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第20話 日常、回帰。

「ヌエ様!」


「ヌエちゃん!」


「マンダリンお嬢様、この度は公爵家の皆様方にもご心配をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした」


「バカバカ! ヌエ様のバカ! そんなことはどうだってよいのです! あなたが無事で本当によかった!」


「ありがとうございます。クレレも心配してくれてありがとう」


「するに決まってるじゃない! 私のせいでヌエちゃんが誘拐されたって知って、私、私!」


「クレレのせいじゃない。悪いのは全部元凶だ。君が気を病むことはなんにもないよ」


「でも! うわああああん!」


 あの忌まわしき誘拐事件からしばらく経った。警察での事情聴取を終え、親方の家に帰ってきた俺はそのまま泥のように寝込んでしまい、みんなに更なる心配をかけた。親方はしばらく休んでいいと言ってくれたので、有休を……この世界に有休制度があるのかは謎だが、とにかく1週間ほど休ませてもらって、ようやく俺は職場に復帰することができた。その間マンダリンお嬢さんがクレレと共に見舞いに来てくれたりもした。全方位に迷惑をかけてしまい本当に申し訳ないと同時に、これだけ心配してもらってありがたい限りだ。


「ヌエちゃん、買い物か?」


「はい。何か買ってくるもんあります?」


「いや、特には」


「ヌエちゃんが無事に戻ってきてくれさえすれば、他には何も要らないからさ」


「独りじゃ危ない。一緒についてくよ」


「お気遣いありがとうございます。でもまだ昼間ですし、人通りも多いですし、ディアン爺も一緒だから大丈夫ですよ」


「ワフ?」


 あれから工房の職人たちは、俺にものすごーく優しくなった。元から大分甘かったが、更に度を越して、今ではまるでお姫様みたいな扱いだ。まあ、多大な迷惑と心配をかけてしまった手前、恩人さんたちには感謝しかないので甘んじて受け入れる。実際彼らが助けに来てくれなければ、俺は下手に死ぬより悲惨な目に遭っていただろうから。


「ヌエちゃんを頼んだぞ」


「ワン!」


「……おい」


「へい」


 ディアン爺もあれからうちの番犬みたいに工房内に居着いている。少女誘拐事件の功労者として警察から表彰され、親方が気合いを入れてイカルガ楽器工房のエンブレムを模した首飾りの付いた首輪を用意したのだ。てっきり自由な野良犬生活を謳歌していた彼は首輪をつけられることを嫌がるかと思ったが、すんなり受け入れてくれた。首輪があるのとないのとでは、世間様の対応も変わるだろう。職人たちにメチャクチャ厚遇されているが、それに付け上がることもなくおとなしく日向ぼっこや昼寝、作りかけの楽器の音を楽しむ姿はやっぱ賢い犬なんだなあと実感させられる。


「今日は晩飯なんにしようかね。芋がいっぱい残ってるからフィッシュ&チップスでも作ろうか」


「ワン!」


 前世、リードなしで犬を散歩させる飼い主をこいつバカだろみたいな顔で睨んでいた俺だが、まさか転生して異世界で自分がそうなるとは思わなかった。ディアン爺は首輪はつけさせてくれたがリードを嫌がる。だが勝手に走り出したりどこかへ行ってしまったりはしないので、散歩をさせる時はいつも俺のすぐ傍をおとなしく歩いていた。未だに犬種がなんといったか思い出せないが、小柄な子供ぐらいなら背中に乗れてしまえそうな大型犬と一緒に歩いていると、確かに安心感が違うな。


「ヌエちゃん、聞いたよ。大変だったんだって?」


「無事に戻ってこられて本当によかったわね」


「ありがとうございます。ご心配をおかけしました」


「これ食って元気出しなよ。サービスしとくから」


「ありがとうございます。ありがたく頂きます」


 商店街の顔馴染みのおじさんおばさんたちに挨拶しながら、買い物を続ける。さすが噂が回るのが早いな。あれから俺は特に男性恐怖症になることもなく、日常に復帰することができた。親方なんかは気を遣って以前のように風呂上がりにパンツ一丁で家の中をウロウロするようなことはなくなったが、そこまで気を遣ってもらわなくて大丈夫ですよ、と言っても頑なに俺のことを心配し続けてくれている。確かに13歳の少女が誘拐され、暴漢3人組に性的に襲われかけたのだ。一生物のトラウマになってしまって当然だろう。精神年齢40近い、中身男の俺だって心の底から本気で怖かったのだから、純粋な少女であれば立ち直れなかったかもしれない。異世界怖い。物騒で怖い。


「……うーん」


 その証拠に、俺の後をコソコソつけてくる人影。また暴漢、ではなく工房の職人さんだ。気付かないフリをしているが、買い物カゴならぬマイバッグを背中に乗せて器用に歩くディアン爺が時折チラチラと視線をやっている。


『……おい』


『へい』


 心配した親方によって、俺が外出する時は必ず誰かに尾行させ見守らせているのだ。ありがたい反面、仕事の邪魔をしてしまって物凄く申し訳ない気持ちになるのだが、だからといって実際に誘拐されてしまった俺が何を言っても説得力は皆無である。目を離した隙にまた別の事件に巻き込まれでもしたら、そっちの方が大迷惑だもんな。いっそのこと変に遠慮せずに、ちゃんと一緒に買い物に付き合ってもらった方が迷惑をかけずに済んでよいのかもしれない。


「誰かに愛してもらえるって、本当にありがたいことだね」


「クーン!」


 なんにせよ、疵物にされることなく無事日常に戻ってこられて本当によかったと思う。前世、両親が亡くなってからは誰からも顧みられず、必要とされず、愛されることもなく孤独に自殺した俺からすれば、親方がいて、工房のみんながいて、マンダリンお嬢さんやクレレといった友達もいるような現状は、まさに天国だ。その天国から地獄に叩き落とされそうになったのだから、そりゃ怖いに決まってるよな。与えられたものを失うことは、最初から持たざるよりよっぽど辛い。改めて、俺はこの世界に転生したこと、そして、人の縁に恵まれたことに、深い感謝の気持ちを抱いた。

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