99話 エメラルドのダンジョン03
断末魔が近づいてきた。
吹き出す血と、溢れ出る涙と一緒に。
バゲットは、目の届かない場所で、それが起きているだろうことは察していた。
察していたが、あえて目を塞いでいた。
その事実を、混乱していたこの場に持ち込むことこそ、さらなる混乱をうむと理解していたから。
「スクウェアステップ、戦闘準備だ。メンバーたちにも、すぐに準備するよう伝えてくれ」
「了解」
周囲に聞こえないような小声で、バゲットはスクウェアステップに指示する。
「なんだ? なにを話しておる?」
が、自身の安全のためにバゲットの近くへ待機していた、ニカワ国国王のタロウには当然に見られる。
タロウの質問は回避できないと判断し、バゲットは事情を説明するため口を開く。
「遠方より、魔物の声がしました」
「魔物だと!!??」
「ニカワ様、どうぞお静かに。民たちに聞かれては、無用な混乱を招きます」
「む、確かにな」
大声を出してしまったことにバツの悪そうな顔をしながら、タロウは声を潜める。
「で、その魔物とやら、大丈夫なんであろうな?」
「ご心配なく。ここはダンジョンの第一階層、出てくる魔物の強さはたかが知れております。私とスクウェアステップを先頭に、ステップのメンバーたちが殲滅します。御身に危険が及ぶことはありません」
努めてタロウを安心させようと放った言葉であった。
が、タロウに安心は与えられなかった。
その感情は、ただ一言として、バゲットに返される。
「ならん」
小さな声で、だがしかし芯の通る声で。
「貴様の最大の役目は、朕の身を守ること。朕の元を離れることは許さん。指揮は、あの女にとらせよ」
タロウの指差す先には、ステップのメンバーたちに戦闘準備を伝え周るスクウェアステップの姿があった。
「しかし」
「これは国王命令だ」
「…………承知しました」
有無を言わさぬ言葉に、バゲットはただ頷いた。
「とはいえ、女一人の指揮は不安であることもまた事実。朕の兵より、指揮の得意な者を何人か貸そう。幾多の戦場を潜り抜けてきた精鋭ぞ?」
「…………ニカワ様の寛大なお心遣いに、感謝いたします」
「よいよい! では、しっかりと魔物退治を頼むぞ」
タロウは、上機嫌で笑う。
目の前にあった不安が取り払われたように、晴れやかな顔だった。
一方のバゲットの心は、真逆である。
ステップのメンバーはおよそ800人。
その指揮を、スクウェアステップ一人で行わなければならないのだ。
そのうえ、今までは純粋な魔物の討伐だったが、今回は王族国民の護衛も含まれる。
攻めよりも守りのほうが難しいことなど、ハンターの常識である。
さらに、国王の兵という指揮官が、指揮系統に介入してくる。
ダンジョンという場所の先頭に慣れていない、だがしかし国王直々に指名されるほど指揮の能力が高いと自覚し、なんとか手柄を残そうと考える人間が、よりにもよって指揮系統に介入してくるのである。
バゲットは、片手で顔を覆った。
戻ってきたスクウェアステップにそのことを伝えると、スクウェアステップは泣きそうな顔を両手で覆った。
その不安は的中する。
「おい、何をしている! そっちの……えーっと、誰だ! いや、誰でもいい! なぜ俺の指示に従わん!」
「くそっ、陣が崩れた。いったん引け!」
第一階層。
魔物――アイアイ。
全身が黒く長い体毛に覆われており、ギョロギョロとした目とやたらに長い指が特徴な魔物である。
四つ足で駆け、時には壁から生えているエメラルドの石を足場にぴょんぴょんと跳ね回り、四方八方から攻撃を仕掛けてくる。
スクウェアステップたちは、苦戦していた。
案の定、指揮権を奪うような形で指示を飛ばす国王の兵は、対人の戦い方を無理やり魔物相手に適用しようとして、見事に陣形を崩していた。
第一階層の、ステップのメンバーであれば苦戦することなく倒すことができる魔物相手に、である。
スクウェアステップが魔法で攻撃しようとするも、目の前で魔物に次々と殺される光景を見た国民たちがパニックで逃げまわり、魔法の軌道を見事に邪魔されてしまっている。
もしも指定した相手のエネルギーを吸い続けることができるバゲットがこの場にいれば、物理的な邪魔も関係なく魔物を討伐できていると考えてしまう自分に気づき、スクウェアステップは言い訳を並べる自分の未熟さをかみしめる。
「助けてくれー!」
「死にたくないー!」
「お前らハンターだろ!早く倒せよ!」
「何やってんだよ!!」
「あああああ!! お前らが遅いから人が死んだじゃねえか!! この人殺し!!」
さらには、守らなければならない存在が次々殺されている事実と、その存在からの怨嗟の声が、スクウェアステップの心をがりがりと削っていった。
ハンターになったときから、命を懸けることは決めていた。
人間が死ぬことも理解し、目の前で起きても耐えられるように覚悟は決めて戦っていた。
が、未だかつて聞いたことない怨嗟の声には耐えられなかった。
僅か20歳の少女の心には、あまりにも重すぎた。
「スクウェアステップ様! こちらにご支援を!」
ハンターとしての本能と責任感だけで、メンバーの声に反応して動くだけの人形のように戦いを続ける。
体を動かしながらも、頭の中では怨嗟の声が繰り返し再生され、意思は塗りつぶされる。
甚大な国民の被害の報告と共に、スクウェアステップはバゲットの元へと戻ってきた。
タロウを前にして幸いなのは、タロウから借りた兵は、とりあえず無事だということだろう。
軽い怪我を負った者はいるが、戦えないほどの負傷者も、まして死者も存在しない。
国民の被害を考えず、兵の数字だけで言えば大健闘だ。
「うむ、ご苦労だった」
タロウは大健闘に満足し、ねぎらいにスクウェアステップの肩をポンと叩き、すりすりと撫でた。
肩の上部を撫でていたタロウの手は、ゆっくりとスクウェアステップの体の前へと動いていき、指がスクウェアステップの胸をひっかけた。
指の先が何度も曲げられ、スクウェアステップの胸に何度も沈み込む。
スクウェアステップは、びくりと体を振るわせる。
「ニカワ様、申し訳ございません。今後のために、先の戦闘についてスクウェアステップに聞きたいことがあります。申し訳ありませんが、少しだけ二人で話をさせてください」
タロウは撫でる手を止め、不快そうにバゲットを見る。
「ここでよかろう? 報告ならば、朕も聞いておかなければならぬだろう?」
「……魔物の特性を確認するため、人間をどう殺したかの話、場合によっては実際の死体を解剖して」
「あいわかった、さっさとやれい」
タロウの手が離されたスクウェアステップは、小走りでバゲットへと駆け寄る。
「ありがとう御座います。スクウェアステップ、あっちで話そうか」
バゲットは、少し離れた場所を指差し、移動を促す。
スクウェアステップの体に触れることなく誘導する。
「……ありがとう、バゲット」
「いや、すまなかった」
何への感謝か。
何への謝罪か。
「さて、では前線で何があったかを教えてくれ。ありのままを」
「了解」
スクウェアステップが語ったのは、第一階層の魔物の情報。
国王の兵の指揮による混乱。
国民の混乱による乱戦。
国民の被害。
国民からハンターに向けられた感情。
「想像を超えて酷いな……」
バゲット自身、混乱は必須だろうと覚悟はしていた。
が、実際は想像以上であった。
そしてそれが起きているのが第一階層、つまり最も簡単に攻略できるはずの階層なのだ。
そのうえ、未だにエメラルドのダンジョンの試練と思われることも起きていない。
「なんとか、ニカワ様に俺が前線に出ることをお願いしてみよう」
「……そうなると、私はニカワ様の側ににいなければならないってこと?」
スクウェアステップがぶるりと体を震わせる。
「……いや、二人で前線に出られるようにお願いする。民の被害状況をお伝えすれば、ニカワ様もお許しくださるだろう」
「おい、まだか!」
タロウがしびれを切らして近づいてきた。
「失礼しました。たった今、終わったところで御座います。そこで、今後の方針につきまして、ニカワ様とご相談したいことが御座います」
バゲットは、努めて冷静を装って、タロウの方へと向かった。
後ろでスクウェアステップが体を震わせたのが分かった。




