第8話 新米貴族は平穏な日常を過ごす
伯爵の子息レイクの死から数週間が経過した。
僕は子爵の領土へ帰還し、そこで研修を名目に居候している。
一応は貴族の僕は、王国を支える身分にある。
ただし名誉男爵なので末席も末席だ。
したがって何の義務もなく、権力もなかった。
言ってしまえば、少し聞こえが良いだけの一般人である。
当代限りの身分で、世襲制ではない。
金か伝手さえあれば、誰だろうとなれる代物だ。
名誉貴族という身分を一種の商品とすることで、国や貴族は懐を温めているらしい。
蔓延した汚職と腐敗で貴族の名は落ちぶれた、とは子爵の談である。
昔はもっと高貴な身分だったらしい。
僕にはよく分からないが、子爵は現在の貴族の在り方に失望しているようだった。
そのような時代を利用して貴族の一員となった僕だが、特に変わった生活はしていない。
午前中は様々な分野の座学を受けて、午後は健康のための鍛練を行う。
その合間に各地の情報を子爵経由で聞く。
細かな違いはあれど、だいたいそのような日々を送っていた。
なんとも平穏な生活である。
一方で国内における混乱が並々ならぬものだった。
レイクの死はあっという間に周知された。
現在、貴族達は水面下で探り合っているそうだ。
実行者のその証拠を掴み、相手の弱みにしようと画策しているらしい。
貴族社会の外面は理知的だが、裏では蹴落とし合いに近かった。
笑顔で接する相手だろうと、隙あらば刺しに行く。
その中で信頼に値する者を見つけて派閥を組むのだ。
時には派閥すらも裏切って利益を追求する。
僕は人々の役に立ちたいと思って貴族を志した。
実情は想像以上に過酷のようだった。
(それでも諦めるつもりはないけれど……)
書庫で本を探す僕は、思考の海から脱する。
最近は考え事が多い。
波乱の元凶である僕は、なんとも平穏なひと時を過ごしている。
これでいいのかと自問自答するも、答えは既に出ていた。
下手に首を突っ込むべきではない。
今はひたすら勉強を続ける。
貴族としてやっていけるだけの学びを深めていく時期だ。
いずれ子爵の支えとなれるような人間になりたい。
それが彼女に対する恩返しだろう。
何年かかるか分からない。
だから真剣に勉強するのだ。
たとえ国内が暗殺事件で乱れていようと、僕のすることは変わらなかった。
偉大な貴族となって、僕が殺した人間より多くの命を救いたいと思う。
「エリス、ここにいたのか」
書庫に入ってきた子爵が声をかけてきた。
僕は本を置いて背筋を伸ばす。
「どうしたのですか?」
「君に関する大事な報せだ。落ち着いて聞いてほしい」
子爵がそう前置きする。
なにやら険しい表情をしていた。
嫌な予感を覚えながらも、僕は続きの言葉を待つ。
子爵は、はっきりとした口調で用件を述べた。
「王命が下された。とある領土の守護担当が君に決まったそうだ」