龍神様のお守り
「やだわ。歳を取ると涙脆くなるって本当なのね」
もしもあの時別れていたら、子供たちはもっとのびのびと暮らせただろうか。別の生き方を見つけられただろうか。もっと人生を楽しめただろうか、それとも貧困に喘いでいただろうか。
足湯に浸かりながら、涙が止まらなくなって足がふやけるまでそこに留まった。
ふと気がつくと白い髭のおじいさんが隣にいた。同じように足湯に浸かっている。
見事な口髭にちょっと目が惹かれて、涙が止まった。人がいるなんて気が付かなかった。恥ずかしい。
「気持ちいいずら?」
ずら?と思いつつチラリと横を見ると、おじいさんがニコニコと空を見上げながら話しかけてきた。顔を見ないようにしてくれているに違いない。私は慌ててタオルを出すと顔を拭いて、それから足を湯から引き上げた。
「そうですね。いつまでも浸かりたくなっちゃって。足がふやけちゃいました」
「たまにはいいに。心も身体もふやかして、楽にならんと石地蔵のようになっちまうだに」
「あら。そこまでなるにはもっと悟りを開かなくちゃいけませんね」
私には到底無理な気がします、煩悩だらけで、と笑って答えると、おじいさんは私を見る。青い目のおじいさんだった。水のようにきれいな青で、思わず見入ってしまう。色素の薄い瞳は、私を見ているようで見ていないような、焦点が合わないような、なんとも不思議な感じがした。
「清く明るく正しく生きるんが、人のあるべき姿だに。煩悩があっから人間ってのはええずら」
おじいさんは静かに、諭すように私に言う。ちょっと訛っている分優しくて、なんだかすんなりと心に染み入った。
「おらほ湯と鰻と酒が好きでな。それを諦めろって言われたら、ごして死ぬずら」
「あはは。お風呂は、確かに。やめろと言われたら日本人じゃなくなりそうですね」
「そんなあなたにジジイから一つ、いいもんくれてやるわ」
そう言うと、おじいさんは私の手をとってビー玉のようなものを載せた。おじいさんの瞳と同じ青。ビー玉というよりパワーストーンのようなものかな。
「水晶?」
「気休めのお守りだに。肌身離さずお持ちなさい。龍神があなたを守ってくれるずら」
「龍神さまの加護…」
「心がごしたら、湯に浸かるずら。ふやけたら、美味いもの食ってまた起きりゃええ」
おじいさんはやっぱり私が泣いている間、そばにいてくれたのかもしれない。情けない私を心配してくれていたのだろう。ここでまた人の優しさに触れて、涙が出そうになった。
「ありがとうございます。大切にします。私も美味しいものが大好きで、諦められません」
「それでええ。人生は短い。楽しく後悔の無いよう、生きるずら」
おじいさんは立ち上がり、去り際に私の肩に軽く手を置き、ぽんぽんぽんと叩いた。
「おかしなこと、不安なことが起こったら、その玉を握り、”祓え給い、清め給え”と3回、短く唱えるずら」
じゃあ、ジジイはこれにて退散、と言って今度こそおじいさんは歩き去っていった。
しばらくぼんやりした後で、私は徐に立ち上がり靴を履き直し、大急ぎで諏訪大社へと戻っていく。
心が軽い。
身体も軽い。
諏訪湖の水と同じ色の瞳。竜のような白い髭。
多分、おそらく。おじいさんの正体は――。
「……鰻とお酒、お供えした方がいいのかしら」
カリカリと見えない壁を引っ掻く黒猫の姿は、私の目に映らなかった。
岐阜の訛りってちょっとよくわからないので、なんとなくでご理解ください。すみません。
擬似日本のお話なので。(汗)




