【第372話:残された構造】
砕けた仮面の破片が、ゆっくりと地面に落ちていった。
乾いた音が連なり、戦場の終わりを静かに告げる。
仮面の男は膝をついたまま動かない。
その姿勢は崩れているが、完全には倒れていなかった。
ティナは一歩だけ距離を取る。
視線を外さず、呼吸を整える。
周囲では黒装束たちの動きが止まっていた。
統率を失い、判断を失ったように立ち尽くしている。
人間側の兵が慎重に包囲を狭める。
だが無闇に踏み込む者はいない。
戦いは終わった。
だが終わり切ってはいなかった。
「……まだ終わっていないように見えるな。完全に落ちたわけではなさそうだ」
指揮官の男が低く言う。
距離を保ったまま状況を見極めていた。
ティナは小さく頷く。
同じ認識だった。
「……はい。動けないだけで、意識は残っているはずです」
静かに答える。
目の前の存在を観察する。
仮面の男の肩が、わずかに上下した。
かすかな呼吸が戻り始めている。
先ほどまでの無機質さは薄れていた。
どこか疲労のような重さが混じる。
ティナは一歩だけ踏み出す。
警戒を解かずに距離を詰める。
砕けた仮面の奥にある顔を見据える。
整いすぎた輪郭が、かえって不自然に映った。
だがその目は、わずかに揺れている。
完全に感情を捨てた存在ではなかった。
ゆっくりと視線が上がる。
ティナを捉える。
「……やるな。正面から崩されるとは思っていなかった」
低い声が漏れる。
先ほどよりも人間らしい響きだった。
ティナはその言葉を受け止める。
表情は変えないまま問いを投げる。
「……なぜ村人をさらっていたのですか」
短く、核心だけを聞く。
余計な前置きはない。
男はわずかに目を伏せた。
ほんの一瞬だけ、言葉を探す間があった。
やがて小さく息を吐く。
「……試していた。あの森の外でも、生きていられるかどうかをな。環境を変えると、人間は簡単に壊れる」
淡々とした声だった。
だが完全に割り切れてはいない響きがあった。
ティナはわずかに眉を寄せる。
言葉の意味を掴みにいく。
「……環境、とは何を指していますか」
短く問う。
視線は外さない。
男はかすかに口元を歪める。
それは自嘲にも似ていた。
「詳しくは言えない。ただ、あそこは普通の人間が長くいられる場所じゃない。それでも耐えられる個体が、一定数いる」
言葉は選ばれていた。
だが核心は隠しきれていない。
ティナは沈黙する。
必要な要素だけを拾い上げる。
男は視線を横に流す。
遠くの森の奥を見るように。
「……連れていったのは、その“適応できるかもしれない”連中だ。結果は半々といったところだな。耐えた者だけを奥に残している」
静かに続ける。
どこか疲れた声音だった。
ティナの目がわずかに細まる。
情報が繋がっていく。
ただの拉致ではない。
明確な実験だった。
人間側の指揮官が一歩前に出る。
状況を引き取る位置に立つ。
「その奥というのは拠点だな。場所は分かるか。案内しろ」
落ち着いた調子で問う。
男はゆっくりと首を振る。
体力は限界に近い。
「……この身体では案内は無理だ。だが道は単純だ。この先を真っ直ぐ進めば、嫌でも分かる。隠す気もない」
息を切らしながら答える。
それが最後の情報だった。
視線が落ちる。
身体から力が抜けていく。
そのまま崩れ落ちた。
今度こそ完全に動かない。
周囲の黒装束たちも同時に膝をつく。
統率が完全に途切れた証だった。
人間側の兵が一斉に動く。
迅速に拘束へと移行する。
指揮官の男がティナの横に並ぶ。
距離は一定に保たれていた。
「これで片は付いたな。だが終わりじゃない。奥にいる連中を助けに行く必要がある」
静かに言う。
次の行動を示す言葉だった。
ティナは小さく頷く。
視線を森の奥へ向ける。
「……はい。実験場がある以上、放置はできません。急ぎましょう」
短く答える。
迷いはなかった。
森の奥は再び静まり返る。
だがその先には、まだ解決すべきものが残っていた。




