05-1 Comte de la cour impériale
王国暦五九九年 ベリエ十五日
休日の朝はアレクと一緒に居ることが多い。前の晩からアレクの部屋で遊んで過ごすことが多いから。
「おはよう、エル」
「おはよう」
アレクは、いつも俺より先に起きて、支度を済ませてる。
「調子はどうだい」
「いつも通り」
体を伸ばす。
「食堂でアルたちと会うんだろう?支度を整えてから行こう」
「ん」
アレクと一緒に部屋に行って、出かける準備をする。
私服に着替えて……。短剣も装備しておこうかな。
「片手剣も持っていくようにね」
「片手剣も?」
「王都を出るのだから、きちんと装備を整えた方が良いよ」
「わかった」
アレクが言うなら、持って行こう。
いくら王都を出るとはいえ、騎士に守られたオルロワール家と一緒なら使うことなんてないと思うけど。
それから、マントと身分証を忘れずに持つ。
こんなところかな。
「忘れ物はないかい」
「大丈夫」
マリーに言われた以上の準備は整えてる。
「じゃあ、食堂に行こうか」
※
魚介と菜の花のスープに、クレソンとチーズのオムレツ。それから、クロワッサン。
焼き立てのクロワッサンは、香ばしくて美味しい。
「グラム湖って、王都から近いんだっけ?」
「馬車ならすぐだよ。のんびり行っても昼には着くだろうね」
本当に近い。
「アレクも、今日はフラーダリーと花見?」
「エルを置いては行かないよ。十七日の放課後に三人で見に行こう」
十七日なら外出禁止令は解けてる。
でも。
「もう散ってるんじゃないか?」
「散り際も美しいものだよ。だから、これ以上、外出禁止令を出されないようにね」
「わかった」
外出禁止令が出される条件は、いまいち解らないけど。今は課題が忙しくて実験が出来ないから、怒られるようなことはないはずだ。
「ごちそうさまでした」
食べ終わった。
アルベールたちは……。
「アルは部屋で食べてると思うよ」
まだらしい。
「コーヒーを持ってこようか。昨日の復習をして待っていて」
アレクがテーブルの上の食器を片付けて行ってしまった。
復習って、チェスのこと?
ノートとペンを出して、昨日の棋譜を書く。
昨日の結果は二勝四敗一引き分け。
この引き分けは、パーペチュアルチェックだった。チェックの場面で盤上が同じ形を三回繰り返すと引き分けになるルールのことだ。
ナイトとクイーンでチェックメイトにする予定が、ナイトを取られたせいでこうなった。アレクのクイーンを取れたのは良いけど、止めをさすことも引くことも出来ずにクイーンで行ったり来たりしていたら、パーペチュアルチェックだと言われた。
お互いに手詰まり。
アレクはキングを逃がし続けなきゃいけないし、俺はキングへのチェックを外した時点で詰む状況。
この場合、劣勢の俺がパーペチュアルチェックで引き分けに持ち込んだことになるから、ある意味、俺の勝利だと言われたけど。
そもそもナイトを取られなければ勝てていた場面でもある。
……いや。やっぱりダメだな。アレクには俺の手はお見通しなんだ。
でも、もう少し手があったような気はする。
「成長したね」
「成長?」
アレクがテーブルにコーヒーを置く。
「どんなゲームも勝利への貪欲さがなければ成り立たないから」
勝ちたい気持ちはある。でも、アレクには、そう見えてなかったらしい。
「エルは少し、駒を大事にし過ぎかな」
「どういう意味?」
「最終的な目的はキングを追い詰めることだ。その為には、思い切った戦略も必要になる。この回も、チェックを決めるナイトを生かす為ならルークを犠牲にしても良かったね。他にも、クイーンのサクリファイスで勝てたゲームがあったのを覚えているかい」
昨日、負けたやつか。
サクリファイスは生贄。
俺がクイーンでチェックをかけていれば、アレクはクイーンでクイーンを取るしかなくて、俺がそのクイーンをポーンで取ればチェックメイトに持ち込めていた。
つまり、クイーンを生贄に捧げることで確実な勝利を得られる場面だったのだ。
そういうテクニックがあるのは知ってたけど、アレクから言われるまで全く考えなかった。
「アレク、エル。おはよう」
「おはよう。アル、レオナール」
「おはよう」
「おはようございます」
コーヒーを持った二人組が来た。
アルベールと一緒に居るのがレオナールか。アルベールと同じ金髪でコーラルアイの男性。
「君がエルロックだね。僕はレオナール。よろしくね」
「よろしく。エルで良いよ」
「わかったよ。エル」
「人見知りは大分収まったのか?」
「いつの話をしてるんだよ」
「おお、威勢が良いな」
アルベールが笑って、レオナールと一緒に席につく。
「アレクはどうするんだ?」
「上手く行けば合流するよ」
「え?アレクもグラム湖に行くのか?」
「その予定だよ」
そんな話は一切してなかったのに。
「なら、アレクと一緒に行く」
「エルは伯爵と一緒じゃなければ王都を出られないだろう」
そうだった。
フラーダリーが保護者代理に指定したのは伯爵だ。
「じゃあ、アレクも伯爵に同行したら良い」
「俺たちが許可なくアレクを外に連れ出すわけにはいかないんだよ。仮にも王子殿下だからな」
「じゃあ、アレクは、どうやって外に出るんだ?」
「内緒」
アレクが人差し指を口に当てて微笑む。
方法があるらしい。
「エル、迷子にならないように気をつけるんだよ」
「なるわけない」
「一人になってはいけないよ。初めて行くところなのだから気をつけるようにね」
すぐ、心配する。
「わかったよ」
単独行動の予定はない。
「アル、レオナール。エルを頼んだよ」
「まかせておけ」
「はい」
「それじゃあ、先に行くからね」
アレクがコーヒーカップを持って立ち上がる。
「いってらっしゃい」
「いってきます」
手を振って、アレクを見送る。
……後で会えるか。
「マリーから聞いてるぜ。長いこと外出禁止令食らってるって。毎回、派手にやってるじゃないか」
派手になんかやってない。
「先生が騒ぎ過ぎなだけだ」
「先生、シャワーを浴びてたら画鋲が落ちてきたって怒ってたよ」
「画鋲も仕込んでたのか?」
違う。
「もともと、天井に刺さってた画鋲を取る為に作ったんだ」
「あのスライムを?」
「スライム?」
「スライムじゃないのか?あのゲル状の半固体物質」
スライムの作り方は、もっと違った気がするけど。
「似たようなものかも」
「っていうか、天井に画鋲なんて、どうやったら刺さるんだよ」
「それは俺がやったことじゃない」
「悪戯をするのは、不良三人組だけじゃないってわけか。相変わらず面白いクラスだな」
その通り。
※
遅い、とさんざんマリーに怒られた後、養成所の目の前まで迎えに来た馬車に乗って、オルロワール家に行く。
なんていうか、すごくでかい家。どこからどこまでがオルロワール家なのかわからないぐらい広い。これが王都の中にあるんだから、信じられない光景だ。
マリー、ちゃんとお嬢様だったんだな。
「いらっしゃい。あなたがエルロックね」
そして、これがマリーの母親で伯爵夫人。
「はじめまして」
「はじめまして。ロクサンヌよ。会えるのを楽しみにしていたわ」
碧い瞳で真っ直ぐに見られて、思わず顔をそらす。
「可愛い子。マリーの代役をしたのならうちの子も当然よ。いつでも遊びにいらっしゃいね」
オルロワール家に用事なんてないけど。
「駄目よ、お母様」
「あら。どうして?」
「エルがうちに来たら、きっと、うちの図書室は滅茶苦茶になっちゃうわ」
「図書室?」
確かに、これだけ広い屋敷なら本がたくさんありそうだ。
「興味ある?うちの図書室は異国の文化について集めたものが多いの。養成所や王立図書館とは少し趣向の違う本も揃ってるわ」
面白そう。
「駄目よ。司書さんが言ってたもの。エルが来ると大惨事だって。装丁の授業で満点を取れたのか信じられないぐらいよ」
それ、カミーユにも言われたな。
「俺が受けたのは芸術の授業で、司書の授業じゃない」
「屁理屈ばっかり」
「あなた、装丁が出来るのね。なら、今度、私のお気に入りの本の装丁を頼もうかしら」
「お母様」
「図書室を見せてくれるなら引き受けても良いよ」
「あら、本当?」
「絶対にやめた方が良いわ」
「ふふふ。仲が良いのね」
「随分、賑やかじゃないか」
誰かが来た。
「お父様」
オルロワール伯爵?
あぁ、確かに。
似てる。
「遅れてすまないな。君がエルロックか」
「はじめまして」
コーラルアイの伯爵が目を細めて笑う。
「おや。養成所きっての不良と聞いていたが、なかなか礼儀正しいじゃないか。当家の花見に参加するということは、家族も同然だ。楽しんでくれ」
……これが、本物の家族。
顔立ちだけじゃない。家族って、仕草や雰囲気が、皆、どことなく似ているものなんだ。
「エル。俺たちが乗るのは、こっちの馬車だ」
「おいで。乗り物酔いはしないかい」
「たぶん、平気」
砂漠から王都に向かう馬車で酔わなかったから。
「具合が悪くなったら言ってね。さ、乗りましょう」
マリーに引っ張られて、四人乗りの馬車にオルロワール兄弟妹と一緒に乗る。
思ったより広い馬車だ。
天井が高くて、座る場所もふかふかで、クッションも置いてある。
扉が閉まると、間もなく馬車が動き出した。
窓から見える景色が動く。
馬に乗った同行者も居れば、歩いて付いてくる従者も居る。
「エルも光の洞窟に行くんだって?」
マリーから言われたけど。
「詳しいことは聞いてない」
「今、説明するわ。光の洞窟に行って、光の精霊との契約に付き合って欲しいの」
なんだそれ。
「精霊との契約は、第三者が立ち会うようなものじゃない」
「良いのよ。別に、気にしないわ」
一般的な人間と精霊の契約方法では、契約後、精霊は基本的に契約した人間としか会話が出来なくなる。
けど、第三者が契約に立ち会った場合、その第三者にも精霊のお喋りが聞こえるようになってしまうのだ。
これは、あまり推奨されることじゃない。
「契約なんて、一人で行けば良いじゃないか」
「嫌よ。洞窟のずっと奥なんだから」
「奥?暗い洞窟の奥に光の精霊が居るっていうのか?」
光の精霊は明るい場所が好きなのに。
「洞窟の奥には、光の柱と呼ばれる光が差し込む場所があるの。光の大精霊が顕現したと言われる場所で、神秘的で美しい場所なのよ」
洞窟の奥に、そんな場所があるなんて。
だから、光の洞窟って呼ばれてるのか。
「良いよ、付き合う」
「ありがとう、エル」
精霊が好きな場所なら興味がある。
「なんなら、エルも精霊と契約したらどうだ?」
「え?」
俺が、精霊と契約?
「グラム湖は精霊の祝福の強い場所だからね。光の洞窟には、闇の精霊、大地の精霊、水の精霊も居るんだよ」
自然豊かな場所は精霊が好む場所だ。
暗い洞窟なら闇の精霊が好きだろうし、湖の傍は水の精霊が好む場所だ。硬い岩が好きな大地の精霊なら洞窟の中に居そうだし、木々の生い茂る場所が好きな精霊も居るだろう。
「エルって、いつもアレクシス様の精霊と一緒に居るんでしょう?」
サンドリヨンの劇以来、そういうことになってる。けど。
「いつも一緒なわけじゃない。今日は居ないんじゃないか」
ミーアもロジェも養成所を守ってる精霊だから、外には付いて来ないだろう。
「そんなに精霊に慣れてるなら、契約すれば良いじゃない」
「俺は精霊と契約するつもりなんてない」
「魔法使いの才能があるのに?」
魔法使いになるには素質が必要だ。
そして、養成所は素質のある人間を集めている。
俺が養成所の受験資格を得られたのも、素質があったからという理由もあるんだろう。
でも、別に、魔法使いになることを強制されてるわけじゃない。
「精霊との契約なんて要らない。精霊の力を借りたい時は、魔法陣を使えば良いだけだ」
「え?魔法陣、使えるの?」
あ。
そういえば、まだ習ってなかった。
「古代語に詳しいなら、魔法陣にも詳しいんじゃないか」
「そうだね。あれは古代語の文字が使われているから」
「そうなの?」
使われてるけど、それだけの知識じゃ魔法陣は描けない。
「マリーも、もうすぐ習うよ」
「だから、ちゃんと古代語の勉強はしておくんだぞ」
「はぁい」
俺が簡単に描けるのは、小さい頃から見慣れてるからだ。それから、フラーダリーから貰った本のおかげ。
「エルって不思議よね。あんなに古代語に詳しいなんて。どこから来たの?」
「別に、どこだって良いだろ」
「ラングリオンじゃないの?」
「言いたくない」
アルベールとレオナールが笑う。
「はっきり言われたな、マリー」
「もう。出身がどこか聞いてるだけじゃない。別に、エルがどこの出身でも文句なんて言わないわ」
「マリー。言いたくないことを無理に聞き出そうとするのは良くないね」
「でも……」
「それとも、エルの出身を知っているかいないかで、マリーのエルに対する態度が変わるのかな」
「変わらないわ」
「だったら、その質問は無意味だね。もう少し楽しい話題を提供する方が良い」
「むぅ」
言いくるめられてるな。
可愛い。
「妹が生まれてたらこんな感じだったのかな」
「妹?」
あ。
「妹が居るの?どんな子?」
妹だったのか……。
弟だったのか……。
「知らない」
「会ったことないの?」
あのお腹の中に居た赤ん坊。
「生まれる前に別れることになったから……」
もうすぐ生まれるはずだったのに。
「会ったこと……。ないんだ」
あんなことが起きたから。
「エル?」
会いたかった。
「少し酔ったかい」
今も、ずっと。
「窓を開けるか」
会いたくて。
「大丈夫?」
でも、絶対に叶わない。
アンジュ。
俺のせいだ。
だめ。
―さぁ、全部忘れて。
忘れて。
―大丈夫。




