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透明街の人喰い獏 (第一幕)  作者: 葉里ノイ


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80/124

80-二度目の崩壊


 ――これは五百年以上も昔、贔屓(ひき)達が化生して間も無い頃の話だ。


 目覚めた瞬間は視力がまだ覚束無く、不鮮明な視界と頭でまず身を隠すことを考えた。

 目覚めの記憶は曖昧で、本能的に何かに導かれるように身を隠す。視力が安定するまでは息を殺し、明瞭になると顔を上げた。

 生まれた獣は多くが放浪することになる。贔屓も例に漏れず、目に見える世界を知るために徘徊した。

 金属の擦れる音と怒号、断末魔。土煙が上がり、鎧を着た大勢の人間が騒ぐ。赤い液体を撒き、ぷつりと地面に倒れる。これは戦だと漠然と理解していた。戦が頻発する、それがこの時代だった。

 贔屓は赤褐色の目を細め、まだ感情が乏しく表情はあまり動かないが憐れむように遠く木の上からそれを見下ろした。

 生まれて最初に見た人間がそれだった。何のために争っているのかはわからなかったが、大勢で殺し合う様は儚く憐れだと思った。

 贔屓は当ても無く放浪し、村人を真似た姿で、害意の無さそうな子供に話し掛けては世界の状況を知った。化生した獣は専門的でない物の名称、動作、その地の言語を理解している。つまり生まれた時から会話が可能だ。

(村人は戦をしているわけではないのか……なのに犠牲になる……)

 そうして徘徊し時には親切に食料を分けてもらっていた。それはちょっとした噂にはなっていたらしい。

 ある時、他の人間とは明らかに異なる目立つ風貌が近付いて来た。

「只飯を集って喰らう人がいるって……」

 幾日も徘徊した後に泣きそうな顔で駆け寄って来た銀色の髪の彼は蒲牢(ほろう)と名乗り、そう聞き捨てならないことを言った。食料を与えてくれる人間は本当に只の親切な善意で、無理に出せと集っているわけではない。おそらく現場を見た親切を理解できない人間が誤解をし、彼の耳に伝わったのだろう。

 蒲牢は贔屓の弟だ。蒲牢は泣きそうな顔で贔屓を抱き締めると暫く離そうとせず、振り解くのも躊躇われて彼は途惑った。兄弟がいることは知っていたが、蒲牢の行動は理解できなかった。

「ヒキ兄様……見つかって良かった……」

「捜していたのか?」

「……うん」

「何か用なのか?」

 村の子供の視線が刺さる中、蒲牢は漸く手を離した。

「シフ姉さ……鴟吻(しふん)が見つけた宵街って場所に行こう。そこには俺達みたいな獣がたくさん棲んでるらしい」

 その兄弟の名前も知っている。この時は何も思わなかったが、贔屓はこの時点で生まれていない兄弟の名前は知らなかった。この時点では三人兄弟だと思っていた。生まれると自然とその兄弟の名前が記憶として滲み出て来るのだ。片時も忘れたことがないとでも言うように。

「そんな街があるのか。……それで、鴟吻は?」

「恥ずかしいから、心の準備をするって」

「恥ずかしい……?」

 首を捻る贔屓の手を引き、蒲牢は人目を避けて家々の裏へ回り忙しなく杖をくるりと回した。

 瞬きを開いた視界には、少し薄暗い石段が上下に伸びていた。石段に沿って赤い酸漿提灯が並んでいる。

「ここが宵街……?」

 蔦が其処彼処に蔓延り、石壁に囲まれている。贔屓も杖を召喚し、蒲牢と共に空高く飛び上がった。宵の空が見下ろす街には動く人影が幾つも見えた。

 宵街には獣と、獣が人の姿を与えた生物である変転人が棲んでいる。それを見下ろして飛び、興味深く辺りに目を遣った。石段の周りには大きな箱のような四角い石の塊が幾つも積まれていた。人間の家は木で作られているが、宵街ではこの石を家としている。


「おい! そこの獣野郎!」


 足下で上がった声が誰に向けられたものなのか定かではなかったので気に留めなかったが、杖を掴み引き摺り下ろそうとするので体勢を崩しながら小さな広場に降りた。何に掴まれたのかわからなかったが、手ではないことは確かだ。地面から届く距離ではない。自分の能力を使ったのだろう。

「新参か? オレの頭上を飛ぶんじゃねぇ!」

「ここでは飛んではいけない規則があるのか?」

「はあ? オレの頭上を飛ぶなって言ってんだ!」

「……」

 上手く会話ができない。兄弟以外の獣のことは知らないが、こんなものなのだろうか。

 蒲牢はきょとんとし贔屓の服を掴むので、不安なのだろうと思った。この時の蒲牢の胸中はただ贔屓を離したくない一心だったのだが、それは贔屓には知る由はなかった。蒲牢に死の記憶があるとは夢にも思わない。

 贔屓は会話が上手くできない見知らぬ獣の男の顔を杖で殴り、地面に貼り付くよう圧を掛けた。

「ぐっ!? う!?」

 地面に頬を押し付け起き上がれなくなった男を、周囲にいた獣や変転人は呆然と見ていた。贔屓はただ蒲牢を守っただけのつもりだった。

 宵街は一言で言えば管理者のいない無法地帯だった。先の男のように言い掛かりを付けたり横暴な振る舞いをする者が多くいた。力の無い変転人は肩身の狭い思いをしていた。それでも変転人には宵街以外に行く場所もなく、ここに棲むしかなかった。

 視線を避けるように登った石段の上の方に大きな石壁が聳えているのを見つけ、獣が無言で睨み付ける前を二人で上がって宵街を見下ろしてみた。薄暗いのであまり遠くまでは見えなかったが、想像するより広い街だった。どうやら円錐形になっているらしい。登ってきた石段は表通りだろうか。裏にも同じように石段が伸びていた。

「……蒲牢はここに棲むのか?」

「そのつもりだけど……皆で棲みたい」

「皆?」

「兄弟、皆」

「そうか……」

 棲むには少々厄介そうだ。今も嫌な声が聞こえる。あちこち諍いが起こる様は人間と変わらない。

「棲むなら、棲みやすい方がいいな。そうだろ? 蒲牢」

「……? それはそうだけど」

「この建物を拠点にしよう。ちゃんと棲める街にするんだ」

「?」

 蒲牢にはまだ贔屓が何を言っているのかわからなかったが、贔屓はこの日から宵街の改革と統治を始めた。我の強い獣を新参の獣が仕切るなど反発も多く荒れるだろうと予想していたが、それに反して殆どの獣は大人しかった。最初に贔屓が獣を地面に貼り付けたのを見ていた者から多少の噂は広まったようだ。諍いの絶えない宵街に嫌気が差していた者は贔屓を歓迎した。大半は統治されようと興味は無いといった風だったが。

 力が無いゆえ獣に逆らわない変転人達には役割を与えた。その中に普通の人間には無い特殊な力がある者が幾らか存在することに気付き、彼らは分けて考えることにした。人の姿を与えられる前の姿を聞き、実際にその生物を人間の世界で探し調査をした。どうやら有毒な生物が特殊な力を持つらしい。力があるならと彼らには獣の近くにいてもらうことにした。

 獣の食事は様々だが、変転人は殆ど人間と変わらないため人間と同じ食事をする。だが宵街にいる変転人には人間の食事を知らない者が多く、料理は混沌を極めていた。生では無く火を通して食べることはできるので知能は感じたが、味は壊滅的だった。手始めに人間に塩を分けてもらい、宵街に広めた。宵街の食事に素材以外の味が付いた瞬間である。

 食事とは偉大なもので、その辺りから贔屓の株が急激に上がることとなった。宵街を快適になど、それまで考える者はいなかった。只そこにいるだけで何の役にも立たない人間、と思われていた変転人が物覚えが良いことに気付き、好奇心の旺盛な獣達は人間の町や村に行くついでに食べ物を持ち帰るようになった。それを変転人に見せ、どうにか作り方を会得して作ってもらうようになった。

 蒲牢は化生前の記憶があるため自分達で作っていた料理は覚えているが、それを話すと記憶を訝られて詮索されてしまう。何も知らない振りを貫いた。

 その頃には宵街は少し明るくなった気がした。皆の顔が明るくなったからだろうか。

 料理を覚えると変転人達は店を出し、街らしくなった。贔屓が宵街を見回ると、変転人達はあれこれと新作を差し出し味見を強請(せが)んだ。時にはその場で食べきれない量を渡され、拠点とした場所に持ち帰ることもあった。今は科刑所と呼ばれているが、この時は研究所と呼ばれていた。下の階を交流場として開放し、獣や変転人が意見交換など行う場所としていたからだ。そこでよく解明できない料理の解剖など行っていた。交流場には蒲牢も偶に顔を出し、物珍しそうに眺め、時折無意識に歌っていた。それもまた広まることとなり、蒲牢の歌聴きたさに人が集まることもあった。集まると蒲牢は嫌がり上階へ引っ込んでしまうのだが。

「鴟吻、宵街の治安はどうだ?」

「良くなってはいますが、小競り合いはまだあります。宵街の今の状態に不満がある獣は人間に八つ当たりもしてるようですね」

「取り締まらないと駄目か……」

 中央のソファで脚を組みながら、贔屓は唸る。部屋に鴟吻の姿は見えないが、声は聞こえる。奥の机の下で座っているはずだ。どうも鴟吻は恥ずかしがり屋……どうやら姿を見られるのが恥ずかしいらしい。兄弟なのだから気にすることはないと贔屓も蒲牢も思うが、こればかりは本人の気持ちの問題だ。

「取り締まるなら牢屋が必要ですね。地霊の掘った穴の再利用だと手間が大幅に省けます。それから枷に……烙印も必要でしょうか。罪の選定は贔屓に任せますが、制度の構築なら手伝います」

「頼もしい限りだな」

 笑っていると部屋の扉が開かれ、手に大きな器を持った蒲牢が足早に遣って来た。

「ヒキ兄様……違う、贔屓、これ味見」

「今度は何だ? 最近は人間に習わない独自の料理も作ろうとしているようだが」

 複数の料理を纏めて器に載せて来たようだ。その内の一つを口に入れる。

「それは失敗作」

「っ!」

 形容し難い不快な味が口腔を襲い、贔屓は咳き込んだ。鴟吻も机から少し顔を覗かせ様子を窺う。

「失敗作は持って来なくても……」

「失敗作でももしかしたら美味しいかもしれない」

「それは失敗とは言わないんじゃないか? どう失敗したらこんなことに……」

「人間の作った味噌っていう調味料が美味しくて」

「ああ、味噌か」

「それを作ろうと発酵させようとして失敗したんだって。だからこれは只の腐った豆」

「そんな物を食べさせるな」

饕餮(とうてつ)も遠慮してた」

「何でも食べる饕餮が遠慮した時点で食べ物じゃないんだが」

 この時点で生まれた兄弟は五人になっていた。饕餮は食欲旺盛で食べ物に興味津々で、交流場をこっそり覗いてはよく抓み喰いしていた。蒲牢は堂々と顔を出しているが、饕餮は抓み喰いが前提にあるためかいつも隠れて顔を出さない。狴犴(へいかん)はあまり研究所に来ることはなく、近所の家に一人で棲んでいる。

 罪人を裁く制度を構築してからは人手が足りなくなり、手近にいた無色の変転人に手伝ってもらうことにした。だが罪人は獣なので変転人ではどうしても荷が重く、手伝ってくれそうな獣に何人か声を掛け、交流場によく出入りしていた鵺や螭が手伝ってくれるようになった。

 軽罪であろうと重罪だろうと分け隔て無く首に烙印を捺し、数々の獣が地下牢に入れられることになった。地下牢では罪人は力を封じられたが、軽罪は投獄期間が短い。そのため再犯も多かったが、罪を重ねる毎に釈放時に解除される烙印の痛みが増し徐々に再犯の数も減ることになった。

 重罪にも終身刑はなかったが、解除印で失神してしまう者はいた。生きながらの苦痛を与え重罪人からは疎まれる存在となった贔屓だったが、その他大勢からは親しまれた。

 その贔屓の遣り方に温いと狴犴が苦言を呈したことがあったが、贔屓は話を聞きながらも彼の言い分を受け入れることはできなかった。贔屓の遣り方で問題が起こっているわけでもなく、狴犴もそれ以上は強く言わなかった。

「だが、問題が起こってからでは遅い」

「わかってるよ、狴犴。でも獣の生は長い。寿命らしい寿命も無い。大事な役割を担う獣もいる。だから終身刑は認められない」

「…………」

 強く言わなかったのは、贔屓の言うことにも一理あると思ったからだ。落し所がわからなかった。贔屓が全て正しいと思っていたわけではないが、鴟吻も蒲牢も口は出さなかった。

 それが起こったのは、贔屓がいつもの見回りをしている時だった。研究所の上階で鴟吻はいつものように机の下で杖を抱え、千里眼を使用していた。悪事を働く者がいないか観察するのは専ら鴟吻の仕事だった。一人でいる時は千里眼を使用してはいけないと贔屓に言われていたが、彼が見回りに出ている時に彼が人々に好かれている様子を見るのが彼女は好きだった。

 贔屓が何故千里眼の使用を制限しているのか――それは、使用している最中は自身の周囲が見えないからだ。視界を切り替えて遠方を見ているため、自分の周囲か千里眼で遠方か、どちらかしか見ることができないのだ。目と耳は独立しているため耳は近辺の音を拾えるが。

 だが聞こえるとは言え音を忍ばれるとお手上げだ。目に集中するため、鴟吻は気配を察知することが苦手だった。

(贔屓は今日も抱えきれないほど食べ物を貰ってる……ふふ)

 にこにこと微笑みながら千里眼で見ていると、二つに束ねた髪を突然掴まれた。

「!?」

 乱暴に髪を引かれ、鴟吻は床に手を突く。何が起こったのかわからず、慌てて千里眼を切り目の前を見た。

「……!」

 それは数日前に釈放された罪人の男だった。釈放されても尚残る首の烙印がそれを証明している。部屋の扉が開いたことに全く気付かなかった。

「これから何をされるかわかるな?」

「貴方は……」

「獣が悪事をして何が悪い? 少し人間を殺しただけで牢屋行き? 獣より人間が偉いって言うのか!?」

「っ……!」

 強く髪を引かれ、鴟吻は床に倒れた。鴟吻の千里眼は強力だ。地下でなければ何処でも見ることができる。その強力さ故か、襲われた時に抵抗する力が無い。怯えた目に見上げられ、男にとっては嘸かし気分が良いだろう。

「ぁ……ぅ……」

 机の下に隠れることができるほど小柄な鴟吻の体は軽く、髪を掴まれ容易に床から足が離れた。

「こんな小さいガキの姿の奴に……!」

 握り締めた髪を振り下ろされ、床に叩き付けられる。幼い子供の姿をした鴟吻はその姿を見られるのを恥ずかしがった。外見がそうでも中身まで幼くはないことは皆わかっているが、少年の姿をした贔屓や青年の姿をした蒲牢と比べるとやはり子供のようで、それを彼女は気にしていた。鵺も幼い少女の姿をしているが鴟吻はそれよりも幼いのだ。鴟吻の姿は、彼女自身は知ることはないが化生前と殆ど変わらなかった。

 男が腕を振れば容易く振り回される小さな少女は、私怨と報復で何度も床に叩き付けられた。獣であり釈放された罪人なのだから己の能力を用いれば手など使わなくとも攻撃は可能なのに、甚振るように苦痛を与え続けた。

「あっ……やっ……、やめ……」

 獣なので人間の体より丈夫とは言え、頭から血を流して平気な顔でいられるはずがない。床を叩く鈍い音が遠く、意識が朦朧とする。

 ――開けられたままの扉から変な音がする。それに最初に気付いたのは饕餮だった。饕餮はあまり一箇所に留まらないが、交流場の料理の試作が気になりよく研究所に足を運ぶ。この日もそんな何気無い訪問だった。

 鴟吻と揃いの二つに束ねた髪をうきうきと揺らし、餅でも搗いているのかと部屋を覗いた饕餮は絶句した。考えるより先に太刀を抜いていた。

「こそこそと外道が!」

 男が顔を上げた時には既にその頭は体から切り離され、力の抜けた手から鴟吻が落ちると饕餮はくるりと勢いを付け男の体を両断した。

「二度と化生するな!」

 びちゃりと鮮血が床を汚し、じわじわと広がっていく。穢らわしいものを見るように睨み、転がった頭を蹴り飛ばした。

 もう一発蹴りたかったがそんなことをしている場合ではないと太刀を握ったまま振り返り、床に倒れて魚のような尾すら動かない鴟吻の傍らに膝を突く。

「鴟吻! 大丈夫か!? 抵抗できないのを知ってて、贔屓と蒲牢の留守を狙ったのか……」

「ぅ……」

 微かに吐息が漏れ、生きていることが確認できて一先ず安堵した。だが息があるとは言え怪我は酷い。早く病院へ連れて行かねばならない。

 三つに切り分けたが念のためもう一度男が動かないことを確認してから太刀を仕舞う。

「頭が開いたら大変だから、布で縛るよ。手当ての仕方はよくわからないけど」

 近くにあった仕立て前の大きな布を引き裂いて鴟吻の頭を縛り、血と涙でぐしゃぐしゃになった小さな体を抱き上げる。杖を召喚し尻に敷きながら饕餮は唇を噛み、鴟吻を落とさないようふわりと飛んだ。

「……わ!?」

 部屋を出る所で戻って来た贔屓とぶつかりそうになり慌てて杖を避ける。

「!?」

 贔屓は変わり果てた鴟吻の姿を見て息を呑んだ。両手一杯の食べ物が床に落ちるのも構わず、血と涙に濡れた彼女の頬に震える手を伸ばす。

「一体何が……」

「話は後だ! 病院に行く! ……あ、部屋の中は片付けとけ!」

「あ、ああ……」

 状況は理解できなかったが病院へ急がねばならないのは鴟吻の状態を見れば一目瞭然だった。杖を飛ばす饕餮の背を見送り、すぐに追おうと杖を召喚するが饕餮の言葉が気になり部屋を覗いた。

「!」

 血の海の中で体を二つに切り分けられ、赤い線を引いた頭が部屋の隅に転がっていた。遠目でも理解できた。首に烙印を捺したのは自分なのだから。

 彼は贔屓達が初めて宵街を訪れた時に絡んできた男だ。粗暴な彼は贔屓が宵街を統治しても悪事を止めなかった。

「報復か……」

 苦虫を噛み、忌々しげに贔屓は毒突いた。

 感情の消えた冷ややかな目で杖を振り、屍骸に加重する。肉が潰れ骨が砕ける音を耳に、軟体動物のように屍骸を潰して処理した。

 贔屓が病院へ行く頃には鴟吻の治療は終えられ、ベッドの上で目を開けている彼女を見て胸を撫で下ろした。

「鴟吻」

「贔屓……うっ……」

「無理をするな。寝ていろ。饕餮に話を聞く」

 体を起こそうとする鴟吻を制し、ベッドの脇に椅子を置いて掌に収まる程の小さな和林檎を齧っていた饕餮に目を遣る。名指しされた饕餮は噛み砕いた林檎を飲み込んだ。

「御見舞いに林檎を渡そうとしたら、そんな固い物を齧らせるな傷に響くって病院の奴に怒られた」

「そうか。大凡見当は付くが、研究所の男を斬ったのは饕餮か?」

 饕餮は小さく林檎を齧り、鴟吻の頭を見る。

「……我が部屋を覗いた時、鴟吻は髪を掴まれて床に叩き付けられてた。贔屓と蒲牢には勝てないと悟って、非力な鴟吻しかいない瞬間を狙ったんだ。卑怯な小物さ。粉微塵に斬り刻みたい所だった」

「ありがとう、饕餮」

「御礼はいい」

 饕餮は半分ほど食べた林檎を贔屓に投げ付けた。贔屓は片手でそれを掴む。

「罪人を裁く以上、予見できたことじゃないの? 大事なものは取られないよう、ちゃんと見とけ」

「……ああ。これは僕の責任だ」

「別に釈放するなとか言ってるわけじゃないぞ。するなら身も守れって話だ。……因みにだが、罪人をぶった斬った我も何と言うか……罪に問われるのか? あいつを地下牢に放り込みたかったなら謝るか? 謝りたくないが」

「いや、いい。何も咎めない」

 饕餮はほっと胸を撫で下ろした。烙印を捺されるのは痛そうなのだ。避けられる痛みなら避けたい。だが烙印を捺されるとしても、あの場で鴟吻を助けない選択肢はなかった。斬り殺したことを遣り過ぎとは思わなかった。

 次に騒々しく病室のドアを開けたのは蒲牢だった。息を切らせながら杖から飛び降りる。研究所の屍骸は処理したが血はそのままだ。血の海を見て慌てて病院に飛んで来たのだろう。感情の起伏の乏しい蒲牢が珍しく狼狽し青褪めながら、ベッドに駆け寄った。

「鴟吻……」

 鴟吻は何か言おうとしたが、口を開こうとすると頭の傷が痛んだ。再び贔屓に止められ、鴟吻は何も言えなかった。言い付けを守らず一人でいる時に千里眼を使っていた所を襲われたのだ、贔屓だけの責任ではない。それも言えなかった。千里眼を使用していたと言っても、贔屓は鴟吻を責めることはないだろう。それを容易に察することができたのが一番悔しかった。

 蒲牢も饕餮から何があったのかを聞き愕然とした。贔屓の遣ってきたことが全て正しいとは思っていないが、間違いだとも思ったことがなかった。

 気落ちした顔をする蒲牢を安心させようと鴟吻は笑いかけようとし、痛みで上手く笑えなかった。

 動けない鴟吻を一人残して行くわけにもいかず、三人は暫く病室にいた。

 饕餮は腹が空き始めると立ち上がり、眠ってしまった鴟吻を見下ろす。贔屓と蒲牢がいれば、また誰かが襲来したとしても大丈夫だろう。真剣な顔で考え込みずっと床を見詰めている贔屓と俯いてぼんやりしたまま動かない蒲牢を見ていると、こっちまで気が滅入りそうだ。

 ドアに手を掛けようとしたがその寸前で唐突にドアが開き、饕餮は目を丸くして目の前に立っていた金髪の男を見上げた。

「狴犴……」

 狴犴は饕餮には目もくれず押し退け、椅子に座っていた贔屓の前に立った。鴟吻を一瞥し、状況を把握する。

「だから言っただろう。何かあってからでは遅いと」

 贔屓は狴犴を見上げて立ち上がる。普段研究所に来ない狴犴が異常に気付くのは早過ぎるが、血溜まりを見た変転人にでも助けを求められたのだろう。贔屓も鴟吻も蒲牢も見当たらないとなれば、必然的に狴犴の許へ行く。

「あの血溜まりが鴟吻の血ではなかったことだけが救いだ。だが不自然に鴟吻の毛髪が落ちていて、酷い仕打ちを受けたことはわかる」

「すぐに殺すことが目的ではなく、甚振り愉悦に浸ることが目的だったんだろうな」

 狴犴は拳を握り、贔屓の頬を思い切り殴った。蹌踉めきそうになるが耐え、贔屓は狴犴を見詰めた。避けることはできたが、避けなかった。それでは狴犴の気は治まらない。尤も、殴っても治まらないだろうが。

 最初に苦言を呈した時にもっと強く言っていればこんなことにはならなかったかもしれない。意見を押し通さず引いてしまった自分に対する遣る瀬無さも含め、殴ったのは八つ当たりのようなものだった。狴犴は震えそうになる拳を解き、諦めたように息を吐いた。手がじんと痛む。

「怨みを買う前提で終身刑にすべきだったんだ。……それに、弱い鴟吻を巻き込むべきではなかった」

「鴟吻を巻き込むべきではない、ということには同意するが、手伝うと言ってくれたのは鴟吻だよ。無理強いはしていない。怨みは……反省する前に釈放してしまったんだろうな」

「飽くまで自分の遣り方が正しいと嘯くんだな」

「正論を言っているつもりはない。狴犴の言い分も一理あるが、それが正しいとも思わない。元より性質も性格も異なる獣が全て一つの力で御せるとは思っていない。狴犴の提案でもそれは同じだ」

「御す自信が無いなら永久に手足を縛っておくのが賢明だと思うが? お前は怨恨に対して抵抗できる自信があるから言っているのだろう? 弱い鴟吻の立場がわかっているのか?」

「弱者を守るために罪を裁いてるんだ。考えてないわけがないだろ」

「考えていて何故鴟吻がこんな目に遭う?」

「だからそれは、」


「二人共、それ以上は……」


 終わらない口論を見兼ねて声を上げたのは蒲牢だった。贔屓と狴犴は蒲牢が耳を寄せているベッドの上に目を向け、はっと口を噤んだ。眠っていた鴟吻が涙を零しながら小さく口を動かしている。

「……鴟吻が、弱くてごめんなさい、って言ってる」

「…………」

「二人は、鴟吻を盾に自分の意見を押し付け合ってるようにしか見えないよ。鴟吻が可哀想だ。わざわざ病室でする話じゃない」

 この場ではその蒲牢の言い分が一番正しかった。負傷し衰弱する鴟吻のいる病室で話すことではない。鴟吻を泣かせてまで続ける話ではなかった。

「……頭を冷やす。ここは任せていいか? 蒲牢」

「うん……わかった」

「鴟吻、すまなかった」

 贔屓は鴟吻を一瞥し睫毛を伏せ、病室を出て行った。

 狴犴も暫く立ち尽くしていたが、何も言わず思い詰めたように病室を後にした。

 出て行きそびれた饕餮はドアと蒲牢を交互に見、得体の知れないものを見たような複雑な表情をした。

「あいつら、子供か? 御見舞いの品も持って来なかったぞ。……それはお前もか」

「何が起こったのかわからなかったから……」

「知ってるか? 甘い食べ物は甘いんだ」

「うん……?」

「甘い饅頭を食べてみたいと思わないか? さとう、って奴だ。身分の高い人間が食べてるらしい」

 深刻な顔をして何を言うのかと思えば、食べ物の話だった。この時代ではまだ砂糖を使った菓子はあまり無く、庶民には馴染みの薄い物だった。

「きっとそういうのを食べると鴟吻もすぐ元気になるな! 気を利かせてそういう物を持って来るべきだと思う」

「饕餮が食べたいだけじゃないか。自分が持って来たのは林檎なのに」

「きっと罪人にも甘い食べ物を吊してやれば、言うことを聞くぞ」

「饕餮は平和だな……」

 彼女の緩い話を聞く内に鴟吻も泣き止み、泣き疲れたのかまた眠ってしまった。傷を癒すために睡眠を優先している。この件の被害者は鴟吻なのだから口論の前にもっと彼女を労っても良いものだが、贔屓も狴犴も頑固だ。

「蒲牢、何が一番甘いと思う? 林檎は酸っぱいからね」

「……通草(アケビ)とか?」

「何だっけ? それ」

「木の実。山に生えてる紫色の実だ」

「林檎みたいな感じか? 加工しなくていいなら探してみるか」

「干して待てるなら柿の方が甘いかも」

「どっち?」

 興味が出たのか饕餮は杖を召喚し、すぐに跳び乗って行ってしまった。試しに通草の名を出してみたが、化生前に兄弟と食べた通草も覚えていない饕餮に一抹の淋しさを覚える。

 鴟吻が動けるようになるまで蒲牢は病室で過ごしたが、誰も来ず平和なものだった。その間、贔屓は研究所の上階で一人で思考していた。狴犴も家で頭を冷やしているだろう。

 鴟吻が退院し復帰してもそんな膠着状態が暫く続いた。贔屓は普段通り振る舞っているように見えたが、その腹の中では憂いが晴れることはなかった。罪人に烙印を捺しながら、悲痛な叫びを耳に入れながらも何処か上の空だった。

 ある日再び研究所を訪れた狴犴は贔屓と対峙し、鴟吻の病室での口論以上に延々と互いに言い合った。その日の予定は全て放棄し、罪人も放置して贔屓は狴犴の相手をした。鴟吻と蒲牢は呆然と見守ることしかできなかった。

 結局の所、贔屓は宵街を統治する上で罪人も含め全て平等に守ろうとし、狴犴は手の届く範囲の特別なものだけを守りたかった。口論は永遠に平行線で、決着など付くはずがなかった。声が嗄れるほど言い合った二人は相容れないことを思い知り、やがて贔屓が折れた。兄だから譲歩したわけではなく、同じ立場にならなければわからないこともあるだろうと狴犴に宵街を明け渡すことにした。

「狴犴も統治してみれば、僕の言っていることがわかるだろ。その辺の個人ではなく、皆の上に立つことを理解すれば」

「一人残らず全てが納得する施策など無い。悪は裁かれ虐げられるものだと割り切れ」

「……ではもし、兄弟が罪に触れることがあれば、同じことが言えるか? 兄弟に、虐げられろと言えるか?」

「もしそんなことがあれば、それは仕方の無いことだ。言えるに決まっているだろう」

 その言葉を聞き、覆せないと贔屓は悟った。

「宵街は狴犴に任せるよ。遣りたいように遣ってみるといい。狴犴の邪魔にならないように僕は宵街を出る。統治者が代わると皆に報せないとな。後始末のために一日猶予をくれ。この研究所も好きにしていい。引き継ぐために訊きたいことがあるなら、今の内に訊いておけ」

「…………」

 狴犴も贔屓を引き留めることはせず、宵街を預かることにした。放棄することもできたが、それで治安が悪化しては変転人にも支障が出る。狴犴も宵街を統治することには賛成なのだ。

 鴟吻と蒲牢も宵街に残るか悩んだが、鴟吻が手伝いたかったのは贔屓である。狴犴が嫌いなわけではないが、一律の終身刑は遣り過ぎではと思う所はあった。

 鴟吻も宵街を出ることを決めると蒲牢も自然と外に向いていた。また兄弟で共に過ごせればと考えていた蒲牢だったが、それはもう叶いそうにない。兄弟を纏めていた長子と次子が去ることは大きな穴となる。

 三人が去ると研究所は解体され、自由に出入りを許していた交流場も閉鎖された。それにより食べ物の研究は滞り、再開されないことに興醒めした饕餮も宵街にあまり寄りつかなくなった。

 狴犴は狻猊(さんげい)睚眦(がいさい)に呼び掛け、手伝わせることにした。覇下(はか)も呼んだが、彼女は憂鬱な顔で首を横に振った。椒図はこの時まだ生まれていなかった。

 宵街が狴犴の体制になり彼の遣り方が周知されると徐々に宵街を出て行く獣が増えた。空はそれを映すように暗くなった。

 贔屓が地下牢に収容していた罪人は軽罪人だけは彼の言い渡した刑期を守り釈放したが、その他は終身刑に切り替えた。勿論荒れることとなったが、烙印を捺され地下牢に入れられた獣は力を使えない。反抗などできるはずもなかった。

 贔屓に戻って来てもらおうと捜す獣もいたが、終ぞ見つけることはできなかった。

 狴犴との口論の末での決断と決別だったが、宵街の皆にははっきりそれと言うことができず詳細は話していない。宵街の皆には何が何やらだろう。ただ全く知らない獣に譲り渡されたわけではなく贔屓の兄弟として知れていた狴犴が引き継ぐので、受け入れてしまった者もいる。重罪さえ起こさなければ関係の無い話なのだ。

 獣の長い一生の中では一時(ひととき)の夢のような時間だった。それを持ち上げ、贔屓のいた頃は良かったと言う者は多い。

 狴犴の統治下に残り手助けをした獣は兄弟を除けば螭だけだった。後から見兼ねた鵺が戻っては来たが、空いた穴は変転人で埋めるしかなかった。

 狴犴はその後、五百年足らずその厳しい体制を殆ど一人で守り続けることになる。


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