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プロローグ | 渇望された生の果てに

血のように赤く染まった月が浮かぶ夜、現世うつしよへと忍び寄る恐怖の存在を予期した者は、誰一人としていなかった。

.........

......

...

ひっそりと、執り行われる密葬。厳かな空気が満ちる中、棺に横たわる者が誰なのかさえ知らされていない神父が、その式を執り行っていた。夜の静寂しじまに響くのは、逝ける者の魂の安息を願う祈祷の言葉だけ。窓から差し込む月光だけが室内を照らす中、最後の親族が別れの挨拶を交わす。だが、そこには別れを惜しむ涙など一枚もなく、親族たちの態度は神父の目の前で取り繕った、ただの形式的な義務に過ぎなかった。

(何かが、おかしい……)

神父は胸の内でそう呟いた。これまでに数多くの富豪たちの葬儀を先導してきた彼だったが、これほどまでに不吉な胸騒ぎを覚えたのは初めてだった。亡くなった者の身元も死因も明かすことを拒む親族たち。そればかりか、彼らの顔には悲しみの色の欠片すら見当たらない。まるで、この死者が一族の隠すべき「汚点」であるかのように。親族の誰もが心からの哀悼を捧げようとしないため、迷える羊を導く羊飼いのごとく、この故人のために涙を流しているのは、皮肉にも神父ただ一人であった。

コン、コン、コン!

突如、扉を叩く音が響いた。神父が視線を向けると、控えていた使用人たちに開けるよう促す。現れたのは、クワを握りしめ、泥にまみれた薄汚れた男の姿だった。

「奥様、裏庭の土地の穴掘り、終わりましたぜ」

土汚れのついた服を着た男のその言葉を聞いた瞬間、霊安室には安堵の溜め息が漏れた。この蒸し暑く息苦しい、物置小屋同然の霊安室に一刻でも長く留まりたい者などいるはずがない。棺を運び出す係員たちが中に入ってくると、親族たちは席を立ち、足早に立ち去ろうとし始めた。

しかし――。

ドンッ!

棺の内側から響いた突発的な衝撃音が、その場の全員を凍りつかせた。一度ではない。二度、三度。恐怖のあまり、係員たちはその場で足を止めてしまう。神父は彼らを落ち着かせようとしたが、係員たちは怯えきり、それ以上一歩も進むことができなかった。

「あ、あれはきっと、ただの『ラザロ徴候』よ!」

そう声を荒らげたのは、夫の手を必死に握りしめている肥満体の女性だった。その手足は明らかにガタガタと震えている。「私は医者よ。病院で死体の反射運動なんて何度も見てきたわ。よくあることよ、異常じゃないわ……」

だが神父には分かっていた。その太った女性の言葉が、激しく高鳴る心臓を落ち着かせるための、中身のない誤魔化しに過ぎないことを。死後三日も経過した遺体に、ラザロ徴候が起こるはずなどないのだ。

「そ、そうなのか……?」

少し安堵した様子で、係員たちは再び棺へと近づいていく。

彼らが再び歩みを進めると、神父は定位置に戻り、部屋を出ようとしていた親族たちに目を向けた。彼らはまるで何かに縛り付けられたかのように、じっと木製の棺を見つめていた。総毛立ちながらも、その場から逃げ出せる者は誰一人としていない。彼らの本能が、叫んでいた。もし今、ここから一人でも逃げ出せば、恐ろしい災厄がその身に降りかかるだろうと。それは棺のノック音のせいだけではない。部屋全体の空気が、異常なほどに重く変化し始めていたからだ。

神父自身も、その空気が呼吸困難になるほど濃密に膨れ上がっていることに気づいていた。悪霊祓い(エクソシズム)を行う時に感じる、あの忌まわしくも悍ましい感覚。彼は狂ったように祈りを捧げ始めた。

ギィィ……ッ!

誰も触れていないはずのガラス窓が勢いよく開き、冷たい夜風が吹き込んできた。窓枠の真ん中、その真下に位置する棺の上に、不気味な赤色に染まった月が、死者へとその光を注ぎ込む。

「ひぃっ!!!」

窓がひとりでに開いた光景に腰を抜かし、係員たちが床に崩れ落ちた。彼らは、説明を求めるかのように、怯えきった目で神父を見つめる。

ギチ、ギチ、ギチ……。

神父が口を開くより先に、固く閉ざされていたはずの棺の蓋が、ゆっくりと持ち上がり始めた。錆びついた蝶番が軋む不快な音が耳を突き刺し、その場にいる全員の視線を強制的に棺へと釘付けにする。開かれた棺の隙間から現れたのは、青白く、血の気の失せた手。だがその手は、冷たい夜風に触れながら、徐々に「体温」を取り戻していくようだった。

その後、室内は水を打ったように静まり返った。物音一つ立てる者はなく、誰もが息を潜めている。それにもかかわらず、異常な速さで脈打つ心臓の音が、恐怖が全身を支配していることを雄弁に物語っていた。これまでに何度も悪霊憑きの事件に対峙してきた神父でさえ、横たわっていた遺体がゆっくりと起き上がる光景を前に、ただ木人形のように立ち尽くすことしかできなかった。神父としての生涯の中で、このような怪異を目撃したことは一度としてなかった。

神父の目に映ったのは、まるで天から伸びる見えない糸に操られているかのような、不自然で硬直した身体の動きだった。死に絶えた筋肉のせいか、潤滑油を失った骨のせいか、身体が引き伸ばされるたびに、バキバキと不気味な骨鳴りが部屋中に響き渡る。

月光を浴びながら起き上がったその身体は、一瞬で記憶の奥底に焼き付くような異様な光景を晒していた。美しく、同時に、見るもおぞましい姿。

髪は夜空そのものを切り取ったかのように長く黒い。だがそれは、滑らかな絹糸のようになびくのではなく、無数の蜘蛛の巣のように禍々しく広がっていた。そして、開かれた瞼の奥から、一対の深紅の瞳が姿を現す。それはルビーのような輝きではなく、今まさに空に浮かぶ月と同じ、濁った「血」の赤だった。

『それ』は、息を呑む人間たちを見回し、視線を合わせた。人間のものとは到底思えない、絶対的な断絶を含んだ眼差し。その瞳を見つめた者が、その悍ましさから逃れたい一心で、自らの眼球を抉り出し終わりにしたいとさえ願うほどの絶望。やがて、その視線が神父のところで止まった。神父は喉が干からびるほどの勢いで、祈りの言葉を口ずさむ。

「おお、大いなる女神よ、どうか迷える魂に安らぎを……」

神父は震える手を合わせ、棺に座る存在が再び静かに眠りにつくことを願って祈りを唱え続けた。しかし、悲しいかな、その祈りに応える神など、ここには存在しなかった。

蘇った遺体が、動き出す。まだぎこちない――まるでその遺体を動かしているのが人間ではない「何か」であり、手に入れたばかりの新しい『器』に必死に適応しようとしているかのように。

「……私の、名前を教えてもらえるかしら?」

遺体を乗っ取った『それ』は、すでに新しい身体に馴染みつつあった。その肉体に宿ったのが、天使なのか、女神なのか、あるいは悪魔なのか――それを問いかける勇気を持つ者は、その場に誰一人としていなかった。

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