02 La première valse
王国暦六〇〇年 サジテイル三十日
舞踏会が始まるのは午後からだ。
朝からオルロワール兄弟妹と一緒にダンスの練習をする。
「妹が一人、増えたみたいだね」
「可愛い可愛い」
アルベールが笑いながら俺の頭を撫でる。
「俺は女じゃない」
今は、ひらひらした服だって着てないのに。
「エルのダンスはとても上手だよ。でも、ロラン様は騙せないんじゃないかな」
「だろうな」
「それじゃ困るわ。私、今日に賭けてるんだもの」
「そんなにロラン様が嫌なのかい」
「ロランは結婚相手として申し分ないだろ?」
「ロランは良い奴だよ」
マリーがむくれる。
「そんなの、わかってるわ。ロラン様は、優しくて気づかいも出来て文武両道で人格者で非の打ち所のないほど、とーっても良い方よ。でも、自分の結婚相手は自分で決めたいの」
「心に決めた相手が居るってこと?」
「それは……。まだだけど」
居ないらしい。
つまり、婚約に縛られるのが嫌なだけか。
「お兄様たちだって、婚約なんて嫌でしょう?」
「俺は別に不満はないぜ」
「えぇ?」
「そうだね。大人になれば、自分の意志で解消出来るものだからね」
「大人になるのなんて、もっとずっと後なのよ。待てないわ」
そんな理由で俺は巻き込まれたのか。
「だいたい、ロランが俺と踊らなかったらどうするんだよ」
「いつも舞踏会にはお兄様たちと一緒に行くのよ。だから、お兄様たちと一緒に行けば、ロラン様は必ずエルを誘うわ。私はユリアたちと行って、別の方と踊るから大丈夫」
全然、大丈夫に思えない。
「マリーは、ダンスの相手は決めてるのかい」
「決めてないけれど。ロラン様の近くには行かないから大丈夫よ。せっかくだから、素敵な方を見つけるわ」
……大丈夫に思えない。
「作戦が失敗したら、俺はすぐに帰るからな」
「良いわよ」
ロランと一曲踊ったら、すぐに帰って良いことになっている。
さっさと終わらせて、さっさと帰ろう。
「そうだわ。扇子を貸してあげる」
「扇子?」
「とっさの時に顔を隠せるのよ。こんな風に」
マリーが閉じていた扇子を一瞬で広げて顔を隠す。
「やってみて」
上手く開かない。
「こうよ」
一瞬で広げるには、少しコツが要るらしい。
練習しておこう。
「女性が顔を隠すように扇子を広げる行為は、拒絶を表すの。帰り際にダンスに誘われたら、扇子を広げて見せたら良いわ」
こうするだけでダンスを拒否出来るのか。喋らなくても良いのは楽だな。
※
ドレスって、なんでこんなに重たくて動きにくいんだ。
サンドリヨンの時に着たやつよりも重い気がする。
アルベールとレオナールのエスコートで、ドレスの裾を蹴るようにして歩きながら舞踏会の会場へ歩いていく。
「中等部一年は初参加の顔ぶれが多いな。うちのクラスの連中も居るし、知り合いも多いんじゃないか?」
ここまで離れていれば、ばれないと思うけど。
一応、扇子で顔を隠しておこう。
扇子は、ドレスのウエストの飾りの内側に仕舞えるようになっている。便利だ。
「アレクは?」
「アレクのところまで行くのは一苦労だぞ。王族はあっちだ」
遠い。
「ダンスをしながらならだと近づきやすいんだけどな」
「なんで?」
「踊ってみたら解る」
「歩いて行くよりも楽だよ」
そういうものらしい。
「行きたいなら、ロランに頼むんだな」
「喋ったら、ばれるだろ」
「どうせばれるから気にするな」
ばれたら作戦の意味がない。
「マリーは婚約破棄出来ないってこと?」
アルベールとレオナールが微笑む。
「出来るよ」
「可愛い妹の作戦には乗ってやるさ」
出来るらしい。
「婚約なんて、貴族の古い慣習だからな」
「養成所なら、いくらでも出会いはあるからね。わざわざ親が婚約を組む必要性は薄れていると思うよ」
昔は、出会いがなかったから婚約が必要だったってこと?
「ロランが来たな」
「上手くやれよ」
「踊るだけだろ?」
「そうだね」
声を変えるドロップを使うつもりだったけど、どうせばれるなら使う意味はないだろう。
口元を隠しながら、仮面越しに目の前まで来たロランを見る。
「アルベール様、レオナール様。……お嬢様、お久しぶりです」
お嬢様、か。
「久しぶりだね」
「久しぶり。うちの姫を頼むぜ」
「はい」
誰が姫だよ。
アルベールとレオナールが俺を置いて行く。
「お手をどうぞ」
ロランが差し伸べてきた手を取る。
会場では、すでにゆったりとした音楽が奏でられている。
でも、これはダンスの曲じゃない。
いつになったらダンスが始まるんだ。
「マリアンヌ様は、ご欠席ですか?」
欠席じゃないんだけど。
「あなたのことは何とお呼びしたらよろしいでしょうか」
お嬢様も姫も嫌だな。
そういえば、ロランは俺の名前を知ってるのか?
俺から名乗ったことはないよな。
「困らせてばかりですみません。私と踊って頂けるのでしょうか」
頷く。
その為に来たんだ。
……あ。扇子を広げてるから、踊りたくないって思われたのかな。
扇子をドレスに仕舞うと、ロランが微笑んだ。
「ありがとうございます」
会場は、すでにペアになった人で溢れてる。
ゆったりとした曲が終わって、ようやくワルツが始まった。
「では、参りましょう」
ロランと組んで、ワルツを踊る。
踊りやすい。
同じクラスの奴と比べても、全然違う。
ドレスを着てるのに、こんなに動きやすいなんて。
確かに、踊りながらの方があちこち移動しやすいな。
「あなたの顔が見られないのが残念だ」
顔を見せるつもりはない。
だって……。
「すみません。瞳のことを気にされているのですね」
こんなところでマリーじゃないってばれるわけにはいかない。
「養成所では気にならないとはいえ、貴族が集まる場所では不安も大きいのでしょう」
そうか。
ここには、養成所以外の貴族も来てるんだっけ。
「けれど、あなたはとても魅力的な方だから。いずれ、堂々と仮面を外せる日が来ると思っています」
魅力的?
ロランの視線が遠くに動く。
「マリアンヌ様は、別の方と踊っていらっしゃるようですね」
本当だ。誰かと踊ってる。
「あの方が、マリアンヌ様の意中お相手ですか?」
違うと思うけど。今日から恋人になってるかもしれないから、何とも言えない。
もしかして、ロランも婚約破棄したがってるのかな。
マリーが婚約者以外とダンスしても怒ってないし、俺とのダンスもすんなり引き受けてるし。このまま、マリーの作戦通りに行きそうだ。
「あなたが私のお相手をして下さることになったのは、あなたの希望ですか?それとも、マリアンヌ様に頼まれて?」
好きでこんなことやるわけない。
「マリーに騙されたんだ」
「え?」
ロランが驚いた顔をする。
「あなたは……」
あれ?なんで、そんなに驚いて……?
急に、音楽が止まって立ち止まる。
辺りが静まり返ったと思ったら、ロランが俺の肩を抱いた。
「失礼。……少し様子を見ましょう」
頷く。
機敏な動きを出来る服装じゃないから、仕方ない。
周りでも、ドレスの女性を庇うようにしながら男性が周囲を伺っている。
「ご来場の皆様、楽しんでいらっしゃいますか?本日は学生が主賓となる舞踏会へようこそ」
アルベールだ。
イベントが始まったらしい。
「我々は自由な学びを約束され、古きを探求し、新しきを開拓する学生です。つまり、常に選択の自由がある身分にあります。……その立場から、今、ご参加の皆様に考えていただきたい議題があります。それは、現在の婚約制度です」
マリーの婚約破棄の話か?
次は、レオナールが来た。
「現在の婚約制度は、当事者が子供の場合、当事者の意志と無関係に親同士が婚約を結ぶことが可能な制度となっています。そして、当事者がこの契約を解除することは成人まで不可能になっています」
「我々は、選択の自由を奪う不要な慣習について再考すべき時に来ていると考えます。よって、婚約解消の自由を求めます」
あ。アレクが来た。
「私も学生として、アルベールの提案に賛同します。我々は、古き慣習から脱却をすべきです。当事者の意志とは無関係に行われた婚約について、当事者が成人を迎える前であっても解消可能であると……。是非、国王陛下に宣言頂きたい」
国王陛下に?
皆が同じ方向を向く。
すごく遠くに居るから良く見えないけど、あそこに国王陛下が居るんだろう。
「私からも一言、申し上げましょう」
国王より先に声を上げたのは、マリーと踊ってた奴だ。
「自由、平等、博愛の精神こそ、我らがラングリオン王国が是として掲げるもの。最早、疑う余地などない。陛下。まさか、未成年には自由などないと仰るつもりはないでしょう」
誰だ?
ロランが俺の耳に小声で囁く。
「フェリックス第一王子殿下だよ」
マリーと踊ってたのは、アレクの兄だったのか。
「学生諸君。今宵は、諸君らが主賓となって迎えられた舞踏会だ。私は今日、ラングリオンの未来の為に、学びに勤しむ若い諸君らと会えることを楽しみにしていた」
これが、国王陛下の声。
「さて。古き慣習は伝統であり、紡がれた歴史である。私たちは伝統を守るべきものとする立場だ」
伝統か。
「しかし、未来を紡ぐ若者の環境は常に変化し続けることも知っている。今宵の舞踏会において不自由さを感じる若者が多く居たのも事実なのだろう。古き伝統が悪しき習慣として紡がれることは、私の本意ではない。私は、古い慣習からの脱却を目指す彼らの意思を支持する」
おぉ。
「詳細は追って宣言しよう。今宵は、自由な舞踏会を楽しみたまえ」
会場から歓声が上がる。
そして、マリーとフェリックス王子が、こっちに来た。
「ロラン、マリーは貰って良いか?」
「リック王子。ロラン様に失礼だわ」
恋人になったのかは解らないけど、二人は仲良くなったらしい。
「フェリックス王子殿下、ご機嫌よう。マリアンヌ様とお話してもよろしいでしょうか」
「あぁ」
ロランは大人だな。
「マリアンヌ様は、私との婚約解消をお望みでしょうか」
「はい。ロラン様が素敵な方だとは存じております。それでも私は、自分の意志で未来を選びたいのです」
「私も同じ考えです。では、私たちが婚約を望んでいないことを父に話します。マリアンヌ様も伯爵にお伝え下さい。国王陛下のお話の通りならば、すぐに婚約解消の動きとなるでしょう」
「ロラン様。ありがとうございます」
「こちらこそ。マリアンヌ様の婚約者であったことを光栄に思っています。長くお付き合い頂き、ありがとうございました」
「私も、ロラン様の婚約者で居られたことを光栄に思います。それで……」
マリーが俺を見る。
「そちらの方とは、お話になりました?」
「えぇ。可愛らしい悪戯ですね。アルベール様からも伺っております。どうか、お気になさらず」
アルベールは何も言ってなかったけど?
「だってさ。ほら。マリー、行こう」
「リック王子っ。……あの、ロラン様、ありがとうございます」
マリーとフェリックス王子が踊りながら行ってしまった。
「せっかくだから、もう少し踊ってくれるかい」
「もう帰る」
「ここからエスコートなしで歩けるのかな」
会場のど真ん中だ。
無理。
ロランの手を取って、一緒に踊る。
「ダンスが上手だね。君は、女の子なの?それとも、男の子?」
「男だよ」
見れば解るだろ。
ロランが笑う。
「初めて知った」
何度も会ってるのに?
……いや。ちょっと待て。
良く考えたら、ロランと会う時って、女みたいな化粧してる時ばかりじゃないか?
しかも、ちゃんと名乗ってないし、俺から会話した覚えもない。
「エルロックだ」
「エルロック。ようやく名前を聞けた。だから、エルって呼ばれているんだね」
それしか知らなかったらしい。
「もう、私のことは怖くないかい」
まだ気にしてるのか。
「怖くないよ。ロランが良い奴だってことは知ってる。俺こそ、逃げてごめん」
「君は責められるようなことなんて一つもしていない。この国は、きっと変わるはずだ。君が一切、差別なんて感じずに済むような国に」
どうだろう。
吸血鬼種への差別の歴史は、この国ではかなり長い。
「大丈夫だよ。フェリックス様、アレクシス様、アルベール様が、今回、新しい政治について示された」
「え?」
「古き慣習からの脱却。私たちが卒業後に目指す国造りは、王子殿下や次代の貴族が中心となって行うものだ。婚約解消の自由は、その一手。そして、国王陛下はそのお考えを支持された。未来は明るいね」
今回の宣言に、そんな意味があったなんて。
「ロランは、マリーと婚約解消して良かったのか?」
「元々、結婚するとは思っていなかったから気にならないかな」
「皆、婚約なんて意味ないって思ってるのか」
「そうだね。家督を継ぐ長男ならともかく、他はね……」
つまり、アルベールは簡単に婚約解消出来ないのか。
「ただ、貴族同士の恋人ごっこは、あって良かったと思うよ。貴族のマナーを学ぶことが出来る」
婚約は恋人ごっこで、貴族の勉強の一環?
「なら、俺に赤薔薇をくれたのはマナー違反じゃないのか?」
「愛する人に赤い薔薇を捧げることはマナー違反じゃないよ」
「だったら、ちゃんと好きな相手に渡さないとダメだろ」
「渡したよ」
意味がわからない。
「君は可愛いね」
「全然、褒めてない」
ロランが楽しそうに笑う。
「今日の悪戯は、フェリックス王子のご意向もあったのかもね」
どういう意味?
「フェリックス王子が最初のワルツのお相手にマリアンヌ様を誘うには、私が邪魔だったから」
「言えば良いのに」
「流石に、婚約者の最初のワルツを譲れなんて言われても快諾は出来ないよ」
「俺と踊ったのに?」
「君と踊ったのは、騙されたと言える条件が揃っていたからだよ。マリアンヌ様は、私が悪者にならないよう配慮して下さったんだ」
俺が、マリーのフリをしてたから?
最初からバレバレだったのに?
貴族は意味の解らないルールが多過ぎる。
婚約中に恋人が出来てもマナー違反じゃないってルールも意味が分からなかったけど……。
「最初のワルツって、そんなに大事なのか?」
「大切だよ。最初のワルツを誘うことは、愛の告白と同じことだから」
あぁ、そういう意味があるのか。
「わざと他の相手と踊って妬かせるテクニックもあるけれど。意中の相手を誘うのがスタンダードだね。周りへのアピールにもなるから」
なんだそれ。
本当に、貴族って面倒くさい。
「さぁ、着いた」
着いた?
「こんにちは。ロラン」
アレク。
「ご機嫌よう、アレクシス様。お会い出来て光栄です」
「私もだよ。楽しんでいるかい」
「はい。素晴らしい舞踏会です。私もアレクシス様のお考えに共感しました。国を支える為、夜の帳を裂く如く剣の腕を磨きたいと思います」
変な表現。
アレクがくすくす笑う。
「君には夜空に煌めく星のような輝きを感じるよ。会えて良かった」
「ありがとうございます」
アレクの返事も、何か変。
貴族には、特別な言い回しがあるのかもしれない。
「お嬢様」
ロランが俺の手を軽く掲げて、俺に向かって頭を下げる。
「お相手をして頂き光栄でした。また、お会いしましょう」
そして、俺の手をアレクに向ける。
「踊って頂けますか」
「良いよ」
アレクが差し伸べた手を取って、一緒に踊る。
ロランが手を振ってる。
……アレクのところまで連れて来てくれたのか。本当に良い奴だ。
アレクを見ると、アレクが微笑む。
「可愛いね」
なんで、皆、こうなんだ。
「それ、全然、褒め言葉じゃないからな」
「なら、着替えようか。男性用の衣装もあるよ」
「もう帰りたい」
「もう?誘いたい相手は居ないのかい」
「居ない」
そもそも、参加したいなんて思ってない。
「来年からは、必ず参加しなければいけないよ。毎年、ドレスを着て私と踊るかい」
冗談じゃない。
「もうドレスなんか嫌だ」
アレクがまた笑う。
楽しそう。
「アレクは舞踏会に毎年参加する?」
「他の用事がない限り、参加することになるだろうね」
卒業後も、毎年、舞踏会で会えるらしい。
……卒業。
アレクの卒業祝いを考えないと。
「さっきのって、詩?」
「さっきの?」
「夜の帳がどうとか」
「あぁ。そうだね。挨拶のようなものだよ」
「詩をもらうと、嬉しい?」
「嬉しいよ」
嬉しいのか。
でも、詩は作れそうにない。
そういえば……。
「アレクの婚約者は?」
「居ないよ」
意外だな。
王子なのに。
「最初のワルツの相手は?」
「誰とも踊ってないよ。アルベールたちと準備をしていたから。エルが最初だね」
これが最初らしい。
「エル。オルロワール伯爵夫人に何か言われなかったかい」
「本を好きなだけ借りて良いって言われた」
「それは良かったね」
これは、マリーとの取引の結果だけど。夫人の許可がなければ実現していないことだ。
「後、本の装丁を頼まれた」
「仲良くなったんだね」
「アレクもして欲しい?」
「今のところ、そこまで特別な本はないかな」
ないらしい。
「それから……。晩餐会に誘われたけど、断った」
「何故?」
「フラーダリーは誘わないって言ってたから」
「姉上は、誘われてもお断りになるだろうね」
「なんで?」
「そこまで親しくないからだよ」
誘う理由も行く理由もないのか。
「そろそろ抜けよう」
「アレクも帰る?」
「今日のイベントはもう終わったから。城の中を案内してあげるよ」
「図書室はある?」
「それは、また今度にね」
今度か。
オルロワール家の本を読み終わったら、城の図書室を見せて貰えないか聞いてみようかな。
……その前に、アレクの卒業祝い探しだ。




