50 元宰相の戸惑い
久し振りの投稿です。ミルドの父レイド。お色気担当ですね(嘘です)。
ジャイロ王国の元宰相、レイド・ノートは『大魔術士アーノルド・ガスター』の直弟子が見つかったという知らせを受け取った時、大変戸惑った。
知らせてくれたのは、『大魔術士アーノルド・ガスター』同好の士である、ゴダ卿である。
『知識の門番』と恐れられたゴダ卿は、ジャイロ王国大図書庫の元管理人である。ゴダ卿は数万冊はあると言われる大図書庫の全ての本に目を通し、あまつさえ、その全てを記憶している。膨大な知識に基づく考察力は群を抜いており、先王の信頼も厚い有能な男であった。
それが突然、『大魔術士アーノルド・ガスター』の直弟子が見つかった、である。
常識的に考えて、500年前の英雄の直弟子が、今の世に生きているはずがない。一体何を言いだしたのかと戸惑ったのだが。レイドはこの時、そういえばゴダ卿が齢80を超えているなと思い至り、かの『知識の門番』も、寄る年波には勝てなかったかと一抹の寂しさを感じたのだが。まさか常識の方が間違っていたとは思わなかった。
ゴダ卿から知らせが届いた頃、彼の故郷であるルガルナ領では、これまでに例を見ない巨大な赤竜が暴れまわり、大きな被害を出していた。赤竜討伐の為に国王がルガルナ領への騎士団派遣を決定したのだが、同時に、大魔術士の派遣も決定したと聞き、レイドは耳を疑ったものだ。
現国王が、王妃を差し置いて愛妾にのめり込んでいるという噂はノート侯爵領にも届いていた。侯爵位は息子に譲ったとはいえ、元宰相たるレイドにも王都の噂を耳に入れる伝手ぐらいある。王都における愛妾の評判は最悪で、その愛妾を実権はないとはいえ大魔術士に任じた国王の評判も同じく悪化していた。
そんな事態をなぜ宰相である息子のミルドが看過しているのかと不思議ではあったが、すでに現役を引退している身で関り合う事もあるまいと、レイドは放置していたのだが。まさか危急のルガルナ領に大魔術士を派遣するなど正気の沙汰とは思えず、密かに気を揉んでいたところにゴダ卿の知らせである。故郷の災難に加え、国王の愚挙はゴダ卿の老体には耐えられなかったかと、レイドは事態を放置していたことを心の底から悔やんだ。
だがゴダ卿の手紙を読み進める内に、どうにもボケ老人の妄想ではないように思えた。ゴダ卿の語る大魔術士メイルという人物は、『大魔術士アーノルド・ガスター』の直弟子であることを証明する、アーノルド・ガスターのローブと杖を持っていたという。アーノルド・ガスターのローブと杖は、彼の伝記にその存在が記されているが、絵として残っているのはジャイロ王宮の王の間にある彼の肖像画だけだ。もちろん歴史的価値も高く、天才画家ルーク・スイシアの絵ということもあり、ジャイロ王国では国宝として扱われている。そう簡単に誰でも拝めるものではない。
「大魔術士のローブは2枚あった? 1枚は王宮魔術士ユナック・ダガーの作で、もう1枚はアーノルド・ガスター自身の作? ユナック・ダガーとは誰だ! ローブが2枚だと? これまでの論争が根底から覆されるではないか!」
メイルから杖は無理だったがローブを借り受けられたので、詳細に調べてまた連絡すると手紙は締められていた。ルガルナ領に近い領地で隠居をしていた元財務大臣のボーダ卿と大商会の元商会長ビルズ卿もルガルナに駆け付け、ともに調べていると書かれており、レイドはルガルナ領とノート侯爵領の遠さを呪った。近ければ間違いなくレイドも駆け付けていたのに。
そう。レイドは『大魔術士アーノルド・ガスター』の熱狂的なファンなのだ。
ジャイロ王国の英雄にして破天荒な彼の大魔術士。レイドは子ども向けの絵本でその存在を知って以来、彼に関する書物は全て読み漁った。知れば知るほど尊大で人誑しで豪快で、それでいて孤独な『大魔術士アーノルド・ガスター』に心酔していた。彼の大魔術士について仲間内で語り合い、議論し合うのが何よりの楽しみだった。
そんな心酔する大魔術士アーノルド・ガスターの直弟子というだけでも興味が尽きないというのに。
「ミルドが大魔術士に執心しているだと……?」
ゴダ卿の手紙に、メイルに話を聞いていただけでミルドに威嚇されたと苦情めいたことも書かれていて、ミルドは大いに戸惑った。レイドの息子ミルドは、親の目から見ても女に溺れるタイプではない。幼い頃からやけに醒めていて、女性とは穏和に接してはいるが、欠片も興味をもっていなかった。
レイドの最愛の妻に言わせると、『親を反面教師にした結果』ということだったが、それにしたってミルドは淡白過ぎる。宰相の仕事に全精力を傾け、いい歳だというのに婚約者の一人もおらず、数多の令嬢からの秋波も、その親たちからの圧力も飄々と躱している。
レイドや妻は、ミルドの結婚を彼が18の歳に諦めた。誰に似たのかやたらと優秀な息子は、自身の意に沿わぬ結婚を退けるため、成人前には侯爵を継ぐために必要な実績も積んでいた。政略に頼らず実力で一人前になった息子に、親とはいえ結婚を強制する事は出来ず、レイドは早々に白旗を上げた。妻に言わせると、『やりたくない事を頑としてやらないところは、父親にそっくり』らしい。レイドに自覚はないが。
そのミルドが、大魔術士に懸想。しかもその大魔術士は、息子が生涯を捧げると決めた国王の愛妾。違和感しかない。
そんなときに、国王より親書が届いた。大魔術士隊の文官が不足しているため、出仕しないかという内容だった。しかもゴダ卿たちにも声を掛けているらしい。たった5人しかいない大魔術士隊に、若手の文官2名では手に余るとはどういうことか。国王サーフの手紙には『もう余の手には負えん』という愚痴まで書かれていて、何が何だか分からないまま、俄然、好奇心が沸き上がった。
「国王より出仕の打診があった。君はどうする?」
最愛の妻であるマチルダにそう切り出すと、マチルダは鼻で嗤った。
「私は王都には戻らん。今更社交など面倒だ。行くならお前1人でいくがいい」
マチルダの予想通りの言葉に落胆しながら、レイドは未練がましく続ける。最愛の妻と離れて暮らすのは寂しかった。出来れば一緒に王都に来て欲しかったのだ。
「私も今更社交など興味はないけどね。ミルドが夢中になっているという、大魔術士殿には興味が湧かないかい?」
するとマチルダは、ドキッとするほど優しい笑みを浮かべた。
「メイル様か。サーニャの手紙で報告は受けている。素晴らしいお人らしいな。一度お会いしてみたいものだ」
マチルダの柔らかな声音にドギマギしながらも、レイドは眉を顰めた。
「サーニャから? 私は報告なんて受けていませんよ?」
「そもそもお前はサーニャから嫌われているだろう。手紙など送るはずがない」
「そんな、嫌われているなんて……。ただちょっと、行き違いがあっただけですよ」
思春期の難しい年頃に、『お父様、不潔だわ』と嫌われてしまったのが今でも尾を引いているが、サーニャも大人になり結婚もしたのだ。潔癖な少女時代を過ぎれば、いずれは分かりあえるとレイドは信じているのだが。
「連日連夜、他所の女と夜会に参加する父親の艶めいた醜聞のせいで、学園の友人たちから腫物のような扱いをされた娘が、いずれは分かってくれるなどと、よくも楽観的な考えができるな。逆に尊敬するぞ」
「あ、あれは! 仕事だって、貴女も知っているでしょう。リーングレ王国のザッツ伯爵家の鉱山から我が国への希少な鉱物を輸入していたんです。ザッツ伯爵家の未亡人を丁重にもてなせと、陛下に命じられてそれで……」
必死に言い募るレイドに、最愛の妻はハンッと再び鼻で嗤った。
「あれは仕事だったが、別の夜会でのドメイ子爵家の未亡人のエスコートは関係なかろう。お前のそういった日頃の言動が、子どもたちの信頼を損ねたのだ」
「ぐっ」
レイドは胸を抑えて呻いた。心当たりがあり過ぎる。真実はレイドに全く優しくなかった。
「マチルダ。貴女は私の潔白を信じてくれるでしょう? 私は結婚以降、他の女性に触れたことはありません」
「お前が真実不貞を犯したかどうかなど、些末な問題だ。不貞をしたと思われるお前の言動が、最早信頼に値しないという話をしているのだ。愚か者」
元は女騎士として王家に仕えていたマチルダは、レイドが惚れ惚れするほど男らしく言い切った。マチルダに出会って以来、レイドは誓って彼女以外に触れた事は無く、妻一筋だというのに、当の妻には全くその愛情も誠意も伝わっていないのだ。
「マ、マチルダ。私が側に居なくても平気なんですか?」
「さっさと去ね」
泣き落としも妻には全く通用せず。鬱陶しそうに手を振られ、レイドはあっさり王都に追い立てられたのだった。
◇◇◇
かくして、初めて会った大魔術士メイルは、レイドの予想を大きく裏切る人物だった。
あのミルドを堕とした女性なのだ。レイドの予想では大人の、色気のある女性だったのだが。
「初めまして、メイルです」
そう名乗ったのは、まだ未成年かと思わせる様な小柄で童顔の可愛らしい少女で。
だがレイドが手に触れただけで、あの淡白なミルドが怒りを露わにして噛みついてきたのだ。レイドからこれ見よがしにメイルの手を取り戻し、汚物にでも触れたかのように丁寧にハンカチで拭っている。実の父を汚物扱いとは。レイドはこっそり傷ついた。
メイルはミルドをしげしげと観察して、親子間の魔力の類似性を見出すことに夢中になっている。キラキラした目は好奇心に満ち溢れている。レイドはその美貌で数々の女性に言い寄られた経験があるが、これほど下心なく女性に近寄られたのは初めての事だった。
しかもメイルは、独占欲が露わにし、父親を貶しつつ牽制するミルドを上手にあしらっている。ミルドが女性相手に顔を赤らめるなどと、有史始まって以来の珍事にレイドは目を瞠った。俺の息子、照れるって機能が備わっているのかと、妙に感心してしまった。
面白い。これは、面白い人に出会えたぞ。
アーノルド・ガスターの直弟子などという俄かには信じ難い要素はあるが、それ以上に大変興味深い人物だと、レイドのメイルに対する好奇心はムクムクと止まる事を知らぬように湧き上がる。
だがしかし。補佐官としてメイルに、大魔術士隊に仕える様になると、そのレイドの好奇心は次第に悲鳴に変わることになるのだが。
今のワクワクしたレイドには、知る由もない事だった。




