他の同胞を連れてゆくことも可能だったでしょう。ですが、彼女は定められた運命を背負っておりますし、なによりもクレインさくらとの決着をつけたがっています。私としては、クレインさくらに大魔女クレインが没したことさえ知ってもらえればいいと考えていたので……」


ニタニタと笑いを絶やさないカナリーに、ガルは観念したように少し笑った。


「ふふ……。いくら魔法力が上がろうとも身体が人間の魔女など魔女に非ず。状況の良いところで死んでほしいと思っておりました。十中八九、クックーは今回で死ぬでしょう。……宿敵クレインさくらの手によって。それは彼女も恐らく本望ではないでしょうか。我々の目的は、あくまで……【金の魔法陣】ですので」


「しゅしゅしゅ。そうしゅかぁ、寂しくなるしゅ……。あのうるさいハエが居なくなるのは」


「彼女はクレインに敗け過ぎました。甦りがあったところで、その実績は覆りません。なにせ、クックーはこの世代のクレインを誰一人として殺していないのですから」



ガルが手元のソーサーを再び持ち上げた時、彼女らのいる食卓の入口に人影が現れた。


「ナナシでしゅか」


「ああ、邪魔だったか」


ナナシは両手に引き摺っていたなにかを長いテーブルに放り投げると、重いなにかが《ふたつ》テーブルの上に落ちた。


「これは……」


「人間だ。お前ら人間に飢えてたんだろ。殺したはいいが、屍をそのままにしておくのは厄介だと思ってな。持って帰ってきた。死体でもいいなら食ってくれ」



《二つ》のそれは、もともとひとつだったものが、二つに切り離されたものだった。


それを少しの間眺めたガルとカナリーは、視線をナナシに移す。


「どういうおつもりですか。私達のために人間など」


「どうもこうもないさ。クレインの奴にひとつ貸しを作ってやろうと思ってな。これはその産物ってこった」


ごくん、とカナリーの喉が鳴る。


ガルは射抜く眼差しでナナシを睨みつけながら、カナリーに「手を出してはいけません」とテーブルの上のものに手をつけないように釘を刺した。


「じゅる……」


「ナナシ。貴方は人間、それに大魔女クレインは死にました。もはや我らのところに居る理由も道理もないはず。記憶がないとはいえ、些か不自然に思っていましたが……人間まで殺してくるとはどういう心づもりでしょうか」


ナナシは刀を柱に立てかけると、地べたに腰を下ろしあぐらをかくとガルを片目で見ながら話す。


「そう言われてもな。悪いがあんたの言う通りこないだ死んだ大魔女のことは覚えていない。幾ら言われたところでしっくりこないのさ。ここに居る理由は俺もわからん。わからんが……」


ナナシは片目で見詰め、喋っている最中で閉じた。


「ここから出ることを考えれば、どうせお前らは俺を殺す。だったらここに居る方が俺にとっては安全……だろ?」


「これは意外しゅ。人間とは他人のために自らの命を投げうつ稀有な存在と思っていたしゅが、どうやらそれは人間全てがそうだというわけではないようしゅね」


可笑しそうにカナリーが言うと、ナナシは「かもねぇ」と同調した。


「理由はわかりましたが、ここに居た所で貴方を生かしておくとお考えですか? ナナシ」


「さぁ? 俺は今死ぬより後で死にたいだけなのかもな。それに、銀雪の影響を受けない俺がいたら《それ》みたく人間を持って帰れるぜ。少ないがな」


クスクスと口元に手を当て、ガルは笑いカナリーに対し「それ、召しあがって結構ですよ。カナリー」と言った。


カナリーは目を爛々と輝かせると、ナイフとフォークを両手に出現させ、肉を切り食し始める。


「おーおー美味そうだな。俺にはそいつの味はわからんが」


「いいでしょう。私は貴方をいつでも殺せますが、貴方と言う人間が面白いとも思っています。戦闘能力も申し分ありませんし、望み通りしばらくは生かして差し上げましょう。クックーなどより、よほど使えそうですし」


ナナシは、眠りにつきながら「どーも」と一言返事をした。





時を同じくして、クックーは怒りに身を焦がし、狂ったように自らを失っていた。


彼女の吐き出す炎は、ふじが放つ暴風に弱まり、時折かいくぐったところでつばきの傘に跳ね返され自らに返る。


それを身体能力や魔法で避けようもききょうの煙魔法で方向感覚を狂わされ、きくの爆撃が襲う。


魔法で迎撃しようものにも、詠唱する隙にぼたんの瞬間移動でさくらに懐に潜り込まれ強烈なダメージを負ってしまう。


クックーの無詠唱魔法も、彼女自身が言った通り強力な魔法まで無詠唱で放てるわけではない。


つまりは『そこそこの魔法』しか使用できないのだ。


そのそこそこの魔法では、さくらたちクレインの連携を崩すのは不可能だった。


袋小路に陥った自らの状況と、クレインたちとさくらに対し憎悪を燃やす形相は、佳音の顔ではあるが人間離れしているほどに恐ろしいものになっていた。



しかし、クレイン達に死角はないといえばそうではない。彼女らの魔力には限界があったし、どれだけ同じことを繰り返してもクックーを斃し切れるほどの決めてにはならなかったからだ。


クックーが強力な魔法を使用するのにそれ相応の時間を要するのは、七鶴に於いても同義。



クックーに致命傷を負わせるほどのダメージが期待できる攻撃魔法は、この状況下では難しいと言える。


クックーを斃すことのできる要が、ひまわりの能力であった。


彼女の帯の魔法は、上級になれば敵を束縛できるものがある。それこそ彼女自身もそれほど強力な緊縛魔法となれば展開するのに時間がかかるが、この連携の袋小路にクックーが脱出できない今であるのならその時間も稼げる。


ひまわりがクックーを帯で捉え、クックーがそれを破るまでの時間。


その時間があれば、さくらは一撃必殺の魔法が行使できる。


この戦いに終止符を打つことができるというわけだ。


「だけどひまちんは来ないし……! ずっとこのまんまだと超怒ってる魔女相手にヘトヘトクレインさんたちになっちゃうっすよぉ~!」


きくが起爆魔法を繰り返し唱えながら泣きごとを話し、隣のききょうも「雨の日は本調子じゃなありませんの!」とやはり自信無さげなコメントを発する。


ふじとつばきに至っては口を開く余裕もないと言った様子で、クックーの動きを制しているとはいえ決して安心できる状況ではない。


そしてそれは怒りに狂っているクックー自信も分かっていた。


「そのままいたずらにあたちを怒らせればいいっち! 貴様らのスタミナが切れた時、出来るだけ苦しむように殺してやるっち!!」


怒鳴り声に僅かな笑いを含んだクックーは早くその時が来ることを願いながら、成す術のないままクレイン達のスタミナが切れるのを待った。


「う~~! ひまわりがいない~!」


この連携は、誰かが1人欠けてしまってもいけない。あくまで6人だから成立している。


さくらが強力な魔法を展開するのに時間をかけてしまうと、その時間をクックーにも与えてしまうことになる。


そうなればただの強力な魔法の使い合いになり、前回の駅前の破壊のような二の舞になりかねないのだ。


誰もがひまわりが来ることを信じていたが、もしもこない場合……恐らく、いや、必ず【誰かが死ぬ】。


クックーに勝てたとしても、全員揃って健在である可能性は絶望的に低いのだ。


「あ、あかん……あーしもう跳ね返されへんえ!」


「ばっきゃろ! 弱音吐くなって!」


「うう、きくりんの火力もだいぶ少なくなってきた上に、魔女さんが慣れてきてらっしゅる!」


「この雨さえなければ……」



それぞれから限界が上がり始め、その状況にぼたんは焦った。


「どうすんさ! 打つ手がないなら一旦離脱するしかないんじゃないさ!?」


さくらも珍しく楽観的な表情ではなく、この状況をどうすればいいか考えている。


しかし、さくらにそんな策が浮かぶはずもなくどんどん限界へと近づいてゆくのみだ。



「ちちち! どうやら貴様ら限界らしいっちな! スタミナなどという制約がある人間に生まれたことを恨むッチ!」


連携が弱まってきたことを体で気付き始めたクックーは、まもなくうち崩されるこの状況に歓喜の笑いを上げ、如何に誰を先に殺すかに思考を巡らせる。


「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すぅうううっち!」


クックーの笑いが、いよいよ高笑いに変わった時だ。


「あ、あかん……! あーし、もう……」


「きくりんもダメだっしょー!」


「おいあんたら……! ぐぅっ!」



連携が途切れてしまった。


ぼたんは「まずいさ! みんなそこから離れるさね!」と叫び、現場に移動しようと前のめりになった。


「ぼたん!」


ぼたんを呼び止めたのは、さくらだ。なぜこの状況で止めるのかと、ぼたんが苛立ちを覚えそうになったのとほぼ同時にそれは起こった。


黄支子きくちなし


連携が崩れ、もっとも体力を消耗していると思われるつばきに向けてクックーの火を纏った刃が襲った、その時だった。


黄色い帯がクックーの身体を締め付け、完全に自由を奪った。


窮地のつばきは目の前に迫った刃が止まったことをほんの一瞬、理解出来ないでいたが、すぐにそれの意味に気付くと後方に飛び退く。



クレイン達全員が、見ずともそれが誰の魔法であるのか知っている。


そして、一同は帯の出所を向いた。ただひとりを除いては。


「ひまわりぃ! そのまま10秒!」


さくらだった。


「うん! さくらちゃん!」


ビン、と張った帯を両手で引っ張りながら、ひまわりが居た。



我に返ったぼたんがすかさずさくらをクックーの目の前に移動させ、クレイン達はその場から離れる。



「な……っ、これは……!?」


自らの自由を奪う黄色い帯。どれだけ身をよじり抵抗しても、まるでほどける気配はない。


無詠唱魔法も、帯の魔法力の展開力が強く焼石に水。びくともしない。


「残念だったねクックー。さくらたちは七人ってことを無視したからだよ、きっと」


「な……なにぃっち!? 貴様、分かってるっちか、この身体を攻撃すると」


「だいーじょび! 心配しないで逝ってね!」


「な、くっそぉ……くそぉお! クレイン! さぁくぅらぁああああああ!」


「はーい、さくらはクレインだよ! ……そして、あなたたちは魔法少女。やっつけなきゃ!」


拳を腰に据え、片方の手で拳を包むようにしさくらは深呼吸をした。


「じゃあね、クックー。ごめんね」


「ごめんね……ごめんねっちだとォオ!? クレインさくらぁああ!! 貴様はあたちが、この魔女クックーがそのはらわたをォオ……!」



『マギ・カーイル……』


さくらが詠ったのと同時にさくらに雷が凄まじい音と光と共に落ちた。


「さくら!」


「わあー! さくらちんにカミナリ落ちたぁああ!」



不測の事態にクレインたちがパニックになる中、ひまわりだけが叫んだ。


「違う!」


その声に全員がさくらに注目すると、さくらの拳に落雷した雷が留まり、バチバチと凄まじい音を立てながらさくらの髪を逆立てていた。


さくらは息を吸い込みながら拳を引き……。


『ギ・オットーネ!』


残りの呪文を詠唱しながら、クックーの胸に拳を打ちこんだ。


「ぎぎぎぃい……がああああああああ!!!!」


さくらの拳から空に向けて落雷するような、強烈な閃光と電撃音が炸裂し、それはまるで葵町全体を包むような強烈さであった。





――戦いが終わり、銀雪が降り止んだ葵町のとある病院。


その一室に彼女らは居た。


中央のベッドを囲むようにして、横たわる半知佳音の姿を見下ろしていたのだ。


「それにしてもさくらちん、よくかのんのんの中のクックーだけをやっつけられたもんすなぁ」


きくが優しい表情で佳音を見詰めながら言う。その言葉に、さくらは指をくわえるとクエスチョンマークを頭上に浮かばせた。


「よもや、自覚してらっしゃらないのですか」


明らかに訳がわかっていないさくらの様子にききょうは驚愕し、思わず声を上ずらせる。


「ああ……それはきっとさくらは無意識にやったことだと思うんよ」


ぼたんがさくらの代わりに語り始め、他のクレインたちはさくらに聞いても仕方がないとばかりに、ぼたんの話に耳を傾けた。


「一度電撃を纏った魔法をクックーに見舞った時に、奴は動きを止めたんさ。まるで心と身体がリンクしてないみたいな……。ほんの数秒だったけど。さくらはそれを見て電撃が佳音とクックーを引き離すのに最善だって本能的に思ったんじゃないかって、うちの予想さね」


「苦笑いをせざるを得ないってやつやな……」


ぼたんの推測に、つばきは言葉の通り苦笑いを浮かべながら佳音を覗き見た。


「結果オーライとはいえ……、よくも上手くいったもんだな。ほんと」


ふじが一つあった椅子に腰を落とすと、呆れたように笑いぼたんが続く。


「本能的に知っているんさ。どうすればいいかっていうのを。きっと、さくらは――」


ふとぼたんがさくらに目をやると、さくらは眠ってしまっていた。どうやら彼女も今回ばかりは相当疲れているらしい。


「このまま魔法少女との戦いが終わればいいのに……ね」


ぼたんはそう呟いたが、内心はそれから先のことも考えていた。


そして、それはクレイン達誰もが思っていることだ。


この先、順調に魔法少女との戦いに勝利したら。



その時、さくらはどうなるのだろう。



どうすればいいのだろう――。



さくらが人間でなく、魔法少女である以上……共存できるのか。さくらが魔法少女だと知った上で受け入れたその時から、誰も口に出来なかった問題。


それは、もう目前に来ていた。


「……あれ、そういえばひまわりは?」


「おりょ? ……ああ、そういえばむふふのふ」


ひまわりがいないことに気付いたふじの言葉に、きくは思い当たる節があった。


それを想像し、きくは笑ったのだ。



「なんだよ、きく。ひまわりがどこにいるのか知ってんのか?」


「ん~~? いいえ~滅相もござーませんですなぁ」


きっとひまわりは玉木きゅんのところに行っている……そう思うと、きくは何故か嬉しい気分になった。





――18時のグラウンド。


夕日の沈みゆく橙色に染まった校舎と、グラウンド。こんなにも朝や昼に見る景色と違うものか、とひまわりは改めて思った。



「……玉木くん、どうしたのかな」


ひまわりは一人、呟いた。


玉木は、確かに18時……銀雪が降る前にここで待っててくれと言った。



しかし銀雪はすでに降った。敵も斃した。


本来19時からの降雪予定だったその日は、もう降るはずはないのだ。


「試合、長引いちゃったのかな」


雨はすっかり止み、大きな水溜りがいくつもグラウンドにでき、夕闇の校舎や空を映した。


それを無意識に見詰めながら、ひまわりは今日の事を想っていた。



「なんだったんだろう……あの夢」


雨の中でナナシと出会ったことを、ひまわりは夢だと思っていたのだ。


彼女があれを夢だと思うのは無理もない。


銀雪と雨が降り、それに打たれながら遭遇したあの出来事。


精神的にも肉体的にも参っていたひまわりが目を覚ますと、なぜか魔力は戻っていた。


――もしかすると、変身できなかったのは精神的な問題だったのかもしれない。


心当たりがなく、変身不可になり。


また心当たりもなく、変身が可能になった。


しかもそれは同日の内にである。


夢と勘違いするのはごく自然なことであった。


朦朧としていたこともあり、ナナシとの話の内容もほぼ覚えていない。


うっすらと滲む黒い人影と、降りしきる雨。そして、変身ができなくなった絶望感だけ、妙にはっきりと覚えている。



それらの感覚は鮮明に余韻を引いているため、ひまわりは改めて自分がどのような戦いに身を置いているのか、そして自分はいつ死んでもおかしくないのだと気付いた。


知っていた。覚悟をしていたつもりだった。


それを思い知らされたから、ひまわりは今をしっかりと生きようと決めたのだ。


彼女は決めていた。


今日、この場に玉木が来たら、想いを打ち明けよう。


なにかを求める訳でも、見返りを期待している訳でもない。


ただ、自分自身に言い訳をしたくなかった。


人として、女の事して、『人を好きになる』という気持ちを。



「玉木くん……」


夕闇が暗闇に変わってゆく。


約束の時間からはすでに数十分が経過していた。


ひまわりは待ち続けた。



やがて校舎が闇に包まれ、門が完全に締め切られてもひまわりは用務員や警備員に見つからないようにして、待った。


これまでの人生で、規則に違反するようなことを自らすることなどなかったひまわりは、背徳感に鼓動を鳴らしながら待った。


きっと、言おう。絶対に、言うんだ。


その想いの強さが、ひまわりをらしくない行動に突き動かした。


「玉木くん……私は、玉木くんが好き!」


何度も小声で練習をした。後は直接言うだけだ。





――だが、玉木が来ることはなかった。





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