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夕焼けの散花  作者: 智枝 理子
Ⅲ.王子と姫
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02 Plaisir d'amour et Chagrin d'amour

王国暦五九九年 ヴェルソ十六日

 

 眠い……。

 思わず欠伸が出る。

「あまり夜更かしなんてするものじゃないよ」

「なんでアレクは眠くないんだよ」

 一緒に寝たはずなのに。

「エルより年上だからかな」

 年上って。二歳しか違わない。

 昨日のチェスの結果は、一勝六敗二引き分け。

 引き分けは、俺がステールメイトを二回やった。勝てそうなところだったのに。

「デザートは食べないのかい」

「要らない」

「姉上のお菓子は食べているじゃないか」

 フラーダリーがこの前作ってくれたショコラケーキは、香りが良くて甘くなくて美味しかった。

「そんなに甘くないやつなら平気」

 養成所のデザートは甘いものしかない。

「お菓子を食べに帰ろうか。今日は家に居るはずだよ」

「帰るって連絡はしてない」

「自分の家なのだから、いつ帰っても良いんだよ。鍵だって貰っているだろう」

 貰ってるけど。

 フラーダリーの居ない家に帰る意味なんてないから、一度も使ったことがない。

 それに。

「この前、帰ったばかりだ」

 カプリコルヌの晦からヴェルソの朔日の連休に、期末テストの結果を伝える為に帰った。

 しかも、アレクが居なかったからか、フラーダリーが養成所まで送り迎えをしてくれたのだ。

「エルは優等生だからね。きっとまた、お祝いをしてくれるよ」

 成績が良かったから?

 ……それが駄目なのに。

「帰りたくない」

「何故?」

「フラーダリーが俺を甘やかすから」

 アレクが笑う。

「子供なのだから、好きなだけ甘えて良いんだよ」

「これ以上、迷惑をかけたくない」

「迷惑だなんて思っていないよ。それは、エルも理解しているだろう」

 解ってる。けど。

「フラーダリーは忙しいのに。俺が帰ったら、俺のことを考えなくちゃいけなくなる」

 この前のケーキだって、俺が甘いものを食べなくなったのを知って、わざわざ甘さを抑えたものを作ってくれたんだ。

 俺の為に。

 きっと、すごく考えて。

「それがいけないことかい」

「負担になりたくない。俺のせいで、フラーダリーのやりたいことが出来なくなるのは嫌なんだ」

 こんなにしてもらってるのに。

「エルの意志は固いんだね。でも、節句の長休みぐらいは帰るようにしよう」

 季節の変わり目。新年の立秋、立冬、立春、立夏は長い休みがある。

 次の節句は立冬でヴェルソの終わり。そして学年が上がる節目。

「次の節句は無理。帰れない。歓迎会に劇をやるんだ。バイオリンの練習をしなくちゃいけない」

「一日ぐらい帰ってあげないのかい」

 きっと、フラーダリーは会いたいって言ってくれるだろう。

 優しいから。

 少し、会いたい。

「姉上は、エルの顔を見たら喜ぶよ」

「心配だから?」

「好きな人の傍には居たいものだから」

 母親って、こんなに子供を大切にするものなのか。

「じゃあ、ポアソンの十五に帰る」

 アレクが微笑んで、俺の頭を撫でる。

「良かった。今度は一緒に行こうね」

「ん」

 俺の母親だった人も、いつも俺の頭を撫でてくれたっけ。

 そして、俺があの場所に行ったり、他の人のことの言うことを聞く度に、少し悲しそうな顔をした。

―可哀想な子。

 自分が可哀想だなんて。恵まれていないなんて、一度も思ったことはない。

「アレクは、俺が可哀想だと思う?」

「そう思って欲しいのかい」

「思わない」

「私は、自分の意思で自由に生きられる人間を可哀想だとは思わないよ」

 アレクの言う通りだ。

 俺は自分の意思を曲げたことなんてない。

「じゃあ、音楽室に行こうか」

「ん」

「エル、気をつけて」

 気をつける?

 急に、後ろから抱き着かれた。

「おはよう、アレク。今日も可愛いね、エル」

 ロニーだ。

 くそっ。動けない。

「おはよう。ロニー、グリフ」

「おはよう、アレク、エル」

 駄目だ。解けない。

「離せ」

「ロニー」

 ロニーが俺を放す。

 ようやく解放された。

 グリフとロニーは、アレクの言うことを必ず聞く。

「おはよう、グリフ、ロニー」

 振り返って、二人に挨拶する。

「襲われたってのに挨拶か。相変わらず行儀の良い坊やだな」

「いい加減、坊やって言うのやめろよ」

「気に入らないか?」

「気に入ってるわけないだろ。ロニーだって、何でもかんでも可愛いって言うなよ」

「私は可愛いものが好きなだけだよ」

「俺は可愛くないぞ」

「可愛いよ」

「アレク、どうにかして」

「エルは可愛いね」

 だめだ。助ける気がない。

「ロニー、エルが愛の喜びと悲しみを知りたいのだって」

「また難しい質問だね」

 難しい質問?

「手に入った瞬間、要らなくなるって感じかな」

「何の話だよ」

「好きな人の話じゃないの?」

「好きな人?手に入ったら要らなくなる?なんで?」

 要らなくなるものなのか?

「欲しいものって、とても輝いて見えるけど、実際手に取ってみると案外光ってなかったりするんだよ」

 なんだそれ。

「そんなの、お前の目が節穴なだけじゃないのか」

 アレクとグリフが笑う。

「そう言われたら困っちゃうな。でも、ピアノならやっても良いよ」

 そういえば、ロニーはピアノが出来るんだっけ。

「これから音楽室ってわけか」

 そう言って、グリフが俺とアレクのバイオリンを持つ。

「じゃあ、行こうか」

 待って。

 アレクの腕を掴む。

「うん?」

 アレクも……?

「エル。わからないことは調べてごらん。学ぶ方法ならいくらでもある。それは本ばかりではないよ。自分の目で見たもの、感じたことがすべてだ」

 本以外で調べる方法?

 実験とか実践?

 ……どうやって?

「アレクは、手に入ったら要らなくなる?」

「不要になるものなど欲しいと思わない。私は、自分が欲しいものしか手に入れたいと思わないよ」

 それが、アレクの答え。

 やっぱりロニーの目が節穴なだけだ。

 でも、これは人によって答えが違うものらしい。

 色んな人に聞いてみよう。

 

 ※

 

 何度か演奏してもらって、曲を覚えて。それから、アレクから少し教わってから教室へ。

 今日は休みだけど、歓迎会の準備の為にシャルロが教室を借りている。手伝える人だけ集まって教室で作業をしてるはずだ。

 ユリアも来るって言ってたから、楽譜を貰って練習しよう。

 

 ……と、思ってたんだけど。

 調理室から変なにおいがして立ち止まる。

 何?これ。焦げくさい……。

 まさか、火事?

 調理室を開く。

「あ、エル」

 あれ?

 火事じゃない?

「丁度良かったわ。サブレが焼けたところなの」

 クラスメイトの女子が集まってる。

「食べて良いわよ」

 なんだ、あの黒い塊。

「やだ」

 っていうか、この匂い、だめ。

 甘くて焦げ臭くて気持ち悪い。

 皆、良く、あんな場所に居て平気だな。

 調理室の扉を閉めて歩き出すと、後ろで勢いよく扉が開いた。

「待ちなさい。味見ぐらいして行きなさいよ」

「嫌だよ。食べたくない」

「失礼ね。みんな、エルを捕まえて」

 捕まえる?

 走り出すと、皆が追いかけてきた。

「待ちなさい!」

 なんで?

 俺、何も悪いことしてないのに。

 しかも、セリーヌはいつも廊下を走るなって怒るくせに。

 

 走って、走って……。

 教室へ。

「エル、おはよう」

「おはよう」

 良かった。人がたくさん居る。

 エミールたちが裁縫をしてる。

「衣装係?」

 道具製作を頼むって言ってた気がするけど。

「違うぞ」

「女子連中に押し付けられたんだよ」

 教室の扉が開く。

「見つけた」

「しつこいな」

「食べてよ」

「嫌だって言ってるだろ」

 エミールたちの方に行く。

「わ、馬鹿。ハサミも針もあるんだぞ。暴れるな」

 足の踏み場もない。

「皆、エルを捕まえて」

「お前、何かやったのか?」

「何もしてない。カミーユとシャルロは?」

「カミーユなら会議室だ」

「わかった」

 教室の後ろの扉から廊下に出る。

「待ちなさい!」

 しつこい。

 

 会議室に行こう。

 カミーユは、アシューとノエル、ルシアンとルードを誘って剣舞の練習をやるって言ってたはずだ。

 どの会議室だ?

 ……あれかな。

 なんか騒がしいし。

 

 扉を開く。

 居た。

「カミーユ、助けて」

「エル?」

「どうしたんだ?」

 練習中だった皆が動きを止める。

 急いでカミーユの後ろに回ると、すぐにセリーヌたちが入って来た。

「もう逃さないわよ」

「お前、何やったんだ?」

 皆が俺を見る。

 何もしてない。

「お菓子を食べて欲しいだけよ」

「私たち、お菓子を作ったの」

 あんなのお菓子じゃない。

「お前、菓子から逃げてたのか」

 ノエルに向かって頷く。

「エルは甘いものは食わないぜ」

「だからって、手作りのサブレを見るなり嫌そうな顔するの、失礼じゃない」

 あれ、サブレだったのか。

「美味そうな匂いだな」

「でしょー?」

「丁度良いわ。皆も食べて」

 皆が、サブレらしきものを食べる。

「美味しい?」

「香ばしくて良いんじゃないか」

 良い匂いなんてしない。

「うわ。まっず」

「そうか?美味いぜ」

「苦い……」

「こんなもんじゃねー?」

 美味いって言ってるのは、何でも食べるノエルだけ。

 つまり、不味いってことだ。

「どうして、うちの男子ってこんなに失礼な奴ばっかりなの」

「お前ら、衣装制作はどうしたんだよ」

「エミールたちに任せて、お菓子作りをしてたのよ」

 押し付けられたって言ってたけど。

「あいつらには舞台道具を頼んだだろ」

「やってくれるって言ったから良いのよ」

「こっちもちゃんとしたの作らなきゃいけないものねー」

 味もダメで、見た目もダメだ。

 こんなに焦げてるんだから。

「まぁ……。ちょっと焼きムラが多い気はするな」

「そうだぜ。人に渡すものを焦がすなよ」

「まだ練習中なのよ」

 フラーダリーが作るお菓子は、あんなに美味しいのに。

 そうだ。

「ショコラを入れてごまかせば良いんじゃないか」

 ショコラなら美味しいし、焦げも隠せる。

「ショコラのサブレか。美味しそうね」

「っていうか、食べなさいよ」

「甘いものは嫌いだって言ってるだろ」

「アシューは苦いって言ってたわよ」

「不味いものは、もっと食べたくない」

「はっきり言うわね……」

「あー、みんな居たぁ」

「ユリア」

 開けっ放しの扉からユリアが入って来た。

「どうしたの?ピアノの練習してたんじゃなかったの」

 ピアノの練習?

 音楽室には居なかったから、ピアノ練習室に居たのかな。

「エルに用事があるのぉ」

「だってよ、エル」

 カミーユが俺の腕を引いて、ユリアの前に立たせる。

「はい、どうぞ」

 楽譜だ。

「これが愛の喜びと悲しみか」

 リーベスフロイデとリーベスライド。

「今から一緒に練習しよぉ?」

「良いよ」

 バイオリンも持ってきてるし、早く練習したい。

「これ一個もらうねぇ」

 ユリアがセリーヌたちが焼いたサブレを食べる。

「んー。美味しー」

 美味しい?

「今度はマドレーヌが食べたいなぁ」

「マドレーヌも良いわね」

「試してみよっか」

 しばらく調理室近辺は避けて通ろう。

 あ、そうだ。

「ジョゼ」

「なぁに?」

「ちょっと来て」

 ジョゼを手招きして、スプレーを出す。

「口開けて」

「え?何よ」

「ちょっと試したいことがある」

「あんた、それ、ジョゼで試すつもり?」

「試すって何よ」

「大丈ぉ夫だよぉ。私もやったし」

「だから、何なの?これ」

「んーっとぉ……。ちょっと貸してねぇ」

 ユリアがスプレーを取って、カミーユを見上げる。

「俺はやらねーぞ」

 カミーユはもう試してる。

 声変わりが終わってるのはルシアンだけだ。

「ルシアン、こっち来てぇ」

「なんだよ」

「あーって言ってぇ?」

 ルシアンが声を出そうと口を開いた瞬間、ユリアがスプレーをかける。

「あー?なんっ、これ?」

 ルシアンの声が女声みたいに高くなった。

「うわ、なんだよこれ」

 周りが笑ってる。

「声が高くなるスプレー」

「ジョゼなら、どぉなるかなぁって話してたんだぁ」

「貸して」

 ジョゼが自分で口にスプレーする。

「あー。んんっ。ちょっと変わるのかしら。男子ほどのインパクトはないわね。これで良い?」

 頷いて、ジョゼからスプレーを返してもらう。

 少し高くなるけど、女声だとあまり変化はないな。だいたい、皆、似たような高さになる印象だ。

「何だか変な感じだわ。どうやったら治るの?」

「飲み物を飲んだら元に戻る」

「持ってないわ」

「じゃあ、休憩にしてカフェに行きましょうか」

「そうね」

「エル、口開けてぇ」

 口?

 口を開くと、ユリアに何か突っ込まれた。

 うわ。

 なんだ、これ。

 本当にサブレ?

 こんなの食べたことない。

「大丈夫か?エル」

 甘さは平気。むしろ苦い。

 食べ物じゃない。

 何とか全部、飲み込む。

「砂糖が焦げた塊」

 言った瞬間、誰かに頭を殴られた。

「いってぇ」

 セリーヌだ。

「本っ当、失礼しちゃうわ」

 なんで、そんなにすぐ怒るんだよ。

 

 ※

 

 ユリアと一緒に練習してたら、あっという間に日が暮れた。

 バイオリンは楽しい。

 それに、ユリアはバイオリンの専門じゃないのに、バイオリンを教えるのが上手い。

「バイオリン、上手だねぇ」

「アレクに教えてもらったし、ユリアもたくさん教えてくれるから」

「ふふふ。たまぁに、素直じゃないねぇ」

「素直じゃない?」

「謙遜しなくても良いのにぃ」

「謙遜?」

「謙遜っていうのはぁ……」

「意味は解る。でも、俺はアレクの真似をしてるだけだ。上手いわけじゃない」

「そういうのを謙遜って言うんだけどねぇ」

「謙遜って、上手い奴が言うことだろ?俺は、ユリアほどバイオリンを知らない」

「エルには才能があるよぉ。たった半年でここまで出来るようになったんだもん」

「才能なんかない。綺麗な音の出し方だって、アレクに何度も教わって、ようやく出せるようになってきたんだ」

 簡単にコツを掴んだわけじゃない。バイオリンの授業が始まってから毎晩のようにアレクに教えて貰って、何とか出来るようになったんだ。

 ここまで弾けるようになったのは、アレクが根気良く教えてくれたおかげだ。

「それに、授業は真面目に受けてる。先生に教わった通り」

 先生は楽器を知らない俺に一から丁寧に教えてくれた。それを一つ一つ、丁寧にこなしていっただけだ。これも、先生が根気良く教えてくれたおかげだろう。

「そぉいう素直なところが良いのかなぁ……」

 さっきは、素直じゃないって言ってた気がするけど。

「でも、先生が居るのは今年までって言ってたんだ」

 芸術の授業は後期から前期の一年で一区切り。つまり、初等部一年後期から始まった授業は、初等部二年前期で一度終わる。

 バイオリンは継続可能なものだから、初等部二年後期からも選択出来るけど……。

「後期からは、先生が変わるって」

「エルの先生は、ティルフィグンの人だからねぇ」

「知り合い?」

「うちに所属してた人なんだぁ。でも、故郷の楽団から指導者になってくれって言われて。残りの生涯はそこで過ごすって言われちゃったんだよねぇ」

 ……故郷に帰るのか。

 落ち着いていて優しい先生だった。

「次の先生もうちの紹介になると思うよぉ。だから、引き継ぎもちゃんとやってくれるんじゃないかなぁ」

「養成所の先生って、エウリディーチェ家が紹介してるのか?」

「室内楽の先生は、主にうちとルルー家の紹介だねぇ」

「ルルー家って?」

「うちと同じ、ラングリオンの音楽一家。オートクレール地方のオリヴィエ公爵との繋がりが深い家でねぇ。アレクシス様のクラスの演奏会、覚えてるぅ?そこで、コンマス……。第一バイオリンをやってた女の子がルルー家の子なんだぁ」

「覚えてない」

「そっかぁ」

 クラスメイトの情報しか知らないから。

 そうだ。あれ、聞いてみよう。

「ユリア。手に入った瞬間要らなくなるものって、わかる?」

「えぇ?」

 なんて答えるかな。

「んーっとぉ……」

 ユリアが少し考えた後、答える。

「すっごく食べたかったお菓子とかぁ?」

「菓子?」

「ほら、食べたらなくなっちゃうしぃ、お腹もいっぱいで満足しちゃうからぁ」

 満足するから要らなくなる?

 好きな人は、満たされたらもう要らない?

「お腹空いたなぁ……。カフェに行く?」

「行かない」

「そっかぁ」

 甘いものは食べたくない。

 

 


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