金の瞳は何を見る
振り向くと、そこには、誰もいなかった。
橋を半ばまで戻って目を凝らしても、人の姿はなかった。
「え、ちょっと…?」
ゾワゾワした恐怖が打ち寄せてくる。
「ね、ね、猫ちゃん…?」
黒猫すらもすでにそこにいなかった。嘘でしょ。
「ヒエェ………ッ」
泣きそうになりながら、私は慌てて街道に向かって一目散するのだった。
もう絶対、黒猫の後にはついていかないと心に決めて。
街道に戻ってすぐ横に道祖神があった。ほとんどただの石のように、顔の表情もわからない道祖神だったけど、必死に手を合わせて祈った。お塩も供えた。食べ物は動物がくるから無し。ごめんなさい!
「クマに会いませんように!幽霊は成仏しますように!黒猫にも会いませんように!無事峠を越えられますように!」
その日は、自己最速スピードで和田峠を越えた。競歩か駆け足だったと思う。幸い、あの熊には再び会うことはなかった。他の人にも会わなかったけど。
熊鈴が狂ったように鳴り響いていたのが、良かったのかもしれない。
「にゃあん」
その後ろ姿を見送るように、黒猫が不機嫌そうに鳴いたのを、恵理子は気がつかない。
黒猫は、いつからかここにいた。
黒猫には年月の概念がないから、どのくらい時間が経ったのかわからない。けれど、いつも人の世界の間を行き来していた。人の容姿は覚えられないけれど、金の瞳は、魂の色と形を見極める。魂は縫い付けられた風船のように細い糸で地上に結ばれている。
だけど時折、その糸が解けかけて、宙ぶらりんな魂がいるのだ。人間の体から半分はみ出した魂。そのほとんどが白く半透明で、中身はスカスカ。
そこに繋ぎ止めるだけの、未練も執着も夢も希望もない。中には黒く濁って地面に這いつくばるような魂もいるけれど、そういうのは踏み潰されて消滅していく。
黒猫が欲するのは、空っぽの魂だ。色がついていないから、他の色にも染まりやすい。そういうのを見つけると、別の場所に誘導する。
中身がないから意思がない。
黒猫が渡る、もう一つの世界は、今瀕死の状態にあった。大地が悲鳴を上げて、人間が翻弄される。魂は白く浮かぶことなく、みんなドス黒くなって地面を這っている。半分土中に埋もれたまま、それでもそこにしがみつく醜い魂ばかりで、全く綺麗じゃない。
黒猫はそれを一掃したかった。腐ったものは食えない。
お腹が空いた。
黒猫は綺麗好きなのだ。美味しいものも好き。綺麗なところで、美味しい魂を時々食べる。たまに遊んで昼寝して、また食べるのが黒猫の存在意義。
あちらの世界、こちらの世界と渡って、恵理子を見つけた。
乳白色の魂が、目に入ったのは随分前。そばに行って鳴いてみたけど、気が付かれなかった。結び目がまだ硬い。だから黒猫は待ったのだ。常にそばにいて、いつかやってくるチャンスを。
そしてついに時は満ちた。
魂はふわりふわりと宙に浮き、結び目はほとんど外れている。
後一押し。
呼びかけに応答した魂はの糸は、黒猫が握った。
もう離さない。
供物をもらった。少し味見をしてみたくて、手のひらからそれを貰う。なんて甘い魂の味。これは上質だとひと舐めでわかった。
そして今。
乳白色だった魂がほんのり紅色に変わった。それが何を意味するのか黒猫にはわからない。早くこの世界から引き離して、あちらの世界へ連れて行きたい。
そして、綺麗にしてもらうのだ。
そうしたら、美味しい魂がたくさん。黒猫の好む美味しいご飯をくれるこの人間だけは、絶対手放さないと決めた。
だから多少強引なことをしているのは、自覚している。
黒猫を見て、声を聞いて、ゆっくりこちらに近づいてくる空っぽな魂。
こちらへおいで。鈴の鳴る方へ。
早く。
早く。
オ マ エ ガ ホ シ イ。
読んでいただきありがとうございます。感想・ブクマもお待ちしています。
ちょっと短めなので、もう一話投稿します。




