06 Instrument à cordes chantant
王国暦五九八年 コンセル二十三日
「おかえり。アレク、エル」
ただいま。
ようやく帰れた。
テストが終わるまでずっと補習で忙しかったから。勉強を優先していたら、休みも全然帰れなかった。
けど、思ったより、あっという間だったな。
「元気にしてたかい」
元気だし、勉強もちゃんとしてる。
フラーダリーにテストの結果と室内楽の調査票を渡す。
「前期のテストの結果だね」
テストの結果は、昨日の午後のホームルームで貰った。貰ったのは結果だけで、採点された解答用紙は、各授業で返却されるらしい。
「すごいね。全部、満点だ」
フラーダリーが俺の頭を撫でる。
「頑張ってるんだね。素晴らしい結果だよ」
今回のテストは、入試に比べたら楽だった。補習で授業の遅れを取り戻せたのも大きい。間に合って良かった。
「こっちの紙は……。室内楽か。後期から始まるね」
頷いて、楽器を指す。
「バイオリンをやりたいのかい」
やってみたい。
「良いね。私も養成所ではバイオリンをやっていたんだ。待っていて」
そう言って、フラーダリーが二階へ行った。自分の部屋に取りに行ったんだろう。もしくは、二階の物置かもしれない。
アレクがバイオリンを選んだのも、フラーダリーの影響?
「私は小さい頃からバイオリンをやっていたんだよ。姉上と同じなのは偶然かな」
そっか。
「エル。何日か前に、テストを受けなかったかい」
シャルロが持って来た奴?
「覚えがあるようだね」
頷く。
「まったく。誰がこんな悪戯を……」
悪戯?
シャルロは悪戯なんかするようには見えない。
それに、あれは面白かった。
「あれはね、私が受けたテストと同じものなんだよ」
同じって?
「エルは優秀だ。望めば、私と同じクラスに入れるよ」
意味がわからない。
「休み明けに先生から言われるだろう。考えておくと良い」
考えるって……。
アレクと同じ中等部に入るかどうかを?
「私は勧めないけれどね」
中等部に入るメリット。
たぶん、今より高度な授業が受けられる。
つまらない授業のいくつかは、今すぐにでも切り替えたいぐらいだ。
でも、自分の知識にムラがあるのは解ってるし、初めて学ぶものだって、これからどんどん出てくるだろう。この前のテストがアレクが受けたのと同じなら尚更。あれを楽に解けるだけの勉強をこれから出来るのなら、順番に丁寧に学んで行きたい。
だから、中等部に入ることは出来ない。
「聞きたいことはあるかい」
大丈夫。
養成所で勉強するから。
あ。そうだ。
ポケットからメモを出して、紙に書く。
一匹狼ってなに?
「群れを離れて一匹だけで行動する狼を指す言葉だね。転じて、単独行動を好む人を指す場合もある」
―いつまでも一匹狼で居てどうするんだよ。
俺が、一匹狼?
「カミーユから言われたのかい」
そう。
別に、単独行動なんかしてないのに。
集団で受ける授業には参加してるし、カミーユの無駄話だってちゃんと聞いていた。
……もしかしたら、無視してるように見えたかもしれないけど。
「実験室で何をやっていたのかな」
あれは……。
カミーユが、声を取り戻す薬を作ってくれるって言うから。
「あの部屋には、初等部の学生が扱うには危険な薬品も存在するんだよ」
薬品棚は鍵付きで使えない。
先生の許可はある。
補習に使った第三実験室を使って良いって。
「そういえば、カミーユと喧嘩をして、実験室で補習を受けたのだったね」
知ってるのか。
「本当に、許可はあるのかい」
本当は、補習でやったセーレンセン指数測定をやるって名目で使ってるんだけど……。
だめ?
「危ないことはしないようにね」
たぶん、大丈夫。
フラーダリーが戻ってきた。
「お待たせ。これが、私のバイオリンだよ」
フラーダリーが、ケースからバイオリンを出す。
綺麗な楽器。
「一曲、弾いてあげよう。少し調整するから待っていてくれるかい」
フラーダリーがバイオリンの音を鳴らしながら何かしてる。
弦の張り方を変えてるんだろう。あれで、音が変わるみたいだ。
「カノンにしようかな」
どんな曲だろう。
「バイオリンは歌う楽器なんだよ」
フラーダリーがバイオリンを持って弓を動かす。
きれい……。
一音一音、優しく美しい音が部屋に響いていく。
歌うように。
踊るように。
ゆったりと少しずつ音が重なって……。
あぁ、こんな風に鳴ってるんだ。
心地好い音色。
不思議だ。
音は耳で聴いているはずなのに、バイオリンが奏でる音楽は、ずっと体の奥の方で聴いてる感覚になる。
曲が終わって、拍手をする。
綺麗な音だった。
アレクが弾いてくれたのとは違う。
バイオリンって、こんな音も出せるんだ。
「気に入ってくれて良かった。エルのバイオリンも買いに行かないとね」
え?
バイオリンを、買う?
楽器って、買わなくちゃいけないものなのか?
……全然、考えてなかった。
確か、楽器って、すごく高いはず。
「エル?」
どうしよう。
良く考えたら、養成所は貴族が通う場所なんだ。高い楽器を自分で用意するのも当たり前なんだろう。
でも、俺は貴族じゃない。
こんな高いものなんて買わせるわけにはいかない。
「姉上、バイオリンをお借りしても良いですか?」
「もちろん」
「エル。持ってごらん」
アレクが俺にバイオリンを持たせる。
「しっかり顎を乗せて……。そう。上手だね。弓はこう構えるんだ」
左手でバイオリンを、右手でバイオリンの弓を持つ。
「音を鳴らしてみよう。弦に弓を当てて……。こんな風に」
アレクがバイオリンの音を鳴らす。
……きれい。
「やってごらん」
アレクがやったようにバイオリンの弦に弓を当てて……。
え?
酷い音だ。
なんで?
アレクが笑う。
「一緒にやってみよう」
アレクが俺の手を掴んで、弓を動かす。
すると、綺麗な音が出た。
……こうかな。
音が鳴った。
本当に歌ってるみたい。
「良いね。その調子だよ」
「すごいね、エル」
楽しい。
もっと鳴らしてみたい。
「じゃあ、一緒に練習しようか」
頷く。
※
「そろそろ休憩にして、お菓子でも食べたらどうだい」
フラーダリーが、テーブルにお菓子とコーヒーを並べている。
確かに、お腹が空いたかも。
バイオリンをケースに片付けて、アレクと一緒にサブレを食べる。
美味しい。
「姉上。このバイオリンをエルに貸すことは出来ますか」
貸す?
「構わないよ。私は使ってないからね」
使ってないって言っても……。
「このまま演奏されないんじゃ、バイオリンが可哀想だろう。私の代わりにエルが使ってくれるかい」
「エルも慣れた楽器の方が勉強しやすいだろう。借りたらどうだい」
どうしよう。
でも、バイオリンの練習は楽しかった。
室内楽は選ばなきゃいけないものだし、買わせるよりは、今あるものを借りた方が良いのかもしれない。
たぶん、使うのは卒業までだから。
頷く。
フラーダリー、バイオリンを貸して。
「良かった。たくさん使ってあげてね」
大事に使おう。
「欲しいものがあったら言うんだよ」
欲しいものなんてない。
十分、もらってる。
サブレも美味しいし、ショコラだって美味しい。
「アレクは城に帰らなくて良いのかい」
「月に一度は顔を出していますよ」
「家の周りに陛下の近衛騎士が居るのは知っているかい」
「どれだけ撒こうとしても付いて来るから困りものです」
やっぱり、一国の王子が護衛も付けずにふらふらしてるのって、まずいんだろう。
「あまり陛下を心配させないようにね」
「それにはお答えしかねます」
「困った王子だね。皇太子になるかもしれないのだから、もう少し自覚を持つように」
皇太子?
アレクは第二王子なのに?
「エルは知らないのかな。ラングリオンの王位継承制度」
知らない。
「この国に伝わる聖剣の存在は知っているかい」
初代国王が持っていた聖剣。
歴史で教わった程度には知ってる。
「王家に代々伝わる聖剣・エイルリオン。ラングリオンでは、聖剣に選ばれた者が次の王になるんだよ。私は聖剣に挑む資格を持つ者で、皇太子候補なんだ」
じゃあ、第一王子も皇太子ではなく、皇太子候補?
「今は皇太子が不在で、聖剣の持ち主は国王陛下だね」
次の王は決まってないらしい。
「この国の王子は、成人すると聖剣の儀式に挑むんだ。王子が聖剣を掲げ、聖剣が王子を持ち主と認めた場合のみ、剣の先から花が咲くんだよ」
剣の先から花……?
「こんな風にね」
フラーダリーが首飾りを服の中から出す。
いつも、フラーダリーが持ってるもの。お守りだから、普段は服の中に隠してるものだ。
「これは、エイルリオンを模したもので、剣花の紋章と呼ばれるものなんだよ」
赤い宝石が輝く紋章は、確かに、剣から花が咲いた様子を表している。
「きっと、エルは聖剣が持ち主を変える瞬間を見ることが出来るよ」
「私の兄が成人したら挑む予定だからね」
ラングリオンの第一王子はフェリックス。
「第一王子が選ばれなければ、次はアレクの番。誰かが選ばれるまでずっと、儀式は続くんだよ」
誰を選ぶかは聖剣次第。
意思を持つ剣なんて。精霊でも宿ってるのかな。
「そういえば、エルに友達が出来たみたいですよ」
「本当?」
友達?
「カミーユだよ」
あれが、友達?
「カミーユ?どこの子だったかな」
「エグドラ家の二男です」
「陛下の近衛騎士の?」
「はい」
カミーユの父親は、国王陛下の近衛騎士だ。
「もしかして、この間、喧嘩をした子?」
そうだ。先生が報告するって言ってたっけ。
ごめんなさい。
フラーダリーが笑う。
「仲良くなって良かったね。今度、家に連れておいで」
家に?
なんで?
「会ってみたい。エルの養成所の話を聞きたいな」
話すようなことなんてないと思うけど。
フラーダリーが望むなら、連れて来よう。