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夕焼けの散花  作者: 智枝 理子
Ⅸ.落ちる雫と蛍火
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08 Les mouches à feu

王国暦六〇二年 ジェモ四日


「エル。そろそろランチに行ったら?」

 ランチ?

「朝からずっと実験してるよね」

「何やってるんだ?」

「ロヴィのレシピ」

 面白いレシピも色々あるから。

「サボった分の補習課題は、もう終わったのかよ」

「大した量じゃないから夜にやる予定」

 部屋でも出来る作業は後回し。

「作業を中断出来るなら、そろそろ休んで来た方が良い」

「食堂が閉まるぞ」

「ん……。わかった」

 そう見えてるなら、休んでこよう。

 

 研究室を出て、体を伸ばす。

 朝からずっと作業してたから疲れたな。

 しかも、体の中の時計が狂ってるのか、頭がぼんやりする。

 一日の予定を組み直して寝る時間を確保した方が良いかも。

「エルロックさーん!」

 職員室の前にアンジーと知らない学生が居る。

「何やってるんだ?」

「それは、こっちのセリフですよ!行方不明になってたって聞きました。何かあったんですか?」

 そんなに噂になってるのか。

「別に。サボってただけだ」

「えー。それだけですか?」

「そうだよ」

 事件や事故に巻き込まれたわけじゃないし、誰かに心配されるようなことにはなってない。

 どこに居たのか、しつこく聞かれるけど。

 医務室の先生にだけ、雨をしのげるような安全な場所で寝泊まりしていたって報告をしてある。それ以外の情報は、俺を保護してくれた人に迷惑がかかるから言えないって。

「ずっと、エルロックさんを待ってたんですよ」

「用があるなら研究室に来れば良いだろ」

「何言ってるんですか。会長室の廊下は、用事のない人は通っちゃダメなんですよ?」

 そうだっけ?

 でも、警備員が常に睨みを利かせる場所に違いないか。

「今日の放課後、お暇ですか?」

「暇じゃない」

「えー」

「サボってた分の課題が出てるんだよ」

「エルロックさん、はじめまして」

 アンジーの横に居る学生。

「アンジーと同じクラスで、錬金術を勉強してるジャンポールです」

「はじめまして。エルロックだ」

「良ければジャンって呼んで下さい」

「よろしく、ジャン」

「ありがとうございます。変わったお名前ですよね。良ければ、スペルを教えてくれませんか?」

 名前のスペル?

 珍しいことを聞かれたな。

「ここに書いて下さい」

 用意の良い奴だ。

 と、思ったけど。出した紙は、丸められた後のように、ぐちゃぐちゃに折りたたまれている。

「他にないのか?メモ紙なら……」

「これにお願いします」

 ……しわくちゃで書きにくいな。

「ファミリーネームは、なんて言うんですか?」

「クラニス」

「初めて聞きます」

『シャルロだ』

 シャルロの方に振り返ると、ジャンに腕を引かれた。

「エルロックさん。そっちも教えて貰っても良いですか?」

 向こうの名前は、ラングリオンでは珍しいか。

 名前を書く。

「やったぁ」

「ありがとうございます」

 そう言って、アンジーとジャンが走って行った。

 ……なんなんだ。

「エル。何をしていたんだ」

「珍しい名前だから、スペルを教えてくれって言われたんだ」

 シャルロが頭を抱える。

「まさか、フルネームで書いてないだろうな」

「書いたよ」

「どこに?」

「さっきの紙」

「どんな?」

「どんなって……」

「不自然に一部が隠されていたり、折りたたまれていたりしなかったか?」

「しわくちゃに折りたたまれてた」

 シャルロがため息を吐く。

「また、署名させられたのか」

「署名?」

「フルネームを書かされたんだぞ。燕の会でもそうだっただろう」

 あ。

 名簿に名前を書けって言われて、そのまま会員にされたやつだ。

 あれは名簿には見えなかったけど、あの態度は怪しい。

「どこに行ったかわかる?」

『食堂の方だ』

 行き先は同じ。

「シャルロも食堂に行く?」

「あぁ」

 

 ※

 

 シャルロと一緒に食堂へ行くと、知ってる顔が集まっていた。

 アンジーとジュリアーノ。マルス、ノーラン、モニク。そして、さっき会ったジャン。

「じゃあ、蛍で決めちゃおっか」

「賛成」

 皆が賑やかに賛成の声を上げている。

「何が賛成なんだ?」

「あっ!」

「あ」

「あー」

「えっと……」

 皆が目をそらして、アンジーがテーブルにあった書類を丸めて隠す。

 俺が署名した書類だ。

「アンジー。その紙を見せろ」

「エルロックさんには関係ないですー」

「関係ないわけないだろ」

「アンジェリク。仮にそれが何らかの契約文書だった場合、契約に関わる重要事項の説明もなく、ましてや本人の意志と無関係な署名を強要したとなれば犯罪になるぞ。学生といえど関係ない。法廷で俺が相手になってやろう」

「待って下さい、シャルロさん。そういうんじゃないんです」

「やっぱり、こんなのダメですって」

「ちゃんと説明しましょう?」

「だって、絶対に引き受けてくれないですよ」

「アンジー、寄越せ」

 ジュリアーノがアンジーから丸めた紙を取り上げる。

「蛍の会、設立の申請書です」

「蛍の会?」

 シャルロと一緒に、広げた紙を見る。

 課外活動の申請書だ。

 名称は、蛍の会。錬金術に関わる知識を深め、授業とは異なる視点での研究及び実験を行うことを目的に設立する。

 リーダーのところに俺の署名が書いてある。

 サブリーダーにはジャンポールの名前。

 会員の名簿には、今居るメンバーの名前が署名されてる。

「エルにリーダーをやらせるつもりだったのか」

「課外活動の会設立には高等部のリーダーが必要なんです」

 それは、知ってる。

 燕の会だって、グリフとロニーが高等部に上がるまで申請しなかったんだから。

 会の設立には高等部のリーダーと、次期リーダー候補となる中等部のサブリーダーが必須だ。

「勝手に俺の名前を使って立ち上げたところで、監督が居ないと実験出来ないだろ」

「それは、今まで通りエルロックさんに頼みますよ」

「だったら、何も変らないだろ」

「同士がこんなに集まったんですよ?」

「会を作れば、第三実験室も使いやすくなります」

 活動場所は第三実験室の予定なのか。

 養成所は課外活動の会設立申請に基づき、活動場所を提供し、活動実績に応じて成績に加点してくれる。

 ただ。

「会を作れば、年間の活動報告の提出や、ヴェルソの活動実績とポアソンの勉強会開催が義務になるんだぞ」

 普段なら自由参加のものが義務になる。活動実績のない会はすぐに解散命令が出るのだ。

 他にも、養成所の趣旨に反する活動や、申請された内容に沿っていない活動、学業や成績に負の影響を与える活動を行った場合などにも解散命令が出る。

 課外活動の会は守らなければならないルールが多いのだ。

「やりたいんです」

「皆で集まった方が取り組みやすいです」

「エルロックさんたちのポアソンの勉強会はいつも受けてます」

「もっと教えて欲しいんです」

「教えるのは構わないけど……」

 シャルロを見る。

「俺は入らないぞ。錬金術に本腰を入れるつもりはない。カミーユだって、燕の会があるんだから手伝えないだろう」

「お願いします。会を作る為に、錬金術コースのジャンも連れて来たんです」

「俺だって、エルロックさんの研究に興味があるから引き受けたんだ。第三実験室のレポートも読ませてもらってます」

 アンジーは燕の会の次期リーダーで、ジュリアーノは椿の会の次期リーダーだ。

 他の会の役職は兼任できない決まりになっている。

 錬金術コースのジャンなら、次のリーダー候補として安心できるだろう。

「どうするんだ?」

 どうするも何も。

 ここまでやってるなら断れない。

「わかったよ。蛍の会のリーダーをやる」

「やったぁ!」

 歓声が上がる。

「ただし」

 静まり返ったテーブルにしわくちゃの申請書を置く。

「綺麗な紙に書き直せ」

「はーい」

『ふふふ。楽しそうねぇ』

 ユールも乗り気か。ユールは、教えるのが好きみたいだよな。俺にも色んなことを教えてくれる。

 学んだことを、学びたいと考えている誰かに伝えるのも大切なことなんだろう。

 ラファエル先生とずっとやっていたようなこと。

 今までずっと付き合ってもらった分、誰かに付き合うのも良いか。

 

 ※

 

 夜。

 園芸用シャベルで、桜の木の近くに穴を掘る。

「お前、養成所に居ない間、ずっとテストを作ってたのかよ」

「暇だったから」

 休み中にやる予定の課題は全部終わっていたし、キアラの家には俺が読むような本がない。バイオリンも店にしかないし、出かけることも出来ないし……。とにかく、仕事以外でやることがなかったから。

「だったら、とっとと帰ってきて研究会を手伝えよ」

「帰ってきただろ」

 カミーユがため息を吐く。

「こんなもんで良いか」

 これだけ深ければ大丈夫だろう。

 鍵付きの箱を埋める。

『来た』

 頷いて、カミーユと一緒にベンチの影に身を屈める。

 警備員が近づいて来たら、俺にはメラニーが、カミーユにはブレストが知らせてくれる手筈になってる。

 中庭の入口で、見張り役のシャルロが警備員と話をしてる。

 ……上手く追い払ってくれたらしい。

『見張りに戻る』

『いってらっしゃぁい』

 いってらっしゃい。

「さっさと戻すぞ」

 箱の上に土をかけて、元通りに……。

「全然、元通りにならないな」

 掘り返した跡が、こんなに残るものだなんて。

「当たり前だろ。砂とは違うんだよ」

 カミーユが言った通り、埋める場所は桜の横にあるベンチの下にして正解だった。ヒント用の絵画に塗った蓄光塗料の範囲も、それに合わせて広げてある。

 土を被せた後、地面を踏み固める。

「こんなもんか」

 二人でベンチを元通りの場所に戻す。ベンチの下なら多少の違和感は隠せると思うけど、目立ってないか、明日も確認に来よう。

 道具を片付けて、シャルロの方に行く。

「終わったか」

「あぁ」

「さっきの警備員は、なんて言って追い払ったんだ?」

「夜の花の鑑賞」

「それだけ?」

「咎められるようなことなどしていないからな」

 その通りだ。

 ……土を掘り返してたら、流石に何か言われそうだけど。

「次は、実験室に鍵を隠しに行くぞ」

「ん」

「了解」

 箱と鍵を隠して絵を設置したら、テストを置いて、レポートにメモを挟む予定だ。

 

 これはすべて、花火を作るのに必要な課題だ。

 正しい知識を示せたなら、花火を作るために必要な最後の材料が手に入るようになっている。

 つまり、硝石。

 ナルセスから貰った硝石の余りは箱の中に隠したもので全部。

 いつか、誰かが花火を作るだろう。

 

 


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