僕は死んだ
9月21日。僕は死亡した。正しくはその4ヶ月後の1月21日。まず1ヶ月後に失踪として行方不明状態にされ、その後3ヵ月間捜索、見つからなければ死亡として扱われるらしい。 周囲の人々には罪を犯した後に行方不明という様に伝えられるらしい。罪を認め、その後反省せずに失踪したという、悪として、僕の名前は残りやがて忘れ去られるわけだ。
「さあ、乗れ」
僕は魔法陣が敷いてある展示台に乗せられる。転送魔法だろう。転送魔法は専門の魔師によって造られるものである。魔師が訪れた場所と場所を繋ぎ、瞬時にそこを行き来できる様にする魔法で、一度貼ってしまえば半永久的に使用が可能である。一方通行に制限したり、人間や物など、対象となるもの以外は転送することが出来ない制限など、魔師が自由に決めることが出来るらしい。何やら色々な文字が書いてある。これが転送する場所の座標だろう。発動条件も恐らくどこかにあるはずだ。実物の魔法陣の方が勉強になる。もうどうでも良い事だが。
「……」
僕は骨折の痛みに耐えながら、無言でそれの上に乗る。転送魔法は乗っているだけで効力が発揮されるため、この魔法陣を作製した術者本人も詠唱も要らない。しかし、発動には条件がある。その条件は魔法陣を描く際に文字を書き込み、自由に決めることが出来る。大抵の場合、敵や他人に発動条件がバレてしまうのを防ぐべく、暗号を利用したり、果てには自分しか知らない言語を用いる者もいる。
この魔法陣は暗号や独自の言語ではなく、ナイフを持たせる事が条件であると記されている。このナイフは得体の知れない大陸に送り込むにあたってのサバイバル用でもなんでもない。自害する為のものだろう。苦しいならばこれで死ねということだろうが、明らかに短すぎる。魔族に支配された大陸を彷徨い死ぬか、何度も短いナイフで体を刺して死ぬかを選べということだろう。僕は渡されたナイフを手にとる。
一瞬。
本当に一瞬だった。僕は既に、あの部屋にはいなかった。なんの慈悲もない。聞く耳も持たない。僕は人間のどす黒さを知った。今僕の上にあるこの空のようだ。そしてやはり、一方通行のようで、帰る為の魔法陣は無かった。ここは何だろう。何もない平地。見たことのない真っ黒な空が広がり、見たこともない植物が茂っている。周辺には切り株のようなものがいくつもあった。
「文明が……あるのか?」
切り株のようなものの断面は少し凸凹しているけれど、かなり綺麗だった。何かの試し斬りに使われたような感じだ。人間がいた痕跡に僕はぞっとする。同じようにここに飛ばされた人がいるという事に、吐き気を催す。怖い。この人は多分、もう魔族に襲われたか、この環境に耐えきれずに死んでいるんだろう。僕も今からそうなるのだ。誰もいない世界で、死ぬ。誰にもそれを知られることなく、死ぬんだ。
「嫌だ。そんなの嫌だ」
生きなくては。何としても。痛い。右手が痛い。そういえば骨折したままここに送られたんだ。とりあえず、どうせ死ぬなら生きている間は楽に居たい。そう思った僕は、切り株に腰を掛け、休むことにした。空を見上げる。黒ずんだ紫色。見ているだけで気がおかしくなってしまいそうだ。僕はすっと空から目を背ける。目を瞑り、溜息をついた。
「そういえば、ナイフ……」
僕は左手にナイフを握っていたことを思い出す。どうせ右手は使い物にならない。だったらこれで切り落としてしまえ。僕は自分の右手にナイフを突きつける、そして思い切り、ナイフを右手首に刺した。
「うぐああああっ!」
ナイフが刺さった瞬間、意味の分からないくらいの痛みが広がる。僕はすぐにナイフを抜き、右手を思い切り抑えた。何で僕がこんな目に合っているのか、訳が分からない。なんで。どうして?目の前が真っ暗になっていくのを感じる。背中に衝撃が走る。倒れてしまったのだろう。意識がどんどん薄まっていく。薄まっていく意識の中、僕は本心を見つめていた。誰か。
「誰か、助けてよ……」
* * *
意識を失っていたようだ。しかしそれのおかげか、少しだけ冷静に慣れた僕は、腕を何とかする為に、森を彷徨っていた。どれくらい進んだか分からないし、どれくらい時間が経過したか分からないが、平地をしばらく歩いた先に森があったので、もしかしたら何かあるかもしれないと思い、入ってみた。危険があれば引き返せばいい。その考えが間違いであると知らずに。
* * *
「……」
迷っていた。完全に失敗だった。ここから出ることが困難になってしまった。道しるべも何もない森を、行ったり来たりしていた。右手の痛みにはある程度慣れ、どうすれば痛みを抑えられるかがある程度わかってきていた。右腕を曲げ、胸元へくっつけ、その腕を左手で掴む。とりあえずこれで痛みは和らげられていた。しかし、そのせいで、走ったりすることが出来ない。激しく動くと体の揺れで痛みが生じる。出来るだけ動かさずに固定しておかなくてはならない。
「そろそろ……休もう……」
少し気を失って回復していたと思っていたが、精神的にも肉体的にも、かなりダメージを負っていたらしく、僕の体はとんでもなく疲れやすくなっていた。体力の消耗が激しかった。地べたに尻を着き、樹木に寄りかかる。幸運なのか悪運なのか、今のところ何か生物に出会ったりなどは無かった。どれくらい森を彷徨っているのだろう。この黒い空でも、夜と昼の区別はなんとなくわかる。夜は更に空が黒くなり、赤いモヤがかかる。おそらく最低でも、ここに来てから三日は過ぎたと思う。毎日が地獄だ。水も飲んでないし、食べ物も口にしていない。しかし、何故かそれでも動けている。人間はこんなに生命力があるのかと感心してしまう。生きていても、何もないのに。
「あれ……」
何か音が聞こえる。僕は耳を澄ませる。ざああ……という音。この大陸には僕の知らない事ばかりが広がっていた。だが、この音は知っている。水だ。水が流れる音だ!
「助かった……!」
僕は音の方へと歩く。疲れていたが、そんなものはどうでもいい。水が飲める。そして、川に沿って行けば、森から出られるかもしれない。こんな暗黒の世界でも、希望はまだ残されているかもしれない。そう思い、僕はどんどん進む。
「……! あった……!」
もしかしたら勘違いかもしれないと思っていた。しかし、それは違った。川が流れていた。僕は我を忘れて水を飲んだ。こんな所の水を飲んでも大丈夫なのか、そんなことを気にしている場合ではない。飲む。とにかく飲む。
「おいしい……」
とてもおいしかった。もしかしたら、追いつめられていてそう感じているだけで、実際はまずいかもしれない。しかし、味など気にしている場合ではない。がっつくように水を飲む。ここでは他人の目など気にする必要もない。他人などいないのだから。誰もいないこの世界も、案外良いのかも知れない。人と話さなくて良いし、金も権力もない、いじめもない。ある意味、ここは良い場所なのかもしれない。そう思っていた。
しかしそんな甘い考えは、すぐに蹴散らされることになる。
バシャバシャと水を激しく叩く音が遠くの方で聞こえる。僕はすぐに水を飲むのを辞め、音の方へ目をやった。音がどんどん近くなる。逃げなくては。そう思ったが、疲れと恐怖で体が動かない。忘れていた。ここは魔族に支配された未開の大陸。この世界に数人しかいない、特級レベルの大魔術師でさえ踏み入るのを躊躇するであろう危険な土地。今僕はそこにいるのだ。
「ガグアオオオオ!」
唸り声が聞こえる、きっとこの音を出している主だ。魔族か、はたまたただの獣か。答えはわかっている。あれは獣の鳴き声なんかではない。聞いたことがない、この世のものとは思えない何かだ。
刹那――
それは僕の前に姿を見せる。声も出なかった。震えもしなかった。完全に動けなかった。呼吸さえできない。あれはなんだ。人間の腕が、熊のような顔をした生き物に生えている。背中には翼。目は飛び出しており、片方の目は腐敗しているのか、ぐちゃぐちゃとしたものがぶら下がっていた。怪我をしているのか、紫色の体液を流していた。
「待ちなさぁい!」
何かが現れたのと同じくらいに、今度は人間らしき声が聞こえる。可愛らしい女の子の声。その声の主が現れるのも、ほんの数秒だった。速い。とんでもなく速い。目で追うのがやっとだった。多分身体強化の魔法を使っているのだろう、それ以外であの速さは再現できない。うっすらとしか見えなかったが、おそらく身長は150程、長い桃色の髪の女の子だ。顔は良く見えなかったが、かなり整った顔立ちをしているような気がした。女の子は持っていたレイピアだろうか? それを得体のしれない何かに向かって思い切り投げつける。それは見事に頭部に突き刺さり、そして得体のしれない何かは「グボゴ……」という声のようなものを上げた後、ドサリと倒れ、完全に動かなくなった。
「よし、退治完了……んで、アンタなにもんよ?」
女の子は刺さっているレイピアを抜き、それを思い切り振り、剣先に付着していた体液を飛ばす。そしてそれを僕に向け、目を細める。
「ぼぼ、僕は……その……」
ここ数日、コミュニケーションをとることがなかった僕は、いきなり話しかけられたことに戸惑いを隠せない。綺麗な長い桃色の髪に、宝石のように輝く赤い目。細い手足に整った顔立ち。緑色の耳飾りに金のラインが入った白い服、水色のスカートと革のブーツ。そんなこの場所に相応しくない清楚な恰好の女の子に急に話しかけられたのだ。困惑してしまうのは必然だろう。
「まさか、アンタが特級魔術師とかいうやつ? クッソヘボそうだし、それにその怪我、まさかだけど、この周辺の魔物にやられたとか?」
この子はどうやら、見た目と中身に大分差があるらしい。とんでもなく口が悪かった。可愛い顔しているのにもったいないなあと、こんな状況ながら思ってしまう。
「アンタ、今すっごい失礼なこと考えてたわね」
何故かは知らないが、バレていた。
「あの、貴方は……?」
「はあ? まずそっちが名乗ったらどうなのよ?」
確かに、その通りかもしれない。あちらが先に質問をしてきたわけだし、僕はよそ者だ。
「僕は……」
アスタリア学園所属の三年生、ロビルガ。その言葉を発そうとしていた口が止まる。もう僕は、今僕は、学生でも何でもない。ただの生きた死体だ。ここに来た時点で、もう死んでいるようなものなのだから。
そんな暗い感情を抱いている僕の事を気にも留めず、目の前の女の子は僕が何と答えるのかを、ほんの少しだけ殺意を表しながら、ただ静かに待っていた。どうせ死ぬなら人に手を汚させたくはない。
「アスタリア学園……三年生の、ロビルガと言います」
僕がそう言うと、女の子は目を見開いて僕に詰め寄ってくる。
「は! アンタみたいなのが、私でさえ知ってるアスタリアの生徒? エリート級のエリートじゃない!」
彼女の表情や動きを見て、僕は確信する。彼女は人間だ。口は悪いけれど普通の女の子だ。僕は初めて、この世界で心から安心できるのかもしれない。多分この子は他の国の魔術師だろう。きっと仕事か何かでここに来ているに違いない。仕事で来ているにしては少し軽装な気はするけれど、本当に良かった。もしアスタリア王国が運営する魔術機関所属していない国なら匿ってもらえるはずだ。こんな奇跡が合ってよいのだろうか。
「まあ、いいわ、人間ね。それで、何したの? 王家暗殺とか?」
「……は?」
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