『新宿、午後六時三十分』
午後六時三十分。新宿駅東口、アルタ前。
人の波が絶えず流れ、笑い声、怒号、電子音、音楽が混ざり合い、巨大なノイズとなって街を満たしていた。
――その中で、ただ一人。
桐生徹だけが、世界から切り離されていた。
「……遅いな」
腕時計を見て、舌打ち。
三十分の遅刻。不倫相手の美咲だ。
予約したフレンチ。妻には嘘をついた。
“俺を待たせるなよ”
そんな苛立ちを押し殺し、スマホを取り出す。
――震えた。
画面には「非通知設定」。
「……チッ。美咲か?」
迷う理由もなく通話ボタンを押す。
「おい、遅いぞ。今どこ――」
『動くな』
低く、機械のように平坦な声。
『そのまま、一ミリも動かずに前を見ろ』
「……は?」
意味が分からず、苛立ちが先に立つ。
「誰だよ。ふざけ――」
『左胸を見ろ』
命令だけが落ちてくる。
徹は反射的に視線を落とした。
ネイビーのスーツ。
その左胸に――
赤い点。
「……なんだ、これ」
指で払おうとした瞬間。
『動くなと言ったはずだ』
パシィッ――。
足元のアスファルトが弾け、破片が靴に当たる。
だが、周囲の誰一人として気づかない。
ここで何が起きているのかを。
「……っ」
『次は外さない』
淡々とした声。
『三十八口径。距離三百メートル。風速、問題なし。……お前の心臓まで一直線だ』
赤い点が胸から喉へ、そして眉間へと移動する。
呼吸が止まる。
「な……何が目的だ。金か? 払う。いくらでも――」
『いらない』
即答。
『俺が欲しいのは、お前の“声”だ』
「声……?」
『通話を切れば、お前の頭は砕ける』
徹は言葉を失った。
『叫ぶな。逃げるな。誰にも助けを求めるな』
街は騒がしいのに、自分だけが透明な箱に閉じ込められたようだった。
『さて――テストをしよう』
声がわずかに楽しげに歪む。
『お前の正面。ベージュのコートの女が来る』
視線を上げる。
――いた。
「徹さん!」
美咲が駆けてくる。
息を切らし、笑顔で。
「ごめんなさい、電車が――」
「来るな!」
徹の叫びに、美咲が固まる。
「……え?」
その瞬間、赤い点が移動した。
徹の眉間から――美咲の胸へ。
『いい女だな。だが可哀想だ。お前のことを何も知らない』
「やめろ……」
『不倫相手が三人いることも、な』
美咲の表情が凍る。
『今から、彼女に全部話せ。スピーカーにしろ。嘘をついたら――』
一拍。
『彼女を撃つ』
「……っ」
「徹さん……誰と話してるの?」
美咲の震える声。
守るべき存在のはずなのに、徹の喉は乾いて声が出ない。
『十秒』
カウントが始まる。
『十、九――』
街の音が遠ざかり、自分の鼓動だけが響く。
赤い点は、美咲の心臓に固定されたまま。
「待て……!」
震える指でスピーカーに切り替える。
『三、二、一』
カウントが止まる。
『さあ――お前の“本当の声”を聞かせてみろ』
徹は口を開く。
だが声が出ない。
その時。
スマホの画面が変わった。
通話時間「00:00」が――
ゆっくりと「00:01」に動き出す。
『これはゲームだ、桐生。制限時間は一分』
心臓が跳ねる。
『時間内に“満足する声”が聞けなければ――』
一瞬の沈黙。
『お前も、女も、ここで終わりだ』
00:05
00:06
00:07
「……徹さん?」
美咲の声が震える。
『残り四十五秒』
その瞬間。
徹の仕事用のスマホにもう一件の着信。
表示された名前を見た瞬間、徹の顔から血の気が引いた。
――「妻」
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