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透明街の人喰い獏  作者: 葉里ノイ


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81/124

81-生と死


 突如現れた白花苧環の死体に助けを求められた獏は、蜃と蒲牢と共に閉じられた宵街へ侵入した。半解除されたとは言え烙印を剥き出しでは侵入を感知されるため、首輪は装着してもらった。首輪があれば力は制限されるが、外してほしい場面があれば白花苧環なら首輪を外せるはずだ。

 蒲牢が杖を回して転送した場所は以前に黒葉菫と共に来た時と同じ、赤い酸漿提灯が並ぶ薄暗い石段だった。だが下層ではなく、病院が目前だ。

「病院には俺が行ってくるよ。首輪を付けた罪人がうろうろすると目立つし。その辺に隠れてて」

「ありがとう蒲牢。解熱薬さえあれば足を引っ張らない」

「烙印の半解除で足を引っ張らない程になるのか。……俺にはよくわからないな。一度医者に診てもらった方がいいんじゃないか?」

 杖に乗り蒲牢は行ってしまうが、獏はきょとんとしながら蜃を見た。

「病院に行った方がいいの……?」

「体と力が釣り合ってないって言いたいんだろ。それは俺も思ってた。だから発熱しやすいんじゃないか」

「そっか……体を鍛えたら釣り合うのかな」

「さあな。君が何も感じないなら、別にいいんじゃないか」

 あまりその話題を続けると何処かで見世物小屋の話を口にしてしまいそうで、蜃はフードを目深に被り口を閉じた。襤褸を出さない内に近くの横道へ入り、茂みへと身を隠す。獏も白花苧環を手招き、茂みに身を潜めた。



 中腹にある宵街唯一の病院の前で蒲牢は杖を跳び降り、腹の傷に響いた。自分が負傷していることを忘れていた。自分も診てもらった方が良いだろうかと考えながら蔦を避けて病院へ入る。すぐ目の前にある受付に座っている有色の変転人は、以前蒲牢が臓物の種と血染花の薬を処方してもらった時と同じ女だった。白い帽子を被り、人間の看護師のような服を着ている。また来たと思われるだろう。

「……欲しい薬があるんだけど、いいか?」

「蒲牢様が御怪我を? それとも、また薬だけですか?」

「俺の怪我はいい。薬だけ貰えるか?」

「少々お待ちください」

 話の早い女は頭を下げ、奥の部屋へ続く暖簾を覗く。

「ラクタヴィージャ様。また蒲牢様です」

「またぁ?」

 暖簾を潜り現れたのは赤紫色の髪を縛った浅黒い肌の少女だった。受付の女と同じ白い帽子を被り、少し大きめの白衣を羽織っている。少女は腰に手を当てながら蒲牢を見上げた。

 見た目は少女だが、この病院を受け持つ歴とした医者である。宵街唯一の病院であるここに従事する彼女には誰も逆らってはいけない。万一の時に泣きを見るのは自分だからだ。

「何? また歌ってくれるの?」

「それが代価ならいいけど……」

「何の薬が欲しいの? また臓肥桃(ゾウヒトウ)?」

 彼女が臓肥桃と呼ぶのは臓物の種のことだ。獏達に埋めるために街へ持って行った時は変転人達にも理解しやすいように臓物の種と言ったが、正式名称は臓肥桃である。宵街でしか育たない貴重な植物だ。

「解熱薬が欲しい」

「前と比べたら随分可愛い物を。それくらいならすぐに出してあげるわ」

 宵街には薬局と呼ばれる物は無い。薬は全て病院で貰うことになっている。人間が言う風邪薬程度なら、すぐに出してもらえる。

 暖簾を潜り奥の部屋へ行くラクタヴィージャを見送り、蒲牢はふと視線を感じて廊下の奥へ目を遣った。

「……あ」

 気付いたのは同時だったが、杖を振るのは向こうの方が早かった。

「しょっ……!」

 呼び止めようとするが、それよりも早く杖がくるりと回され、彼は姿を消した。だが見間違えるはずはなくそれは確かに椒図だった。

 手元に目を落としていた受付の女に向き直り、蒲牢は腹が痛むのも構わず問い質した。

「っ、ここに椒図が来てるのか?」

 女が怪訝そうに顔を上げると、奥の部屋からラクタヴィージャも小袋を手に戻って来た。

「病院で騒ぐものじゃないよ。何かあったの?」

「ラクタ……ここに椒図がいるのか? 怪我をしてるのか?」

「椒図? それは知らないけど。はいこれ解熱薬。一粒で充分だから、すぐに下がらなくても一気に大量に呑まないでね」

「知らないのか……?」

「病院に用があるなら受付で名乗ってもらうけど」

 ラクタヴィージャは女に目を向け、女は首を振った。

「椒図様は見てないです」

「それより蒲牢の怪我を診てあげようか?」

 カウンターへ身を乗り出し、ラクタヴィージャは蒲牢の腹に指先を触れる。蒲牢は反射的にびくりと身を引き、傷が痛んだ。

「それは大丈夫……」

「痩せ我慢は駄目よ。我慢のツケは結局自分が払うんだから」

「……歌わなくていいなら、もう行く」

「それは聴きたい」

 カウンターに腕を置き、ラクタヴィージャはうっとりと聴く態勢を作る。

 獏達の所へ早く戻らねばならないので本当に少しだけ、蒲牢は歌った。そのほんの短い時間だけでもすぐに夢心地になれる歌声は、解熱薬の代価としては高過ぎるほどだとラクタヴィージャは思う。受付の女も彼の歌を聴くのは二回目だが、すっかり魅了されている。

「歌ってもらってなんだけど、お腹に力の掛かることをさせて悪かったわ」

「歌ってから俺も思った……」

 解熱薬を受け取り、蒲牢は頭を下げる。ラクタヴィージャはカウンターに身を乗り出したまま笑顔で軽く手を振って蒲牢を見送った。落ち着いた性格のラクタヴィージャは患者からの信頼も厚いが、怒らせると滅法怖いらしい。立て続けに薬を処方してもらい少しは何か言われるかと覚悟していたが、獣の事情は様々だと彼女も理解しているのか詳細は訊かなかった。

 蒲牢が獏達の隠れている茂みへ腰を屈めると、大人しく座っていた獏は待っていたとばかりに顔を上げた。

「解熱薬。一粒で充分だから一気にたくさん呑むな、って」

「ありがとう。思ったよりたくさん入ってる」

「そう頻繁に宵街に来ない獣もいるし、その分多めなんじゃないか? ――それと」

 蒲牢は蜃の腕を強く掴んだ。

「?」

 蜃は不思議そうに腕と蒲牢の顔を見る。

「病院で椒図を見た」

「!」

 蜃は直ぐ様立ち上がろうとし、蒲牢は腕を引いて座らせた。小柄な蜃は倒れるように尻餅を突いたが、蒲牢は腕を離さない。

「離せ! 椒図が……!」

「椒図はもう離脱してる。話し掛けようとしたらすぐに逃げた」

「そんな……」

 力無く座り込むが、まだ腕は握っておく。蜃はいつ走り出すかわからない。

 獏はまだ冷静で、解熱薬の小袋を仕舞いながら考える。

「病院にってことは、怪我でもしてたの?」

「いや、怪我をして病院に行ったんならラクタが知らないはずがない。訊いてみたけど、椒図のことは知らないって言ってた」

「ラクタ?」

「病院で医者をやってるラクタヴィージャって獣だよ。薬を処方してくれる」

「そうなんだ。落ち着いたら僕も御礼を言わなきゃ」

「名前を知らないってだけで、顔は見てるかもしれないけど。病院に入るには受付の前を通らないといけないし、受付には変転人がいる。椒図は化生したてだから、それを把握してる人はまだ少ないはず」

「怪我じゃないならとりあえず安心だけど……ラクタヴィージャと受付の変転人が口裏を合わせてる可能性はあるね」

「……もしまた椒図が戻って来るにしても、すぐには戻って来ないと思う。俺の顔を見てすぐに離脱したから。こんなに椒図に避けられたのは初めてなんだけど……」

 肩を落とす蒲牢を見て、蜃も漸く冷静になって俯いた。逃げた場所にすぐに戻って来ることはないという言い分は理解できた。

「椒図は気になるけど、手筈通り先に花畑に行こう。もしかしたら花魄がいて、何か知ってるかもしれないし」

「うん。場所はわかるか?」

「前に行ったから大丈夫」

 白花苧環を手招き、獏は率先して茂みの奥へ進んだ。解熱薬を手に入れて気持ちが軽くなった。

 黒葉菫に案内され通った道を思い出しながら、石壁に打ち付けられた不揃いな街灯の間を気が逸りつつ走る。時折背後を一瞥し様子を窺う。走って蒲牢の傷に響かないか心配だが、彼は相変わらず表情が乏しい。

 背後に意識を向けていると蒲牢の眉がぴくりと動き、獏は怪訝に思いながら角から出て来た人影にぶつかった。

「!」

 数歩踏鞴を踏み、背の高い人影に腕を掴まれ支えられた。

「すみません」

 人影はすぐに手を離し、同時に謝罪した。誰とも遭遇したくなかったのに、正面から衝突してしまった。獏は自分の不注意を反省する。

「僕の方こそ、ごめん……」

 長身の青年は癖のある褐色の髪で、服は黒かった。おそらく無色の変転人だ。彼は視線を少し下げ、獏の首輪を見ている。無色なら罪人の首輪にも覚えがあるだろう。有色ならその知識はないかもしれないのに、選りに選って無色とは運が悪い。

「仕事を終えた所で、気を抜いてました。……獣ですよね? 怪我は……獣だからないか」

「……うん。僕は大丈夫。君は?」

「大丈夫です」

「良かった。ぶつかってごめんね。それじゃあ……」

 早急に立ち去ろうと青年の脇を通り抜ける間、無言で凝視された。観察するように無表情のまま見詰められ緊張感が走る。だが青年は呼び止めることなく、獏達を追うこともなかった。

 青年の姿が見えなくなった所で、漸く少し緊張が解けた。

「……絶対怪しまれたよね……」

「前見て走らないからだ」

「ごめん……でもあの人も気配を消すのがかなり上手かったよ」

「まあ無色はな。首輪とか何も言われなくて良かったな」

「だよね……。黒みたいだし見逃してくれたのかなぁ」

 面目無いと苦笑いで足早に先を急ぎ、それからは誰とも遭遇せずに目的地に辿り着いた。

 足元の明かりの消えた街灯を見つけて手を置き、黒葉菫に教わったように白花苧環に遣り方を教え込む。

「記憶が蓄積されないなら、遣り方も覚えられないかな……。腕を掴んでたら一緒に中に入れるかな?」

「もし入れないなら俺達だけ中に入って、花魄がいたら外に連れ出せばいいよ。先に俺が行くから、何か危険なことがあれば排除しておく」

「怪我してるんだから、無理はしないでよ」

「獏と蜃もまだ傷が癒えてないだろ? 皆同じ」

「僕はもう治ってるよ」

「でも熱が出る」

 きり、と街灯を回し、蒲牢は先に中へ入ってしまう。それを見て白花苧環も理解したのか只の真似か街灯に手を置いた。

「あっマキさん、もう少し間を……」

 止めようとしたが間に合わず、白花苧環も姿を消した。

「死体だけど性格なのか性質なのか……変わらないものだね」

 獏も後を追い、街灯を回す。

 それらを見届け、蜃は迷っていた。大人しくここまで付いて来たが、病院にいたと言う椒図が気になって仕方が無い。離脱したのだからすぐには戻って来ないと蒲牢は言っていた。それは正しいと思う。だがその裏を掻く可能性はないのだろうか。病院にいたのだから何かしらの用があったことは確かだ。もう用が終わっていれば戻って来ることもないが、今はそれしか足掛かりがない。こうしている間にまた椒図との距離が空いてしまいそうで、気が気ではなかった。

(今までのことを踏まえると、もっと先を考えて周りを見た方がいいんだろうな……。でも、これを手放して次に何処で掴めるかわからないんだ……。俺を見ても逃げるかもしれないが……やっとここまで来たんだ)


 花畑に入った獏は足元に注意を向けるが、木霊はもういないことを思い出し前を向いた。草木の間に小さな小屋が見える。その前に動くものがあった。

「……蒲牢」

 声を掛けるが蒲牢は振り向かず、動くものに向かって音を立てずに歩いた。獏も気配を殺して近付く。白花苧環は近付くと気付かれると悟っているのかその場から動かなかった。

 小屋に近付くと動くものが何なのか見えたが、声に出そうになるのを堪えて獏は立ち止まった。蒲牢は更に近付いてその後ろに蹲み、指先で小さな肩に触れた。


「あぎゃ――――!?」


 小さいがよく通る絶叫が花畑に響き渡り、掌に乗る程の小さな少女は持っていた大きな杓文字を落として地面に倒れた。倒れた可憐な少女の前には大きな鍋があり、ぐつぐつと何かが煮込まれている。少なくとも食べ物ではなさそうだ。薄汚れた色もそうだが、匂いがしない。その横には水だろうか、枡に透明な液体が入っていた。

「花魄だよな? 俺は蒲牢」

 小さな肩を人差し指でちょんと突き、反応を待つ。花魄は恐る恐る片目を開け、見下ろす銀色の青年を見上げた。気絶したわけではないらしい。死んだ振りだったようだ。

「ほ、蒲牢……?」

 二人は初対面である。花魄はきょとんと目を瞬く。

「罪人なんだよな?」

「蒲牢……!」

 罪人と聞いて一瞬で青褪めた花魄は素速く杓文字を拾い、慌てて鍋の後ろへ回った。大きな杓文字を突き付けながら威嚇している。どれほど睨んでも大きさの所為でまるで小動物だ。

「ほ、ほほ蒲牢って、冷酷な制裁者とか何とか……」

「俺はそんな風に思われてるのか?」

「昔ちょっと耳に挟んだだけだけど……」

「そんなに警戒しないで。花魄を捕まえに来たわけじゃないんだ」

「殴らないの……?」

「殴らない。ちょっと用があって来たんだ」

 蒲牢は振り返り、獏を呼ぶ。白花苧環も獏の様子を窺い、こちらへ歩いてきた。自ら判断して動いている。

「あっ……白!」

 妖しい面の獏よりも白花苧環の姿に反応し、花魄はぶんぶんと杓文字を振った。とにかく身の丈が小さいので、気付いてもらうには動きを大きくする必要がある。

 獏も前に蹲むと、漸く気付いたのか花魄が跳び退いた。

「だ、誰!?」

「僕は獏。君が花魄なんだよね? あのマキさん……白花苧環のことについて聞きたくて」

「獏……? 良かった、私より弱い獣だわ!」

「ふふ。君は強いんだね」

 悪夢を喰らうだけの力しかないと思い込んでいる花魄は安堵して胸を撫で下ろした。安心するとすぐに背を向け、石を踏み台に再び鍋の前に立つ。杓文字に付いた土を適当に払い、鍋に入れて掻き混ぜた。

「それは何を作ってるの?」

「獏の首輪は罪人の証よね? だったら私の味方よね?」

「そうなるかな」

 獏は首輪を外してもらうために白花苧環を呼んだが、外すことはできなかった。死体にはその権限は無いらしい。代わりに蒲牢が無言で鎖を引き、首輪を外した。この空間の中では首輪を外しても烙印は感知されない。蒲牢は何も言わないが、獏の目を一時凝視する。内緒で渋々外したから他言するなと言いたいらしい。贔屓が烙印を半解除したので蒲牢も獏を特別扱いするが、釈放されていない罪人から首輪を外す行為には躊躇いがあるのだろう。

 花魄のことはまだよく知らないが、今は味方とする方が友好的に話せそうだ。同じ罪人同士だからか、獏を弱いと思っているからか、彼女は然程警戒していない。

「一つ確認なんだけど、蒲牢が首輪を外したってことは、獏は蒲牢の監視下で散歩してるだけ……ってこと?」

「蒲牢が制裁者だったのは昔の話でしょ? それに罪人が散歩の許可を取れるものなの?」

「そ、そうよね!? ってことは獏も脱獄中なの? 久し振りの外の空気は格別よね」

「そうだね」

「なのに……木霊はいないし白は勝手に何処か行っちゃうし……でも戻って来てくれて良かった……」

「マ……白は君が動かしてるんだよね?」

「そうよ。何で動いてるのかな?」

「え?」

「蔦が切れれば動かなくなるのに」

「え……?」

 杓文字を鍋の縁に置き、花魄は小屋へ入っていく。大きな籠を引き摺って戻って来た彼女は中から葉や木の実を取り出し、鍋に投げ入れた。

「その白、かなり特殊な奴よ。そもそも私が操ってる状態で自分で蔦を切れるはずないもの! 何でなの!? 切れても普通に動いてるし、他の変転人の手から勝手に傘を抜いて使うし……他人の手に指が突っ込める変転人なんて初めて見たわよ! どういうことなの!?」

 興奮して手が当たってしまい、杓文字がぼちゃんと鍋に落ちた。

「あ……ああ……」

 花魄は慌てて鍋の縁に手を掛けそうになり、火傷をする寸前で手を引いて蔦を伸ばした。鍋の中身も熱いので、蔦も躊躇している。杓文字の端が浮いていたので、獏は抓んで鍋の縁に戻してやった。

「感謝……」

 蔦を戻し、杓文字に持ち替えてまた鍋を掻き回す。

「この白はそんなに特殊なの?」

「そうよ。蔦を切って何処かに去ったこともだけど、戻って来たのも凄いわ。死体の記憶は全部留めておけなくて、死ぬ前の数日分が限界なの。そして死後の記憶は無い。なのに同じ場所に戻って来られるなんて!」

「ああ、それは僕達がこの白からヒントを貰ったから」

「ヒント!? そんなことができるの!?」

 また杓文字を落としそうになり、慌てて掴み直した。

「ところでさっき、他の変転人の傘を使ったとか言ってたけど、その変転人って?」

「何? 変な所に興味を示すのね。可哀想だからちょっとそこに転がしてあるけど、欲しいなら持って行ってもいいわよ。狴犴に何を言われるかわからないけど」

 鍋を掻き混ぜながら花魄は小屋を指差す。小屋の陰から灰色の傘の先が覗いていた。

 獏は立ち上がり、小屋の向こうを覗く。開いた傘の向こうに、青い髪の少年が倒れていた。

「アサギさん!」

 肩を軽く叩くが、反応が無かった。息はあるので死んではいないが、目を覚ます様子がない。

「蒲牢、来てくれる?」

「……(いん)?」

「うん。壊せる?」

 蒲牢は杖を召喚し、小屋の向こうを覗く。倒れて動かない少年に杖を向けた。

「獏は離れて。慣れたと言ってもあんまり近いと巻き込むかもしれない」

 言われた通り獏は離れ、蒲牢の後ろへ避難した。蒲牢は杖を振り、空中に印を刻む。獏がこれを見るのは二度目だ。蜃とあの透明な街の繋がりを断つために使った剥離の印だ。

「体に癒着した印は簡単に壊せない。断つ方が楽。――剥離しろ」

 印が光り、眩しい光が一瞬辺りを包んだ。何事かと花魄も手を止めて小屋の向こうを見る。

 光が止んでも浅葱斑には何の変化も無かったが、蒲牢は杖を下ろした。

「印は断てたからもう大丈夫。その内目を覚ますと思う」

「ありがとう。助か……」

 浅葱斑に駆け寄ろうとしたが、土を穿つ音が聞こえて振り向く。蒲牢が杖を支えに肩で息をしていた。

「蒲牢……? 大丈夫!?」

「……たぶん怪我の所為だ……。剥離の印は元々かなりの力を持って行かれるから疲れるんだけど、怪我の所為で思ったより体力が削られてたみたいだ……」

 杖を立てたまま蹲み、頭を擡げる。顔色が悪い。

「そういうのは最初に言ってよ……」

「怪我しながら使ったのは初めてだから……」

 様子を窺っていた花魄はぴしゃりと鍋の縁に杓文字を置き、小屋の中へ走った。

「全く! 自分の体力くらい把握しなさいな!」

 葉に包まれた棒状の物を引き摺りながら花魄は戻って来る。見覚えのある葉だ。

「それ、木霊の……」

「知ってるの? 栄養価の高い木の実を煮詰めて作った栄養食よ。病院の点滴に勝る物じゃないけど、これを食べれば少しは回復するわ」

 ずしりと重みのある木の実の塊を運ぶのは小さな花魄の力では厳しい。獏はそれを拾ってやり、蒲牢に渡した。

「感謝……。木霊も早く作らないとだわ……」

 とてとてと鍋へ戻り、溜息を吐いて杓文字を握る。

「まさかそれ……木霊を作ってる……とか?」

「その通りよ! ここから出ないよう言っておいたんだけど、何かの手違いで出たみたいで……」

 心当たりが有り過ぎるので獏は黙っていることにした。

「作れるものなの?」

「木霊は二種類いるのよ。一つは天然の精霊。もう一つは私が人工的に作り出したもの。この花畑の管理をさせるために作ったの。生命体を作るから時間は掛かるんだけど、いないと不便だからね」

 鍋の中はぐつぐつどろどろと煮込まれて固体ですらない。ここからどうやって動く生き物になるのか想像できなかった。

「花魄は凄いんだね……死体を生きてるみたいに操るし、生命を作るなんて……。君がどんな罪を犯して捕まったのか想像できないよ」

「……簡単なことよ。私、知らなかったの」

「?」

「便利だから人間の死体を集めて飼ってたら、多頭飼いは駄目だって捕まったの……!」

 瞳を滲ませながら、振り払うように鍋を掻き回した。一体何人飼ったのかとは訊けなかった。

「確かにちょっとは私も殺したけど! こんな小さい体じゃ不便なんだから何人飼ってもいいじゃない! ちゃんと世話できるもん!」

「……」

 この世には色々な罪があり、色々な獣がいるのだと改めて獏は噛み締めた。

「それで結局あんた達は何しにここに来たの? 私と一緒に脱獄してくれるの?」

 鼻を啜りながらも杓文字を回し続ける花魄は時々縋るように振り向く。小さな体は隠れるには良いだろうが不安の方が大きいだろう。何せ一度踏まれれば終わりだ。自分が作り出した木霊なら勿論彼女の味方だ。木霊を頼って花魄はここに来たのだろう。だが肝心の木霊は宵街から出たことで消滅しており、頼る者がなくなった。仕方無く新しく作っているということらしい。

「ちょっとは手伝ってくれるかなと思って操ってみたけど白は勝手に何処か行くし、木霊がいなくて心細いし……でも脱獄はするの……」

 花魄が白花苧環を操る理由がぽろりと零れ、獏は安心した。白花苧環を苦しめるような理由でも狴犴が噛んでいるわけでもないなら咎めることもない。

「じゃあ一緒に脱獄しよっか」

「本当!?」

 獏はにこりと微笑む。花魄は味方にしておいた方が良い。そう判断した。木霊は植物の変転人が種を遺すことを知っていた。ならば花魄も知っているはずだ。その花魄が蔦を巻き白花苧環を手中に置いている。これは狴犴を出し抜く好機だ。

「うん。それでね、僕からも聞きたいと言うか、お願いがあるんだけど」

「な、何? 私にできるなら……」

 同じ罪人なら狴犴に対する気持ちは同じはずだ。それに木霊も狴犴のことを嫌っていた。

「この白は死体だから、種を遺すんだよね? それを……」

「狴犴と同じことを言うのね」

「!」

 狴犴が地下牢という手元に置いている罪人なら既に話が出ているのは当然だ。交渉を早まったかと獏は一度口を噤んだが、花魄は構わず話を続けた。

「種を植えてまた変転人にしたいって言うのよね?」

 頷くべきか迷ったが、ここで首を振っては話が聞けなくなる。白花苧環は花魄に動かされているが、完全には操られていない。もし彼女の気が変わったら、いざと言う時は連れて逃げることは可能だ。獏は無言で頷いた。

「狴犴には言わなかったけど、種を植えても発芽するかはわからないわよ」

「どういうこと……?」

「通常ならちゃんと発芽するわ。ちゃんと育てればね。でもそこの白……苧環だったかな。その子はもう何度もそれを繰り返されてる。種がもうね、大分擦り切れてるの。だから次も発芽するとは限らない。そろそろ種の限界なんじゃないかと思うの」

「種の限界……? じゃあマキさんはもう生まれることができないの!?」

「それははっきり言えないけど。何度も植えて変転人にすると、その都度注がれる獣の力が累積して濃くなっていくの。それが負担となって発芽を邪魔するとも言うわ。何事も遣り過ぎは良くないってことね……私の多頭飼いも……」

 自分の罪を思い出し花魄は項垂れる。獏は白花苧環に生命力を与えたことを思い出し青褪めた。遣ってはいけないことをしてしまったかもしれない。だがあの時は必死だったのだ。狴犴に潰され瀕死の彼を助けるために。その後に死ぬなんて予想できるはずもなく、彼の種がそんなに擦り切れているなどと考えられるはずがなかった。

「で、でも……次は絶対発芽しないって決まってるわけじゃないよね……?」

「それはそうだけど。ただ自然に任せると発芽しないかもね。木霊なりに花守をしてもらわないと」

「木霊はいつできるの?」

「後もう少しね。何日も掻き混ぜてるからもう手が疲れてきちゃったけど」

「手伝うよ」

「駄目。これは私の仕事。私が力を注ぎ続けないと駄目。少しは離れても問題無いから、少しなら休憩してるわよ」

「じゃあ何か、僕にできることは……」

「喋り掛けない方がいいと思うわ! 分量を間違えそうなの!」

「わ、わかった……」

 邪魔をして失敗するのは良くない。獏は静かに離れた。木霊を宵街から出すよう頼んだのは獏だ。まさかこんなことになるとは思わなかった。また作り出せることには安心したが、何も手伝えないことがもどかしい。白花苧環は無表情で鍋を見下ろしているが、何か考えているのだろうか。

 座り込んでぽつんと栄養食を齧る蒲牢の様子を窺うと、無表情だが疲れが滲んでいる。もう少し時間が必要なようだ。蒲牢の傷は止血したとは言え、止血しかしていないのだ。血染薬は呑んでいたが、やはり治療が必要なのではないかと心配になる。折角病院に行ったのだから治療もしてもらえば良かったのに、彼は解熱薬を届けることを優先した。

「……そう言えば、蜃が来ないね……」

 蒲牢も顔を上げ、花畑に目を遣る。中央は草花が茂り背の高い木々は端の方にあるが、蜃の身長ならば蹲んでいても埋もれることはないはずだ。高い位置の花壇もあるが、わざわざ隠れる必要がない。

「まさか……病院に行った?」

「椒図か? 離脱したって言ったのに……」

「マキさんが先に花畑に入るから追い掛けちゃったけど、蜃を最後にするんじゃなかった……」

 蜃はそういう奴だ。椒図のことになると周りが見えなくなる。最初からそうだった。故に危うい。

「蒲牢は……あんまり動かない方がいいよね。アサギさんもまだ気を失ってるし……。僕だけで行ってくるから、ここで待ってて」

「獏一人で? 危ないよ」

 心配する気配を察したのか、白花苧環は獏の腕をゆっくりと掴んだ。引き留めると言うより、共に行くと言っているようだった。

「マキさんも駄目だよ」

「…………」

 腕を掴む指先の力が強くなるが、無言で見詰めていると彼はゆっくりと手を離した。

「ここにいる方が安全だし、花魄に花守をしてもらおう」

 微笑みかけると、ふ、と微笑み返してくれた気がした。本当に死体なのか疑いたくなる。

 鍋を掻き回すことに集中している花魄を一瞥し、邪魔をしないように黙って獏は一人で花畑を出た。

 一拍置いて白花苧環も獏を追うように花畑を出て行った。手は離しても納得したわけではなかった。

(獏は待っててって言ったけど……付いて行ってやるか……)

 罪人が何日も自由に鍋を掻き混ぜられるなら、ここは安全なのだろう。放置されている浅葱斑もこのままにしておいて大丈夫だ。

 栄養食を頬張り、多少は回復した。蒲牢は最後の一口を放り込み、唇を舐めて立ち上がった。


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