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第22話 親方の葛藤

「此度は色々と手を尽くして頂き、面目ありません。この借りはいつか必ずお返しします」


「構わんさ。あなたには父上共々随分と世話になった。少しでも恩を返せたのなら、父上も喜ぶだろう」


 公爵邸に呼び出された俺は、ノイズ公爵と彼の書斎で手土産に持参した酒を飲んでいた。今回の誘拐事件を解決したのは老犬ディアン爺と俺らだが、その後の後始末に手を貸してくれたのは他ならぬ公爵家だ。特にヌエのことを友達と呼んでくれるマンダリンお嬢さんの怒りは強かったようで、公爵が色々と手を尽くしてくれたのは友人の身を案じる娘可愛さあってのことだった。


「それで? 如何かな。お嬢さんの様子は」


「ああ。幸いショックはそこまで深くないみたいだ。男性恐怖症になっちまってもおかしくないぐらいの事件だったが、俺や工房の職人らに囲まれてもピンピンしてる。無理してる様子もないし、本当によかった」


 下半身素っ裸の下衆な暴漢に3人がかりで襲われかけたのだ。10代の生娘にはさぞ恐ろしく、辛い経験だっただろう。あれから俺も極力あいつの前で肌をさらさないよう気を付けているのだが、肝心の本人がケロっとしているため変にほじくり返さないようなるべく自然体でいるよう心掛けるようになった。ただ、以前のように風呂上がりにタオルを巻き付けただけの姿や、暑いからと下着1枚、いや2枚ででウロチョロするような不用心さはなくなったので、そこだけは不幸中の幸いかもしれん。幾ら娘同然の存在とはいえ、何度注意しても年頃の若い娘があんなにも鈍感でいるのは心配だったからな。


「娘を持つ父親の気持ちがよく解りましたよ。ありゃあ確かに、うちのバカ職人(むすこ)共とは大違いだ」


「それは結構。パパ友同士これからも仲よくしようじゃありませんか」


 パパ。職人組合での付き合いで連れていかれた大人のお店か胡乱な客引きぐらいでしか呼ばれたことのない呼び方に、なんともむず痒い気持ちになっちまう。だが悪くない。ヌエにパパ、と呼ばれるところを想像してしまい、ニヤけそうになる表情をグッと引き締めた。


「可愛いのは今のうちだけだ、と皆は口を揃えて言うがね。幸い互いに娘には恵まれたようで心底何よりだ」


「特にマンダリンお嬢さんは未来の国母ですからね。式は卒業後に挙げる予定なんでしょう?」


「ああ。もう数年もすれば可愛い娘がうちを出ていってしまうのかと思うと、父親としては非常に複雑だよ」


「うちみたいに行き遅れになるよりはずっとマシでしょうよ。ま、それも生きていてこそですがね。親より先に死なれるなんぞ、耐えられません」


「その通りだ」


 散々辱められた後で、物言わぬ死体となって川に投げ捨てられでもしようものなら俺はおかしくなってしまわない自信がない。それこそ全てを投げ捨てでも報復に走っただろう。復讐者と化して憎悪と憤怒に狂ってしまわずに済んで本当によかった。あいつを喪わずに済んで、本当によかった。


「娘に」


「乾杯」


 ヌエをさらうよう指示した黒幕は、ある貴族のバカ娘だった。国立音楽学院で発生した件の事件で、後ろ暗い悪行を嗅ぎ付けられそうになった腹いせをしたのだ。イカルガ楽器工房の看板も随分舐められたものだ。とはいえ相手は貴族。海千山千の魑魅魍魎たちが連綿と権謀を渦巻かせる魔窟である。であればパンはパン屋ということで、公爵の力を借りる羽目になった。うちはあくまで一介の楽器工房に過ぎない。うちが取れない手を公爵は取れる。公爵が取れない手をうちは取れる。持ちつ持たれつの助け合いだ。もう二度と舐め腐った真似ができないように、キッチリ釘を刺してもらった。他力本願なのがちと情けないが、だからといって出張るべきでないところで出しゃばるのは悪手。この恩義には報いねばなるまい。人として、父親として。


――


「おい、風邪引くぞ」


「んあ? お帰りなさい、親方」


 ほろよい気分で帰宅すると、ヌエがリビングのテーブルに突っ伏して寝ていた。またこいつは薄着で。喉元過ぎれば熱さを忘れるとは言うが、信頼されているにしてもやはりこのバカ娘は、と心配になっちまう。脱いだ上着を羽織らせてやろうかとも思ったが、『パパの上着臭い』などと言われてしまおうものなら立ち直れる自信がなかったのでちょっと躊躇してしまった。まあ、ヌエはそんなことを言う奴ではないのだが、冗談で言うか言わないかでいえば間違いなく言う。そしてその後に『冗談っす』と笑うのだ。


「ワン!」


「おう、ただいま爺さん」


 ヌエの足元でうつ伏せに寝そべっていた老犬も、若干呆れ気味に吠えた。こいつは完全にうちの看板犬となり、うちに住んでる。俺としても異論はない。むしろこの程度の礼じゃ恩を返し足りないと感じる程だ。今度高い肉でも買ってきてやるか。


「にしても早くないすか? 時間的に、てっきり晩飯ご馳走になってくるもんだとばかり」


「ああ。公爵も勧めてくれたんだが、昨日の今日であまり家を空けるのも不安でな」


「心配させちゃってほんとすみません」


「別にいいさ。飯、残ってんだろ?」


「はい。すぐあっためますね」


「いや、自分でやるから平気だ」


「そう言って前にあっためすぎて鍋底メッチャ焦がしたじゃないすか。あれ、金ダワシで洗うの大変だったんですからね。いいから座ってください」


 失いかけて初めて解る何気ない日常のありがたさ、尊さ。俺はヌエが用意してくれた冷たい茶を飲みながら、彼女の横顔や後ろ姿を笑顔で眺めていた。こいつが今も変わらずここにいてくれることに感謝しながら、いつまでも、いつまでも眺め続けていた。

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