第23話 心境、変化。
「ねえ、君可愛いね。よかったらお茶でもしない?」
「ごめんなさい。数ある髪型の中からマッシュを選ぶキノコ頭(二重の意味で)の男とだけは絶対付き合うなってのがお婆ちゃんの遺言なんです」
「おっと、すみません。僕としたことが。よければお詫びにお茶でもいかがですか? 近くにカプチーノとクリームパイが美味しい喫茶店があるんです」
「ごめんください。俺、ケーキと紅茶よりビールと餃子派なんです。揚げ餃子でも可」
「お前、なかなか可愛いじゃん。ちょっと付き合えよ」
「すみません、リアル俺様男子はちょっと」
――
「よし、この分なら平気だろ」
「クーン?」
噴水広場にある噴水の縁に座って足をブラブラさせる俺を、何やってんだお前、みたいな顔で名犬ディアン爺が見上げてくる。ここは工房や学院のあるデンモ区に隣接したヤリモ区にある噴水広場。いつ行っても大抵誰かがストリートライブをしておりまだ何者でもない夢見る未来のアーティスト候補やその追っかけなどで賑わう傍ら、お洒落なカフェや隠れ家的バーや安さが売りの大衆酒場、お城みたいな宿泊施設が建ち並ぶちょっとした商業区域だ。
「ワン!」
「分かってるって。さ、帰ろ」
毎朝恒例の犬の散歩がてらわざわざここまでやってきた俺は、まだ仕事が始まる前の平日朝早くだというのに大勢の若者に声をかけられる。ヤリモ区の噴水広場はナンパのメッカでもあるため、国立音楽学院では無暗に近付くなと教えられるそうだ。そんな治安のあまりよろしくないスポットに何故わざわざ足を運んだのかというと、ちょっとした確認作業のためである。
――
「ヌエ、すまんが郵便局までこいつを届けてくれるか」
「了解っす。うおっと!?」
「あぶねえ!」
あれはつい先日のこと。職場で躓きかけた俺は、危く顔面から床に激突しかけたところを親方に抱き留められたのだ。親方はドワーフなのであまり背は高くないのだが、職人なのもあってガタイがよく力が強い。まるで少女漫画のヒロインよろしく受け止められた俺は、『親方って力強いんだな』とか『親方ってかっこいいよな』とか、そんなことを一瞬思ってしまったのだ。勿論、それが悪いこととは言わないが、なんというかこう、方向性がね?
「大丈夫か? 気を付けろよ」
「すんません、ありがとうございます! よかった、荷物は無事だ!」
「荷物なんか別にいいだろう。いや、よくはないが。それより、お前に怪我がなくて何よりだ」
転びかけた拍子にずれてしまった防塵ゴーグル代わりの分厚い伊達眼鏡を直しながらあたふたする俺の頭、ではなく肩を非常にスマートにポンポン叩きながら苦笑する親方。地味で冴えないTS娘といかついドワーフのおっさんでさえなけりゃ非常に絵になるシーンだったのだが、なんかさ、心臓がさ。ときめき回路が誤作動を起こしちゃったのかな? って感じにバックバクで。あれだね、ウッカリ急に躓いてガクってなった時とか、急いで階段を上がった時ってドキドキしちゃうよね。判る解る。
「吊り橋効果って奴なのかなあ?」
「ワフ?」
あの誘拐事件の時。助けに来てくれた親方はべらぼうにかっこよかった。九死に一生、地獄に仏。顔は閻魔様みたいだがまさにダークヒーロー、いや俺にとっちゃ正真正銘のヒーローだったのだ。その印象が色濃く鮮烈に焼き付いてしまったのか、あれ以来親方が凄くかっこよく見えてしまって困る。いや、元からかっこいい大人だよ? 面倒見もいいし、一本気だし、人間国宝に認定されるぐらいの凄い職人だしさ。まさに理想の上司って感じ。それだけでなく、親方の心意気に惚れ込んだ工房の職人たちから親父、親父と慕われる器のデカい男なんだから、同じ男としてあんな風になれたらいいなって憧れたって何も不思議はないのだけれども。
「いやいや、ないない。ないって。ないよね?」
「クーン……」
幾ら体がうら若き乙女のそれとはいえ、中身40近い転生者の俺が男にときめいちゃうわけがないって。それを確認したくて、わざわざナンパされにやってきたのだ。幸い野暮ったいヌエから素のメヌエットに戻ればそこにいるのは全く美容に気を遣ってないのに極上の美少女。自分で言うのもなんだけど凄く可愛い。とびきり美人というわけではないのだが、なんというか『俺でも手が届きそう』感を絶妙にくすぐる罪な感じの可愛さがある。お陰様で釣果は上々、結果も全戦全勝と来たもんだ。ナンパされて嬉しくもないし、ピクリともときめかない。
「フ、勝ったな!(何にだ)」
「ワン!」
それにほら、命の恩人だってならディアン爺も一緒だし。最初はただの野良犬だなあぐらいにしか思ってなかったけれど、今は最高にかっこいいうちの愛犬にしか見えないわけだからさ。きっとそれと一緒だって。
「いやあ、ないない。大丈夫だって。平気平気」
「ワフ?」
危ない危ない。『なんでだよ!? 俺、男なのに!』なんてTS転生者のお約束みたいな台詞を吐きかねないところだった。誰が喜ぶんだそんな展開。少なくとも、俺は少しも嬉しくないぞ。何も得がねーもん。俺が好きなのは食パンは8枚切りを、コーヒーは微糖を、綿棒は黒の両面スパイラルタイプを選ぶような女の子であって、厚切りのクルミパンを甘ったるいコーヒー牛乳で流し込むのが好きなドワーフのおっさんではない。
「さ、帰ろディアン爺。あんま遅くなるとまたみんなに心配かけちゃうから」
「ワン!」
異世界に転生した自分が10代前半の『女の子』であることを強く自覚させられたが故の気の迷い。そういうことにして、俺は目を瞑る。見なかったことにしよう、は底辺社畜時代からの得意技なのだから。




