第43話 根付いた景色
第2部が始まります。
本編(第1〜41話)と番外編(第42話)のその先。宰相グレン・ヴァルドール視点から、静かに。
あれから、季節がふたつ巡った。
王宮は、静かなままだった。
いや、静かというより――回っていた。
誰かが叫ばなくても。駆け込んでこなくても。朝が来れば書類が動き、昼には片付いている。
グレン・ヴァルドールは、そのことに、もう慣れていた。
慣れて、なお、時々思う。
――よく、根付いたものだ。
"仕組み"は、王宮の外にまで、広がっていた。
近隣の領から、人が学びに来るようになった。席次の割り振り方。記録の残し方。判断を一箇所に集めない、あの分け方を。
写しを持ち帰り、自分の領で真似る。うまくいったと、礼状まで届く。
彼らは口を揃えて言う。
「見事な制度ですな」
「どなたが、考案を?」
グレンは、そのたびに、同じ答えを返す。
「さて。もう、誰のものでもありません」
それが、正しい答えだと思っている。
名を残さない。地位も、功績も。それが、あの人の望みだったのだから。
――止まる前に、動く。
――崩れる前に、片付ける。
彼女がしつこいほど繰り返した言葉は、今では、新任の文官までが口にする。
意味を知らずに。手順として。
それでいい、とグレンは思う。
理解が手順になった時、初めて、仕組みは仕組みになる。
彼女なら、そう言うだろう。
「……」
その夜だった。
グレンは机の端で、ひとつの束を、手にしていた。
地方からの陳情記録の、控えの、そのまた控え。誰も見ない紙だ。処理が済めば、束ねて、棚の奥へ回されるだけの。
その数字が、合っていなかった。
ほんの、わずか。
東棟が受けた来客の数と、西棟が用意した席の数。突き合わせれば、二つ、余る。
誰も、気づいていない。
気づく必要が、ないからだ。二つくらいの余りは、現場が勝手に吸ってしまう。予備の席は、そのためにある。
――問題に、なる前に。
グレンは、羽根ペンを取った。
控えの隅に、一行だけ、書き足す。
修正前、二席過剰。修正後、予備へ回付。
誰かがいつか読んだ時に、辻褄が合うように。
書き終えて、ふと、手が止まる。
「……」
これは。
彼女が、やっていたことだ。
問題になる前に、先回りして消す。過去の歪みまで、同時に片付ける。書類の隅に、一筆だけ添えて。
いつから、自分が、やっているのだろう。
思い出せなかった。
気づいた時には、もう、やっていた。
一枚。また一枚。誰も見ない控えの、合わない数字を。
「……相変わらず、都合のいい理屈ですな」
誰もいない執務室で、独りごちる。
机の端の椅子に、目をやる。
彼女が最後まで使っていた、あの椅子だ。今も、誰にも座らせていない。
理由を聞かれれば、席次の都合とだけ、答えるつもりでいる。
聞かれたことは、まだ、一度もない。
「……」
窓の外を見る。
鐘が鳴った。王宮の一日が、また静かに、閉じていく。
――このまま、静かに続いていくのだろう。
グレンは、そう思っていた。
その、翌朝。
王宮に、ひとりの男が来た。
他領から招かれた、"効率化の専門家"だという。
彼は、彼女の残した記録を、誰よりも正しく、読んでみせた。
第2部、始まりました。宰相グレン視点から静かに立ち上げています。
「よく根付いた」と思っていた仕組みに、ひとつだけ、誰も見ていない綻びが残っていました。そして次話――それを"誰よりも正しく"読む男が現れます。
続きます。よろしければブックマーク・評価で応援いただけると励みになります。




