第八話:ピーターパンなんかじゃない
たぶん私は、ラッキーだったんだと思う。
お母さん譲りのはっきりした、どちらかというと派手な顔立ちの影響か、クラス替えがあるたび声をかけてくれてなんとなくグループになるのは、クラスの中でも目立つタイプの女の子たちだった。先生に怒られないくらいにメイクして、ぎりぎりまでスカートが短くて、運動部とか他校とか時にはどこかの大学とかに彼氏がいるような子たち。
そのうちにだんだんと超インドアで内向きな私の本性が出てきたから、最終的に一緒にいたのはチョウさんとかゲーマー仲間のなつみとかだったけど、それでも別に仲が悪くなるとかハブられるということもなく、普通に遊びに誘ってもらうこともあった。そこには大抵、彼女たちと同じように目立つ感じの男の子たちがいた。サッカー部とかバスケ部に入ってるか、バンドかダンスをやってるような。そして彼らの中にはどういうわけか私のことを気に入って、付き合おうよなんて言ってくれる人もいた。
だからたぶん私は、ラッキーだった。見た目がタイプの男の子も、みんながうらやむようなイケメンも、おしゃれでミステリアスな感じの子も、一通り付き合うことができたから。
そして思った。恋愛なんて、少女漫画やドラマを見て憧れていたほど楽しくはないものなんだな、って。彼のぱっちり大きな目や試合終了十秒前にすぱっと決まるシュートやギターの上を滑る指先には確かにときめくけど、でもひとたび二人っきりになって会話をすれば、彼の口から出てくる言葉は薄っぺらくてつまらなくて、もっと聞きたい!とは全然ならなかった。それに彼らは私と付き合っていても、他の女の子たちにも平気でそれっぽい視線を送ったり、思わせぶりな言葉を吐いたりした。それに不満を漏らせば、途端に機嫌が悪くなってめんどくさかった。
だから私はいつもすぐ彼らと別れて、チョウさんとのおしゃべりに戻っていった。チョウさんの目に映るきれいな世界を、そのやさしい言葉で聞いていたかった。
そうやって結局はチョウさんとべったり一緒にいるほうを選ぶ私を見て、まわりの女の子たちはちょっと呆れたような苦笑いで聞いた。「鈴とチョウさんって付き合ってるの?」
そっか、それもいいのかも。チョウさんに恋はしてないけど、でも恋なんて思ってたよりいいものでもないし、それなりに経験して気が済んだような気もするし。それだったらチョウさんと一緒にいるほうがずっと幸せなんじゃない?私がそういう風になろうよって言ったら、きっとチョウさんはうんって言ってくれる。
お父さんのことがあったのは、そんな風に考えはじめた頃だった。
突然だが、あなたは絶望したことがあるだろうか?
ぼくはしている、今。人生最大の絶望を味わっている。もう何時間、こうして床にへばり付いてるんだっけ?そこの木目くん、きみとぼくはもう友達だよね……。
『ともだちー?』
そうだよ。ともだち。しんゆう。
その瞬間、連想ゲームでキノの言葉がよみがえってきて、ぼくは再びおでこを床にこすり付けた。
タララタララタララタラランっ。またしても聞きなじんだLINEの着信音が鳴る。今日もう三回くらいはかかってきてるけど、キノだったらどうしようとキノじゃなくても落ち込む、というのでずっと取れないでいる。いやでも、もしキノだったら無視し続けるのもまずい。ギリギリ手の届く位置に放り出してあったスマホをたぐり寄せて画面を見ると、電話の主は飛瀬さんだった。
「もしもし……」
『ちょっとチョウさん、なんで出ないの!?LINEしたのにずっと既読にならないから心配したんですけど!』
「ごめん。ちょっと、自分の存在の儚さと向き合ってた……」
『……もしかして、フラれた?』
「振られてすらいない。ははは、告白さえできなかった」
『は?どういうこと?言えなかったっていうこと?』
「というか、言わせてもらえなかったというか……」
しばしの沈黙の後、飛瀬さんはいらだった声で『あーもう!ラチがあかない!』と言った。
『焼肉!食べに行こう!』
「お、なんだ飛瀬っち。今日シフト入ってないだろ?デートか?」
「店長、そういうのいいから。個室って空いてる?」
ひさしぶりに顔を見たら一気に懐かしさが込み上げてきたけど、店長は当然ぼくがぼくなのには気がつかず、愛想のいい笑顔で「いらっしゃいませー」と言いながら個室に通してくれた。あぁ、たった半年前まではここで働いてたのに、なんだか遠い昔のことみたいだ。本当に、色んなことがあったもんなぁ……。
「とりあえずカルビとロースと、タン塩好きだったよね?あとはキムチ盛り合わせとご飯二つに……どうする?ビールも頼む?」
「いや、大丈夫」
「じゃあ、あたし黒烏龍茶」
「ぼくもそれで」
「かしこまりぃ!」
注文を取ってくれた店長が部屋を出ると、網を囲んで向かい側に座っている飛瀬さんは少しだけ声のトーンを落とした。
「当日とか次の日はさ、あんま色々聞かないほうがいいかなーって思ったんだけど。でもキノさんの誕生日から三日くらいして、もういいかなと思ってLINEしたら全然既読にならないからさ。それで今日、電話しても出ないし。なんかあったのかなーって、心配になっちゃって」
「ごめん。なんかスマホとか見る気になれなくて、ずっとLINEも開いてなかったんだ。なんていうか……何も手につかなくて、まじで自分の部屋に閉じこもってぼーっとしてたっていうか。昨日一昨日はバイト入ってたから、それはちゃんと行きはしたんだけど」
そう。バイトしてたり誰かと話してたり、何かやる事が目の前にある時はいいんだ。でもふっと一人になると……たとえばバイト帰りに歩いてる時とか、お風呂に入ろうと脱衣所で服を脱いでる時とか。そういう瞬間にはキノの泣きそうな目とか言われた言葉が頭の中に舞い戻ってきて、ずーっとループしてしまう。そうするともう、お母さんが用意しておいてくれたご飯を食べようとか、好きなYouTuberの新しい動画を観ようとか色々考えてたことが全部どうでもよくなって、気がついたら自分の部屋の床に転がってる。そんな数日間だった。
「言わせてもらえなかったって、どういうこと?」
ちょうどその時、「お待たせしましたー」と言いながら大学生バイトの野崎くんが入ってきた。野崎くん、ピンクの髪の毛やめたんだ。そういえばそろそろ就活の時期なのかな。
野崎くんが出ていくのを待ってから、ぼくは網の上にタン塩を並べながら飛瀬さんの質問に答えた。
「キノさ、ぼくが何を言おうとしてるか気がついたんだと思う。「言わないで」って、言われちゃった。泣きそうな顔でさ、ぼくとはずっと親友でいたいって。そう言われたら、ぼくもう何にも言えなかった」
あのときキノの前では出せなかった涙が、いまさら溢れてきそうになる。あんな悲しそうな顔させるために、プレゼント持って行ったわけじゃなかったのに。
「……チョウさん、それでいいの?」
焼けていく肉を前に箸を取ろうともしない飛瀬さんのお皿に、ぼくはほどよく焼けたタン塩を乗せた。
「うん。むしろキノがそう言ってくれてよかった。だって告白して振られちゃったら、やっぱり気まずくなるじゃない?キノの顔見てはっとしたんだよね。ぼくはずーっと大事にしてきたものを、台無しにしようとしちゃってたんじゃないかって」
「……」
「キノの中でぼくがそういう対象としてあり得ないって答えが決まってたから、止めてくれたんだと思う。お互い必要以上に傷つかないように」
「でも、チョウさん傷ついてるじゃん」
すごくはっきりと、子供に言い聞かせるみたいに飛瀬さんが言った。手付かずのタン塩はおいしそうな匂いを放っている。
「そりゃあね。でも……たとえば自分の気が済むように告白して、それでキノと今までみたいな友達でいられなくなるなら、そっちの方がよっぽど傷つく」
そう。今までだってずっとそうしてきた。呪いだなんだなんてイレギュラーなことが起こったから、ちょっと血迷っちゃっただけだったんだ。
「まぁー、これではっきりわかったわけだし?これからもずっと親友でいれたらさ、そっちのほうがいいよ」
「……チョウさんが、それでいいなら」
どういうわけか飛瀬さんのほうがよっぽど傷ついた顔をしてるから、ぼくはわざと明るく笑ってどんどん肉を網に乗せていった。
「ほら、食べよ!匂い嗅いだらめっちゃお腹すいてきた」
「はー食べた食べた!ひさびさに行ったらおいしかったなー」
お腹いっぱい焼肉を食べて、デザートに巨大なかき氷まで分けあったぼくらは、腹ごなしも兼ねて近くの公園をぶらぶら歩いた。
「たった半年だけど懐かしかった?」
「うん、すごい懐かしかった。まぁでも年末には元のぼくに戻るから、年明けくらいにはバイト復帰できるかな」
ノーマを辞めるのは、正直めちゃくちゃ寂しいけど。でもさすがにどう説明していいのかって感じだしなぁ。ほとぼりが冷めた頃に別人として面接受けなおすとか?あ、でも名前は「白鳥 玲」のまんまだし……偽名使うってのもどうなんだろう。
「そういえばさ、告白中断されて、その後チョウさんどうしたの?」
「え?普通に残りのケーキとか食べて、キノがゲーム友達とPUBGやる約束してるっていうからそれちょっと眺めて、終電で帰ったけど?」
「は?まじで?なんで?」
「いやー、ぼくはあのゲーム自分ではやらないからさ。ちょっとでもグロいとだめなんだよね」
「そうじゃなくて……心臓つよ」
うん、自分でもそう思う。けど、人って精神的にものすごく揺さぶられるような状況に置かれると逆に冷静になるんだなって感心するくらい、キノの家を出るまでは全然、普通に振る舞えていた。一人になったら一気にぐわー!っと落ち込んだけど。
そんなことをぼんやり考えていたら、一瞬静かになった後、飛瀬さんが口を開いた。
「あのさ」
「うん?」
「あたしが挑戦しちゃだめかな?」
「挑戦って何に?」
唐突な単語に隣を向いて聞き返すと、飛瀬さんは神妙な表情で立ち止まった。
「チョウさんの、呪いを解くのに」
「へっ!?」
言っている意味がぱっと理解できなくて、思わず素っ頓狂な声が出る。飛瀬さんは一呼吸置いてから、ぼくの目をまっすぐに見た。
「好きなの、あたし。チョウさんのこと」
真剣な声で、飛瀬さんはまったく予想もしていなかった台詞を続けた。ええええー!?これって……さすがに冗談とかどっきりじゃないのか……!?えっぼく?ほんとに!?
「えっえっでも……飛瀬さん、彼氏は?」
「とっくに別れてるよ。去年の終わりくらいかな」
「そうなんだ……あ、いやでもなんていうか、びっくり」
突然のことにあたふたするぼくに、飛瀬さんはちょっと微笑んでから近くのベンチを指さして「座ろっか」と言った。
「ぶっちゃけね、色々と問題あった元カレと別れられたのって、チョウさんのこといいな、気になるなーって思ったからだったんだよね」
ベンチに並んで腰を落ち着けると、飛瀬さんは言った。
「い、いつから……?」
「うーん、前からめっちゃいい人だなーとは思ってたけど、意識したのはあれかな、休憩室で泣いてんの見られたとき」
彼氏と喧嘩したと言って泣き出してしまった飛瀬さんを、オロオロしながら慰めた時のことがよみがえってくる。
「彼氏ともちゃんと別れて、チョウさんの誕生日に告ろうって決めてたのに、チョウさんいきなり消えちゃうんだもん」
「そうなんだ……ごめん」
「ううん、いいよ。それにそのときに告ってても、きっと振られてたでしょ?」
う、ううん……確かに。前の外見のぼくを好きになってくれたなんてきっとめちゃくちゃ嬉しかったとは思うけど、なんだかんだキノのことが諦めきれなくて、申し訳ないけど断ってただろうな……。
でもそっか、今は。
「あたしはまぁ、好きになったのは前のチョウさんだから?戻っちゃっても全然いいわけだし……こんなときにこんなこと言うの、空気読めよって感じなのもわかってるんだけど」
飛瀬さんは体ごとこっちを向くと、ぼくの顔をまっすぐ見つめてきた。ぼくも思わずしっかり目を合わせる。飛瀬さんの目は小動物のそれみたいに黒く光っていて、射抜かれてしまいそうだった。
「ほんのちょっとでも、1%でも、あたしがチョウさんに真実のキスしてあげられる可能性があるなら、試してみたい。いいかな?」
「あれ、木下さんお弁当いま食べてるの?」
「うん。昼休みに食べ損ねちゃって。家帰ってから食べるのも変な感じだし」
「そうなんだ。委員会?」
「ドラクエやり始めたら集中しちゃって、気がついたらチャイム鳴ってた」
「えぇ、まじ?へー、木下さんドラクエやるんだ」
「白鳥くんは?これから部活?」
「ぼく帰宅部だから」
「そっか、一緒だ」
「……」
「……帰んないの?」
「へ?あ、いや一人で食べるのも寂しいかなーって……あ!むしろ一人で食べたかった?」
「ううん、いていて。なんかしゃべってよ」
「えーじゃあ宮大工の話していい?」
「ぶっふふふ、なんで宮大工?」
「最近NHKのドキュメンタリー観てさ、感動したから」
「へー」
飛瀬さんを駅まで送ったあと、ぼくの足は自然とすぐ近くにある母校に向かっていた。春にキノと見た桜の木々には、今はたっぷりと葉が生い茂っている。ぼくは学校の敷地の周りをぶらぶら歩きながら、中二のときに誰もいない放課後の教室で、キノが弁当を食べるのに付き合ったときのことを思い出していた。考えてみれば、あれがキノと仲良くなったきっかけだったな。一年のときも同じクラスだったけど、当時キノはどっちかというとギャルっぽい子たちと一緒にいることが多かった。あの日に帰る方向が同じなのが判明して、じゃあ一緒に帰ろうってなってついでにゲーセンに行ったんだった。なんだかすごい昔のことのような気もするけど、昨日のことみたいに鮮明に思い出せもする。
好き、ってなんなんだろうな、本当に。正直最初は、キノの外見に惹かれてたと思う。こんな可愛いのにぼくみたいな地味メンにも分け隔てなく接してくれるんだ、っていうギャップにもときめいてた。でもだんだん一緒にいるうちに……キノのだめなとことか悪い癖とかも見えてきて、そりゃまぁ喧嘩みたいなのもしたことあったけど……でもそういうのもひっくるめてなんか、ずーっと見てたいなって思うようになってた。近くで見て、同じことを体験して、知ってたいなって。いつのまにかぼくは、キノのことを知ったかぶりできる自分に喜びを感じるようになってた。優越感でもあったと思う。そしてキノにも、ぼくのことを誰よりも知ったかぶっててほしかった。
それってもはや恋なのか、ぼくにもわからない。きっとずーっとこのままではいられないっていうのもわかってる。だってキノにはいつか、ぼくよりもキノのことを知ったかぶれる人が現れるだろうし。
それにぼくだって、キノ以外の誰かに自分のことを、もっと知ってもらおうとしなきゃいけないのかもしれない。
でもそれでも、いつかお互いのことを一番に知ってるのが他の人になっちゃう日が来たとしても、やっぱりぼくは許される距離で、キノのことをずっと見てたいなって思う。
気持ちいい秋の風を肺いっぱいに吸い込んでから、ぼくはジーンズの後ろポケットからスマホを取り出した。ケースの上のスマーフは、ぼくを励ますみたいに笑っていた。
『今ちょうど学校のほう来てるんだけど、キノまだ会社?』
『もう出た いま電車』
『パドマニリベンジしたいからさ、ゲーセン行かない?』
『行く!下北?』
『おけ!先行ってるから着くときLINEしてー』
いつも通りの感じで待ち合わせた駅前で、チョウさんはよくわからない打楽器?を持った外国人と話していた。
「なにしてんの」
「おーキノ!お疲れ。今オシャイさんがなんで日本に来ることになったのかを聞いてたとこで」
「シアトルのエアポートで一目惚れした彼女、ニホンのパスポート持ってた。声かける勇気、なかったから、追いかけてキマシタ」
「国際的ストーカーじゃん!」
めちゃやばそうなオシャイからチョウさんを引き剥がして、下北のいつものゲーセンに向かう。「いやーでもおもしろかったよ、東京に来るまでのエピソードも波瀾万丈で」なんて笑うチョウさんは通常運転に見えて、私は密かに胸を撫で下ろした。
よかった、本当に。
チョウさんからいつもみたいな気軽なLINEが来て、ものすごく安心したし嬉しかった。正直、連絡がなかったここ数日はずっと緊張してた。もしかして、もう二度とチョウさんとのトーク画面が動かなかったらどうしよう、なんて考えたら、夜もうまく眠れなかった。でも自分からメッセージを送ることもできなかった。返ってこなかったときのことを考えたら怖くてしょうがなかった。
「YouTubeで達人の動画見てめっちゃイメトレしてきたから、けっこう自信あるよ!」
と言ったチョウさんは確かにこの前よりはずっとうまくなってたけど、それでもやっぱり私には歯が立たない。
「あああー!だぁめだぁ、やっぱ全然勝てない!ハンデあるのに」
「おっしゃーコンボ!敗者はラーメン奢りね」
「あ、ラーメン以外でもいい?昼遅めの時間に焼肉食べちゃったから、さすがにもうちょっとあっさり系がいい」
「え?うんいいけど。焼肉行ったの?」
「そう、飛瀬さんともはや懐かしき古巣に。野崎くんが黒髪になってて、もうそんな時期かーって思ったよ」
「ふーん。誰にも気がつかれなかった?」
「ぜんっぜん!なんかすごい変な感じした」
私たちは、大学生の頃によく行ったご飯のおいしいカフェに行くことにした。チョウさんは和風パスタ、私はローストビーフ丼を注文する。
「キノ、ほんとにそればっか食べてたよね。大学のときの思い出の四割くらい、キノの前にローストビーフ丼置かれてる画な気がするもん」
「だってこのクオリティで千円は奇跡じゃない?あーめっちゃひさびさに食べる」
いつも通りの会話、いつも通りの軽口。きっとチョウさんは色んなことがわかってて、でもそれでも変わらずに接してくれてる。私のわがままを、わがままだなんて気がつかないような振りをしてくれる。
そういうチョウさんは死ぬほどやさしくて、そしてちょっと切なかった。私は心の中で小さく、絶対に口には出せないごめんねを繰り返した。
「ななみちゃん、今バージョンのチョウさんに慣れたみたい?」
「うん……ていうかさ、ちょっとびっくりなことがあって、今日」
「うん?なに?」
「告白、された。飛瀬さんに」
ローストビーフに包まれたご飯を運ぼうとしていた箸が一瞬止まってしまって、でも私は努めて冷静に、それを口まで持って行った。もぐもぐと咀嚼しているあいだ、片手で「ちょっと待って」というサインを送る。
「……んぐ。言ったんだ、ななみちゃん」
「えっ!?キノ知ってたの!?」
「うん。ケンタで会ったときにこっそり聞いちゃってた」
「ええええ……なんでそんなさりげなく恋バナしてるの……」
二重にびっくりしているチョウさんに、私はなるべく軽い感じを装って聞いた。
「それで?チョウさんなんて返事したの?」
出てきた自分の声は、思っていたよりずっと自然だった。大丈夫、だいじょうぶ。
「正直、今すぐは答えられないって。飛瀬さんの気持ち全然気がついてなかったし、すっごく嬉しいけどちょっと待ってほしいって、言った」
「そっか」
「うん。飛瀬さんもゆっくりでいいよって。だから……ちゃんと考えるよ」
最後の一言は、私を安心させようとして言っているようにも聞こえて、なんだか胸の奥の奥のほうの、絶対に触れないあたりがきゅ、っと縮んだような感じがした。
「チョウさんに彼女できたら、今みたいに遊べなくなっちゃうかなー」
「なんでよ、そんなわけないじゃん」
「えーだって彼氏が女友達としょっちゅう会ってるの、やっぱり嫌じゃない?」
「キノに彼氏がいるときだって、普通に遊んでたじゃん」
「それはそうだけど……やっぱそこはさ、ちょっと違うじゃん」
お皿の上でパスタをくるくると器用に巻き取りながら、チョウさんは「まさかキノとこんな心配する日が来ると思わなかったなー」と笑った。
「でもさ、キノと遊ぶのやめてほしいなんて言う人、ぼく絶対選ばないよ」
チョウさんは笑顔だったけど、整った今の顔から出てきたその言葉は、なんだかちょっと冷たい感じすらした。チョウさんから冷たさを感じるなんてはじめてで、私をそれを怖いと思うと同時に……どこかでぞくぞくしていた。その感覚をまたすぐ押し込んで、蓋をする。
大丈夫、だいじょうぶ。そういう風になろうよなんてさえ言わなければ。
チョウさんはずっと一緒にいてくれる。