【第8話:命の灯】
息が苦しい。
喉が焼けるように渇き、視界は霞んでいた。
クロは木の根元に倒れていた。
逃げる途中、足を滑らせて転び、そのまま意識を失っていたのだろう。
起き上がろうとしても、体は動かなかった。
疲労と負傷で、限界を迎えていた。
(……ここで……終わりか)
どうしてあの時、スキルを出せなかったのだろう。
自分はただ、恐怖に負けた臆病者だ。
まぶたを閉じかけたそのとき——
「……生きてる……の?」
誰かの声が、遠くから届いた。
(……人……?)
薄く目を開けると、淡い金色の髪が揺れていた。
小さな手が、自分の額に触れる。
「すごい熱……でも、大丈夫。私、治せるから」
声は優しかった。
けれど、その言葉にクロの心は一気に冷えた。
(人間……だ)
助けようとしている相手が、ゴブリンであると彼女は気づいているのか。
普通なら、問答無用でとどめを刺すはずだ。
だが、その少女は——
「……あなた、名前ある?」
クロは、声を出せなかった。
それでも、少女は笑った。
「じゃあ、私が勝手に呼んじゃおうかな。……うーん、“ミドリ”くん、なんてどう?」
名前に込めた意味があまりに安直で、思わずクロは喉の奥で咳のような笑いを漏らした。
(なんだそれ……)
「よかった、反応した。安心して。私、ゴブリンさんを殺したりしないよ。」
少女は手に持っていた小瓶から何かをクロの口に流し込む。
妙に甘ったるい味がした。
「これは薬草から作ったポーション。効いてくれるといいけど……」
少女の手は震えていた。
怖くないわけがない。
目の前にいるのは、“雑魚”と言えどモンスターであり、人間にとっては敵のはずなのだから。
(……なんで、俺を……?)
クロは思った。
この娘は無知なのか、愚かなのか。
それとも、何か企んでいるのか——。
その夜、クロは少女の作った粗末な焚き火の傍で、うつらうつらと眠った。
火のぬくもりと、少女の静かな鼻歌だけが、深い森の中で確かに“生”を感じさせていた。
◇
翌朝、クロは目を覚ました。
体の痛みはまだ残っているが、動けないほどではない。
体の内部に微かだが回復の兆しがあった。
「おはよう、ミドリくん」
少女が笑う。
クロは彼女を見つめた。
瞳の奥に宿る、まっすぐな“善意”を、どこかで知っていた気がした。
(……なんで、こんな感情……)
自分は、殺される側の存在だ。
それなのにこの娘は、自分を受け入れている。
怖い。
でも、暖かい。
初めてだった。
誰かに“生きろ”とされる感覚は。
クロの心に、ほんの少しだけ“揺らぎ”が生まれ始めていた。




