星を恨む者
目が覚めた瞬間に、星華は首に鈍い痛みを感じた。そして、土臭さに眉を寄せる。
隣では睡月がぐったりと倒れている。星華も睡月も、両腕を後ろでくくられていた。
ここは空き小屋のようで、見渡すかぎりの蜘蛛の巣と、積み重なれた藁があるのみ。気を失わされて、ここに連れてこられたようだ。
小さな格子窓から、もう日が暮れているのがわかる。立ち上がってその隙間を覗くが、古びた空き家が見えるだけだ。
ただ足音が聞こえるため、小屋の前に見張りがいるのだろう。扉はおそらく鍵がかかっている。
両手の自由がないため、星華は気を失っている睡月の名を小声で呼び続ける。
「睡月、睡月…」
「星華…、ここは…」
何度もの問いかけに、睡月はようやく目を開けた。ほっと息をついたが、星華はどうしようもなく自分の行いを悔んだ。
「ごめんなさい。私が油断していたわ」
「どういうこと…」
「おそらく、凛鳴の仕業よ。あの子の性格を考えて、もっと用心するべきだった」
星華を不幸にするための死神と言われていた結婚相手は、何より美しい男だった。
それだけではなく、藍家にいた時はどんなに凛鳴が悪かろうと、彼女を咎める者はいなかったが、睡月ははっきり『凛鳴より星華が嫁に来て良かった』と啖呵を切ったのだ。
凛鳴にとって、理性を失わせるほどの屈辱だったのだろう。
また、間者を入れたことが大ごとになる前に、星華を始末しようとしたのかもしれない。
「どうすれば…兄上…助けて」
恐怖に震える睡月に寄り添い、星華は必死に視線を合わせる。
「睡月、必ず助かるから大丈夫よ。私の衣の中に刃物が入っているわ。私の縄を切って」
「なぜ…」
わかっている。このような状況でも冷静に状況を見ている方がおかしい。
「実はこういうこと…少なくはなかったのよ。凛鳴が来る前に早く」
「星華の手まで…切れるわ」
「今はそんなこと気にする暇はないわ。深くならないなら大丈夫よ。早く」
睡月はなんとか弱々しく起き上がると、後ろを向きながら括られた両手で星華の衣の中から刃物を取り出した。着替えた時に前の衣に入れたままにせず良かったと、星華を息をつく。
睡月は恐る恐る、星華の腕を括っている縄を切っていった。
両手を自由に使えないため星華の手が傷ついたが無事に縄が切れたが、星華の手が傷つくたびに、睡月は零れそうな悲鳴を必死に耐えていた。
そんな睡月を抱きしめ、良く頑張ったと労わると、次は星華が器用に睡月の縄をほどく。
そして、星華は衣の中から香り袋を取り出し、その中身の粉を窓の外に解き放った。
「今日は風が強いから助かったわ」
「それは?」
「人を追跡する時に便利な香りよ。今、雨衣が必死になって探しているはず。あまり時間が経っていないから、都からそう離れた場所ではないはずよ」
「雨衣が来ても…どうしようもないわ。か弱き女子よ」
何を言っているのかと、睡月は怒ったように小屋の端に蹲る。
「大丈夫。雨衣なら絶対に守ってくれる」
「侍女を信じているのね」
「雨衣は、私の家族だものよ。あと雨衣はとっても強いのよ」
星華には、雨衣が必ず救い出してくれると自信がある。
にっこり笑顔を見せると、睡月も呆れてはいるが表情が緩んだ。
しかし、近づいてくる足音にまた表情が強張った。二人は両手を後ろで握り、縄が解けていない振りをする。
雑に扉が開かれると、今にも鼠がでそうなこの場所に、似つかない派手な衣に身を包んだ凛鳴が現れた。
自分がこんな場所に連れて来たくせに、土臭さに鼻を押さえている。
その後ろには、六人の体格の良い男たちが構えていた。
「目覚めたのね。星華だけを連れてくる予定だったのに、まさか妹まで連れて来るなんて…この役立たず!」
分かりきった犯人に驚きもしなかったが、睡月とのお揃いの衣が、星華だけを連れて来る計画を狂わしてしまったようだ。
「睡月まで巻き込んで、こんなことして許されると思うの?皇守衛の恐ろしさを知っているはずよ!睡月をこんな目に合わせて、無事でいられるわけがない」
星華の言葉に凛鳴は一瞬怯んだが、いつもの意地悪な笑みを浮かべた。
「いいことを思いついた。貴方、睡月というのよね。私と取引をしない?これは全て星華の指示だったなんてどう?星華の指示で男たちにより睡月は痛い目にあわされた。もちろん、星華の指示だと口裏を合わせてくれたら、痛い目に合わせるのは振りだけにするわ。これで、星華を陵家からも追い出せるわよ」
相変わらず凛鳴は、普通は思いつかないような卑怯な手を思いつく。
「貴方と手を組むなんて、土下座されても嫌よ!」
睡月は先ほどまで震えていたのに、今にもとびかかりそうな勢いでそう叫んだ。
空気ががらりと変わる。凛鳴は射貫くような目で睡月を睨み、口角を上げた。
「それなら、こちらが土下座させてあげるわ」
「貴方、ずっとこういうこと星華にやってきたの?私も言えないけれど、最低ね」
「私を…怒らせない方が良いわよ」
「それはこっちの台詞よ。貴方は星華に劣等感を抱いているようだけれど、こんな性格なら仕方ないわ」
凛鳴の圧にも負けず、睡月は可愛い顔をしながら毒を吐き続ける。
「何ですって!」
凛鳴をここまで怒らせた者は睡月しかいない。
今までは、身を守るために凛鳴の卑怯な取引を受け入れる者しかいなかったが、初めての交渉決裂だ。
「星華が自分より勝っているってわかっているから、あんな噂を流したのでしょう。しかも、徹底的に。お見事だわ」
「睡月を傷つけなさい!」
「待って、傷つけるなら私にして」
男たちが凛鳴の命で動き出のをみて、星華は守るように睡月の前に立ちはだかった。
「あんたのそういう偽善者ぶるところが大嫌いよ」
凛鳴は吐き捨てるようにそいういうと、星華とは似ていない、吊り上がった瞳を星華へ向ける。
何度もこの視線を受けてきたが、今日は泣きそうになっているように見えた。
「陵家の娘を誘拐までして、罪にならないと思う?凛鳴、貴方らしくないわ」
「私らしいって何よ。私はあんたに…全て奪われたんだから」
耳を澄まさないと聞こえない程の小さな声で、凛鳴はそう呟いた。
意外な言葉に星華は大きな目を見開く。まさか、凛鳴からそんな言葉を聞くとは思わなかった。
「何を言っているの?奪ってきたのは…貴方の方でしょう?」
星華の母の形見の衣、愛用していたもの、使用人、小さな小物から人まで全て奪ってきたのは凛鳴の方だ。
奪われ続けて、もう求めることもやめた。
訳が分からないと戸惑う星華は見て、凛鳴は唇を噛み締めた。
「私から殿下を奪ったでしょう?あの人さえ手に入れば良かったのに、あの方はあんたしか見てなかった。藍家に来て琴を教えてくれているのも、あんたに会うためだってわかってた。でも、あんたが嫁げば…殿下も諦めると思ったけれど、嫁いでもなおあんたの後を追いかけてる。あんたがいなくなった藍家には…訪れなくもなったわ。私は…あんたがどうしても許せない」
その叫びは少しずつ涙声になっていた。
星華のことを嫌う理由に翔貴への想いがあることは知っていたが、その想いをに直接耳にしたのは初めてだった。
邪魔者の星華を結婚させたことで追い出したつもりが、邪魔者がいなくなったとたん翔貴は凛鳴に見向きしなくなった。
「ただの逆恨みじゃない!」
その睡月の言葉に、凛鳴の態度が豹変した。
「やりなさい!」
男達は、睡月へにやにやと嫌な笑みを浮かべ近寄ってくる。来ないでと、睡月は泣きながら壁ぎりぎりまで体を寄せるが逃げ場はない。
「やめて、睡月から離れて!」
星華は睡月を覆いかぶさるように抱きしめた。
「縄を解いていたのね。まずは星華の方をやりなさい。顔は傷つけないで。見えない所ならいいわ」
男達は星華を睡月からはがすために、星華の体を引っ張り背中を蹴り続けた。
星華は睡月を強く抱きしめて離れようとしなかったが、容赦ない暴力に手に力が入らなくなる。
地面に倒れた星華を確認すると、男達は無理やり星華を立たせ、お腹まで殴り始めた。
あまりの痛みに、うめき声がでる。
遠くなりそうな意識の中で、睡月の泣き声が意識を繋いでくれていた。
「睡…月…、大丈夫だから」
蚊の鳴くような声でそう言った時、勢いよく扉が開いた。やっぱり見つけてくれた。
「…雨衣」
「…星華様。絶対に許さない!」
雨衣の登場に、凛鳴の表情が変わる。
「睡月様、星華様をお願いします」
そう叫ぶと、雨衣はその華奢な体からは想像できないほどの力と速さで、男の急所をついて行く。
最初は馬鹿にしたように雨衣と向かい合っていた男達は、仲間二人が倒れると、後ずさり始めた。
雨衣は逃がさないように扉の前に立つと、怯える男達を一歩動くことに見事に倒していった。
睡月は倒れている星華の体を抱きおこしながら、目の前に起こっていることが理解できずぽかんと口を開けている。
その隙をつき、凛鳴は逃げ出していた。
大男六人が倒れたのを確認すると、雨衣も星華の元へ駆け寄る。
「雨衣。やっぱり…来てくれた」
「遅くなり…すみません」
「大丈夫…ちょっと痛む…だけよ…っ…」
星華はせき込み、口から血を吐いた。睡月は悲鳴をあげる。
すぐに雨衣は手巾で星華の口から零れる血を丁寧に拭いてくれたが、口の中が血の味でいっぱいだ。
「死なないで、星華…。兄上が来るわ。きっと助けに来てくれる」
ぽろぽろと涙を零し泣き叫ぶ睡月を落ち着かせようと、星華は最後の力を込めて起き上がった。
「睡月…ほら。私は大…丈夫よ」
そう言って、頬を撫でてあげると、睡月はことんと星華の腕の中に倒れた。
「…睡月!」
痛みを押さえ睡月の体を小さく揺らしていると、また誰かが空き小屋へと近づいきた。
雨衣は目を細めすぐに動けるように構えたが、扉が開いた瞬間力が抜けた。
燈惺の姿に、星華は涙が出そうになった。言葉にできない色んな感情があふれ出る。
茫然と燈惺を見上げると、珍しく揺れる瞳と視線がぶつかり合う。
「…睡月!」
燈惺は星華から視線を逸らすと、ぐったり倒れている睡月へ駆け寄った。星華の腕の中から睡月を優しく抱き上げると、燈惺は小屋の外へと出て行く。
その遠くなる背中が見えなくなるまで、星華はずっと見つめていた。




