発症
数十分ほど歩いただろうか。代り映えのしない景色に、僕は少しうんざりしていたが、アリガさんとの他愛のない話のおかげで、それ以上の不快感を感じることなく、歩みを進めていた。
「あそこ!」
アリガさんが指さす先には、洞穴があった。そこまで深くはないのだろうが、奥は全く見えない。この薄暗い空のせいもあるだろうが。
「とりあえず、まずは怪我治さないとね。そのままじゃ、何かあった時困るから」
アリガさんはそう言うと、僕の右手を小さな両手で優しく触れる。白く柔らかい光がアリガさんの手から溢れだし、その光はふわりと漂い、やがて僕の右手へと吸収されるように消えていく。おそらくこれは治癒魔法だろう。それにしても、とても強い魔力を感じる……もし、この人がこんな所に追放されなければきっと、人類最強と呼ばれ、世界を救うため日々死闘を繰り広げていると言われているSS級魔術師に引けを取らない人物になっていたのかもしれない。魔術師は、魔力の強さや実績でランク分けされている。
僕の階級は最低のE級。E級魔術師は魔法が全く使えないが魔力を少しだけ感じ取れる人間。
Dは魔法が少しだけ使える人間。
Cは魔法がそこそこ使えてかつ、14属性ある属性魔法の内5種以上使用できる魔術師。
Bは10属性に加え、10段階中、危険度6以上の魔族、魔物を討伐する試験に合格した魔術師。
Aは属性魔法全部に加え危険度8以上の討伐試験の合格。
そして実質最上位と言われているS級魔術師、別名、特級魔術師になるには、全属性魔法を完璧に使いこなし、それを応用した魔術も完璧、更に、独自で魔法を開発でき、危険度10の討伐試験に合格したもの。SS級は少し条件が特殊で、人類の危機に立ち向かい人類を救った者。というおおまかな条件か、大陸の一部を奪還できた実績がある者に与えられる魔術階級だ。この階級は滅多なことがないと飛び級が出来ないため、真面目な魔術師は毎月試験を受け、次に向けて訓練をし、また受けては訓練……というとんでもない苦行に耐えている。そんなSS級魔術師と肩並べられるかもしれないこの人が味方であるというのは幸運だ。
「はい、おしまい。どう?」
「さ、流石にこの魔力量でも、こんな短時間で、完治……」
驚いた。治癒魔法や身体強化などの無属性魔法は、属性魔法と違い、環境利用や他の属性魔法との組み合わせを行うことで、魔力が弱くても強い力を引き出せるというわけではない。完全にその人間の魔力の強さ、その魔力を結合し自身に収束できる技量で決まる。魔力が弱いと身体強化と言ってもほんの少し疲れにくくなる程度だし、魔力が強くてもそれを上手く使いこなす技術が必要だ。治癒だって、Aランクレベルでさえ、骨折を完全に治すには半日以上がかかるし、かなりの魔力を消費するのでとんでもなく疲れるはずだ。それをアリガさんは、たった数秒で。それに顔色一つ変えずに僕の右手の骨折を完治させた。
「まあ、これでもS級魔術師候補何て言われてたのよ。これ位は、ね」
そう言ってアリガさんは僕に微笑む。アリガさんの笑顔はこの闇に満ちた世界の中で太陽のように輝き、星のように煌めいていた。少女のように健気で、しかしどこか高貴に美しく。僕は無意識に息を止めていた。何故だか緊張してしまう。
「とりあえず、まずは貴方の実力が見たいわ。この世界で生きていく以上、そこそこの強さがいる。あなたの階級、教えてもらえる?」
アリガさんのその質問は、言葉から槍に姿を変えて、僕の心に突き刺さる。
「……です」
「ん? 何て言ったの?」
「Eです……」
アリガさんは目を丸くする。やっぱりそうなるよね……。僕がここで生き延びれたのは奇跡に近い幸運で、自分が強い魔術師だからだとか、能力値が高いとか、そんなものでは無い。せいぜい不良との喧嘩の際に相手の攻撃を避けるだとか、なんとか食らいつくために勉強を沢山して、学校内の筆記試験で学年で上の下くらいの成績とか、僕にある能力はその程度だ。並外れた魔力も身体能力も、優秀な頭脳も、残念ながら持ち合わせてはいない。
しかし、アリガさんから出た言葉は、僕の予想の斜め上、いや、僕の予想という部屋の天井を突き抜け空の彼方に飛んでいった。
「それは絶対あり得ないわ。アンタから放たれる魔力は異常よ。アンタ、ここまでくる道中で、魔物とか魔族に出会ってなかったんじゃない?」
僕の魔力が異常? それはそうだろう。見る影もない。ゼロだ。放たれているのはきっと哀愁だろう。
「えっと、はい。幸運なことに……」
「いやいや。アンタ凄すぎでしょ。どうすればそんなに強い魔力を放ち続けられるのよ」
「え?」
「ん?」
僕らの会話の中に、妙にすれ違いが発生しているらしい。僕とアリガさんの辺りには、疑問符が浮かんでいる事だろう。
「ま、まあそれは置いといて、それで……ほんとはどこのランクなの?まさか……ほんとにSS級だったり……」
「いや違いますって! そんなすごい人になれませんよ……。僕はE級で、魔法も使えないんです……」
「絶対嘘よ! アンタのその強大な魔力でE級なら、人間は全員それ以下になるわ!」
アリガさんは勢いよく立ち上がり、僕を指さす。
「魔法も全く使えなくて困ってるくらいです。先生にも言われました。適正はゼロに近いって……」
「じゃあ、試しに魔法出してみてよ。式はわかるでしょ?」
アリガさんは僕の言い分を聞いてくれそうにない。僕はなんだかんだ学校で3年ほど魔法を勉強してきた。魔法より更にグレードが高い魔術式だって暗記できるくらいには学んできた。自分で式を作ってみたことだって一応ある。(魔法が使えないのでその式があっているかも実際はどんな魔法なのかもわからないけれど……)
それ位しても一切使えるようになることは無かった。
「無理です……でも、それではっきりすると思いますし、それじゃあ、一番簡単な風属性魔法でも……」
風属性魔法は魔力適性のある人間の約9割が使用できる。残る1割は僕みたいな才能のない者だけだ。
「あ、放つときは外に出て私の家から少し離れて。こんなでも大事な住処だから。それで方角は……あっちで」
アリガさんの言われた通り、僕は洞穴から外に出る。そしてアリガさんが指した方に、左手を向けて、脳内で風魔法の式を展開する。幸い、属性魔法の計算式は頭に入っている。使えないので知識の持ち腐れだけれど。
(なんだ……?)
違和感を感じた。僕の左手、いや、全身を熱いような涼しいような、よくわからない感覚が襲った。これが何かはわからないが、僕はそれを無意識に左手の平に、一点に集中させる。
シュウゥ……と、僕の周りから、風を切る音が聞こえてくる。まさか! そんなはずはない。僕は魔力適性がゼロに近いと言われ、実力がなくいじめを受けるレベルの無能だ。心臓の音が聞こえる。速くなる。どんどん速くなる。何だこの高鳴りは? はちきれてしまいそうだ。そして、瞬間――
今度はグオオオオォォォォ!と、竜の鳴き声のような音が辺りに響き、今まで感じたことのない風が、僕の体を突き抜けていく。
「嘘……だ」
「これは、本物。ね」
僕が目を開けた時。目の前にあった立派で、歪な形をしていた木々が覆っていた森が無くなっていた。いや、厳密には、最初に僕がここで見た景色のような。折れた木が沢山並んでいる野原になっていた。地面は抉れ、土が顔を出している。
「そんなはずは……あり得ませんよ……こんな、こんなの……」
放てるはずのない魔法を放った僕の身体に、様々な感情が暴れ回り、反発する。感動。歓喜。不安。焦り。様々な感情が互いにぶつかり合う。
「うぐ……ぐがッ……」
僕の中で何かが始まった。感情が混ざり精神的なダメージになってしまったとかそう言ったものでは無い。僕の中で、何か、何かが剥がれていく。鍵が壊されていく。胸が苦しい。頭が痛い。四肢が焼かれたようにひりひりする。熱い。熱すぎる。
なんだ。何が起こっているんだ……?
「ロ、ロビルガ!」
目が見えない。目は開いているはずだ。目が見えない。何だ。視界が真っ赤に染まる。心臓が破れてしまいそうだ。
僕の中で呼吸が止まる。僕の中で思考が止まる。僕の中で身体が止まる。僕の中で痛みが止まる。僕の中で、僕が止まる。僕は。僕は僕は僕は。
どうなってしまったのだろう?
僕の茶色の髪が赤黒い、この世界の空のような色へと変わっていくのが見える、目から何かがこぼれていく。僕の目の色が。どんどん赤く。どんどん黒く染まっていく。僕の体両腕に、真っ赤なタトゥーの様な模様が浮かび上がる。目が見えていないのに、自分の体を見ているわけでもないのに、自分に起きている体の変化を、僕は見ている。僕の事を、僕は見ている。本当に、何が起こっているのだろう。
そして突然、僕の中で起きていた謎の現象が収まる。
視界が戻ると、先ほどとは変わらない景色が広がっていた。何が起こったんだろう。なんだ? さっきまでの記憶がない? さっき強烈な何かが起こった気がする。なのに。それを僕は覚えていない。
「あ、あんた……」
アリガさんは声を震わせていた。僕は何が起こったのかを聞こうと思い、アリガさんの方へ振り返る。目。僕を化け物だと言わんばかりの目で。アリガさんは見ていた。
「それ……ど、どうしたの……よ……」
「その、いったい何が……」
僕は両手のひらを見る。
「え……?」
僕の手のひらは、僕が知っている僕の手のひらではなかった。真っ赤だった。赤く。そして黒い。焼け爛れた皮膚の用だ。しかし痛みはないし。皮膚も焼けていない。
――僕は変わってしまったようだ。
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