06 La fièvre
王国暦五九九年 ベリエ十六日
ノックの音が聞こえる。
『エル』
メラニー?
「なに……?」
『アレクが来た』
アレク?
すごいな。
闇の精霊って、扉を挟んだ向こうに誰が居るのかわかるのか。
……っていうか。
もう、朝なのか。
なんだか体がだるい。
『大丈夫か?』
「ん……。平気」
昨日は、帰って夕食を食べてすぐに部屋に戻って寝てしまった。
ベッドから起き上がって、部屋の戸を開く。
「おはよう。エル」
「おはよう……」
アレクが俺の頬に触れる。
「歩けるかい」
どういう意味?
「医務室に行こう」
医務室?
食堂じゃなく?
「着替えるから待ってて」
「ガウンを羽織るだけで良いよ」
言われた通り寝間着の上にガウンを羽織って、部屋に鍵をかけて、アレクと一緒に二階の医務室へ行く。
階段を下りる時に抱えようかって言われたけど、断った。
そこまで寝ぼけてない。
……と、思ってたんだけど。
「熱があるわね」
熱?
だるさの原因は、これか。
「今日は、このまま病室で過ごしてもらうわ」
病室?
「いらっしゃい」
アレクと一緒に医務室の奥にある個室へ行く。
白いベッドに、白い棚と白いサイドテーブルと木の椅子があるだけの薄暗い簡素な部屋。
それに、明り取りにしかならないような小さな窓。
これが病室?
「着替えを置いておくわ。タオルもね。自分の寝間着のままでも構わないけど、汗をかいたら着替えてね」
先生が白い棚から寝間着やタオルを出す。
「部屋に戻っちゃダメ?」
「駄目よ。熱が下がるまで、ベッドで安静にしていなきゃ」
ここで寝なくちゃいけないなんて……。
「一緒に居ようか」
「アレクシス様。病人と一緒に過ごすことは認められません。看病は私の仕事です」
「一人で居るのも心細いだろうから。落ち着くまで一緒に居るよ」
医務室の先生がため息を吐く。
「では、マスクの着用をお願いします」
「そうだね」
アレクが頷いて、医者みたいなマスクを付ける。
「朝食と薬を用意するから待っていてね」
先生が病室から出ていった。
もう一度、部屋を見回す。
……なんか、いやだ。
「眠れそうかい」
わからない。
「窓を開けようか」
アレクが小さな窓を開くと、空気が揺れた。
少し、ましかも。
ガウンをベッドの端にかけて、布団の中に入る。
少しひんやりしていて気持ち良い。
アレクが俺の顔を撫でる。
「昨日の疲れが出たのかな」
昨日は、すごく楽しかった。
あの美しい桜の光景は今でも覚えてる。
「洞窟でトラップにひっかからなかったかい」
『トラップはすべて破壊した。私たちは仕掛けるところを見ていたから間違いない』
「なら、大丈夫だね」
罠にかかっていたら何か問題がある?
「人間が仕掛ける罠には、遅速性の毒もあるんだよ」
遅速性の毒……。
治療の為の薬もあれば毒もある。
いや、違うな。
毒があるから薬があるんだ。
体に不調を来たす原因となるものがあるから、それを取り除く為に薬が……。
あ。
「マリーは大丈夫?」
『マリーも毒にはかかっていない。それに、魔法の毒ならナインシェも詳しいだろう』
そっか。
ナインシェが付いてるなら、きっと大丈夫。
「大丈夫だよ」
アレクが俺の頭を撫でる。
なんだか、懐かしい……。
「どこにもいかないで」
「行かないよ」
……違う。
アレクは精霊じゃない。
「ごめん、アレク」
アレクに風邪をうつすわけにはいかない。
「一人でも平気。メラニーも居るから」
だから、付き添わなくても大丈夫。
「大丈夫だよ。心配せずに、ゆっくり休むと良い」
「ん……」
「おやすみ。エル」
熱を出すなんて、どれぐらいぶりだろう。
でも、病気な感じはしない。
咳や鼻水といった症状もないし、寒気もない。
だるくて高熱が出てるだけ。
それでも、フラーダリーは心配しそうだな。
あの精霊みたいに。
「人間の子供は、本当にすぐに体を壊すな」
ベッドの脇に精霊が座る。
「元気だよ」
「真っ赤な顔して何言ってるんだよ。早く寝ろ」
「眠れな……っ」
「エル、」
咳が出て、ベッドの中で体勢を変える。
苦しい……。
「大丈夫か?」
背中を撫でられると、少し楽になるかも。
鼻をかんで、ベッド脇にある飲み物を飲んで、また横になる。
だるい……。
「遊びに行きたい」
「何、馬鹿なこと言ってるんだ」
「皆に会いたい」
精霊の皆。
「行ってどうするんだ。人間の病気は俺たちにはどうにも出来ないのに」
病気は魔法じゃ治療できない。
これは、毒や呪いを癒せる光の精霊でも水の精霊でも無理なことらしい。
「人間のことは人間にしか解らないんだ。大人しく乳母の言うことを聞いておけ」
苦い薬を飲んで、味のわからないスープを飲んで。
乳母からは、今日は一日中部屋で過ごせと言われている。
「つまらない」
寝てるだけなんて。
「仕方ないな。今日は、ずっと一緒に居てやるから、ちゃんと寝ろ」
「本当に?」
「あぁ」
信用出来ない。
手を伸ばして手を掴むと、精霊が笑った。
「わかったって。心配せずに、ゆっくり休め」
「ん」
「おやすみ。エル」
約束して。
もう、どこにも行かないって。
いつも、勝手に居なくなるから。
「どこにも行かないで」
「エル?」
「一人になりたくない」
「一人じゃない。皆が居るだろ」
「みんな、精霊だ」
「俺だって精霊だ」
「違う。こんなに、あたたかいから」
「あたたかい?」
「一緒に居ると落ち着くんだ。きっと、誰かに抱きしめられるのって、こんな感じだと思う」
「エル……」
「それに、一緒に居ると、知らない人の夢を見る」
「知らない人?」
「黒い髪と紅の瞳の女の人」
いつも、こちらに向かって微笑みかけてくれている女の人。
「お前の母親は、黒髪で、エルと同じ色の瞳だったよ」
「じゃあ、やっぱりあれは、俺の母?」
「そうだよ」
「ありがとう。見せてくれて」
「え?」
「俺が母の顔を知らないから、俺に見せてくれてるんだろ?」
「……あぁ、そうだよ」
母について話せたのは、この精霊だけ。
「もう一度、夢を見せて」
※
目を開くと、誰かがベッド脇で本を読んでいた。
誰……?
精霊じゃない。
アレクじゃない。
『クローヴィスだ』
え?
「ロヴィ?」
気付いたロヴィが、俺を見下ろす。
「起きたか」
体を起こして周りを見る。
アレク……?
「さっきまで居たんだけどな。すぐ戻るから待ってな」
『アレクはグリフとロニーが連れて行った。代わりに残ったのがクローヴィスだ』
何かあったのかな。
「お前、薬も飲まずに寝たんだろ?起きたって先生に言ってくるから、少し待ってな」
ロヴィが本を置いて立ち上がって、部屋から出て行く。
喉が乾いた。
でも、部屋には何もない。
体に張り付く汗が気持ち悪い。
でも、この部屋にシャワーはない。
そういえば、着替えはあったっけ。
ベッドから出て、置いてあった寝間着に着替えていると、ノックの音がした。
『カミーユとシャルロだ』
「どうぞ」
応えると、二人が入ってきた。
「おはよう」
「もう昼だぞ」
「お前っ!」
カミーユが大きな声を上げる。
「何の為にノックしたと思ってるんだよ!着替えの途中で人を入れるな」
だって、カミーユとシャルロだったから。それに、後はボタンを留めるだけだ。
カミーユがサイドテーブルに食事を置く。
「熱を測ってから食えよ」
「エル。座れ」
ベッドに座ると、シャルロが口の中に体温計を入れた。
……お腹空いた。
「アレクは?」
「検温中に喋るな」
だって。
「アレクシス様は食事に行ったんだよ。朝からずっと、お前に付きっきりで休んでないから」
ずっと居てくれたんだ。
……俺が、あんなこと言ったから。
「ずっと寝てたのか?」
頷く。
「クローヴィスは何をしてたんだ?」
『本を読んでいた』
テーブルに置いてある本を指す。
「本を読んでたのか」
頷くと、シャルロが本を手に取って、ぱらぱらとめくった。
何の本だろう。
タイトルが具体的じゃないから、物語っぽいな。
そういえば、ロヴィはどこに行ったんだ?
「アレクシス様に伝えてくるって、そのまま出ていったぞ」
呼びに行ったらしい。
『聞きたかったことなのか?』
頷く。
『ロヴィは隣の部屋には居ない。居るのは、先生と呼ばれている人物だけだ』
メラニーの声は、カミーユにもシャルロにも聞こえてないんだよな。
アレクには聞こえていて、契約に立ち会ったマリーにも聞こえるんだろう。
「そろそろ良いか」
シャルロが本を置いて、体温計を取る。
「平熱だな。先生に見せてくる」
そう言って、シャルロが部屋から出ていった。
「食べて良い?」
「良いぜ」
「いただきます」
温かいスープだ。
美味しい。
そういえば、子供の頃に風邪をひいた時に飲んだスープ。
風邪だと味覚が変になるから、いつも不味かった覚えしかないんだよな。
食べ物が美味しく感じるってことは、やっぱり俺は風邪じゃないんだろう。
一緒にあるパンもスープに浸しながら、全部、食べきる。
「ごちそうさま」
「足りなかったか?」
もう少し食べれそうな気がするけど……。
「後で食堂に行く」
「先生の許可が出たらな」
もう平気なのに。
カミーユが紅茶を淹れる。
「ジンジャミエル、入れて良いか?」
「何?それ」
「風邪の時に紅茶とかに入れて飲むジャムだよ」
「俺は風邪じゃない」
「朝から寝込んでた奴が何言ってるんだよ」
カミーユがティーカップにジャムを入れる。
これがジンジャミエル?
「ジンジャは、ゼンゼロとか生姜って呼ばれることもあって……。ミエルは、ミエーレとか蜂蜜って呼ぶ地域もあるらしいぜ」
それは解る。
「砂漠でもジンジャとミエルって呼ぶよ」
「お前なぁ……」
加工品を知らなかっただけだ。
紅茶を良くかき混ぜて、飲む。
「美味しい」
「まじで?辛かったらミエルを足して飲むんだぞ」
「平気」
そこまで辛くない。
「これって、ラングリオンではメジャーなのか?」
「風邪を引いたら必ず出されるやつだ」
なら、フラーダリーも作り方を知ってるのかな。
今度、聞いてみよう。
ノックの音が鳴る。
『アレクだ』
「どうぞ」
声をかけると扉が開いた。
「エル」
アレクが俺の方に来て、俺の頬に触れる。
「良かった。熱が下がったんだね」
「もう平気。部屋に戻って良い?」
アレクが、くすくす笑う。
「それは先生に聞かないとね」
駄目らしい。
「無理させてごめん」
「無理?」
「ずっと、傍に居てくれたから」
「私がエルと一緒に居たかったんだよ。元気になって良かった」
アレクは、絶対に疲れてる所や大変な所を俺に見せてくれない。俺はアレクが寝てる所すら見たことがない。
守られてる。
いつも、そう。
「調子は良さそうね」
医務室の先生が来た。
「もう帰って良い?」
「今日一日、様子を見たいところだけど……」
「シャワー浴びたい」
「困った子ね」
先生が俺の診察をする。
「寮から出ずに部屋で大人しく過ごすって言うなら戻っても良いわ」
やった。
「体調が悪化したらすぐに来るのよ」
「ん」
「返事は、はい。でしょう?」
「はい」
「夕食後に顔を見せに来てね。来ないなら診察に行くわ」
「はい」
ようやく、ここから出られる。
「ジンジャミエル、貰って良い?」
「えぇ。空き瓶は食堂に戻してね。もっと欲しかったら食堂で貰えるわ」
「はい」
これ、食堂に置いてあるものだったのか。今度、探してみよう。
あ。テーブルに本が置きっぱなしだ。
「ロヴィの忘れ物」
「その本は私が貸したものなんだ」
アレクのだったのか。
「アレクシス様。その本、お借りしても良いですか」
「読み返したいところがあるから、後でも良いかい」
「はい。いつでも構いません」
シャルロも物語が好きだっけ。確か、推理小説とか。
※
医務室を出ると、グリフとロニーが居た。
「元気になったんだ」
「あぁ」
元々、病人じゃない。
「アレクを連れ出してくれて、ありがとう」
グリフとロニーが顔を見合わせる。
「アレク、心配されてるぞ」
「心配されるようなことは何もないのだけどね」
アレクを見上げる。
いつか、疲れてるかどうか分かるようになるのかな。




