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12 キミを忘れない




有史上、最も大規模な銀雪予報がなされた時。


七鶴の状態は最悪だった。


朔の死で心が完全に壊れてしまったふじと、消息を絶ったまま家族ごと葵町から引っ越してしまった玉木に死を予感したひまわり。


彼女もまた精神を正常に保つことができず、殻に閉じこもったままであった。


救いなのは、今日まで銀雪予報がなかったということ。だがそれも長く続くはずもない。


テレビやメディア、そして世間……日本全土を騒がせたメガトン級の銀雪予報。


予報の段階で降雪予定日の3日前から葵町には避難勧告がなされ、予報は警報になりつつあった。


そして、降雪予定日は3日後。


葵町にはほとんどの住民が離れた。七鶴たちの家族も本来ならば戦いのサポートについてやりたいところだったが、自分たちの存在が町にあることで戦いの妨げになってはいけないと、他の住民と同じく批難に従いこの町にはいなかった。


即ち、この日は七鶴だけしか葵町にいない。


しかも実質的な戦力はふじとひまわりを除いた5人。大規模な降雪ということは、つまり魔女クラス……ガルとカナリー、そしてナナシが強襲することは考えるに難しくない。


「まさか、まわりを潰しにくるとはね」


5人だけの空間でぼたんが誰にともなく呟くが、誰一人としてそれに対して口を開かない。


静かな部屋にぼたんがかじるチョコホームランの音だけが響いた。


5人になってしまった七鶴の中にどんよりと暗い空気が立ち込め、心なしか湿度もじめついているようにも思える。


それはいつも天真爛漫で明るいさくらに関しても同じだった。普段ならば空気を読まない明るい発言で、反感と共感を同時に得ていた彼女だが、今回ばかりは様子が違った。


膝を抱え正面を睨んで、ただただ押し黙っているその顔は怒りに満ち満ちていたのだ。


「……とはいえ、このままですと結果は見えていますわ」

ききょうもまた神妙な面持ちで口を開いた。


以前、ひまわりときく、それにさくらが戦線から離れていた時にも感じた窮地。


あの時も諦めかけた雰囲気が漂っていたが、さくらを救いたいというさくらの気持ちになんとか戦う意思ができた。


だが今回はそのふじが戦うことができない。そしてひまわりも同じ状態だ。


二人とも前回と違うのは、戦えない理由が【怪我】によるものではなく、【精神的】な問題であると言うこと。


いくら仲間である自分たちが必要性を説き、励まし慰めたところでなんの意味もない。


それほどに心を壊していた。


おしゃべりなきくも玉木の死はさすがに堪えているらしく、一言も発しないまま。


怒りを露わにしているさくらと、この状況でどう戦うべきか思考を巡らせているぼたん、ぼたんと同じくなにか天啓が降りてこまいか考えをやめないききょう。


そして、つばき。


「葵町に来て数か月でこんな状況に二度もぶち当たると思わんかった。せやけどな、こない状況やけどあーしはちょっと安心してんねん」


「……安心」


ききょうがつばきの言葉に引っかかり、聞いた。


「うん、安心や。安心っていうかホッとしてるっちゅうか……」


きくとぼたん、ききょうがつばきの言葉に耳を傾ける中、つばきは続けた。


「あーし、さ。大阪におって、これまで戦いと無関係なところにおって……。そんで自分が戦うべき戦士やったって知ったとき、嬉しかってん。戦うのも死ぬのもめっちゃ怖いけど、心のどっかにあった『自分の居場所はここやない』っていう想い。それのでどころと、同じ境遇で戦うあーしの知らん仲間がおるってこと。

 でもな、戦うマシーンみたいな連中やったらどないしよ。あーしなんか急に仲間に入ったところで絶対邪魔もの扱いされるわって思った。だから死んでもいいってなくらいの覚悟を持って葵町にきたんや。

 実際は、あーしが思ってたんとは大分ちゃうかった。ききょうはんもきくはんも、みんな普通の女子で、あーしとなんも変わらへん。みんな苦しんで、怖がって、それでも戦って……。変わらへんって思ってたはずやのに、いつか「この人らめっちゃ強いひとなんやなぁって」


「そんなこと……」


『そんなことない』とききょうが言おうとしたがそれを自らの意志で止めた。


「あーしな、遅れてたぶんめっちゃくちゃ頑張って追いつこうと思ってん。みんなが戦ってきた中、普通の生活しておいてすぐに追いつこうやなんて都合ええけど、取り戻したかってんよ。

 あーしはあーしなりにがんばってきたつもりやねん。でもまだまだみんなには届かんくて。魔女が現れて、強い敵もバンバン現れて。状況はどんどん変わってさ、みんなが人間味を無くしてまうんちゃうかって。

……けどな、みんなちゃんと人間やった。血の通った人間。魔法を使えて、変身できてもあーしらは人間やねん。大事な人を亡くしたことに悲しめる。立ち止れる。……人間やねん」


「……」


ききょう、ぼたん、きく、さくらは黙ってつばきの話を聞いていた。


普段からおしゃべりでノリがよく、関西弁が人懐っこいつばきの独白は、彼女の想いの中に隠れされていた孤独と劣等感を垣間見せた。


「安心してるっちゅうんはもちろん、ひまわりはんやふじはんが人間らしいっていうこともある。せやけど、それだけやないねん」


「それだけって?」


はじめてさくらが口を開いた。表情は怒りの表情のままではあったが、つばきに投げた問いかけの口調はやわらかかった。


「……人間は立ち直れる。やりなおせるんや。あーしが、そうなように」


つばきは強い想いを言葉に込めた。そのせいで口調に固く強い意志が宿り、彼女らにもそれが感じられたのだ。


「つまり、二人は復活する……」


ききょうがつばきの言いたいかったことを代弁し、ぼたんもうなずきはしなかったが、そのまなざしでつばきに同調していることが見てとれた。



「ちょっといいっすか?」


きくが手を挙げ発言する意思をみせ、ききょうたちはきくに注目する。


きくはうつむき加減で目元を隠しながら、手を下ろすと立ち上がった。


「復活するのを期待するのは勝手っすけど、ひまとふじはもう勘弁してあげてほしーんすよねぇ」


きくの言葉に場にいた誰もが無言になる。誰も聞かずして彼女の言いたいことを理解しているからだ。


「朔ちゃんとふじりんに関してはみんな知ってると思うんす。いちゃいちゃ幸せビィームがうざいときもあったけど、みんなあの二人が羨ましいなって。普段口も悪くてガラも悪くて態度も悪いし下品だけど」


「いいすぎさね」


ぼたんの一言に誰かと誰かがくすりと笑う。


「だけどだけど、ふじりんにとってこの世界はきっと……朔ちゃんだけのものだったんすよ。いつか戦いが終わったら、思いっきり朔ちゃんと遊ぼうって!」


きくの話に誰も口を挟まない。誰もきくのこんな姿は見たことがないからだ。


「ひまだって! ……ひまがずっと玉木きゅんが好きだって、きくりんだけが知ってた! ひまが戦ってばかりの自分に、普通のJKじゃないから玉木きゅんのことを好きになっちゃいけないって自己中なこと考えてたことも知ってる! その玉木きゅんが、魔法少女のせいで死んだんすよぉ!? ひまはきっと『自分のせいで死んだ』って思ってる……。

きくりんにはとても「ひまのせいじゃないよ」って言えない。だってきくりんたちは玉木きゅんを救えなかった! ビルで下敷きになった人たちも助けられなかった! なのにきくりんたちがひまになんて声をかけられるっすかぁ?!

 そんな辛い想いをしている二人の復活を期待するなんて【残酷】なこと、きくりんにはできないっすよぉ……」


「せやったらどないするんよ! 誰も救えんとあーしらで戦うんかいな! あーしはな、守りたい人がぎょうさんおるねん。おかんも、大阪の友達も、近所のおばはんも、あんたらだって……! 守るために戦って勝たなあかんねん!! 勝つためにはあーしらが全員揃っててもむずいねんで!」


涙をぽろぽろと流しながらひまわりとふじに対する想いを語るきくに、同じく涙声のつばきが食い下がる。


「わかってる! わかってるけど、それでもきくりんはあの二人にはもう戦わせたくない!」


結論などでないと分かっている論争。ききょうもぼたんも知っていた。


言い争っている当人たちも当然、それは同じだ。


『戦わせたくない』という想いと、『復活してほしい』という相容れない対極の想い。


迎合するはずもない二つの想いの終着するところは決して同じ場所ではないことは解っている。


ここで言い争って議論をしたとしても、解決から遠ざかるだけであるということも。


「死ぬために戦うんじゃないんよ。うちは、みんなと一緒だから戦える。正直、うちには守りたい人間なんて大した数いないさ。うちがそれでも戦う理由はひとつ、ひまわりやふじ、ききょうにつばき、きく……そしてさくらが一緒にいてくれるからさね。うちがひとりぼっちでいなくてもいい場所。この場所だけは死んでも守るさ」


ぼたんがぽつりと、なのに存在感のある口調で自らの戦う理由を語る。


「戦う理由……ですか。こうやって言葉にすると案外難しいことなのかもしれませんわね。一言で表すなら、そうですわ。【それが使命】だから。

 守りたい人間がいないとは申しません。戦士として生まれた以上犠牲は出したくなくても出てしまうもの。実際に死んだ人間は一人や二人ではありませんことよ。死んだ人間には悲しむ人間がいて、悲しんだ人間は死んだ人間をずっと思い続ける……。わたくしも同じですわ。きっと大事な人間が死んでしまうと同じ思いをしてしまいます。

 こんな悲しい連鎖を止めたいから、お母様たち先代のクレインたちは戦って来たのでしょう。その長い年月を重ねて大きくなった想い。これこそがわたくしたちの【使命】だと、そうおもっておりますの」


各々が個々の戦う理由を述べてゆく。


恐らくこれは決意表明なのだろう。下がることを許されない戦いへの。


戦士が欠けたとしても、戦わねばならない。


少女たちに課せられた過酷な運命は、容赦なく襲い掛かる。だが怯まない。怯んではいけないのだ。



そんなある種、厳かな空気の中でさくらが静かに立ち上がった。


「さくらさん?」


さくらは物言わず、部屋を出ようとしている。


「さくら、どこいくんさ」


さくらの様子にぼたんがたまらず声をかけた。


「もういい。さくら決めたもん」


静かな口調だった。なのに、苦しいほどの怒りを孕んだ。激情的にも聞こえる、不思議な印象。


「決めたって、なにを決めたんさ」


「さくら、あいつら殺す……」


場が凍り付いた。


さくらの口から発せられた耳を疑う一言。さくらからは到底イメージできない、殺しの言葉だった。


「ひまわりとふじをあんなにしたやつら、みんな殺してやるんだ」


誰も一歩たりとも動けなかった。さくらがなにをするつもりなのかはわからない。だが無意識に『止めなければ』という気持ちが動く。なのに身体が動かないのだ。


それはさくらから発せられる怒りと悲しみが混ざり合った強烈な感情からだろう。


部屋の扉が閉まる音でようやく動くことが出来た彼女らは、さくらが放ったその感情の昂りの余韻にあてられながらも顔を見合った。


「ぼたんはん、あれヤバいんちゃう……?」


「ああ、あれはだいぶマズいやつさ」


これまで見たことのないさくらの様子に、残された4人は危険な予感を感じ、さくらの後を追おうとすぐに外へと出た。


だがさくらはそこからすでに姿を消しており、彼女がいた痕跡すらもない。


「なにをするつもりでしょうか。さくらさんは……」





さくらは扉の前にいた。


この扉はさくらしかしらない。もう一人知る者がいたが、いなくなった。


それは大魔女クレイン……またの名をお鶴。さくらの母である。


そしてこの扉は、その母・大魔女クレインがさくらのために作ったこの世界とナハティガルの地を繋ぐ扉。


さくらはこの扉を通って葵町へとやってきた。そして、ここからナハティガルの地へ行った。


よほどのことがない限り、この扉を使うことは禁じられていた。


さくらも扉に来るのは久しぶりであった。


大魔女クレインが没した時も、さくらはここには来なかった。さくらはいつかそうなると知っていたからだ。


だからこそ、残された自分が母が人間と交わした約束をまもるため、恩を返す為に決別を誓ったのだ。



なのにさくらがこの扉の前にやってきたのは、母の為でも自分の為でもない。


報復のためだ。


さくらはこれまで生きてきた中で、最も強烈な憎悪を抱いていた。


――この扉の向こうにいるナハティガルを皆殺しにする。


さくらの攻撃性が、朔と玉木の殺害により彼女の理性を飛ばし、普段の自分を見失わせていたのだ。


誰も知らない扉は、誰も知らない魔法と科学の狭間にあった。この場所にこれるのはさくらだけ。


ほかのナハティガルがここに来ることは出来ない。さくらと大魔女クレインだけの場所だった。



「ふじとひまわり……待ってて、すぐに終わらせるから」


奥歯を噛みしめ、口の端から血が垂れる。ぎりぎりと強く噛み締めた歯ぐきから流れているらしかった。


「ナハティガルを全部、全部殺すから……ね」


扉のノブに手をかけ、さくらは勢いよく開けた。


「……ッ!?」


さくらの知っている扉の向こうの光景とは、虹色の空間が広がっていてその先に扉の出口があったはずだった。


泳ぐようにそのドアに辿り着き、開けるとナハティガルの城の部屋に繋がっている……。


だがさくらが見たのは全く違うものだった。


「なんで……! なんでなにもないの! ねえ!」


扉を開けると、レンガの壁。虹色の空間どころか、虫一匹すらその先を望めない。


絶対的な拒絶を象徴している壁だった。



その壁は誰かにこの存在を知られ、第三者によって閉じられたのではない。


それはさくらにも分かっていた。分かっていたが、この状況に於いてそれを受け入れられるほど、心の余裕はなかった。


「母様……母様、なんで……なんでぇ??」


そう。この壁は、大魔女クレインの死と連動して現れ、ナハティガルとのパイプを断ったことは容易に想像がつく。


だがその事実は、さくらにとって残酷な事実であった。


「ふじも! ひまわりも! さくらの大事な大事なお友達なのに! なんでさくらがやっつけちゃだめなの! ねぇ、母様!」


壁を力いっぱい叩きながらさくらは壁にすがるように膝を地に落とし、泣き崩れた。


「さくらは、みんなと笑いたい! みんなと一緒に生きたい! そのために戦いにきたんだもん! 約束を守りにきたんだもん! なのに、ひまわりもふじも笑えなくなっちゃった! 母様ぁ……、さくらは……さくらはどうしたらふじとひまわりにもういっかい笑ってもらえるのぉ?」


次々と流れ落ちる涙を止められるはずもないさくらは、そのまま一人で泣き続け、無尽蔵の魔力と無類の強さを持っているのに、仲間を救えない自分を呪った。


「ふじぃ……ひまわりぃ……ごめん……ごめんね……」


さくらは気付いていた。復讐によってナハティガルを滅ぼしたとしても、結局それは自分の気持ちにケリをつけただけだと。


それを成し遂げたから玉木や朔が生き返るわけではない。


彼女らの心は壊れたままなのだ。それでもさくらは、憎悪と殺意を抑えることが出来ず、地べたに突っ伏し鬱積した感情を吐き出そうと叫び、転がった。


「ああああああーっ! うわああああーーっ!」


まるで駄々をこねる子供のような泣き声。さくらの純真な心が黒く染まってゆく。


――殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。


内から湧き上がる呪詛を止められないさくらは、それこそが自分の身体にも流れるナハティガルの血であると気付いた。


だが止められないのだ。


「うぅ、母様……さくらは、さくらはぁ……」


嗚咽、涙、鼻水。


さくらのこんな姿は誰も見たことがない。そしてさくらも誰にも見せない。


自分に流れるナハティガルの血と、人間の血。


本来ならば彼女のような存在は、どちらに立つか悩むべきである。


ナハティガルも人間も彼女にとっては、家族のようなものだからだ。


しかしさくらは人間を守るナハティガルとして育てられた。それに疑問は持っていないし、ナハティガルは敵であると認識をしている。


それなのに、さくらを包むこの感情は人間のそれではない。


そもそも人間を守るために、『魔女として育てられた』さくらは、最強といっていい魔力と魔法を有している。


彼女は人間でありながらナハティガルの操るマギ魔法を使う、異形の存在でもあるのだ。



だがさくらは疑わない。


ひまわりたちクレインと自分は仲間であることを。かけがえのない友であるということを。母を失った彼女には、クレインの仲間たちが家族も同然なのである。


一緒に暮らすひまわり。命がけで救ってくれたふじ。


二人とも大事な大事な存在。


さくらは知っていた。


【死者を生き返らせる魔法】などないということを。だから、玉木も朔もこの世には戻ってこない。


彼らが戻ってこないということはつまり、在りし日の元気なひまわりもふじも、決してここには戻ってこないということだ。



それはさくらにとって耐えられないものだった。


だから、せめてこの戦いを終わらせようとこの扉の元まで来たというのに、扉の向こうは閉ざされている。


「わあああーー!!」


虚しく響くさくらの鳴き声は、遠い祖国を想い鳴く鶴のようでもあった。





――ナハティガルの城では、ガルとカナリーを除いた魔法少女たちが、銀雪を降らせるための魔力を巨大なツボに蓄積させている。


少なくなったとは言え、数百の個体を持つ魔法少女たちが一斉に放出する魔力は膨大な量になりつつあった。


「最初からこれをすればここまで同胞が減ることもなかったしゅ」


「仕方がありません。大魔女がそれを禁じていたのですから。今思えばそれを禁じていたのも、金の魔法陣とクレインさくらのためだったのですね」


「全く、なにも知らないと思って無茶苦茶しゅるもんしゅ。……そしてその夫もどこへいったのやら」


カナリーが皮肉気に言った【夫】は、しばらく姿を見せなかった。


彼の戦力は確かに目を見張るものはあったが、黒刀を扱う性質上彼の真髄は一対一。


彼の工作により、二人が戦闘不能の状態であるとはいえ5人のクレインと戦わねばならない魔法少女たちはそこまで彼の力を欲しているわけではなかった。


それどころかなにを考え、なにを目的に城にいついているのかもわからない彼を信用できるはずもない。


ガルの魔法により身体の劣化を防ぎつつ眠っていたとはいえ、所詮彼は人間。彼女らと相容れるはずのない存在であった。


そのため、彼の姿が見当たらないからと言ってカナリーもガルも、大きく騒ぐ気はなかったのである。


「……もし、ナナシが奴らに寝返るようなことがあった場合、どうしゅゆしゅか」


これまで考えなかったわけでもなかったが、クレインたちとの最終決戦を目前にカナリーはガルにそれを尋ねた。


ガルは魔力が溜まってゆく壷を見詰めながら、眉1つ動かすことなく「特に問題はないでしょう」と言った。


まだまだ許容とはいえ、随分と分量を満たしてきた壷の中にある鈍い光で光る虹色の魔力。


それを見詰めながらガルはナナシについて自らの考えを話した。


「何度も言っていますが、彼はただの人間。我々にとっては他愛のない存在です。……いえ、大魔女クレイン亡き今、最も必要ないでしょう」


「……ということは、別に殺してもいい。という意味しゅね」


「そうですね。これまで彼は私達に取り入ろうと餌用の人間を持ってきたり、クレインの大事にする人間を殺したりと働いてくれましたが……。

クレインたちが滅び、クレインさくらを亡き者にすることで金の魔法陣が解けたならもはや彼の存在は無以上の価値を持たないでしょう。となれば……」


「今の内に死んでもらったほうがいいしゅねぇ」


愉快そうにしゅしゅしゅ、と笑うカナリーは、彼をどのようにして殺すかそのバリエーションを指折り数え、再びしゅしゅしゅと笑った。


「どうせならクレインたちに鞍替えしてくれたほうが殺しやすいんしゅが……。一瞬とはいえ、カナリーたちの同胞ぶっていたんでしゅから、良心が痛むしゅ」


カナリーの言葉を聞き、ガルは珍しく小さく笑った。


「良心が痛む……? それはそれはまるで人間のいいそうな言葉ですね。カナリー」


「これから滅ぶ憐れな存在しゅ。奴らが存在した証明はカナリーがしっかりと背負ってやるっしゅ」


「全く、どのお口がそのようなことと」


その壷の魔力が満タンになるのは3日後……。つまり、クレインたちが待つあの日であった。


魔法少女……ナハティガルたちもまた、次の銀雪が最後の決戦にするつもりだったのだ。


人間、ナハティガル……最後の戦いは静かにその時に近づいていた。





ひまわりは外を見ていた。


ただ、窓から覗く外を。



彼女のただ事ではない状態に、母やまぶきは何度も一緒に葵町を一緒にでるか打診した。


やまぶきの行為は本来、責められるべき行為だ。戦士であるクレインを町の外に連れ出し、戦線から離脱させようなど。


だが戦って死ぬのではなく、このままでは自分の娘であるひまわりは、この町でなにもせず【ただ死んでしまう】だけ。


戦士として、人間としてそんな無意味な死などさせたくなかったのだった。


やまぶきも娘の前はクレインとして戦っていた戦士だ。彼女を魔法少女と戦わせ、死んでしまうことだって覚悟はしていた。


自分のときもそうだったからである。


やがて愛する人ができ、愛する子ができた。そうなればクレインはクレインとしての存在意義を無くす。


だから子に伝承してゆくのだ。


普通に行けばひまわりだって、いつか愛する人と愛する子に恵まれ、自分と同じく戦士として子を送ることになるだろう。


それらが全て無意味になってしまうのが恐ろしかった。


だからひまわりには戦線を離れ、戦えるようになってから戦ってほしい。


そう思ったのだ。



だが、やまぶきにはわからなかった。次の大きな銀雪が最後の戦いになるであろうことを。それに敗北すれば、ゆっくりと人類はその数を減らし……やがて滅びる。


人類が滅びるといっても、それは長い年月をかけてのことだ。それほどまでにナハティガルの数が減ってしまった。


もしかすると、今よりも兵器が飛躍的に進歩しナハティガルに対抗する軍事力を有する国が現れるかもしれない。


だがそれは全て可能性の話だ。


『そうなるかもしれない』という不確定な話なのだ。


仮に、そんな兵器が開発され結果的に人間が滅びから救われたとしても、相当数の人間はその時点で死んでいる。


人間がナハティガルに殺されるのはイコールして『食われる』ということ。


これまで食物連鎖の頂点に君臨していた人間が、今度は捕食される側になるのである。



そんな未来は絶対に阻止せねばダメだ。それこそが歴代クレイン達共通の願いであった。



当然、向日葵もその思想を持って戦っていた。


戦いの中に奪われた青春も思春期も目もくれず、戦ってきた。


そして、約束の日を前にひまわりたち世代のクレインたちはまだ敗北していない。


敗北するはずがないと思った。



なのにひまわりの心は壊されたのだ。長い戦いの中でもっとも恐ろしく、慈悲のない手段で。


玉木が失踪し、やがて死亡が確定された時のひまわりを見て、やまぶきは確信したのである。それがナハティガルの仕業なのだと。


「ひまわり……」


やまぶきの呼びかけにひまわりは痛々しく笑うと、大丈夫だよと一言言った。


大丈夫、私戦うから。


食事も喉を通らず、やせ細ってしまった娘の強がりにやまぶきは涙を抑えられず、強くひまわりを抱いた。


「ごめんね、ひまわり。お母さんが、お母さんが全部変わってあげられたら……!」


「大丈夫、お母さん。ひまわりは戦うの、戦う。ひまわりが戦わないと……玉木くんが」


ひまわりが玉木の名を言った直後、胃から込み上げるものを感じ、ひまわりは口を抑えた。


「ひまわり!」


涙目でひまわりはやはり、大丈夫と言った。


身体も心もボロボロ。立っているのがやっとの状態の娘を前にして、やまぶきは無力な自分を責めた。



――それでも戦わねばならない。



これまで生きてきて、これほどまでにその使命を呪ったことがあっただろうか。


死よりも苦しい業に、我が娘は晒されている。なのに戦わなければいけない。自分が変わってあげられたらどれだけ楽なのか。


「ひまわり……ひま……わり……」


母はただ泣くしかできない。


ただ、娘の名を何度も呼び泣くことしか。


「大丈夫だから、お母さんは早く非難して? 私たち、絶対に……勝つから」


半ば強引に自らを振る立たせ、断腸の想いでやまぶきは娘を置いて町をでた。


もしも、ひまわりがこの戦いで死んだら……せめて、寂しくないように自分が追いかけてあげよう。


やまぶきの覚悟は正しいとはいえない。だが、親として子を想う気持ちはなによりも正しいのではないだろうか。


家を出る時に見せた、ひまわりの笑えていない笑顔がいつまでもやまぶきの心を締め付けた。


一方、ふじの元にはききょうが尋ねていた。


ふじの両親はふじを心配していないわけではないが、ある程度の歳を過ぎてからは放任主義を貫いていた。


それは任せているという安心感も確かにあるが、逆に戦い、傷ついて帰ってくる娘を見ていられなかったのかもしれない。


親として家族としてサポートできることなどほとんどないのならば、戦いが終わるまでの間……ふじを信じて待とう。


それがふじの両親の決断であり、ふじ自身の決断でもあった。


それが災いしたのか、それともむしろ事態をまだマシにしていたのか、ふじの両親は朔の死を知ることは無かった。


だから避難命令がでた今回も、ふじには一報を入れなかったし、信じているからこその放置であった。


それが下鶴家の絆。


それはずっと変わらない、これまでもこれからも、だ。実際、今のふじもそんな両親や家族の思いやりを必要としていなかった。


彼女に必要だったのは、ただただ時間。時間が必要だった。


戦えるまでの時間。


ふじはもう笑えないかもしれない。だが戦うことはやめてはいけない。


それこそ、死んだ朔のためにも。


だが自覚しているからといって、すぐに戻れるほど心と体は都合よく出来ていない。


きっとふじは朔の死を乗り越えることも、忘れることもできない。


だからきっと時間が、朔の死への憎悪を戦いに誘ってっくれるものだとふじは思った。


しかし、壊れた心はバラバラに散らばってしまい、それを考える心はあくまで破片のひとつであった。


この壊れた心が元のひとつの形に戻らない限り、散らばった心の破片にそれが伝わるわけがない。



ふじの部屋は、朔の写真で埋め尽くされていた。どこを見ても、なにをしていても朔が笑っている。


こんな部屋にいては、乗り越えられるはずがない。忘れられるはずがない。


時間が解決するはずが……なかった。



ききょうはふじの部屋のドアを一度ノックしただけで、なにもすることができずただ立ち尽くす。


ずっとずっと、ドアの前でふじを想うしかなかった。



かける言葉のひとつすらもない自分。


「こんな調子だからきくさんになんちゃってゴージャスなんていわれるんですわね……」


誰もいない。誰も聞いていないからこそ出た呟きであった。





――紅い銀雪が降ったのは銀雪警報の2日前だった。



「ききょうちん! 紅い銀雪が降ってる!」


「なんですって!?」


Xデーまでの間、ひまわりとふじ、そしてさくらを除くクレイン達はききょうの家で集まっており、その日へのコンディションを調整していた。


そんな中で外から戻ったふじが唐突に降り始めた紅い銀雪を伝えたのだ。


「紅い銀雪は……警報予報は無視ってわけさね」


ふじとひまわりはともかく、さくらがいない状況での紅い銀雪。


明らかにそれはナナシが現れる合図であった。


人のいなくなった葵町に降る紅い銀雪は不気味なほど深々と降り積もってゆく。



「一体どこに現れるつもりでしょう……」


「どこってそりゃあ決まってるさ」


ぼたんの言わんとしていることを察したつばきが眉に皺を寄せ、ぼたんの代わりに言う。


「ここしかないやん……ってね」


ききょうの部屋の窓を赤く染める銀雪。


「わかってるね、ナナシってやつの手口はかなり卑劣さ。うちらの……まぁ、うちは別としておたくらの大事な人間、家族やら友達やらを殺してその死体を持ってくるかも知れないさ。そうなったとき……」


窓の外の紅い銀雪を見つめながらききょうは「わかっていますわ」とぼたんの言葉の続きを遮った。


「覚悟の上……。誰かを犠牲にしても守らなければならない世界というものが、わたくしにはありますの。それは、みなさん一緒でしょう?」


きくとつばきが強くうなずいた。


「正直、きくりんはままりんとか友達とか殺されちゃったら立ち直れないと思うんだけど……。でもまぁ、戦いが終わるまでは気合でなんとかするっす! ひまやふじりんのためにも」


きくもまたききょうと同じく紅い銀雪を見つめながらいい、つばきも同じように続く。


「あーしは、はなからここで死ぬ覚悟してきてるから別にええんやけど……。正味、おかんや大阪の友達殺される可能性は考えてなかった。もしもひまわりはんやふじはんやのうて、あーしが最初に狙われてたら……。もしおかん殺されたりしてたらって思ったらあの二人と同じ感じになってたと思うねん。

 だからな、あーしは許さん。絶対に、絶対絶対絶対ゼッッッッタイに!! 今もしあーしの大事な人が殺されてその死体を見させられたとしても、そら敵さん逆効果や。余計あーしの闘争本能に火をつけることになるで。……戦いの、そのあとのことなんて知るかいや」


4人のクレインは、4人だけで戦うことへの強い意志を示した。はらはらと舞う紅い銀雪の空を睨み付けながら。


ひまわりやふじももちろんだが、さくらのことも心配だった。


だが誰よりもほかのクレインたちへの仲間意識が強いさくらがこの場にいないことの重大さを誰もがわかっており、さくらに頼ろうとは思わなかったのだ。


ただ今から訪れるであろう脅威を前に、戦う意志だけを固くする。



――確かに、ナナシはひまわりとふじの戦意を失わせるのに成功したのかもしれない。だが、彼女ら4人の戦意を劇的に引き上げたのだ。


なにに於いても彼女らは、戦う決意と覚悟を堅くし、この世界と大事なひと、そして仲間を救うため。


彼女らはこの紅い銀雪に誓う。


そしてその誓いと共に、【彼】は降り立った。


まん丸い月が黒く人型にくりぬかれたような、シルエット。


紅く舞い降る銀雪が、幻想的に思わせた。


外に飛び出した4人を見下ろし、AOIストアの無言のまま黒刀の切っ先を光らす。


4人とナナシはにらみ合いながら、たとえようのない間が居座った。


クレイン達とナナシの間には、殺意・敵意など相手に対する憎悪を具現化しかのような空気が漂い、いかにクレイン達がナナシに対し憎しみを抱いているのかが容易に見てとれた。



だがそれはクレイン達がナナシに対し向けている一方的な感情で、ナナシはというと相変わらずなにを考えているのかわからないような無表情でただ彼女らを見下ろすばかりだ。


4人のクレインたちはナナシを睨んだまま、それを唱えた。


『百花繚乱』


4人は瞬く間にクレインの姿に変化し、艶やかな戦闘衣装と魔具でもってナナシに構える。


「……お前たちは、変身を他者に見られてはいけないのではなかったか」


ななしの意外そうな質問に対し、それに答えたのは唯一魔具が記憶を持つつばきだった。


「それにはふたつ例外があるんや! ひとつは『相手が魔法少女か自分たちが敵やと決めた存在に対しては無効』! そしてもうひとつは、『目撃した存在が死ねば無効』や! ひとつめの条件は満たしてるけどふたつめの条件も念のためにクリアしとこか!」


「……ほう」


珊瑚朱さんごしゅ!』


つばきが番傘を自分の背に向けて開くと、開いた傘の骨の先々から淡い朱色の糸が広がり、それはあっという間に蜘蛛の巣のような網になった。


「さあ、逃がさへんで! いや!」


築けば正方形の立方体状に網は形成し、そこからナナシを逃すまいとしている意図がみとわかった。


「俺の退路を塞いだか。だがそれはお前たちにとっては失策ではないの……」


『本紫』


ナナシが話している最中、彼の背後に突如姿を現したききょうがキセルを思いきり振りおろし、ナナシの背に直撃した。


「おっほぉ! ききょうちんナイスっすなぁ!」


急降下で吹き飛ばされるナナシの先にいたのはきくだ。ききょうが撃ったナナシの背についた紺色の煙の塊を見て、ヒュウと口笛を一度鳴らす。


「ってことはきくりんはこうすりゃいいってわけだぁね!」


簪を指の間に挟み、前方に構えるきく。


『卯の花ァ!』


きくは小さな火花を無数に放った。その火花のいくつかがききょうの煙に触れた瞬間、ナナシは大きなが爆発に巻き込まれる。


「た~まやぁ~!」



爆風に吹き飛ばされたナナシを待っていたのはぼたん。最初からそこにナナシが来るのがわかっていたかのような場所に立ち、PKでゴールを狙ってシュートするサッカー選手さながらに足をを高く後ろに振り上げる。


『……蘇芳すおう


迎え撃つぼたんの一蹴は、再び吹き飛ばす一撃なのかと思わせておいて、意外にもそうではない。


ぼたんの蹴りが直撃したナナシの体はその場にぎゅるぎゅるとすさまじい音を響かせ、回転したのだ。


「っしゃ、うちがいつもよりようけ回転まわしたる!」


番傘を広げたつばきが回転するナナシを傘に乗せると、『灰白かいはく』と詠い、傘と共にさらに回転を強めた。


「いくよ、ききょうちん!」

「ええ、きくさん!」



千歳緑ちとせみどり!』


二人の声が重なり、一つの魔法の歌となる。緑色の光球が回転によってもはや球状になったナナシへと放たれた。


次の瞬間、すさまじい光を放ち大爆発を遂げるナナシだっったが、つばきが張った網が爆発の強さと反比例するように小さく集束し爆音とアンバランスに小さく爆発した。


爆発の直前にぼたんの魔法によって、網の外へと脱出していた彼女らはナナシが爆発する様を見つめている。



「……やっつけた、とは思えないっすよねぇ」


「あれで生きてて想定内。死んでたら想定外のラッキーさね」


つばきの魔法によって小さく爆発したとはいえ、爆発による煙はそこそこのもので、中の様子をうかがうことがなかなかできなかった。


ただ、いつ現れてもいいように離れた場所で見守る。


爆発の煙が徐々に晴れていくにつれ、中からはっきりと輪郭をかたどるシルエットが現れてきた。


「やっぱり一発目でさよならホームランってわけにはいかへんなぁ」


悔しそうにしながらつばきが呻くように言い、ききょうがそれに対し「次の手に早速かからねばならないようですわ」と答えた。



「俺は存在証明をするためだけに生まれ、生きてきたといえる。それは俺という存在が確立されず、曖昧なものだったからだ」


「あいつ……何言うてんの」


ナナシの言葉の意味に首をかしげるつばきの言葉が聞こえていないナナシは続ける。


「誰かを殺すのも、人間なのにナハティガルにつくのも、自分の存在を確立したかったのかもしれない。自分の存在を証明するためには、他とどれだけの違いを見せるかがすべてだと思っていた。だが、存在の真理とはそのようなものではなく、もっとシンプルなものだったと気が付いた。皮肉にもそれをもらった時に俺は気が付いた」


「やつのいうことを黙って聞いている筋合いはないさ! みんないくよ!」


ぼたんの声掛けで3人は再びナナシに向け攻撃を仕掛けるが、ナナシはそこから動くそぶりをみせない。


「おとなしくやられてくれるのなら、この上ない好機ですわ!」


ききょうが口火を切りキセルを振りかぶった時だ。


「みんな!」


さくらの声だった。


一同が振り向いた先に、目を腫らしたさくらが4人を見上げて叫んでいた。


「ナハティガル!? なんでさくらを呼んでくれないの?! さくら、……さくらはナハティガルのこと……」


百花繚乱している4人を見てナハティガルと戦っているとわかったのだろう。


「でも、ナハティガルの匂いしない……一体みんななにと……」


さくらがふと空を見上げた際に、その理由を思い出した。


「紅い銀雪……」


ひとことつぶやいたさくらが、ハッと我に返り変身を試みるが変身は完了しなかった。


「やっぱり……! なんで、なんでだよぉ!」


その後、何度も変身を試みるが、変身どころか魔法すら行使できなかった。


「うう、前の時とおんなじだぁ……」


ききょうときくにはその光景に覚えがあった。葵町駅前での戦いのとき、同じ光景を目の当たりにしたからだ。


「大丈夫さくらちん! きくりんたちに任せてさくらちんは下がっといて!」


さくらは「でも……っ!」と叫んだが、さくらの次の言葉を待たずに、ききょうらはナナシへの攻撃を再開した。


「みんな! うう、なんで……なんでだよ! さくら、みんなのために、約束のために生まれたのに……」


ぼろぼろとさくらの目から涙があふれ、さくらはその場にへたりこんでしまった。


「ひまわりやふじの大事なときに助けられなくて、みんなが戦っているのになんにもできなくて、さくらなんか……さくらなんか……なにもできないじゃん……うう」


泣きじゃくるさくらの上空で、ききょうのキセルが空を切り、ナナシの姿を補足できなかったことを露呈した瞬間。


「さくら、か」


ききょうの背後で聞こえるナナシの声。ナナシの姿が消えたと思った直後に聞こえた背後の声に、ききょうは全身が総毛だつ。


(避けるというレベルではない……ということなのですか……)


「遅松っつぁん、さくらはんがマギ魔法使えへんってことは、それってつまり……」


つばきがさくらが変身不可能である様子をみて、ふとなにかを思き、魔具状態である遅松に話しかけた。


「ちょっと魔具状態で話しかけるとかやめてほしいんダナ。魔法行使に集中できないんダナ」


「そない言わんで聞いてや!」


「お前たちクレインにこう言っても信じないだろうが、俺は今日戦いに来たのではない」


空中をつかつかと平然に歩くナナシがほかの4人に対し語りかけ、振り返った。


「信じないってわかってんのにわざわざしゃべるなんて、意外と間抜けちゃんぽんって感じっすな!」


きくの巨大簪が二対、挟むようにしてナナシを襲うがやはりナナシはなにもないように歩きつつそれを避けた。


「俺はお前たちと対話というものをしにきたつもりなんだが、難しそうだ」


「おたく、それマジで言ってる?」



歩むナナシの顔のすぐそばに出現したぼたんの顔。


彼女の魔法で誰にも追いつけないほどの速度でナナシの懐に入り込んだのだ。


「ふむ、なるほど速いな」


ぼたんの一撃を一歩横に歩みの軸をずらして回避したナナシが表情を変えることなく、「まいったな」ひとことつぶやいた。


「どうすればお前たちは俺の話を聞いてくれるのだ。俺は戦うつもりがない」


「そちらに戦うつもりがなくとも、わたくしたちにはおおありなのです!」


ナナシの周りを包囲する煙は無論、ききょうのものだ。


青藍せいらん


酸素濃度を極限まで濃くする魔法だ。この魔法にかけられたものは、煙によって極限まで酸素が濃くなりその場に倒れ、絶命することもある危険な魔法だ。


一瞬、眉をぴくりと動かしたもののナナシは煙を簡単に払ってしまった。



「わかったよ。お前たちの気持ちはわかった。当然といえば当然か」


伏し目がちにクレインら4人を見渡し、小さなため息を吐いた。



「ぼたんはん、あんな……」


ぼたんの傍に近寄ったつばきが遅松に確認したことを話す。


「あの紅い銀雪な、どうやらマギ魔法を無効化するらしいねん。それってつまり魔法少女も紅い銀雪化ではこっちに来れへんってことやねん!」


「魔法少女の……。おたくそれマジ情報さね?」


「遅松に聞いたから間違いあらへん。紅い銀雪自体はこれまでに前例ないからわからんけど、マギ魔法が無効な空間ではそもそも魔法少女が存在できへんらしい。仮に魔法少女の銀雪と一緒に降らせてもそれは変わらんねんて」


「ちょっと待つさね……もしも、紅い銀雪を魔法少女がいる状況で降らせることができたとしたら……」



ぼたんの中で仮説が組みあがり、これまで絶望的だと思われていた魔法少女との闘いに一筋の希望が見えた。


だが、もしもそれをするとするのならばかなり人道的に無理があるうえに、さくらがそれを納得するとは思えない。


ほんの少しの時間ではあったが、さまざまな可能性と仮説がぼたんの脳裏を行き交い、消えてゆく。


数多もの可能性と仮説が消えてゆく中でもぼたんは、戦いに勝つことができるもっとも大きな希望がナナシにあるとしか思えなかった。


だがそれには、ひまわりとふじが……。


「……ダメさね。それだけは絶対に! ひまとふじ、あの二人にとってそれがどれだけ残酷なことか!」


この葛藤は様々な穴があることを理解している。


だが、紅い銀雪はそれだけ甘い蜜味をはらんでいたのだ。


マギ魔法を無効化できるということ。それがあの強靭で強大なガルやカナリーなどの魔女に有効なのだとしたら、仮に紅い銀雪でさくらの魔力が無力化しても勝ち目があるかもしれない。


そもそもの問題として、どうやってナナシを仲間として引き入れるのか。奴がクレインの力になるとは考えられない上に、もしそうなってもひまわりとふじが戦えるはずがない。


(――わかっている。わかってるさ! こんな憎むべき敵の力に惹かれている場合じゃないさね! ……けど、いやうちはどうかしてるさ!)


「さくらちん!」


きくの叫び声に思考の迷宮に入り込んでいたぼたんと、クレインたちはさくらに注目すると、さくらの前にナナシが立っていたのだ。


(しまった! うちとしたことがやっちまったさ! 考え込んでる間に魔法を使えないさくらの元に気を許すなんて!)




ぼたんが自分の放心を悔いている時、目の前に立つナナシのつま先に気付いたさくらは顔を見上げた。


「……!?」


「久しぶりだな、クレインさくら」


涙で頬と瞼を真っ赤にしたさくらが見上げると、涙に滲んだ懐かしい顔があった。


さくらにとって、それは懐かしいはずもない顔であったが、潜在意識的にそう感じたのだ。


その懐かしさの正体を知ることができないさくらは次第にはっきりと顔が見えてくるナナシに対し、涙に濡れた瞳を見開き、憎しみの光を宿してゆく。


「そんな顔もできるのか」


さくらはネコ科の野獣さながらに飛びのくと、前かがみになってナナシを睨み付けた。


「オマエ……玉木と朔を殺した悪いヤツ!! さくらがオマエを殺す!!」


すさまじい声を上げさくらは叫んだ。


背中から白い羽に黒く縁取った大きな羽を現し、爪を鋭く尖らせたさくらの姿は人の姿を捨てかけているように見えた。



「おりょっ!? ありゃまずくないっすかぁ?! さくらちん、鳥化とかしちゃうんじゃ……」


「そ、それはまずいですわ! さくらさんの変身は私たちとは違い、単純に魔法で衣装を纏っているだけ……。ですので例え変身を誰かに見られても魔力を失うことはありません、ですが鳥化となれば魔女カナリーのときのように魔力を失ってしまいます!」


「みんなうちに捕まるさ!」


ききょうときくを通り過ぎざまに引っ張り、つばきを連れたぼたんが瞬間移動の魔法を詠う。


深緋こきひ


さくらとナナシまでそこそこの距離があった彼女らは瞬時にしてその場まで移動したが、謎の障壁に阻まれ手の届く距離にいるのに近寄れない。


「障壁? 結界?! 小癪やなほんまに!」


膝をつきつつ二人を睨むつばきにぼたんが割った。


「違うなし。今の金色の結界……ナナシじゃなくさくらが張っているさね」


「はあ!? なんでやねん!」


彼女らが障壁と激突した時、一瞬だが金色の球体が光った。ぼたんはそれを見逃さなかったのだ。


「けど、さくらちんは今魔法使えないんじゃ……」


「多分、魔法とは違うさ。これはおそらくさくらの鳥化するときに発現する【生態】の一種。魔法少女の側面が強くでた場合に無条件ででるっぽいさ」


「おお、ぼたんはんよう知ってはるな!」


「あてずっぽうさ」



こけている場合ではないが、大阪の血が騒いだのかつばきは無理にこけてみせた。


「正しいかどうかはわからんけども、大体そういうことなはずさ」


そういいながらぼたんは障壁を破ろうと攻撃を重ねるきくとききょうを見ながら言った。


「凄まじい殺気だ。さすがはナハティガルの子……といったところか。いや、殺気の強さでは人間も変わらんか?」


我を忘れ鳥化寸前のさくらを目の当たりにしながらも、態度になんら変化のないナナシは少し寂しそうな顔でさくらを見つめながら彼女との会話を望んでいるようだ。


「やれやれ……人の言葉も忘れてしまったか。ならば鳥化してしまい魔力が無効化する前に、不本意だが荒療治を施そう」


「うぅううぅう……ぐぅうう……!」


凄まじい怒りと憎悪が肉眼で確認できるほどのさくらを見守るしかできないクレインたちは、どうにかして障壁を破る策を練っていた。


「……今更自分に罪ががないとはいわない。だからといって俺はそこまで悪いことはしていない。俺が生きていた時代からこの時代は、別の世界かと思うほど変わった。だが根本的なことはなにも変わらなかったよ。

 人間は相変わらず自分よりも弱いものを殺し、天災のまえでは成す術もなく呑み込まれ、大儀を高らかに詠っては戦っている。俺が殺した人間の少年も、単純に『戦略的に必要だから殺した』。それによって『期待していた効果』は期待通りに得ることができた。人道反するといえばそうかも知れないが、人間としては人間らしいと思わないか。他人のために戦おうなどというお前らよりも」


「ふぎぃいいいいいい!!」


威嚇の声を上げ、人の形を無くしかけているさくらに「おっと、こんなことを喋っている場合ではないか」と黒刀を振った。


「大層な講釈垂れてるんじゃないさ! さくらに手を出すなんし!」


必死に金の結界を攻撃しつつ、球体のどこかに歪がないかをぼたんは探した。


(――くっそ、全然ダメさ! さくらの結界が解けない!)


「心配するな、殺しはしない」


ナナシは静かにそういうと、黒刀の背を上にしさくらへと構えた。


「信用できるかにゃろめぇ! さくらちんから離れろぉおお!」


きくの叫びも虚しく、ナナシは次の動作に入る。


憲法黒茶けんぽうくろちゃ


黒刀の切っ先に黒い光が集中し、金物をひっかいたような音が周りに響いた。


「あ、あんな狭いところで魔法を行使しては……」


ききょうはナナシのしようとしていることの危うさを察し、顔を青ざめる。だが球体は破られることはない。


「さくらはん! この結界解いてんか! せやないとあーしら、あーしらが……後悔する!」



「ふしゃあああああ!」


もうさくらの耳には人の言葉など届いてはいなかった。だが彼女らは懸命に呼びかけ続ける。


「さくらちん、抹茶ビッグバンきくりんと食べに行くっしょおーが! 約束守らないのはきくりん怒っちゃいますよ! かのんのんのこととかさくらちんがいなきゃ、立ち直れなかった。かのんのんを救えたのはさくらちんのおかげだよ! だからきくりんにもさくらを救わせてー!」


「さくらさん! あなたの性格は苦手ですがわたくしはあなたのおかげで、自分の使命に改めて気づくことができたのですわ。だからあなたが自分を見失っても安心してください、わたくしは決して見捨てません!」


「さくらはん、あーしはあんまりさくらはんとの想い出はないけど、それでも命を懸けて仲間のために戦う姿はごっつかっこええって思っててん! さくらはんみたいに強く戦えるようになったら、おかんにも自慢したろって……あーしのヒーローがこんなところで負けんなああ!」


「うちがおたくに言いたいことはシンプルで短いさね。恥ずかしいから一回しか言わんし、よく聞くさね」



さくらに届いているのかどうかはわからない。今にもナナシは黒刀を放ち、さくらを射抜くかもしれなかった。



「うちを独りにすんなぁあああああああああ!!」



涙声で叫んだぼたんの目からはボロボロと涙が弾け、球体の中のさくらへと放たれた。


ナナシが彼女らの言葉を待っているのか、それとも単純に技にそれだけの時間がかかっているのかわからないが、最後に叫んだぼたんの言葉に一瞬さくらが反応した。


「今生の別れではないといっているのに、信用されていないものだな」


黒刀の切っ先から細いビーム状の光線がさくらに放たれ、それを中心に一瞬周りが爆発したように黒く染まる。


「さくらっ……!?」


それが誰の声かまではわからない。黒煙の中は視界が悪く、なにが起こったのかが不明だった。


次第に晴れいていく黒煙の中から現れたのは、黒刀をなにもない地面に突き刺すナナシの姿のみだ。


「ふぅー……ふぅー……ふぅー……!」


激しい息遣いはナナシのものではなく、爆心点から少し離れた場所からであった。


佇むナナシの姿を睨み、ぼたんらに捕まれているさくらの姿。


興奮はしているが鳥化しそうになっていた姿はいつものさくらの姿に戻っていた。


「……それがお前たちの力というものか。興味深い」



ナナシの攻撃の瞬間、金色の球体が解除され紙一重でさくらの救出に成功したのだ。


球体が解除されたということは、さくらの意志によって解除されたということ。



つまり、クレインたちのさくらに向けた必死の呼びかけが届いたという証明でもあった。


黒い爆煙が球体にとどまらなかったのはそのためである。



「まあいいさ。その状態なら俺の話もちゃんと聞いてくれそうだ」


警戒したままのクレインたちは、さくらを抱きかかえながらナナシの動向に注視していた。


「さくらちん、ありがとぉ。一瞬きくりんダメかと思ったっすよ」


「みんな……ごめん。さくら、どうかしてた」


興奮状態ではあるが、なんとか会話できるところまで落ち着いたさくらは四人の仲間に改めて感謝し、全員で目の前の脅威に立ち向かうことを決意したのだ。


「そこから動かなくていい。俺も動かんから聞け」


ナナシは自らが吐いた通りにその場から微動だにせずに語りはじめた。


「一体、なんの話をしようというのですか」


「俺が何者か、という話だ」


クレイン達は固まった。


何をいっている? 何者かだと? 本当に話だけをするつもりか?


様々な思いが胸の中を錯綜し、抜けてゆく。


なにかしらの意図があってのことは間違いない。でなければ、この場にわざわざ話をしにくることなどありえないことなのだ。


それでも彼が伝えたい事がなんなのか。


たった一人で、魔女も連れずに話だけをしにきたのか。


ただ耳を傾けることしか今は許されないという事実だけがその場に泳いでいた。


「そう訝しげに見るな。戦意がないというのは本当だ。終われば帰る」


「何者、なんさ」


「まず、この体の持ち主のことから話そう」


「この体……?」


誰かが反芻した言葉に無言でうなずき、胸に手をあて《この体》だと強調するようにした。


「この体の持ち主の名は『与作』という男だ。苗字はない」


「……!?」


クレイン達に衝撃が走った。彼女らは当然、その名を知っている。


葵村に魔具を伝えたといわれる『お鶴』の夫。史実では魔法少女が襲来した際に死んだとされていた。


だが遅松から真実を受け継いだつばきだけがそれに過剰に反応し、声を上げた。


「そんな、あり得へんって! 与作の体なんて……」


「そうだな。お前たちにはそう伝承されている。だが真実はそれよりも少し坂を上る」


さくらだけがナナシの話にピンと来ておらず、つばきとナナシを交互に見やるがききょうが後ろからさくらの耳をふさぐ。


「魔女ガルによって与作の体は500年間保管されていた。殺してはいなかったようだが、この時代になって蘇生させた際すでに魂は空だったようだ。そのため、【俺】がここに入れられた」


「……【俺】?」


クレイン達には話が見えてこなかった。与作は生きていたのに、魂は死んでいた。なのにナナシが入れられたという。


だがそれこそが話の真理であった。


「だから言ったろう。俺が【何者】なのかを話しにきたのだと」


ナナシは彼女らに体の正面を向け、まっすぐに見つめた。


「俺は目的も持たず、使命もなく、ただ存在するためだけに生まれた傀儡。だから魔女どもの元に棲まい、やつらのいうことを聞いた。正直なところ、お前たちの大事な少年を殺したとき、俺は独断で動いた。

 誰かに言われたわけでなく、面倒ごとを回避するためにだ。これでクレインが落ち、魔女らが戦いに勝ったところで俺に何かがあるわけじゃない。

 ただ人間が滅びるのを傍観し、自らが滅ぶのを待つだけ。存在する理由のない俺は、どうすればいいのかがわからなかった」


ナナシが「少年を殺した」といったとき、きくが反応したのをぼたんが止めた。


「……最後まで聞くんさ」


「俺は考えたのだ。自分は与作なのか。だが与作としての記憶も思想も性格も癖も微塵たりとも残ってはいない。時折幻として俺の前に立つだけだ。

 与作の体を持つ俺の前に与作が立つ。その矛盾している出来事に俺はさらに混乱した。与作が与作の前に立つ? では俺は一体なんなのだと」


「さくらにも聞かせてっ!」


ききょうに耳をふさがれていたさくらが、黙ってナナシの話を聞いている面々に痺れを切らし、ききょうの手を払った。



「大魔女クレインを殺した」



――それは最悪のタイミングだといってよかった。


「……え」


「なにやってるんさ、ききょう!」


「も、申し訳ありませんわ!」


ぼたんがききょうを叱責するがすでに時遅し、さくらは放心状態となっていた。


目は焦点を失い、ただもう一度「え?」と聞き返すだけ。


「さくらの今の精神状態で絶対聞かれちゃまずいやつさね! ……やっぱりおたくはここで叩くさ!」


ぼたんがその場から瞬時にナナシに向けて突進し、その速度に誰の声も追いつかなかった。


「これ以上うちらに関わるな!」


ぼたんの腕がナナシの横腹を貫いたが、不思議なほどなんの音もしない。


それを貫いた音も、痛みに呻くだろうナナシの声も。


無音の世界だった。



「いいから最後まで聞けといっている」


やがてそれらは無音でないことにクレインたちは気付いた。


ぼたんが貫いたのはナナシの幻惑でも残像でもない。ナナシほどの実力者ならば、ぼたんの攻撃を避けることなど容易いはずだった。


にも拘わらずナナシは敢えてぼたんの一撃を受けてみせたのだ。


ナナシの口元から流れる一筋の血が、ぼたんの一撃が確かに彼を貫いたことを物語っていた。


「な、なんし……」


「クレインさくら、ショックなのはわかるが聞け。俺はお前たちとはもう【戦わない】」


唖然とするぼたんの腕、自らを貫通したその腕にやさしく手を乗せると「な? 信じてくれ」とナナシは柔らかく笑った。


(――笑った?)



「俺は大魔女クレインを殺した。彼女が死に際に俺に言ったんだ。「貴方に斬られて死ねるなんて、私がこんなに幸せで許されるのでしょうか」とな。直後俺に感じたことのない感情が溢れた」


さくら、つばき、きく、ききょう……ぼたん。


彼女らが見つめる中、苦しそうな大きな咳と一緒にナナシは血を吐いた。


「その感情に俺は叫んだんだ。それが、少しだけ残った与作の破片だったのだと気付いた。以来、さらに俺は自分とは何者かを問い続けたんだ。

 なぜならあの時、与作も《お鶴》も死んだ。ならば残された俺はなんなのだ。だが答えはやはり彼らがくれた」


ぼたんの腕を引き抜き、ナナシはさくらの元へと歩き始め、つばきがナナシに番傘を構えるがききょうがそれを止めた。


「待ってください……、恐らく大丈夫ですわ。それに今の彼がなにかをしてもわたくしたちのほうが有利なはずです」


ききょうの言葉に渋々うなずいたつばきはきくらとともにナナシの行動を見守った。


「……なぁさくら。俺は、お鶴と与作の間に生まれたんだ。ある意味……いや、【俺たち】は姉弟なんだ。名前のない【ナナシ】の俺に名前をくれたんだ」


見たことのない表情だった。


ナナシはおそらく生まれて初めて、孤独ではない自分を感じていた。


それは傷によって死の淵を見ているからなのか、それとも単純にさくらを家族だと思ってのことなのか。


「俺は人間を殺すことなんて、なんとも思わない。だけど、お前の大事なものを壊して……ごめんな。さくら」


ナナシの血に濡れた手がさくらの頬に触れた。


さくらの白い頬に赤い血がべとりとつく。


「家族? さくらに……家族?」


「ああ、さくら。俺はお前の家族だ」


放心状態だったさくらはナナシの家族という呼びかけに反応し、彼をまっすぐと見つめた。


「あなたは……さくらの父様?」


「いいや。年上の弟さ」


そういいながらナナシは持っていた黒刀の柄をさくらに握らせる。


「貴方なにを……っ!」


ききょうがキセルを構え、呼応するようにきくとつばきが行動の移そうとしたその時だ。



「俺の名は【とき】。父と母からもらった、花でもあり鳥でもある名だ。どうか忘れないでくれ」



黒刀がナナシ……いや、鴇の胸を貫き彼の体から真っ赤な花弁が噴出した。


「な、なんで……なんでだよぅ! なんでこんな!」


「お前からたくさんのものを奪った俺が、お前に残せるものなんてこのくらいしかない」


赤い花弁は黒く変色し、代わりに黒刀の色を失って白くなってゆく。


「これは……!」


ぼたんがなにかに気付きつぶやいた。


彼女の視線は紅い銀雪。紅い銀雪が色を失ってゆく黒刀に吸い込まれてゆく光景があったのだ。


「紅い銀雪を吸っている……」


「……お前、クレインのくせに魔具がなかったよな。これからはこれを使うといい。桜色の刀、マギ魔法を無効化する刀だ。名前は……そうだな、好きにつけろ」


ナナシの言う通り、黒刀は白く色が抜け、赤い銀雪を吸ったことで淡い桜色になった。


「ナナ……ううん、鴇……」


「いいな。名前があるのは、もう一回だけ呼んでくれ」


「……鴇、鴇! 鴇ぃい!」


「そう……それが……俺の……名、だ」


すべての魔力を失い、命の火を消した鴇はさくらにその名を呼ばれながら、逝った――。



「鴇ぃーー!」







――一姫二太郎が理想だったんだ。でもまぁ姫と太郎がひとりずつでもいいかなって思う。


桜吹雪の舞う丘で手を繋いだ与作とお鶴は、丘の下に見える景色を眺めながら温かい風を感じていた。


――そうですね。さくらと鴇、きっと仲良くできるわ。


――うん。俺も心配だったんだ。さくらを独りにするのは。


――子を溺愛できるなんて、私たちは幸せですね。


――ああ、そうだな。お鶴。二人ならきっと大丈夫だ。それにさくらには頼もしい仲間がいる。


晴れやかな空の水色と、それらを爪でやさしくひっかいたような白い雲。


緑の葉が揺れ、一面に桜。


一羽の鳥が羽を休めるため枝に止まり、春の風に歌っている。



――さて、俺たちもいこうか。



――ええ、与作さん。どこまでもおともいたします。



――ああ、どこまでもついてこい。お鶴。





さくらたちクレイン5人は、ただ《それ》を見つめていた。


彼女らの視線の中心にある《それ》は、6人掛けのテーブルに置かれ、上から覗き込む彼女らを気まずそうに時々見上げている。


「どうする、これ」


「おりょりょ~……。どうするっていっても……なんて説明するかのほうが問題じゃないっすか」


「まぁ、魔具としては使えそうですが……」


さくらは《それ》指で突っつき、それがイヤそうに指を払うのを楽し気に見ていた。


「ききょうのいう通り、魔具としては申し分ない能力を持ってるさ。これがあれば明後日の魔女たちの進軍にかなり有利かもしれないさね。……ふじとひまわりを戦力にいれなくても」


ぼたんが先に思った【紅い銀雪を魔女の進軍時に降らせることができれば……】という叶うはずもない願いが、収縮したとはいえこの魔具があれば可能である。


「紅い銀雪は降らせられないんよね?」


「そこまで万能でたまるか」


《それ》は不機嫌そうにぼたんの問いに答えた。桜色……ピンクのひよこの形をした《それ》は、ふてくされてその場に座り込んだ。


「これがまた結構キュンキュンきてまうんが腹立つわー」


つばきが頬を赤らめていうと、ぼたんらも小さくうなずいた。


それほどまでにこの物体の外見はキュートなのだ。


「魔具ってことは鳥態もあるってことだもんねぇ? これからもさくらとよろしくね、お兄ちゃん」


「……年上の弟だといったはずだ。お兄ちゃんはおかしい」


「え、じゃあ……鴇兄ちゃんにする!」


「~~……!」


そう、《それ》とは魔具化してしまった鴇のことだった。与作の体を失い、魔具に魂が転移したのだ。それによって、常時刀形態を取らなくとも済むようになった。


そしてその代償にこのキュートな義体を手に入れたということである。


だがこれらはすべて鴇の本意ではない。



ぼたん、きく、ききょう、つばきは鴇が自らの命を犠牲にしてまでさくらに託そうとした力を知った。


鴇は何者かわからず、その果てに命を摘んだことも知った。


鴇自身、その罪を清算しようとしたことも。


そして、彼の魂がここに残ったのは決して偶然ではないということにも。



ふじとひまわりには鴇と一緒に戦うことをどう説明すればいいのかわからない。


だが彼女らは鴇を共に戦う仲間として認めようとしていた。鴇が罪を清算したように、彼女らもまた鴇が犯してしまった罪を共に背負おうと。


桜色の魔具はマギ呪文を封じ、見えなかった勝利の光を彼女らに見せようとしていた。



すべての大事なひとたちを守る、光を。



決戦まであと二日を切った。





「史上空前の大規模な銀雪……」


まだ退院を許されていない佳音が窓の外に舞う桜の花びらを見つめながらつぶやいた。


佳音が覚えているのは、紅い銀雪と銀雪の中で平然と歩いてみせる全身真っ黒の男。


彼が話しかけてきた直後に意識を失い、そして病院で目が覚めた。


葵町で意識を失ってから数週間が経ち、佳音は自分の置かれた状況もまったくわからない。


そして見舞いにきた藤崎の態度が変わっていたことも気になった。


普段の厳しく、そして佳音と話すときは容赦のない物言いが印象的だった藤崎がやけに自分に対しやさしく接してくれている。


単純に怪我をしたから……ということもあるだろう。だがそれだけが原因だとは佳音には思えなかった。


なにか重要なことを隠したまま、佳音から重要なことを聞きだそうとしているような……。



「葵町でなにがあったんだろう。KickKickやききょうさんは……」


脳裏によみがえるカラオケボックスでのひと時。


楽しく盛り上がっていたところで姿を消した彼女らを思い起こし、あそこになにかが隠されているのではと考えた。


銀雪が降ってからきくはともかく、ききょうが落ち着かなくなったような気はするが、それ以外でなにかおかしなことがあっただろうか。


確かに全員があの部屋の中に揃っている時間は極端に短かったような気はする。


だがあのあと葵町になにがあったのだろうか。


佳音は自らの記憶の先を知らずジレンマに陥った。



「一体、なにが起こったの……?」



その時、病室の扉をノックする音が室内を転がった。ベッドに上半身を起こしていた佳音は、ノックの主に対し「どうぞ」と促す。


「元気か、半知」


「藤崎指令……」


まさに今会って話がしたかった人物の登場に、佳音の声のトーンが少し、上がった。


そんな佳音の様子を知ってか知らずか、藤崎は餅豚団子を手に持ち、佳音に見せる。


「わあ、伊藤屋の餅豚団子! ありがとうございます!」


「花より団子ってな。お前には暇つぶしのものより食べ物がいいだろうと思ってな」


「大正解ですぅ! 藤崎指令やるぅ!」


「こらこらはしゃぎすぎるな」


藤崎が持ってきたお土産に機嫌をよくした佳音にそれを渡すと、藤崎は頃合いを見て「どうだ?」と尋ねた。


「おいしいですっ! やっぱ生きてるっていいですよね」


「あんまり急いで食うな、喉を詰まらせるぞ」


佳音は明るい声ではぁいと答えたが、口に入れた一つを飲み込むと藤崎を向くと真剣な眼差しで見つめる。


藤崎はそんな佳音の眼差しに気付き、「どうした?」と尋ねた。


「あの……藤崎指令。葵町は今どうなっているんですか」


「……いつまでも知らないわけにはいかない、か」


藤崎は意外なほどあっさりと佳音の質問に答えようとした。


それも無理はない。藤崎もまた佳音に用があってきたのだから。


「お前が覚えているカラオケボックスが入っていたビルはその後、謎の倒壊をし死人もでた」


「し、死人!? まさかKickKickやききょうさん……」


「安心しろ、その二人ではないことは確認が取れている。死んだのはカラオケ店の店員だ」


その返事を聞いても佳音は素直に喜ぶことができなかった。カラオケ店の店員と言えば、確実にあの日自分も会っている人間のはずだったからだ。


「……それでな、そのKickKickとききょうという人物なんだが」


「無事なんですか?」


藤崎は心配そうな顔で尋ねる佳音に向けて一度しっかりとうなずいた。


それを見た佳音はほっとしたように肩の力を抜くと「よかった……」と呟く。


「それで、だが。そのKickKickという名を名乗っている少女と、ききょうという少女だが……」


胸をなでおろす佳音の顔をゆっくりと見つめると、藤崎は少し溜めるようにして尋ねた。


「……何者だ?」


何者でもない。自分の友達以外のなんでもない。


佳音はそのように答えようと藤崎を見たが、思いとは裏腹に藤崎の目つきに二人に関してなにかを思っているというなにかを感じ、口ごもった。


「……あと15時間後には葵町に未曾有の規模の銀雪が降る。間違いなくこのとき、なにか大きな事象が起こるのだと思って間違いないだろう。そして、間違いなく【大和】の使用を余儀なくされる。結果的に私たちミリオンにはこの新型【大和】に生命体に対する殺傷能力が付与されているのかどうかは確認できなかった。撃って炸裂させるまでわからない。

 だからこそ、お前に聞いて起きたいのだ。《銀雪の中にいた人影》は、お前の思う通り《KickKick》だったのかということを」


真剣な眼差しでそのようにいう藤崎に、佳音はわからないとしながらも答えた。


「正直、私には本当にあれがKickKickだったのかどうかはわかりません。……でも、もしもあれが本当にKickKickだったとしたら」


藤崎は佳音の言葉に続くように「だとしたら?」と追って尋ねた。


佳音はもう一度「だとしたら……」と枕を置いた上で唇を噛みしめ、涙を浮かべながら絞り出すように言う。



「あんなに普通の、あんなにかわいい……あんなにどこにでもいる女の子が銀雪の降る中で危険も顧みず一生懸命なにかをしているんだと思うと、なんだか私……やりきれない気分になります……っ!」


握りしめた拳の甲に涙を落としながら、きくを疑いながら当初向かった自分を、佳音は恥じたのだ。


藤崎もまたそんな佳音の涙を見ながらそれ以上のことを聞くのを躊躇った。


藤崎が調査を依頼したきくも、ききょうもごく普通の女子高生だったからだ。その二人がもしも銀雪の降雪に関わっていたとしたら……。


15時間後に控えた大規模な銀雪。もしもこの銀雪にその少女たちがいたとすれば。


厳財寺が示唆した新型大和の殺傷力。


空を飛ぶ少女たちがもしも、自分たちとなんら変わらない人間の少女だったら。


もしも、銀雪の降雪に関わっているのではなく、自分たちと同じく銀雪を止めようとしているのだとしたら。



「その時私は……私の正義を貫けるのだろうか」


誰もいない病院の通路で、佳音になにも聞けなかった藤崎は眉間にしわを寄せ、呟いた。



玄関で待っていた車の後部座席に乗り込んだ彼は、すぐにミリオンの基地へと向かわず、街を一周走ってから帰るよう運転手に告げる。


現実から逃げたいわけではなかった。ただ、自分の心を落ち着かせる必要があったのだ。


明日、これまで生涯を賭けて作り上げてきた銀雪用の決戦兵器【大和】をついに放つ。


正体もわからない相手に。


そのためにはまともな神経でいてはいけなかった。


それはわかりきっている、覚悟している。


藤崎は自らにそう言い聞かすが、一つの可能性を拭いきれない自分がいたのだ。


――銀雪と戦っているのが自分たち以外にもいたとしたら?


これまでの歴史上、銀雪降雪後に家や木々や岩などが破壊されていたという事実は表向きには報告されていない。


だが実はあったのだ。これは彼ら銀雪に深くかかわる機関においては周知の事実だと言っていい。


それがこの数十年間報告がなかった。


魔法少女の減少とクレインたちの活躍によって目立つ痕跡を残さくなった結果である。


それ以前でも銀雪降雪下での失踪や、病は昔からあった。


そう考えると藤崎には銀雪にはまだ自分たちの知らないなにかがあり、それに特定の人間が極秘に関わっている……いや、戦っているのではないか。


戻ってきた佳音と彼女の言葉、そして葵町の破壊とKickKick……。


それらを合わせると、藤崎はなんとも言いしれない感覚に陥る。


それは迷いといってもよかった。その迷いの正体とは、つまり……【雪撃静雷砲【大和】】を本当に撃ってもいいのかという迷い。


この迷いが致命的になるかもしれないことはわかっている。だがそれでいいのか。


断っておくが、藤崎に砲撃命令を覆す権限はない。あくまでミリオンの最終最高責任者であり、大和の砲撃命令を下す権限も、やめる権限も持っていない。


だから命令が下れば撃つしかないのだ。



国家の未来を決める一撃。


そもそものミリオンに於いて大和の発射命令の権限は彼にあったが、新型大和の開発にあたりそれらをはく奪された。


それは藤崎が慎重すぎたからかもしれない。だが先人たちは皆、そんな軽い気持ちでいなかったであろうことを藤崎は知っていたのだ。


だから、彼自身も大和砲撃に関しては慎重を貫いた。それが今回に至っては裏目に出たといっていい。


明日、大きな銀雪が葵町に降る。


その銀雪がなにをもたらすのだろうか。藤崎は流れる町の風景に思いを馳せるしか術はなかった――。




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