【終話】 化け猫姫と王子様
広間を出た二人の姿は、すでにリュシアンの自室にあった。国王夫妻は今頃、場の騒ぎを収めるのに必死になっているだろう。それを放置するとは、何とも親不孝者の王子である。
でも、今は気にしない。
離れていた分、もっとリュシアンと一緒にいたかった。
ずっと認められるわけがないと思っていたのに、実際はそうでもなかった。前途はまだまだ難ばかりだろうけれど、まずは一歩踏み出して。これからずっと、二人でゆっくり進む。
そんなミミは現在、リュシアンのベッドの上にちょこんと座っていた。
部屋の主は、飲み物か何かを探しに部屋を出ている。
しっかり鍵をかけていくあたり、用心しすぎという気がしないでもない。ああも睨んでおけばさすがのアドリーヌだって、ここまで来てちょっかいは出さないと思うのだが。
「……いや、ワシ対策か?」
現に、何も言わずに『失踪』したのだから、用心されても仕方ない。
できれば早く帰ってきてほしかった。リュシアンになら、このまま閉じ込められていてもかまわない、なんて危険な考えに魅力を感じる前に。……今でもだいぶ、魅力的な囁きだ。
「少し飲むか?」
そこに、赤い液体の入ったグラスを手にリュシアンが戻ってきた。グラスの中身は、おそらくぶどう酒なのだろうが、実を言うとミミはアルコールの類は飲んだことが無い。
しかし、渡されたからには飲むしか。
「……」
ぐいっと一気に煽ると、実に甘くて香りのいい――ジュースが飛び込んできた。予想と反する結果に驚愕しつつも飲み干し、ミミはじとりとリュシアンを睨んだ。
こんな関係になったのに、なおも子ども扱いされた気分だ。
「俺のもジュースだから、気にするな」
「飲まぬのか?」
「……飲んだら、何をするかわからない」
「う……」
直球すぎる理由に、ミミは真っ赤になる。心の一部が、何をされても、なんてふざけたことを言っているし、そんなのまだダメだとわめく自分もいるしで、落ち着きがない。
何を、自分は意識しているのだろう、とミミは思う。
リュシアンと二人っきり、というのは今まで何度もあった。散々抱きしめられたし、そういえばキスだってしてしまっている。一緒にいる、という段階は、もはや当たり前のことだ。
当たり前のことで、いちいちドキドキなんてしていられないのに。
やっぱり、そういう『関係』になってしまったから、なのか。
気づけば空のグラスを取り上げられている。それを無造作に近くにテーブルに並べ、リュシアンはベッドに腰掛けた。それから、少し微笑んで、ミミに手を伸ばす。
「やっぱり、よく似合うな」
「服の……ことか?」
「それもあるけど、この……婚礼衣装。ミミに良く似合ってる」
どこかかすれた声で囁かれ、頬を撫でられる。
ただでさえ赤かったミミの頬が、さらに色を深くした。リュシアンはひざの上で堅く握られたままの彼女の手を、一回りほど大きな自分の手で優しく握り締める。
「ミミはここで俺と一緒に、家族を作って暮らすんだ……いいな?」
「……えっと」
何から言えばいいのか、わからない。
リュシアンは、今まで見たことも無いほど優しい笑みを浮かべている。優しいのに、どこか怖いとも思ってしまった。それはきっと、あの日と同じ炎が燈っているからだろう。
――あぁ、だからか。
だから落ち着かないのだ。胸がざわついて、息が乱れる。こうして彼を、じっと見ているだけでも限界だ。こんな状態から何かを言うことなんて、ミミにはできるわけがなかった。
だけどリュシアンは、黙ることを許さない。
「ミミ」
「う、うむ……なんじゃ」
「俺はずっと、お前だけがほしかった」
「う……」
「声とミミのどちらかしか得られないなら、俺はミミを選ぶよ」
王位だっていらないと、彼は言い切ってみせる。
そんなのダメじゃ、と言いたいけど、ミミは言えなかった。
嬉しいと、心が言ってしまった。抵抗できない。そんな言葉は喜ぶべきではないのに、どうしてこんなに嬉しいと思ってしまうのだろう。苦しいくらいに、嬉しいなんて。
「だから」
ぎし、とベッドが軋む。
少し離れたところに座っていたリュシアンが、ゆっくりとミミに近寄ってくる。
もう一度頬に触れてから、そっと肩をつかんで。
そのまま、彼に引き寄せられていく。
「何度でも言う。ミミ、どうか俺と結婚してほしい」
「……っ」
もう、何もいえない。
けれど言う必要も無いことを、ミミは思い出す。言葉が無くても、彼は常にミミへ思いを伝えようとしていた。自分が気づかなかったり、見えないことにしていただけだ。
ミミは笑って、リュシアンの腕の中に飛び込んでいく。
彼の背中に腕を回し、ぎゅっと抱きしめた。
■ □ ■
昔々、少し昔のお話です。
お城に住んでいた化け猫姫は、呪われた王子様に恋をしました。
王子様の呪いを解くために、化け猫姫は自分にかかっている魔法を使って、彼女はただの猫になってしまいました。けれど王子様は化け猫姫を探し、その口にキスをしました。
すると猫は、化け猫姫の姿に戻ったのです。
王子様は彼女に跪いて、ずっと好きだったのだと告げました。そう、化け猫姫と王子様は両想いだったのです。化け猫姫は求婚を受け入れ、二人は抱きしめあって再会を喜びました。
二人の結婚に反対する人々もいましたが、化け猫姫がどれだけ王子様を愛していたのかを多くの人々はわかっていましたし、彼女がとってもいい子であることも知られていました。
こうして化け猫姫は王子様の隣で、いつまでも幸せに過ごしましたとさ。
――めでたしめでたし。