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11 名無しのごんべ




クックーを斃した戦い以降、様々な変化が見られた。



ひとつは、葵町駅周辺の崩落事故。一般的なメディアには、尤もらしく理由をでっちあげられているが、実際は謎の崩落である。


ビルの老朽化やずさんな建築……そういったものが問題ではない。


《外部からの攻撃によって破壊され、崩落した》


それが最も有効であり、濃厚な可能性である。


さらにその日は予報にない銀雪が降ったという。


これまで、いくら銀雪の降雪が日本一とは言え、葵町と他の地域で同時に銀雪が降るという事例はない。


それだけに一部からの関心は葵町に集まったというわけである。


そしてミリオンから調査に訪れたはずの、半知佳音の失踪も不可思議な話であると、ミリオン内では非常に議論となった。


結局のところ、落としどころがつかずこの問題は宙に浮いた状態のまま保留となった。


クレイン達にとって身近なことではあるが、一部から注目されているのであって、表立って糾弾されている問題ではないため、これについてはそれほど大きくは考えていなかったのかもしれない。


だがさらにもう一つの変化については、身近なものであった。


玉木 宙の失踪である。


そう、ひまわりが好意を抱いているあの玉木……である。あの日を最後に学校にも来ず、サッカー部にも表れない。


例の試合には見事勝利を掴んだのに……である。


一説では、試合中に怪我をした玉木が気を落とした挙句に行方をくらましたのでは? とも言われたが信憑性と説得力に欠けたため、その線はないとされていた。


翌日には彼の家族から捜査願いが提出され、本格的に警察が彼を捜索することとなり、葵町での玉木失踪は大きな事件となっていたのだ。


玉木の失踪……それは、ひまわりにとっては大きなショックとなった。


最後に呼び出されたグラウンド、やってこない玉木。


なにが起こったのかは分からないが、少なくとも魔女のせいではない。


なぜならば、彼はあの日葵町にはいない。そして、前回のように、葵町と同時にどこかで降ったわけでもない。


玉木は銀雪の影響外……つまり、葵町で失踪したわけではないという説が濃厚であったのだ。



これに心を最も病んでいたのは、……ひまわりであった。





「……ひまちん、元気ないねぇ」


AOIストアのフードコートできくは少し離れたテーブルに座ったきくをみて呟いた。


クレインたちは七鶴そろってここへ来ていた。


議題としてこれからどう戦っていくか? というミーティングとして集まったのだが、七鶴の中で二人……いつもと大いに様子が違う様子だったのでなかなかテーマについての話が進まない。


様子が違う二人の内ひとりは、先ほどきくが元気の無さを指摘したひまわり、である。



彼女が落ちている理由は、いわずもがな玉木の事。


好きな男性が行方不明となれば、心配にならない訳がない。


それにいくら自分に言い訳をしたところで、ここは銀雪降雪と魔法少女の出現が最も多い街。


魔法少女の手にかかったのでは?


銀雪に侵されてどこかで苦しんでいるのでは?



様々な憶測が飛び交う脳裏の中で、結論など出るはずもない自問自答を繰り返している。


「ひま、大丈夫かえ?」



見かねてぼたんがひまわりにタピオカミルクティーを持って話し掛けた。


「うん。大丈夫……私は大丈夫だけど、玉木くんが心配で……」


ひまわりにタピオカミルクティーを手渡すと、ぼたんは彼女の隣に座り「そうさね……」と呟く。


そうしてぼたんは小倉あんクレープの中身をスプーンですくい、独白のように話し始めた。


「うちはオトコって生き物に惚れた晴れたってのはまだしたことないんで、なんもおたくを励ます言葉は持ってないんよ。けどさ、大事な人が急にいなくなったっていう気持ちなら多分……そこそこわかるさ」


ぼたんは母親の事を言っている。それを感じたひまわりは無理に笑おうとするがなぜか上手くいかない。


「無理しないでいいさね。うちもついこの間まで笑うことなんて出来なかったんさ。ゆっくり慣れればいいと思うんよ」


そう言ってぼたんはクレープを両手食いするさくらを見て、くすりと少し笑う。


「それに、さ。ひまの恋人は、生きてるさ。葵町はうちらが守ってるんさね! そう簡単にこの町の人間は死なせたりしないって!」


ぼたんが落ち込んでいる誰かをこんな風に慰めにくるなどとは、これまでなかったことだ。


それは七鶴が手放しで驚いていいほどの変化であり成長であった。


ひまわりもそれは解っている。痛いほど、分かっているつもりだった。


だがひまわりの脳裏には『そんなこと言っても、銀雪が複数で同時に降ったらどうしようもない。実際に前々回は葵町駅のビル倒壊で二人死んでいるじゃない』などと浮かんだ。


ひまわりは必死にそんなことは考えてはいけない。ぼたんの思いやりを踏みにじるようなことを考えてはいけない、とどくどくと溢れる黒い感情を抑えようとするが止められない。


それにひまわりは、あの雨の日……変身できないというだけで、如何に自分が無価値で無力な人間なのかと思い知ったところだった。



そんな状態のひまわりが、たとえ仲間の言葉であっても立ち直れないのは必然的ともいえる。


だから、ひまわりはぼたんの目を見れなかった。


「……まぁ、さ。そんなに落ち込んじゃダメってことさ」


チョコホームランを取り出し、小倉あんクレープの中心に突き刺すと、ぼたんは美味しそうに頬張った。


「こんな時は甘いもんでも食べて気晴らしするのもアリかなって、あのクレープ両手食いしてるオバケに教えてもらったんよね」


「んがむぐむしゃむしゃあ」←オバケ


「うん。ぼたんちゃん、ありがとう。少し、楽になったよ……そうだね! 大丈夫、玉木くんは生きてる!」


無理に笑ってみせるひまわりに、ぼたんは気付かないはずはなかった。だが、ぼたんは「無理するな」とは言えなかったのだ。


この先の戦いは、誰が死んでもおかしくない。


……いや、常にそのつもりだったはず。


しかし、今回の戦いは変化が訪れている。ナナシという男性の魔法使い。


さくらの母、大魔女クレインの死。


三大魔女の内、クックーの撃破。


これだけの材料が揃っている状態で、なにもないはずはない。ただでさえ言い伝えられた【約束の世代】……。


無理をしてでも進まなければ、きっともっと辛い目に会う。それでも自分たちは、七鶴は前に進まねばならないのだ。それを教える損な役回りを、ぼたんが買って出たようなものだった。


その様子を黙って見ていたきく。


それとは別の仲間を、ききょうとつばきが見つめていた。


相変わらずききょうは最も辛いクレープと最も甘いドリンクでバランスを取りながら、隣ではつばきがたこ焼きを食べている。


「ぺっぺっ、ん~葵町にあんまり不満はあらへんけど……やっぱたこ焼きだけは大阪やないとあかんなぁ」


「そうですわね」


口ではそうですわねと言いながらもききょうの視線はふじへと向いており、明らかにつばきの話は上の空で返していたことが伺える。


「……相変わらずやね」


つばきの相変わらずやねの言葉に、ききょうは「ええ」とだけ答え、二人は再びふじを見つめていた。



ふじはひまわりとは逆方向のテーブルに一人で座っており、スマホと手鏡を交互に見ては時折なにかの雑誌を開いて「うーん」や「おおー」と声を上げている。


「まさに天国と地獄やな……」


ふじが手に持っている雑誌は「東京ディズィー・プライマル完全攻略ガイド」。そして、スマホには周辺の口コミ情報や、混雑状況などだ。


そしてふじにはおよそ無縁に思える手鏡を見ては、まつ毛や眉毛を整えたり、唇や前髪などをしきりにきにしている。


ひまわりとは対照的なふじであったが、理由があった。


兼ねてよりふじの恋人・朔と話題に上がっていた東京にある大型テーマパーク。様々な方面から『夢の国』と支持されている。


彼女と朔の間に於ける、件のディスィープライマルは、念願かなってのものだったといえる。


「あっちはあっちで文句言われへんもんなぁ……」


「ええ。わたくしたちはもはやいつだれがリタイヤしてもおかしくありませんことよ。生きている内に好きな殿方と……当然のことといえば当然ですわ」


ひまわりとふじ……。同じタイミングで全く違う問題を抱えてはいるが、その両者共にクレインたちは手を差し伸べることも、止めることも出来ない。


そんな歯痒さを覚えていた。


「……にしてもやで? ききょうはん」


「なんでしょう」


つばきはほかのクレイン達に聞かれないよう、ききょうの耳元に口をもってゆく。


「ふじはんがえろう盛り上がるんは全然ええんやけど、まぁもちろんあんだけ楽しみにしてんねやからディズィー・プライマルも行って来てほしいと思うで? けどやな、ふじはんが不在の時にまた予報にない銀雪が降ったらどないしますん」


「……わたくしたちだけで、と言いたいところですが」


二人は同時に思う。このところの苦戦の様相を。さくらがいなければ全滅していただろうシーンがいくつもあった。さくらに依存する気はないが、そのさくらでさえクックーには苦戦していたのだ。


「ひまわりさんにふじさん……。今や七鶴の誰が抜けても危機的状況を招きかねません。そう考えると、行かせないほうがいい……それはわかっているのですが」


ふじの幸せそうな様子を見て二人は意見が一致してしまう。やはり「言えない」がそれである。


「こういうとき、あのオバケやったらどないするんやろう?」


ちらりとつばきはさくらを見ると、クレープのおかわりをし、またまたがっついているところだ。


「こういうデリケートな問題には向いていないように思いますが……。いたずらに問題を大きくしてもらっては困ります。今回はひとまず様子見ということにいたしましょう……」


つばきは溜息を吐き、「せやな」とだけ返事を返した。





――【特務機関開発局・大和開発チーム】


藤崎の元に佳音が無事だと一報が入ったのは、つい数日前のことだった。


都内の大学病院に搬送され、今のところ意識は回復していないが命に別状はなく、回復は時間の問題だという。


その知らせに胸を撫で下ろした藤崎だったが、すぐに病院に駆けつけられない理由があった。


「この新型の大和はですねぇ、空気中の銀雪を吸収して爆発と共に拡散するんです。まさに銀雪用の決戦兵器といってもいいでしょう」


心なしか嬉々とした様子で新型の雪撃静雷砲 大和について藤崎に説明した。


「そもそも大和は銀雪降雪下に於ける熱源エネルギーを調査する目的と、それが銀雪の原因だと断定出来た場合の破壊を目的としたいわば銀雪に限定した偵察機の意味合いが近い。だがお前の説明した新しい大和はまるで兵器ではないか。それで死人がでたりしないだろうな?」


藤崎の問いに、へへへと笑う開発局の男は「人聞きが悪いですね。藤崎対銀雪責任官長」と言いながら、目の前に鎮座する、どうみても爆弾にしか見えない雪撃静雷砲 大和を見上げて答えた。


「当然、人間に害のない超上空で炸裂させます。あくまで銀雪の消滅を目的としていますので、人間には悪影響はないでしょうねぇ」


藤崎はやや語調を強くし、開発局の男に怒気を孕んだ口調で言う。


「そうではない。もしも、雪撃静雷砲 大和が爆散した至近距離に『人間がいた場合』どうなると聞いているんだ!」


少しの沈黙。だがその沈黙は開発局の男がすぐに破った。


「……ああ、あの『銀雪降雪時の空に映った人影』のことをおっしゃっているんですかぁ? へへへ、まさか藤崎対銀雪責任官長ともあろうお方が、そんな非科学的な事象を鵜呑みになされているとは」


「ああ、信じている」


「へへっ、正気ですかぁ!? あんな空中に生身の人間がいるわけないでしょう?」


「確かに普通に考えるのならそうだ。だが我がミリオンの優秀な人材がその真偽を調査にいき、大怪我を負い意識を失ったまま病院のベッドで寝ている。

 ……ふん、かくいう私も彼女の主張を一笑に伏したがな。だが彼女は何故かそんなひどい目にあった」


「そりゃあ、ご心情お察ししますがね? それとこれとは別じゃあありませんかぁ? 我々技術者はそのようなファンタジーを科学でねじ伏せることが生業でしてねェ」


「私もこの目で見たわけではない。ただ、銀雪で観測される熱源が生体によるエネルギーと酷似しているという点と、記録されたこの人影を無関係と切れるものではないだろう。……君は空中に人がいるはずがない、といったがね」


藤崎は男に近づき、大和を見下ろされながら威圧感を放ちながら続ける。


「例えば君の作ったこのご自慢の大和もほんの百年前には人類の考えられない兵器だった。少なくとも室町時代……500年以上前から降り続いていると言われる銀雪。

 銀雪が降り始めから現在までずっとその熱源が存在し続けていたとしたら……、そしてそれがもし人だったとしたら……君たち科学者にとってはこれ以上ない【面白い研究材料】なのではないかと思うのだが?」


「そんな非科学的な……」


「過ぎたる科学は魔法に等しい。先人たちはそういうだろうな」


開発局の男が藤崎に対しさらになにか食い下がろうとする中、開発局の男の部下が藤崎になにかを伝えに駆け寄り、それを伝えた。



藤崎はその報告を受けとり、なにか言いたそうにしている男に向き合うと「悪いが先に言わせてもらう」、そう前置きを置いて続けた。


「さっき、うちの優秀な部下が銀雪の中に確認された人影について調査にいき、怪我を負い入院しているといったな」


「はあ、それが?」


「いま都内の大学病院にいるのだが、その前はどこの病院にいたのか調べてもらっていた。それが興味深い事に、彼女が調べていた町なのだよ」


開発局の男は、藤崎がなにを言いたいのかわからず、少しのイラつきを垣間見せながら、黙って藤崎の言葉を待った。


「……葵町。銀雪のあと、駅が破壊されたあの町さ」


「ねぇ、新型の大和ってこれまでとなにが違うんだっけ」


砂糖醤油のかかった煎餅を齧りながらミリオンの局内のスタッフが、フリースペースでの談笑中に尋ねた。


「え? キミそんなこともしらなかったのか?! 誇り高きミリオンの局員とは思えない発言だぞそれは!」


「仕方ないじゃないじゃないですかぁ。だって、銀雪に人間の反応を感知してからほぼ全てのシステムの書き換えがあったんですよぉ? 私たちは新しいツールと廃止されたツール覚えるので大変だったんですからぁ」


ふぅ、とメガネの局員は藤崎のそばでよくみる男だった。彼は、メガネのレンズをウェスで拭きながら、やや得意げな空気を漂わせながら同僚の局員に説明する。


「旧型の大和は、あくまで銀雪の根絶のための調査爆弾さ。殺傷能力はないけれど、銀雪に付着し銀雪を溶けないようにさせ、それを回収しようというんだ。だけど君たちも知っての通り、銀雪にはなぞの熱源エネルギーが遥か昔から確認されている。そのエネルギー源がなんなのか、それが一体何なのかを解明しないことには銀雪がなんなのかわからない。そして、わからないということは根絶も不可能。

 だから大和はその熱源に対する調査というのも含まれていた。ただそれは今回、生体である可能性が高く提出され、そのいくつかは人間と同じ生体反応を感知したときたもんだ。

 そこで委員会がストップをかけたのさ」


「そこまではわかるんですけどぉ~、要は新型がどう違うのかを知りたいんですよぉ」


男は「うっ」と、自分の自慢の解説が無駄に終わったことに難色を示したが、気を取り直す。


軽く咳払いをし、『なんか言われたけど全然気にしてないから』感をわざとらしく全身から放出させると、新型大和について話し始めた。


「旧型については今話した内容でキミらも知ってると思う。じゃあ新型はなにが違うか? 結論でいうと変わったのはたった一つさ。爆散した際に生体を傷つけずに捕獲する、新種のアメーバみたいな強い粘膜と粘着性を持つマイクロユニットをばらまくようにしたんだ。それは実に銀雪よりも細かく散布され広い範囲の銀雪に付着し、その周辺で生体があった場合銀雪を介して自由を奪い、地上に向かって墜ちてゆくところを回収しようって寸法」


「へぇ~それってぇ、つまり爆散した際に対象を傷つけるか無傷で捕まえるかだけのものなんですかぁ」


「ま、僕はそう聞いているね」


少し間を置き、男は喋り足りないと言った様子で「だけど、さ」と局員に切り出す。


「まだなんかあるんですかぁ」


「ああ。これがとっておきさ。今言った新型の変更点はあくまで『藤崎司令が挙げた提案』だってこと。上の委員会様様がそれを素通りさせるとは考えにくいんだよねぇ。連中はもしかすると【熱源とされた生体の正体】を知っていて、それを僕らに回収させまいとしているのかも知れない。そうなると、実際の新型は空中に於ける生体を殺傷する……それこそ兵器になっている可能性もある。ミリオンは軍隊じゃなく、あくまで銀雪を根絶する目的の研究機関に近いからね。新型がどういうものかって、説明は受けていても実際どんなものなのかは、爆発してからじゃないと分からない。僕たちには疑う自由も権利も与えられていないのさ。それはもちろん、……藤崎司令もね」


ミリオンの男がヤマトについて得意げに話している一方で、まだ藤崎は開発局の男と居た。


藤崎の言葉に、言葉を失った男だったがその直後に彼の元に掛かってきた電話で彼の表情は一変する。



「はい、はあなるほどぉ……。わかりました」


藤崎の前で電話を切った男は、藤崎の顔を嬉しそうに眺めると、口元を緩ませながらたった一言、放つ。


「どうやら委員会は生体のことはどうでもいいみたいですねぇ、藤崎対銀雪責任官長?」


「なん……だと!?」



「ひひひ、要は『人間であろうが未知生命体であろうが銀雪に紛れて空を飛んでるものは総じて危険』ということがいいたいみたいですねぇ」


いやらしい瞳をメガネの奥から光らす男に藤崎は「どういうことだ」と尋ねる。


「こういうことですよぉ、やだなぁ」


男はいやらしい瞳と笑みでたった今誰かと話していた携帯電話の画面を藤崎に押し付けるように見せた。


【警視総監】


「な……っ!」


藤崎が絶句している様を愉快そうな表情で見た男は、満足そうに頷くと電話をポケットにしまった。


「お前、名前は」


「私ですかぁ? おおっと失礼、入館証が白衣に隠れていましたねぇ」


男がいうように、この施設にいる者全員がもれなく首からさげておかなければならない入館証明。それが彼の白衣に隠れて見えなかった。


男は藤崎に入館証を見えるよう掲げると、自己紹介をする。


厳財寺ごんざいじ あきらといいます。これからも藤崎対銀雪責任官長とは長いお付き合いになりそうなので、ややこしい名前ですがお見知りおきを」


「そうか。では厳財寺くん、知り合った礼にひとつ忠告をしておこう」


厳財寺は「忠告?」と聞き返し、藤崎がなにを言おうとしているのか構えるように、あごを引く。


藤崎はうしろ腰に手を組み、伏し目がちに厳財寺を見据え静かに言った。


「君のようなタイプに『人として』などと人道的、道徳的なことをいくら説いたところで無駄だろう。だから敢えて一言だけ君に置いておく」


「……」


「あまり調子に乗るな」


藤崎の一言に厳財寺はぷはっ、と噴き出しすぐに口を押えると「失礼」と笑いを堪えた。


「まぁ笑っておくがいいさ。この言葉は忠告と言ったはずだ。私が君をどうにかするという意味ではない」


「……そうですかぁ。こう言っちゃなんですがね、ちゃちな脅しは逆効果ですよ? 藤崎対銀雪責任官長」


にやけ笑いを浮かべる厳財寺は新型大和を見上げ、まるで家族や恋人を見るような表情で言う。


「しかし折角の忠告ですから、受け取っておきますよ。この大和に免じてねぇ……ひひ」


「それもいいだろう。忠告はしたぞ、この中身がどのような性能であったとしても発射権限はこちらにあることは変わらない。期待を裏切らないことだけは信じていよう」


白衣のポケットに両手を入れ込み、厳財寺は「わかりましたよ。私の科学者生命に賭けて誓いましょう。間違いなく大和は未知生体の息の根を止めますよ」と自分を見つめ続ける藤崎に向けて言った。


藤崎はそれに対しての返事はせず、開発局を後にするのだった。


開発局を専用の車で出た彼は、後部座席から運転手の部下に行先に変更があることを告げる。


「半知の入院している病院へ行ってくれ」


藤崎の乗った車は、ミリオンの本部へ戻る帰路を変更し佳音の入院する病院へと進路を変える。


窓の外の流れる景色を見ながら、これからを想い藤崎は深いため息を吐くのだった。





カフェ『ドラキュラ』では、ふじが砂糖とミルクを入れたコーヒーをかき混ぜながら向かいに座る朔と話をしていた。


いつもよりも多く笑うふじは、いつものムスッとした表情ではなく、誰が見ても年頃の明るい女の子である。


言葉遣いこそいつもと同じだが、ふじはディズィープライマルのガイド本を広げてあれこれと指を指しながらはしゃぐ。


「うんうん、そうか。じゃあそこに行こう」


「え、ほんとに? マジかよ、超たのしみ!」


朔はやさしく笑みを浮かべながらふじを見ている。


「お? ディズィープライマルじゃないか。もしかしてお二人さん……」


ドラキュラのマスターが二人が座るテーブルにやってきてふじが夢中で語るガイド本を覗き込んだ。


「ちょ、なんだよ伯爵! カンケー無いんだからあっちいけよ!」


「おっと、ふじちゃんつれないこと言うじゃないか。折角、新作のケーキをサービスしてやろうと思ったのに」


そういうとドラキュラのマスターはちらりとベリーソースのかかったチョコレートケーキを見せた。


「わああ……!」


キラキラと光るふじの顔。


得意気に微笑むマスターは、キラキラと目から輝きを放つふじの前にケーキを置き、「近所のケーキ屋に試食してくれっていわれて貰ったから、しっかりと感想を頼むよ」と言った。


「うん、わかった! ……じゃあ、しゃーねーな。教えてやるよ! あたしら二人で行くんだ!」


ディズィープライマルの象徴である大きく屋根の尖った城の写真を指差すとふじは嬉しそうに笑う。


「ほほう……なるほど、ってことは初旅行かい? それはそれは。いつからいくんだい?」


「うっひひぃ~来月だよーん」


「そうかい、そりゃいい。丁度暖かくなりはじめるころじゃないか」


マスターはそういいながら、朔を見ると「じゃあ朔。その日は臨時のバイトを頼むよ」と意地悪な顔で朔に言う。


「え!? それは……」


「ブヮーカ! その日は隕石が降ってきたってディズィープライマルに行くんだからな! バイトなんてやってられっかって、潰れろ潰れろこんな店ぇ!」


「ちょっとふじ! なんてこというんだよ、ダメだろそんなひどい事いっちゃ」


朔は慌ててふじを叱るが、ふじは「つーん!」と口に出して、チョコレートケーキにフォークを刺し口に運んだ。


「うまっ!」


「すみませんマスター。本心じゃないんです、多分……」


ふじに代わって朔が彼女の無礼を謝る。これもまた彼らのお決まりのパターンであった。


「ははは、分かってるさ。それにうちが潰れて一番困るのはふじちゃんだからねー」


「うっせ! 血でも吸ってろって!」


「おお、怖い怖い」


朔は大学進学と同時にドラキュラでのバイトを辞めていたが、こうしてふじとは頻繁に客としてやってきていた。


マスターも二人を見るのは好きであったし、二人もこの場所が最も居心地がよかったのだ。


これまでのディズィープライマルへ行きたいという話は何度もこの店のこのテーブルで話した。


その旅、実現することは難しいのかもしれない……。そうふじに思わせたものだったが、「夏ぐらいに行けたら行こう」という朔の意志を知り、なんとしても行こうと決めた。


「……」


「なんだよ、ふじ……。僕の顔見てないでたまにはマスターに謝りなって」


「……うっせ」


なんとしても行く。それを堅く決めるキッカケになったのは、一度目の光を失ったあの事件。



視力を失い、そしてさくらが命と引き換えに取り戻してくれたこの世界。


あの時、自分が視力を失ったままだったら。


あの時、さくらが本当に死んでしまっていたら。



そのどちらかが現実になっていたなら、ふじはこんなにも本気で朔との旅行を強く望まなかっただろう。


しかし、さくらは元気で、そして今、自分の瞳はちゃんと大好きな朔を見ることが出来ている。


――今をしっかり生きよう。


ふじがそう思うようになったのは、今まで以上に真剣に生を感じなければならない。そう思ったからだ。


いつか死んでしまうことを恐れるよりも、今を。今このときを愛する人と過ごそう。後悔のないように。


それがふじにとっての奇跡を起こしたのだ。


「まさか夏に行けるかもって言ってたのが、春前に行けるなんてなぁ~……」


「うん」


朔は、ふじが行きたがっていたディズィープライマルのチケットプレゼントを実施している懸賞に片っ端から応募していた。


そして、なんと……それ当たったのだという。


「すっげぇ運だな! やっぱ日頃の行いがいい奴は違うねぇ~」


「日頃の行いがいいって……僕の事?」


「たりまえじゃん! しかもホテルつきって、なんつー強運!」


チケットは日付が指定されているタイプのもので、それがこれより一月後だというわけである。



「ほぉ、ホテルつきとは贅沢だねぇ。じゃあ老婆心ながらひとつ大事なことを教えてあげようじゃないか」


はしゃぐふじを見ながらマスターは急に真面目な顔をして、二人の間に顔を近づける。


「な、なんだよ……大事なことって」


明らかに様子の変わったマスターの姿にふじは構えながら尋ねると、マスターは低い声で言った。


「避妊……するんだぞ」


ぷほっ! と口に入れたラズベリーを噴き出したふじと、飛んできたラズベリーを見事にキャッチする朔。


「ななてめ、おまなにを……!」


ろれつが回らなくなるほど動揺したふじに笑いながら、マスターは「大事だぞ? ほんとに」ともう一度釘を刺した。


「大丈夫ですよ。マスター、まだそういうのは僕たち早いですから」


「そ、そうだよ! あたしらは健全な……」


ふじがそう言うとマスターは声を出して笑い、「そのキャラで健全というのは無理があるなぁ」と腹を抱える。


ふじが悔しそうに「うっせ! うっせ!」と顔を真っ赤にしながらケーキを次から次へと口に運び、朔は仕方がないな、といったように苦笑いを浮かべた。


「ついこないだまで子供だったのになぁ」


ひとしきり笑い終えたマスターが、しみじみと二人を見ながら思い出すように言い、コーヒーを飲む朔に向いた。


「コーヒーも飲めなかった子供だったのに、いつのまにかブラックを飲むようになったり、な」


朔が飲んでいるコーヒーはなにも入れないブラック。元々ふじの方しかコーヒーを飲めなかったのに、朔はミルクと砂糖を入れないと飲めないふじよりも先にブラックを好んで飲むようになった。


「ここで働いたおかげですよ……」


大人びた落ち着きが特徴の朔だったが、マスターに大人になったと言われるとさすがに少し照れ臭いようだ。出来るだけマスターと目を合わせないよう努めると、半分まで減ったカップに口を付けた。


「私みたいによぼよぼのジジイは3年や4年じゃなにも変わらないのに、キミら若者は劇的に変わってしまうのだから、それを間近で見られるという意味では長生きはするもんだね」


「マスターはまだまだ若いですよ」


「ドラキュラは血さえ吸っとけば歳取らないんだろー……って!」


朔とふじはそうマスターに話すと、マスターも嬉しそうな表情で頷きながら「邪魔したねぇ」と残し、カウンターへと去っていった。


ケーキに舌鼓を打ちながら、鼻歌混じりにガイド本を眺めているふじに、朔は「あのさ」と切り出した。


「ん、なーに?」


「もしも……だけど」


言いにくそうにしている朔を見て、ふじは再度「なんだよ?」と聞いた。


「来月、ディズィープライマルに行く日と、銀雪予報が重なったら……どうする?」


「――!?」


ふじの鼓動が大きく打つ。


――まさか、朔にバレ……


「銀雪が降ったらとか、なんでそんなこと……」


「いや、言いたくないならいいんだ。ふじは銀雪の日に連絡が取れなくなる理由を絶対に言わないだろ。最初はさ、正直それが不満だった。だけど、ふじにはふじにしかわからない大事なことがあるのかも……って思ったら、なんか関係のない僕がしつこく聞くのも違うかなって思って」


――関係ないとか、いうなよ……。


ふじは心の中で朔に対して呟いたが、当然心の声が朔に届くはずもない。


「前に何週間か音信不通だった時があったとき、あれは僕のせいだったのかなって思ったんだ。だから、僕はふじともっと早くディズィープライマルに行こうって決めた」


朔の言った言葉にふじはハッとなにかに気付き、顔を上げる。『もっと早くディズィープライマルに行こうと思った』というフレーズに違和感を感じたのだ。


「朔、もしかしてチケット……当たったって……」


ふじがそれ以上を言おうとしたのを、朔はチョコレートケーキをふじの口に詰めることで防いだ


「銀雪のことは聞かない。だからふじもチケットのことは聞かない。いいね?」


しばしの間を空け、ふじは黙って一度頷いた。


――朔、チケットが当たったなんて嘘なんだ。自分で買ったんじゃねぇかよ……。


「だから、さ。聞いておきたいんだ、もしも……」


「行くよ」


「え?」


朔が話している途中でふじは答えた。


「その日だけは、絶対にいく。絶対に絶対に絶対だ! 朔とディズィープライマルに行く!」


無責任な発言だった。


そんなことが許されるはずはないし、他の七鶴にこんな相談をすることもきっと許されない。


だがふじはどうしてもこの日だけは行きたかったのだ。



例えどんなことが起ころうとも、朔との時間・思い出を作りたかった。


……奇しくも、ふじとひまわりの思考は同じところにあったのだ。


好意を寄せる異性。愛する恋人。


対象との距離は違うものの、この先の戦いいつまでその命があるのかもわからない。


その状況だからこそ、いつが最後の時になるかもわかないのだ。



だからこそ……ふじはなんとしてもその日だけは行きたいと願った。残酷な偶然が起こらないことを祈った。


その代り、その日さえ叶えば思い残すことは無い。死んでも、後悔はしない。


ふじはそこまで覚悟をしていた。


「ごめん、朔。朔の言う通りあたしは銀雪の日にはいつも絶対に外せない大事なことがあるんだ。朔にだけはそれを言いたい。言いたくて言いたくて仕方がない。だけど信じて……。

 あたしは朔のことが好き。大好きなんだ! 絶対に裏切らない……。言えないことばっかりだけど、朔はあたしのこと、信じてくれるかな……?」


数秒、いや十数秒。


朔は真剣な眼差しでふじを見詰めた。


「……うん、信じるよ。信じる。ふじは僕の大事な人だから」


ふじの瞳から一筋の雫が流れ落ちた。


「……ふじ」


朔はふじの名前を一度だけ呼ぶと、それ以上はなにも言わずハンカチを手渡した。


ふじもまた無言でそれを受け取ると流れ続ける涙を抑える。


「絶対に行こう。一生忘れられない思い出に……さ」


「うん、行く……、朔とディズィープライマルに行く」



ふじの脳裏に先ほど朔がマスターに言った『まだそういうのは僕たち早いですから』という言葉を思い浮かんだ。


――朔にだったらいいかな。


朔を想う鼓動の高鳴りとは種類の違う高鳴りがふじを包んだ。





佳音が目を覚ますと、無機質な天井が広がっていた。


すぐにはそこがどこなのか理解は出来なかったものの、体の自由が利かないことだけはすぐにわかった。


拘束されている訳ではなく、自分はベッドに寝かされている。それは直感として気付いたが、身体が動かないのは動かせないのではなく、指先を動かすだけで体中に激痛が走るからである。


「ぁう!」


佳音の身体に走る激痛は、怪我や神経によるものではない。例えるのなら強烈な筋肉痛のようなものだ。


「……半知?」


眼しか動かすことの出来ない佳音には誰がそこにいるのか確認出来なかったが、その声でそれが誰なのかはピンときた。


「藤崎……司令?」


「良かった、気が付いたのだな。看護師を呼ぶ、少し待て」


身体を動かすと全身に走る痛みの理由は分からないが、自分はとにかく入院している。それを自覚した佳音は、覚えている記憶まで遡って見るが、どうも記憶がぼんやりとしており上手く思い出せない。


「司令……なんで私は入院して……」


「覚えていないのか? ……そうか」


佳音の記憶をあてにしていた藤崎はトーンが落ちる。


銀雪の真相に辿り着くのではないかと期待し、佳音の回復を待ったが収穫がないのでは仕方がない。……藤崎はそのように割り切ると、素直に部下の無事を喜んだ。


「すまなかったな、半知。危険な目に合わせた」


「いえ……。それにしてもなんでこんなに身体が痛いのでしょうか」


「全身の筋肉が極限的な疲労を起こしているらしい。一週間ほど横になっていれば次第にそれは治ると聞いている。一体どんなはしゃぎかたをすればそんな肉体疲労を起こすことが出来るんだ?」


少しからかうように藤崎が佳音に尋ねるが、佳音は宙に浮いた返事を漂わせ、最後に覚えていることを思い出そうとしていた。


「わたし……確か、KickKickとききょうさんと葵町駅のカラオケで……」


うわ言のように呟きながらゆっくりと記憶を辿ってゆく佳音の言葉に、藤崎が反応した。


「葵町駅だと!? お前はあそこにいたのか?」


「え? はい、紅い銀雪が降って……それで……」


「ほかになにを見た? なにを覚えている!?」


「黒い……服の……ううっ」


記憶を遡り、それから先を思い出そうとした佳音に頭に強烈な痛みが走り、思い出すことを拒んだ。


「紅い銀雪……だと?」


それ以上のことを聞こうと藤崎が佳音に近づくのと同じくして看護師が部屋に入り、意識を取り戻した佳音に対して処置をし始める。


「藤崎司令。そろそろ出ないと、まもなく【委員会】から呼ばれている時間が……」


「……そうか、わかった」


看護師に呼びかけられ力なく返事をしている佳音を背に、藤崎は病室を去ろうとするが部屋を出る間際、ひとつだけ気になったことを佳音に投げかけた。


「半知、銀雪の中にいたのはお前の思う少女だったのか」


藤崎の問いに看護師が注意を促す中、藤崎ははっきりと見た。佳音がベッドで一度頷いたのを。


それを見届けた藤崎は部下と共に外へ出ると、部下にKickKickについて調べるように指示を出し、それと併せて佳音が口にした『ききょう』という名前についても調査するよう命じた。


「葵町の少女、駅ビルの破壊、それと紅い銀雪……か。分からないことだらけだが、お前の働きは決して無駄にしないからな」


佳音を想いながら藤崎は車に乗り込んだ。





ナハティガルの城は広い。


部屋の数もあまりに余っている。眠りを必要としない魔女らは基本的にはほとんどの時間を食卓のあるその場所で過ごしていた。


ガル、カナリー、そして死んだクックー。


人数が減ったところでそれは変わらない。ただ、減った代わりに増えた者もいた。


「帰ったぞ、ほら人間だ」


テーブルに乗せられた肉の塊。それを見たカナリーがややげんなりし様子で彼に言う。


「ナナシ、人間を持ち寄るのはいいしゅが、殺す前に羽根化させなければカナリーたちは食べにくいしゅ」


「贅沢を言うな。俺は人間だからな、銀雪を降らせる力はない」


ナナシがそのように言うと、ククッと小さく笑う声が漏れた。


「なんだ、なにがおかしい」


「なにがおかしい……ですか。おかしいのは貴方のほうですよ、ナナシ。貴方はクレインたちと同じ存在のはず。ならば銀雪を降らせることはできるはず」


「わかっていないようなので言い直そう。物理的に振らせることが出来ても、それによってクレインの連中が現れ人間を持ち帰れないだろう」


「しゅしゅしゅ、クレインたちがやってくる……。そんなものお前が相手をすればいいだけしゅ。奴らの攻撃をかいくぐり人間一人くらい持ち帰ることは出来るはずしゅ」


「なるほど、クックー。お前の言うことも尤もではある。だがそれをしないのは、俺の勘が言っているからだ」


血のティーカップをかちゃりと鳴らすガルはナナシに「勘?」と聞き返した。


「そうだ。お前達の言うように俺は人間だからな。人間の悪意には鼻が利く」


「人間の……悪意ですか。圧倒的な数を有する以外に人間には私達と対抗する力は持たないと思うのですが」


「甘いな。甘いさ、魔女ども」


カナリーがナナシの物言いになにかを言おうとしたが、ガルがそれを止めた。


「じゃあ、俺はこれで。次は銀雪を降らせた時にでも狩ってきてやるよ」


そう言ってナナシは奥へと去った。



「……気味の悪い人間しゅ」




広い城ではナナシが休む部屋もあった。


下級魔法少女が城に入ることは許されず、実質的に魔女であるガルとクックー、それとナナシしかこの巨大な城に住んでいるものはいない。


だがナナシの動向は、ガルによって筒抜けであった。ナナシもそれを自覚していたし、それに対して不満に思うこともなかったのだ。



ナナシがガルらの元にいる理由。それは彼自身ここを去る理由がないからである。


大魔女クレイン……お鶴との記憶を失っているナナシは、その記憶を欲することはなかった。思い出してしまうことが恐ろしいからである。


恐らく、全ての記憶を思い出した時、ナナシはナナシでいることが出来なくなる。


言ってみれば本当の彼は【与作】であるのだが、【与作】が自分の中に戻れば今いる【ナナシ】が消えてしまう。



数百年ぶりに人間としてこの世に再び生きるナナシはもはや【与作】とは別の存在になっていたと言っていい。


そんなナナシは、ここにいる代償として時折人間を殺しては城へと持ってきているのだ。


「自分が……何者か、か」


思い出すのが恐ろしい……としたが、実際のところは違う。ナナシはガルらにそう言っているだけだ。


本音をいうのなら、彼には彼自身が何者であるかすら興味がない。関心すらもない。


それをごまかすために『恐ろしい』と言っているに過ぎない。


クックーやガルに唯一誤算があるとするのならば、ナナシのこの感情だろう。


自分の正体、自分の命に興味が無い生き物が理解できるはずもないからだ。


ナナシは潜在的に、ガルらの思うそれを知っていた。


だから今の自分がここにいるのだと自覚していたのだ。そして、彼自身が持つ色彩魔法。これはガルらに与えられたものではない。


……お鶴によって付与された、過去の力なのだ。


「おめぇがいない世界には興味がないんだとよ、与作はよ」


ナナシは誰もいない暗い部屋で壁にもたれ掛けながら、自分自身にそう言いきった。


自分の中にいる【与作】の存在を感じていたナナシは、瞳を閉じ眠りについた。



眠ろうと瞳を閉じる度、ナナシの目からは涙がこぼれる。彼の意志とは無関係にだ。


ナナシ自身はその涙の理由は検討がついている。これはきっとお鶴の死を悲しむ与作の涙なのだ。


いつか自分と与作は一つの存在になるのだろうか。


それすらも今の彼には興味の無い話であった。


ナナシが眠りについた頃、食卓ではガルが魔力で描いた図を見ながらひとり、なにかを考えているようだ。


カナリーはナナシが持ってきた人間を喰い終わり、ステッキの手入れをしている。


「……カナリー。我がナハティガルの同胞の数はいかがなものでしょうか」


「もう随分と少なくなったしゅよ。全盛期に10万はいたナハティガルも400ほどしゅ。金の魔法陣を破ってもカナリーやガルは問題なく息名が得られるしゅが、下級ナハティガルの滅びは逃れられないしゅね」


カナリーの話を無反応、無表情で聴きながらガルは空中に描いた地図と計算式を睨みながら、一人で納得したように頷く。


「想定はしておりましたが、ついにその時ですか」


ガルの「その時」というフレーズに、リラックスしていた様子のカナリーは椅子を鳴らして反応し、食い入るようにガルに眼差しを向けた。


「その時……!? ついにやるしゅか、ガル!」


「ええ、クックーも死に、同胞も少なくなったこの滅びの危機。我々の総力を結集し、金の魔法陣を破ります」


「しゅしゅしゅ……そうっしゅか……! いけ好かない奴だったしゅが、クックーの弔いもしてやるしゅ……」


「金の魔法陣を破るためには、クレインさくらの抹殺が必須です。我々以外の下級ナハティガルから魔力を集め、プルンネーヴェの吹雪を降らせましょう」


表情を変えないガルと、歓喜に染めるカナリー。


決戦は目に見えて近づいてきていた。


大魔女となったガルは、その場で全てのナハティガルに対して神経電波を敷き、直接演説を始める。



「わが親愛なるナハティガルの同胞たちよ。私は大魔女ガルです! このままの状態が続けば我々ナハティガルが滅ぶのは時間の問題……。この窮地を脱するためにこの大魔女は決意しました。『次の戦いで全てを終わらせる』と! そのためには少なくなってしまった貴方達、親愛なる同胞から魔力を借り広範囲、及び高密度のプルンネーヴェを降らせ、大魔女ガル直々にクレインを屠り、人間どもを恐怖の底へ叩き落とした上で金の魔法陣を破壊。人間界に侵攻して凡そ500余年で溜めた積年の憎しみと殺意、そして人間の持つ全てを支配する為に、今立つのです!」


ナハティガルの地。


黒い花が揺らめき、灰色の瘴気が漂う中、ところどころに歩いている魔法少女たちは、新しい大魔女の声明を聞き、なくしかけていた人間への憎しみに吼えた。


「金の魔法陣を破壊し、人間界にプルンネーヴェを降らせる地に制限を外し、いつでも好きなとき人間を好きなだけ食すことのできる理想の世界を!

 魔女クックーが死を賭して繋げたこの好機を決して逃してはならないのです!」


「プルンネーヴェ! 大魔女ガル! プルンネーヴェ! 大魔女ガル! プルンネーヴェ! 大魔女ガルゥウウ!」


至る所からガルを称える歓声が響き、魔女の壷に魔力が蓄積してゆく。


「しゅしゅしゅ……【魔女の壷】にどんどん溜まってるしゅ……! 魔力を貯蔵する魔女の壷なんて何百年ぶりに使うしゅかぁ?」


「実に680年ほどまえです。あの時は空の河の民に対して行い、結果滅ぼしました。今回は圧倒的に魔力量が少ないとは思いますが、用途がプルンネーヴェの生成ならば問題なく吹雪を起こせるでしょう。時間にすれば……2時間ほどは持つでしょう」


「しゅしゅ、充分しゅなぁ……!」


ぶるる、と震えを一度させると今自分に起きた武者震いにカナリーは笑った。


「いよいよしゅ、いよいよカナリーたちが人間を狩り尽くすっしゅね……!」


黙って頷くガルに、もう一度カナリーは震えた。





――静かな日々が続いていた。


驚くほどにあっさりと一日は過ぎ、それが折り重なってゆくのに、日常はなんの変哲もない。


葵町駅が破壊され、佳音の身体を支配したクックーが復活し、大魔女クレインが死んだ。


更に謎の魔法使いナナシが現れ、クックーが二度目の死を迎え、謎の兵器大和の開発を巡りミリオンが暗躍する。


それだけの怒涛の展開があったのにも関わらず、まるで最初からなにもなかったかのようにゆっくりと、日々は平和に過ぎ去ってゆく。


ひまわりはその間、一度たりとも玉木を忘れることは無かったが、玉木が学校に再び現れることはなかった。


玉木の捜索はさらに続き、連日ワイドショーやニュースをにぎわし、専門家は葵町駅で起こった謎の倒壊事故と銀雪の降雪を無理にこじつけ、的外れなコメントを出している。


事実関係は確かに無関係ではないが、理論が狂っている。


眺めているテレビの前でぼたんが呟いた。チョコホームランが今日は少し湿ったような味がする、とぼたんが思ったころききょうは慣れないPCを操作していた。


KickKickの録画を何度か繰り返し観たあと、Kick-YOのポーズを取っているのを爺がほほえましく見ているのにも気付かない。


つばきは大阪の友達と通話料も気にせずに思い切り電話で話した後、母親とも1時間ほど話した。


実家から持ってきた小さなたこ焼き焼き器で、ひとりたこパをしたが思うような味が出ずに、ソースをいつもよりも沢山つけて食べた。


きくはききょうが自分の配信録画を見ているとも知らず、今日もKickKick配信をし、その最後でしばらく配信を休むことを発表し、必ず帰ってくるよとPCの向こう側にいる1000人ほどの視聴者に笑って手を振った。


さくらは甘味処ミサワで抹茶ボルケーノにがっつき、料金を勝手にぼたんにツケると、口直しに抹茶オブリビングデッドを食べ、幸せそうな顔を浮かべていた。



それぞれの日々が過ぎてゆく中、ふじは朔と共に念願のディズィー・プライマルに訪れていた。


他の七鶴からの許可と承諾はもらっている。


全員が温かい笑顔で「思いっきり楽しんできて」と見送ってくれた。



黄色いクマの乗り物や、ネズミやウサギやアヒルに犬……色々なマスコットが園内ですれ違う度に手を振ってくれたり、一緒に写真を撮ってくれたりする。


初めての朔と二人っきりの旅行に、ふじは満面の笑みで応え、今日が世界の終わりであっても後悔しないほどに、ふじは今ある幸せを噛み締めた。


ディズィー・プライマルで過ごした日は美しく輝くほど、快晴だ。


これまで過ごしたどんな時よりも、ふじは笑った。


これまで過ごしたどんな時よりも、朔も笑った。



おとぎ話やアニメなどのメルヘン世界に迷い込んでしまったのかと思うような、西洋の大きな城。洋館の中のジェットコースター。園内の大きな湖を往く海賊船。


とにかくありとあらゆるアトラクションを遊び尽くし、ふじが思っていたよりももっと、それよりもっと。


もっともっと夢のような時間。


今を生きようと決めた彼女だからこそ、誰よりもその時を楽しんだ。


そして、朔もそれに気付いていた。


「わああーー! すっっっげぇええ楽しーー!」


ポップコーンが散りばめられたソフトクリームを頬張り、ふじは園内の広場にあるベンチに腰掛けた。


「めちゃめちゃはしゃいでるね、ふじ」


「ったりまえじゃん! ……朔は楽しくない?」


「……」


無言になる朔に突然不安になったふじは「……朔?」と問いかけると、朔はいつのまにか購入していたらしいウサギの耳型のカチューシャを頭に装着し言った。


「そんな風に見える?!」


うさ耳の朔にふじは一瞬動きが止まり、すぐにお腹を抱えて爆笑し始めた。


「すっげぇーー! ディズィー・プライマル! 朔をこんなキャラにするなんて! はっはっははは!」


「へへへ、恐るべしだね。ディズィー・プライマル」


朝からノンストップでディズィー・プライマルを楽しんだふじは、空に散らばり飛んでゆくカラフルな風船を眺めた。


「……来てよかったなぁ、ほんと」


「うん」


カラフルな風船が飛んでゆく。その空はいつのまにかオレンジ色の太陽に染められ、その太陽も名残惜しそうに沈んでゆく。


「今日が終わっちゃうな……」


寂しそうに呟くふじの横に座る朔は、珍しく自分から距離を詰め、ふじの手を握る。


「また来よう。ふじ」


「朔……」


少しの沈黙。


そんな沈黙が苦手なふじはすぐに堰を切ったように話し始めるが、朔はそんなふじを黙って見詰めた。


「でさ、明日のお昼はさ駅横の坂道喫茶でパンケー……」


出来るだけ朔の顔を見ずに話していたふじだったが、真っ直ぐに自分を見詰める朔とつい目が合ってしまった。


「……」


そしてふじも朔に釣られて再び押し黙った。


溶けかけたソフトクリームを持つふじの手を掴み、朔はふじに唇を重ねた。


「ん……!」


頬を真っ赤にし、目を見開いたふじはすぐにぐっと瞼を強く締める。


キスとは目をつぶってするものだと、自覚したからだ。



朔は静かに唇を離すと、やさしくふじに笑いかける。


「初めてのキスは、ディズィー・プライマルって決めてたから……その、嬉しい」


ふじが素直な気持ちを朔に告白すると、朔はふじに笑いかけながら「僕もだよ」と言った。


恥ずかしいのと、嬉しいのと、とにかく幸せな気持ちがふじの全身を包み、ふじは俯きながら溶けてゆくソフトクリームを真っ赤な顔で見つめ続ける。


「ふじ、約束してくれる? また一緒にここに来るって」


「……え?」


再び朔の顔を見たふじは、違う意味で鼓動が強く叩く。


優しく笑っていたはずの朔が、真剣な表情でふじを見ていたからだ。


「朔?」


「ふじ。最近ずっと、生き急いでる感じがする。ふじがなにか無理をしているなら、少しでも助けることができるならどうか僕に言ってほしいんだ。今のふじを見ていると、さ……。まるでもう会えなくなるから今を一生懸命生きているようにしか見えないんだ。

 僕の思い過ごしだって思いたいけど、ふじは絶対に教えてくれないよね。だから言わなくていい。ただ僕ができることだけを言ってくれればいい。これまでは僕の都合で会えない日も多かったけど、これからは……」


朔が話を続けるのをふじは遮り、ふじは涙を溜めて朔を真っ直ぐに見詰めた。


「ありがとう……朔。朔がそんな風に言ってくれて、あたし……超うれしいよ。きっとまた来よう……」


「きっとじゃなくて、絶対……」


ふじは笑った。


「朔がやっとちゃんとあたしを見てくれたな。これであたし、めっちゃ頑張れるって!」


「ふじ」


「大丈夫! もう会えないなんて、絶対そんなことないから! 絶対の絶対だって!」


朔は無理に笑うふじを強く抱き寄せ、溶けかけたソフトクリームが地面に落ちた。


「こう見えてもふじのことを一番分かっているのは僕なんだぞ」


「……」


「このままどっかに行っちゃおうか?」


「ディ、ディズィー・プライマルって本当にすごいよね……。好きな人のキャラまで変えてくれちゃって、しかもあたしがずっと求めていた……夢に見ていたキャラ変してくれるなんて、マジぱねぇっす」


朔を抱き締め返しながらふじは涙を流し、朔の想いを受け止めながら言う。


「でもやっぱりそれじゃ朔らしくないや。朔らしくないよ」


もう死んでもいいと思った。


ふじは、今日この日を満喫し、朔との時間を過ごした。


だから、もう死んだっていいと思ったのだ。


――なのに、今はこんなにも生きたいと思ってる。朔とずっとずっと、一緒にいたいって思ってる……!


「朔……あたしさ。あたし、戦ってるんだ」


「え? 戦ってる?」


「なにと戦ってるとか、どこでとか、なんで戦ってるのとか、どれもなにも言えないけど。いつか隠す必要も無くなった時、全部全部朔には知ってもらいたいんだ。その時は受け止めてくれるかな……」


「……」


「これが、今私が言える精一杯のこと。これ以上話しちゃうと、きっと後戻りできなくなっちゃう」


「……ふじ」


「だから信じてほしいんだ、朔。あたしは絶対にまた戻ってくる。朔がいるから、朔がまた一緒にディズィー・プライマルに来てくれるって言ったから」


ふじの問いに朔は力いっぱいの抱擁で答えた。


「信じる。信じるさ、ふじ。だってふじは今までに一度だって僕に嘘を吐いたことが無い」


朔はふじの耳元に口を近づけ「だろ?」と尋ね、ふじはそれに無言で頷く。


「朔、朔ぅ……」


泣きじゃくるふじを強く抱き締め、朔は何度も頷いた。



藍色になった空からそんな二人を嘲笑うような赤い雪がひらひらと舞い落ち、ふじがそれに気付いたのは空が真っ赤になってからだった。


「紅い……銀雪……?!」


「な、なんだこれ……!」


ディズィー・プライマルに訪れていた客たちはたちまちパニックになり、誰もが逃げ惑う。


「うわあ! 銀雪だああ!」

「みかちゃん、こっちに来なさい!」

「銀雪ぃ! 予報になかったぞ!」


様々な悲鳴が飛び交う中、ふじは紅い銀雪を見上げる。


「これは……ききょうときくが言ってた……」


「ききょう? きく?」


ふじはしまったと口を抑えると、すかさず「あたしのツレだって! それよりも早く屋内に……」と言った時だ。


「わああっ! ディズィーキャッスルが!」


客の誰かがディズィー・プライマルの象徴である西洋の城を模したディズィーキャッスルを指差して叫んだ。


その声に釣られて振り向くとディズィーキャッスルに斜めのヒビが入り、ゆっくりと滑り落ちてゆく。


ディズィーキャッスルは、ディズィー・プライマルのどの場所からでも見えるように設計されており、夜になり花火が打ちあがるとどこからでも目立つ。


そのディズィーキャッスルが、何百人の目の前で崩落してゆく。


「ふじ、逃げよう!」


「う、うん……!」


朔に手を引かれて走るふじはこの状況に気が気ではなかった。


――なんでディズィー・プライマル? 偶然かよ……そんな、わざわざあたしが来ている日にそんなことが……。


予報もない。葵町でもない。しかもわけもなく城を破壊。なにがどうなっているのかふじには予想もつかない。


ただひとつ確かなのは、確実に今、あの『男の魔法使い』がディズィー・プライマル内にいるということだ。


「ママぁ~! ママぁ~あ~!」


紅い銀雪が降りしきる中で風船を片手に泣いている女の子がいた。


場内の客たちはみんな我先に逃れようと女の子を気にすることもなく逃げ惑っている。


ふじは女の子に気付き、朔に先に行ってもらおうと口を開こうとすると、


「ふじ! 先にどこか屋内に逃げるんだ!」


「えっ!? だって朔は……」


ふじの言葉を最後まで聞かず朔は真っ先に女の子の元へ走り寄り、抱き上げる。


「朔……」


自分の危険など顧みず、女の子を救うために走った朔の姿を見たふじは、根本的なものを垣間見た。



――人を助ける思いにクレインだとか普通の人間だとか関係ないんだな。


戦う覚悟をしていたふじ。いつ死んでもいいと思っていたふじは、目の前で自らの命すら顧みずに誰かを助けようとする朔を見て、強い眼差しに火をともした。



「朔! 絶対に帰ってきて!」


「あたりまえだろ、……旅行はまだ明日もあるんだから」


朔はより近くにある屋内施設に走り、ふじもまた近くの屋内施設へと走った。


朔の姿が見えなくなったところで、ふじは人目につかないトイレの個室へと駆け込むと、誰もいないことを確認すると、チョロ松を呼んだ。


「百花……繚乱っ!」


この紅い銀雪の中に必ず『あの男』がいる。ふじは確信していた。


「ここに奴がいるのが偶然だろうと必然だろうとどっちでもいい。ぶっ潰せばいーんだろ!」


紅い銀雪を見上げるふじはこの紅い銀雪のどこかにいるナナシをここで食い止める決意を固め、扇子を広げた。


「いくぜチョロ松!」


ふじが今まさに空に向かって飛ぼうとした時、空からなにかの塊が一つふじに向かって降ってきた。


「なんだ!?」


反射的にそれを避けたふじはナナシが飛ばした爆撃系の魔法かと思い、距離を離した。


だが降ってきたそれは爆発することもなく、思い砂袋が落ちたような音と共に硬い地面に転がった。


「なんだ……?」


ふじがそれに近づこうとした瞬間、微かな魔力が空から自分に向かって飛んでくるのを察知し、扇子の風で自分自身を後方に飛ばし躱した。


ギンッと太い金属がめり込み、それが刀であると認識するのに時間はかからなかった。


そして同時にそれが【ナナシの持つ刀】だという確信にもなり、ふじを構えさせる。


地面に突き刺さった黒い刀の握りの上に黒い煙とも炎ともつかない気体が現れ、すぐにそれははっきりと型どりナナシの姿となる。


「お前が……男の魔法使い【ナナシ】」


「ん、初めて会うクレインなのに俺の事を知っているのか。えらく有名になったものだな」


長い黒髪から切れ長の瞳を覗かせ、殺意も悪意も敵意すらも感じられないナナシに対し、ふじは口に表せない気味の悪さを感じた。


「俺はどうもクレインと戦う気が起こらなくてな。殺されるのはそこまで嫌ではないのだが、殺すのはどうも気が進まない。だが俺の主人がそれを許さなくてね、仕方なく違う方法で戦線を離脱してもらうことにした」


ナナシはふじを一切見ずに話を続ける。


「肉体的に殺すのと精神的に殺すのと同じだろうと言われればそうなのかも知れないが、俺の手で女を斬ることを考えればまぁ、及第点というところか」


「お前さっきから何を言ってんだよ! 戦う気がないならどっか行け! ディズィーキャッスルにとんでもないことしやがって!」


「ディズィーキャッスル? ……ああ、あの城か。ちょっとひびをいれて驚かすだけのつもりが、思ったよりももろかったのでね。あれで気を悪くしたのなら謝ろう」


ふじの背筋に寒いなにか走る。同じ人間と話している気になれなかったからだ。言葉が通じ、会話は成立しているのに、この男が一体なにを言っているのかがわからない。


「何を言ってんだよ……!」


「やれやれ、お前はさっきから「何を言っているんだよ」とばかり俺に聞くな。俺はお前の聞いたことを答えているだけなのだが」


「あたしの聞いていることに答えているだけだったら答えろよ、お前なにしにきたんだ!」


ナナシは静かに刺さった黒い刀を引き抜くと、その刀身を見詰めながら呟く。


「お前達クレインは魔具に名があるそうだな。ならば俺のこの黒刀にも名前つけるべきかな」


「なにしにきた! 戦いにきたんじゃないんなら帰れよ!」


ゆらりとした動きで眺めた黒刀を下ろしたナナシは、この日初めてふじを見た。


「……?」


自然に強張る体。戦いたくないとは言っているが、敵の言葉を信じる訳にはいかない。


それは戦闘の基本だ、と自分に言い聞かせながらいつどんな攻撃が来てもいいようにふじは扇子を全開に開いた。


「言っただろう」


「だからなにがだよ!」


黒刀で地面に転がっているそれを指し、感情の読めない瞳でふじを見詰めながら。


「クレインを精神的に殺しにきた、と」



パターゴルフに近い動きで黒刀を軽く振ると、ゴロゴロとそれがふじにむけて転がってゆく。


「わけわかんねーって! なんだよ!」


ふじがそう言って転がってくるそれから逃げようとした時、転がってくるそれがなにかふじは分かってしまった。


「御鶴木ひまわり……だったか、あの時はそんなつもりじゃなかったのだが、どうやらお前達クレインは《こういうことをする》と精神に重大な傷を負うのだと知った。……ああ、そうだ。御鶴木ひまわりにも言っておいてくれないか、おそらく御鶴木ひまわりは玉木が生きていると思っているのではないかと思ってな。尤も、お前にそれを伝える精神的余裕があれば……だがな」


ふじは手に持っていた扇子を落とした。


「それにしてもお前達クレインは人間に正体を知られてはいけないのではないのか? 御鶴木ひまわりの時は、正体が知られたがために変身不能になったのを助けてやろうとやったが……。今回はそうではない、事実、今お前はそうやって変身しているからな」


今まで散々避け続けていたはずのその【塊】に、よろよろと歩み寄っていくふじの様はさながら夢遊病のようでもあった。


「俺がその男の前に立った時、そいつは関係のない子供を庇いながら俺を見て言った。『ふじに手を出したらお前を殺してやる』と。そしてこうとも言ったな。『ふじの戦いは自分の戦いだ』とも。もしかしてこの男も俺と同じ色彩魔法を使うのかと思ったが、ただの人間だった。実に呆気なく死んだ」


頭や肩に紅い銀雪が積もってゆく。だがふじはそんなことなど構わずしゃがみこむ。


「おっと、些か喋り過ぎたな。ナハティガルの奴らとは会話にならないからどうやら退屈していたらしい。俺の話を聞いてくれて感謝するよ」


目の前に転がる【朔】を持ち上げたふじは胸に抱きしめ、無表情のまま滝のように溢れる涙で【朔】の頬を濡らした。


「……もはや会話もままならなくなったようだな。読み通りだといえば読み通りではあるが、些か寂しさすら感じるな。もう戦いの場でお前と会うこともないだろう。せいぜい最後の日まで生きてくれ」


ナナシがその場から消えた直後、ふじの変身が自然と解け紅い銀雪も止んだ。


放心状態で【朔】を抱きながらただ泣いているふじの元に、朔が救った女の子が走り寄る。


「これ……お兄ちゃんにあげる」


そう言って手に持った風船を置いて走り去っていった。



今のふじの心を覗こうとも、なにも見えはしない。なんの感情も、どんな気持ちも、脳内に巡る想いも。なにもなかった。




――ふじの心は完全に壊れてしまった。






魔法少女の城に帰ったナナシは部屋に抜ける通路で、カナリーに声をかけられた。


「……そんなものが効果あるものかと見ていたしゅが、えげつないことしゅるっしゅ」


そういいつつもカナリーは愉快そうな顔をしていた。


「そうだな。やることの残酷さはお前らの比ではないのかもしれない。人間というものは」


「しゅしゅしゅ、まるで他人事のような言いぐさしゅな。お前がやったのに」


ナナシは通路で立ち止まりながらも柱にもたれかかって笑っているカナリーには見向きもしない。


「それにしても便利しゅな……お前の紅いプルンネーヴェは。カナリーたちナハティガルはプルンネーヴェの降雪下でないと人間界では活動出来ない上に、あれはナハティガルたちを人間に目視されないためのヴェールの役割もしているっしゅ。だけど人間にプルンネーヴェを降らせるのを予測されるのが欠点。降らせるのに魔力も使うしゅからね、突発的に降らせるのはリスクを伴うんしゅ。それに比べて紅いプルンネーヴェはヴェールの役割のみを残し、降らせるのに魔力もいらないから人間に予測もされない。これでカナリーたちナハティガルが活動できればまさに完璧なんしゅがねぇ」


「そうなんでもお前達に都合よく出来ていないのさ。それに俺が死ねば紅い銀雪を操る者はいなくなる。せいぜい大事に扱ってほしいものだ」


カナリーはナナシのその言葉には笑わなかった。


「調子に乗るなよ、人間が」


カナリーの声は怒りと敵意に染まり、顔つきも獣のように変貌している。


「……鳥化しかけているぞ。完全に鳥化した姿は俺にだって見られてはいけないんじゃないか?」


「これはこれは忠告痛み入るしゅ。……ともかく、お前ごときがいなくともカナリーたちナハティガルは遅れを取ることはないということしゅ」


「覚えておくさ」


そう言い残し、ナナシは部屋へと向かった。


「ガルにはカナリーが報告しておくしゅ」


「ああ」


カナリーと話したあと、ナナシは部屋に戻ると定位置に座り込んだ。


目を開けたままナナシは物思いに耽り始めると、さきほどのふじの顔を思い出した。


喪失感。すべてを失ったという悲しみに染まった顔。


ふじのあの顔を見たナナシは、それを愉快だとも不愉快だとも思わなかった。心に何の動きもない。


ならばなぜあんなことをしたのか。


自分に問うが答えは出なかった。


――違う。答えがでないというのは俺のいいわけだ。本当は分かっている。人間味のない、人道を外れる外道を往くことで、《与作》が自分に戻ってこないようにしているんだ。


ナナシにはほとんどの感情がない。いわば彼の復活はある意味失敗だった。


ガルは与作を生きたまま保存し、そして今再び覚醒させたつもりであったが、人格は新しく形成されたものが生まれてしまった。


魔力によって眠らせたため、本来の与作の魂や人格は死んでしまったのかもしれない。その器を埋めるために魔力が生んだ人格なのかもしれなかった。


つまりナナシは、与作であって与作でない。全く別の存在。


身体は与作だが、中に入っているものは別物。……のはずだった。



大魔女クレイン……お鶴の死で彼の感情とは全く別のなにかが叫び、涙を流させた。


あの時、確かに体内に残る《与作の魂》を感じたのだ。


その《与作》が間違ってもしなさそうなこと。全く彼の性格とは逆の、冷酷で残酷なことをし続けることで与作を完璧に封じようとしているナナシがいた。


自分が消滅する恐怖。


この【恐怖】こそが唯一ナナシにある感情であった。



そして、城に帰ればなるだけ早くに眠る。夢を見たことがないナナシは、眠ることは効率的に時間を消費する術。これがなければナナシは与作のことと自分の消滅についてばかり考えてしまうからだ。


そのように考えれば、彼もまた弱い人間なのかもしれなかった――。





ナナシは白い世界にいた。


彼は夢を見たことがない。つまりこの世界は彼が生まれて初めてみる夢の世界。


だがそんなことを知るはずもないナナシは、これが夢だという自覚はなかった。


「ここは……? 銀雪の降雪下か?」


真っ白な世界は、目を凝らせば真っ白というわけではなかった。


吹雪く雪の空、確かにプルンネーヴェの降雪下ではあるが、本当の雪も混じっている。その二つの白い雪が世界を白くしたのだ。


時折うっすらと見える木、岩に積もったのか様々な形の雪がそこが白い空間ではなく、確かに存在する世界だということを知らせた。


「俺はどうしてこんなところに」


それだけ激しく吹雪く世界で、なぜかナナシには一切影響はなく、不自然に彼だけが白い世界ではっきりとしている。


白の中に真っ黒な装束のナナシだから余計に目立つ。ナナシは半ば誰かに会うことを望みながら、歩みを進めた。



その歩みすらも、雪の影響を受けずまるで乾いた土の上を歩くが如く軽快に足が運ぶ。


ナナシ自身もそれを不思議に思いつつも、その世界を探訪するかのように歩きまわった。


歩けば歩くほど景色が変わる。尤も、こんな状況であるから目を凝らさなければ景色が変わっていることに気付かないが、それでも同じところではないことだけは分かった。


ナナシは不思議とこの目を凝らさねば変化に気付かない白い世界を往くのが苦痛ではなく、むしろ気分がいいとさえ感じていた。


足は軽く、歩むごとに前に進んでいる感覚が何とも言えずに心地よかったのだ。



「……あれは」


やがて歩き続けるナナシの目に、空を飛ぶ何かが映った。


「鳥か?」


他の景色と同じく目を凝らすと空を飛んでいるそれが次第にはっきりと見えてくる。


「……あれはナハティガルか」


一見して人間に見えるその姿は、着ている服の奇抜さですぐにナハティガルだと分かった。


だがその姿にナナシは見覚えがない。


「白いドレス? 今あんなナハティガルがいるのか? 下級ナハティガルではなさそうだが」


ナナシの耳に……いや、耳ではなく感覚的に直接空飛ぶ白いナハティガルの息遣いが聞こえてきた。


ゼェゼェと苦しそうな呼吸。間隔の近い忙しない鼓動。


空遠くに見える白いナハティガルの息遣いなど聞こえるはずなどなかったが、なぜかナナシには聞こえたのである。


「えらく、苦しんでいるようだな」


ナナシがぽつりとつぶやき、見ていると白いナハティガルは次第にフラフラと飛行を不安定にさせ、今にも落ちそうになっていた。


真っ白な景色の中、高く飛んでいたはずのナハティガルはみるみるうちに高度が下がり、雪の積もる白い木々にぶつかると呆気なく墜落する。


ナナシは特に何かを思った訳ではなく、ただなんとなく落ちたナハティガルの方角へと歩いていく。


やはり雪や風に足を取られたり、阻まれたりすることもなくすんなりとそこまで辿り着いた。


ナナシの足元で倒れているナハティガルは桜色の髪をした、見覚えのない顔だった。ただ、これまで彼が見たどのクレインよりも気高く、美しい。


なにか言葉を交わしたわけでも、触れ合ったわけでもないが、一目見てナナシはそのように感じた。


その感覚にナナシ自身も少し戸惑いはしたが、このようなことがあるのもまた人間なのかとやや強引に自らを納得させる。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


かぼそくさえずる苦しそうな息遣い。


それに対してなにかをしてやろうとは思わなかったが、ナナシはひとまずそのクレインを城まで連れ帰ったほうがよさそうだと、彼女の頭を持ち上げようとしゃがみこむと手を伸ばした。


「なんだと……」


予想外の出来事に思わずナナシも声を出した。ナハティガルの後頭部に手を差し込んだはずなのに、触感がまるでない。


しかもそれは触れてすらもいない。


……ナナシの手は、ナハティガルをすり抜けていた。


「俺は……霊体にでもなったのか」


自らの手を凝視してみて、初めて自分の身体が少し透き通っているように見えるのに気付いた。


この景色に吹きすさぶ雪や、何十センチにも積もる雪に影響されない自分について思考すると、すぐに合点がいった。


「なるほど……。ここで俺は実体がないのだな。ということはここは精神世界ということか? それとも魔女どもになにかされたか?」


見るからに間違いなくナハティガルである少女を見ながら、もしも魔女たちの仕業であるのならこのナハティガルに自分が見えないようにする意味も分からない。そう思ったナナシは、更に深く考えるようになってゆく。


「私はこんなところで倒れるわけには……。ナハティガル存続のため……に」


「ナハティガル?」


彼女の発した『ナハティガル』という言葉で、やはり目の前の少女がナハティガルであることに確信を得たナナシではあったが、見覚えのない……つまり『魔女』ではないこのナハティガルが、存続のためになにかが出来るのかは疑問であるとナナシは思った。


「人間を、確保しなければ。人……間……を……」


目に見えて魔力が薄まり、儚げになってゆく少女の姿はゆっくりと鳥の姿になってゆく。


『ウォン! ウォン!』


ナナシが振り返ると、一匹の犬が倒れている少女の元へと走ってきた。


「……あれは」


なんとか薄く瞳を開いた鳥の姿をしたナハティガルの少女は、わずかな魔力を絞り出そうと力む。


「鶴……か」


鳥化してしまった少女の姿は鶴の姿だった。真っ白な体に黒い首と足、力なく倒れているのに凛々しく見える彼女は、なんとか人間の姿になることだけは辛うじて出来た。


しかし、よほど弱っていたらしくさきほど着ていたドレスまでは再現出来なかったらしく、裸の少女の姿だった。


『おい! お前さん、大丈夫か!? 生きてるか、しっかりしろ!』


近づいてくる犬の鳴き声と、男の声。ナナシは何故かこの男の声に聞き覚えがある。


男が少女を発見し、慌てた様子で駆け寄ってきた。


「おい、生きてるか! おい!」


そう叫びながら男は少女を抱き抱えた。


ナナシは、少女を抱き抱えた男を見てその場で固まり、微動だにせず見詰めるのみだ。


聞き覚えのあるのも無理はない。


目の前で裸の少女を抱き抱えて呼びかけるその男は、ナナシと同じ声をしていた。


声だけではない。背格好、顔も全く同じである。ただ違うのは髪の長さと着ているもののみ。


……それは、ナナシそのものであった。


「与作……」


ナナシはすぐにピンときた。


自分と全く同じ外見のこの男は、自分自身と同じ存在。『与作』である。


同時に自分が今、どこにいるのかもようやく理解ができた。


ナナシがいるこの場所は、500年以上前の葵村。与作がここにいるということは、その少女が誰であるかもわかった。


「与作と、大魔女クレイン……ということか」


そう、桜色の白い少女は若き日の大魔女クレイン。自らの手をかけたナハティガルの女王である。


ここは出会いの地。


大魔女クレインと与作が出会った、歯車が動き始めた最初の日であった。



「……ならばなぜ俺はこれを見させられている?」


ナナシの疑問の言葉と共に場面が万現鏡を転がしながら覗いたように景色が変わる。


空や吹雪く雪、目の前の与作とクレイン。


それが一度小さくバラバラに砕けた後に再構築され、全く違う色の景色に変わった。


真っ白だった景色は、一瞬でカラフルに色を取り戻す。


空は青く、木々は青く繁り、風は温かく吹き、小鳥が会話をしながらそれらの枝で羽根を休める。


足元の草たちに混じり黄色いたんぽぽが咲いている。


一瞬にして美しい春の風景に変わり、感情が極端に欠落していたナナシの心にほんの少しではあるが、小さな刺激を感じた。


……『ほんの少し』という表現がやや大げさであると思うほどの僅かな、針の先でつついたかのような刺激。


それはナナシの心を動かすほどのものではなかったのもの、息を呑むほどの美しい景色は、ビルや人工物の溢れた現代では簡単に見られないものであった。


「……」


それでも無意識に瞳は景色を追った。


「……ッ!」


無意識に景色を追ったのは、与作としての記憶がナナシにそれを見せているからなのか。


それともナナシの潜在意識が与作の記憶を追いたかったのか。


それはわからない。


だが、ナナシの目の前には大きな一つの桜の木が佇んでいた。


一面が桜景色……というわけではなく、たった一本の大きな桜の木。


淡く、呼吸を吸い込み、景色の中で鎮座するその桜は世界のあらゆる景色の中で最も美しいものだった。


それが錯覚なのか、確信なのか。そんなことはどうでもよく、ナナシの心は一気に全てさらわれてしまったのだ。


ほんのわずかな針の先の刺激。針の尖端、爪で引っ掻いたよりも細く、それよりもやや深く。


そんな些細な傷があったから、ナナシにその言葉を吐かせるまでの感動を与えたのだろうか。


それは誰にもわからない。わからないが、とにかく……ナナシは生まれて初めて、その言葉を吐いた。



「……美しい」



言葉と一緒に溢れ出しそうなほどに全身を巡る電撃。


初めて見たはずの壮大な景色の中で、ナナシは人間らしい感情の芽生えを体験するが、与作の記憶が自らに戻ってくることを恐れているのと同じ理由で、その美しい桜にすら恐怖を感じた。


「違う、これは……俺は……こんな」


自らを否定する言葉。自分を確定させたくないという弱さ。


……そう、ナナシは弱い。弱く脆い存在なのだ。


目いっぱい振り回しておもちゃを壊してしまう子供のような……そんな、儚く脆い存在。


「ほれ、お鶴。これが桜だ」


ナナシが自らの感情とのせめぎ合いをしている時、不意に与作の声が聞こえた。


振り返るとナナシの背後に、クレインの肩を支えながら目の前の桜を指差す与作がいた。


「わあ……すごい……! とても綺麗だわ、与作さん」


「なんだお前、桜を見たことがないのか?」


クレインは潤んだ瞳と紅潮した頬で桜を眺め、温かい風に吹かれて舞い踊る花びらに息を呑んだ。


「私は、この世界のことをこれまでなにも見ようとはしてきませんでした。こんなにも美しいものがあるなんて……。もしも人間がいなくなっても、この桜は咲くのでしょうか」


「どうかな。なんとも言えないがね。でも人間と自然は共存している。俺達は山や川から恵みを貰い、山や川のものがよりよい環境を作るのも人間さ。どちらかが無くなればどちらかは生き残れないんじゃないか」


――人間がいなくなれば自然は自然のままでおれるのか。


そんなことをナナシは考えたこともなかった。


ただ自分が存在した瞬間から、人間もナハティガルも自然も人工物も、ごく普通に当たり前の者としてあった。


それらはなにかがかけても存在するものだと思っていたし、それは不確定な永久なのだという確信もあった。


桜髪のクレインは少しだけ張ったお腹を擦りながら春の風を感じ、愛する人と一緒にいる時間を噛み締めている。


「例えば実のなる木。実がなりすぎると木の栄養が実に奪われて枯れてしまう。猿や鳥、昆虫や人間がそれを間引くから共存ができている」


与作は方言の訛りがキツイ言葉で話すが、自然とそれはナナシの耳にすんなりと入ってくる。


それがある意味でナナシと与作が元々同じ存在である象徴であるとも言えた。


「木々や風、海に山……。それもみんな無くなってしまったとしたら人間も住んでいられませんね」


クレインの表情は、ナナシの知っている『ナハティガルの顔』とは程遠いものだ。【ナナシとしては初めて】見るその顔は、なぜか……というより、やはり愛おしく見える。かけがえのない、ものとして。



「お鶴、俺はお前さんが何者であるかは知らん。でもお前さんが何者であってもいいんだ」


「……え?」


ナナシはボロボロの、何度も縫い直した着物の胸元から与作がなにかを取り出すのが見えた。


それは小さな木の実。


与作はそれをクレインの目の前に掲げ、口に入れた。


意表を突かれたクレインだったが、すぐに頬張らせて奥歯で噛みポリポリと篭った音を鳴らした。


「……おいしい」


「そうさ、俺達は自然に生かされ、そして自然が生きるための助けもしている。お鶴と俺もそんな存在でおりつづけたいもんだ」


春の風。自分は透明なのだから身体を透き通っていかねばならないはずなのに、ナナシは全身で風を受け止めていた。


無意識の中で頬に流れ落ちた涙を吹き飛ばしてほしい、そんな想いが詰まっているように、顔いっぱいで風を受ける。



「あの桜はきっと、支え合って生きてきた私達へのご褒美なのですね」


「そうかもしれないな」


「私は生涯、今日見たあの桜を忘れることは無いでしょう」


「そうかな。きっと来年もまたその次も、毎年見れるだろうさ」



与作の言葉にクレインは無言で笑みを返した。


「どうしたお鶴。何故泣く」


見つめ返した与作の目に、お鶴の頬を濡らす涙が映った。本当ならばこれは幸せの涙だと思うところだが、与作の目にはそれだけであるように見えなかったのだ。


「私はこの日を忘れないよう、この子にあの花の名前をつけましょう。きっと強い子になります」


「あの花……桜、『さくら』か。おお、そりゃあいい! 葵村にも花の名前のおなごは多いからな! いいな、さぞかわいい娘になるだろう。……ん、でもおなごが生まれるとは限らんな」


「女の子ですよ。私にはわかりますもの」


与作は鳩が豆鉄砲を喰ったような顔でクレインを見たが、すぐにそうかそうか、と笑って頭を撫でた。


「与作さん、私と約束してほしいことがあるのです」


桜の花が風に飛ばされて吹雪のように毎踊る。緑と青と淡い桜のコントラストがまるで千切り絵のように鮮やかで、悠久の時を感じさせる。


「約束? いいぞ、なんでも言え」


「いつか、この地を脅かす脅威がやってきます」


脅威という言葉に驚いた与作は、「脅威? そりゃあ物の怪かなにかかい」と聞く。


「ええ、そのようなものです。そして、私自身も物の怪の一種。貴方や葵村のみなさんの優しさと温もりに触れ、私は禁忌を犯してしまいました」


クレインの涙は止まらなかった。それに呼応するように、ナナシの涙もまた、止まらない。


「お鶴が物の怪……だと」


「最後まで聞いてください、与作さん。私のせいで葵村は脅威に晒されることになります。私に出来ることはふたつにひとつ……。

【葵村のみんなを守る】か、【葵村以外のみんなを守る】こと。与作さん、貴方と葵村のみんなを守ることを選べば、きっと私達はずっと一緒にいることが出来ます。ですが」


「みんなを守ってやってくれ。俺らは気にすんな」


クレインの話を全て聞くことなく、与作は言った。


クレインは思わず「え……」と戸惑ったが、与作はそんなクレインの肩を抱くと声を上げて笑う。


「俺はな、思ってたことがあるんだ」


「思っていたこと?」


「ああ、そうだ。春が過ぎて暑い夏が来て実りの秋を迎え、耐える冬がやってくる。それでまた桜の春がくる。こんな毎日をな、みんなが過ごせればいいって思うんだ。だけどそれは俺らだけじゃあない、全ての子供とおじいにおばあ、そして若い連中。もしもお鶴、お前にそれができる特別な力があるんだったら、迷わずそのために使うがいいさ」


泣き顔のままクレインは与作の言葉に笑い、静かに頷いた。


「それでお鶴、約束とはなんだ?」


「……いつか、この子が生まれたら貴方達を護るために育てます。きっとこの子にはそれが出来るほど強靭な魔力を有するでしょう」


『魔力』という言葉にピンときていないようすの与作だったが、物の怪だということを踏まえて霊力のようなものだと自分自身の中で納得させ、続きを聞いた。


「出来る限り大きな結界を張り、葵村以外の土地に魔女たちの侵攻を来ないように勤めます。……ですが、余りにも広範囲なので日本全土を完璧に守ることはできないかもしれません……。そして、その結界が限界を迎える時、『さくら』が人間を守るために現れます。その時、葵村のみんなだけは『さくら』を人間……いえ、【友達】として迎えてほしいのです」


「なんだ、そんなことか。任せろ、葵村のみんなは強い。例えどんな物の怪が襲ってきたとしても平気さ。戦ってやる、『さくら』と一緒にな」


ずっと笑っていたクレインは、更に幸福そうな表情で与作の胸に顔を埋めた。


「私に出来る【恩返し】は、金の魔法陣で『結界』を張ること。『さくら』が生を受けた恩返しは、【みんなの為に戦うこと】。私達に生きる悦びをくれてありがとう……与作さん」


もはやここまで来れば与作の理解を超えた話であることを、クレイン自身も自覚していた。


だが今はそれでよかった。いつかかの時がやってきたときに、ほんの少しでも思い出してくれれば……と。



あとはきっと、未だ見ぬ娘『さくら』がやってくれる……。


まだ生まれてもいない娘に、クレインは全てを託していたのである。


「お鶴、だったら俺とも約束だ」


与作はどこまで理解しているのかはわからない。だが与作はクレインに対し、自分からも約束を持ちかけた。


「約束……なんでしょうか。与作さんのいうことならなんでもききます」


どんな約束がくるのだろう……。正直なところクレインは不安だった。


一方的な約束をしたためた挙句、敵が攻めてくる未来を予言した後だ。彼が何を言ってくるのかわからない。


「お前が何者で、これからなにが葵村や俺を襲ったとしても……どんな酷いことが起こったとしても、お前と俺は夫婦だ。どっちが先に死んでも、離れ離れになっても、お鶴は俺の嫁さんだ。約束できるか?」


与作の胸の中で、クレインは声を漏らして泣いた。


「……いいのですか? 私は……私は……!」


「いいもなにも、お前次第だ。約束できるのかできないのか言え」


桜の花びらが踊るように二人の周りを囲み、日差しがクレインの魔力を奪う。


ここは本来彼女がおれる世界ではなかった。


なのに、こんなにも愛おしく世界は回っている。


憎まなければならない、捕食するだけだった世界は、彼女に取ってかけがえのない世界になった。


そしてそれを彼女はこう宣言するのだ。


「ずっと、ずっと私は……貴方の妻です!」


与作とクレインをずっと眺めていたナナシは溢れる涙を止めることが出来なかった。


止めようとしても止まらない涙は、足元に水溜りを作りやがてそれは広がったかと思うと湖になった。


湖の水面は鏡のように空を映し、いつのまにか桜に囲まれた桃色の世界になった。



「やあ」



唐突な声に振り返ると、そこには与作とクレイン……それに一人の少女が立っていた。


「……まさか、俺に話し掛けているのか」


与作はナナシの問いに笑って頷いた。


「お前たちは俺を、俺という存在を奪いにきたのか!」


声を張ったナナシの再びの問いに今度はクレインが頭を振った。


「さくらたちはね、あなたを迎えにきたんだよ」


与作とクレインの中央で二人と手を繋いだ、桜色の髪の少女が言う。


「迎えに? 馬鹿な、殺しにきたのだろう。この俺からこの身体を……」


「違うさ。お前は俺達の家族だ。だから迎えに来た」


「家族……だと!? ふざけるな、俺は名前を持たない『ナナシ』だ! お前達のような『名を持つ確かな存在』と同じにするな!」


ナナシが与作に怒鳴りつけると、クレインが優しくナナシの頬を撫で、愛おしそうな瞳でナナシを見詰める。


「かわいそうに……ずっと一人だったのね」


「一人? ああ、そうだ。俺はたった一人、唯一の存在! この身体を渡してたまるか!」


ナナシはクレインらを振り払おうとしたが、身体が動かない。


なぜかと足元を見ればさくらが抱き付いていた。


そして、彼を包むように与作とクレインがナナシを抱き締めている。


「やめろ! 俺は……俺はぁあ!」


「名前がない、といったな。なら俺がお前に名前をやる」


名前、というフレーズに一瞬ナナシの身体が止まった。


「名前……だと」


「そうだ。お前の名前さ」


自分は与作と同じ存在。だから、この状況も与作が自らを取り戻すための起こした幻だと思っていたナナシは、彼の言っている意味を理解できなかった。


「俺に名前を与えるということがどういうことがわかっているのか……?」


「ああ、お前は俺とは違う。違う存在なのだろう? ならば名前があれば自他ともに認める【与作とは違う存在になれる】ってわけだ」


ナナシの心がざわついた。


「俺の……名前」


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