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偽色彩師と漆黒の騎士  作者: 名紗すいか
女神の復活祭編
20/39


 騎士団施設に顔パスで通過したルチカは、猫さながらの瞬発力で階段を駆け上がり、ヴィルバートの私室の扉を体当たりで破り転がり入った。


 しかしルチカの金の瞳に映ったのは、整った寝台に鎮座している、白ゴリラことマリアだけだった。


「ニギャー……」


 その弱々しい声音に、ルチカは膝から崩れ落ちた。


(遅かった……)


 体を引き摺り、寝台へと顔を伏せると、ヴィルバートの匂いがまだかすかに残っていた。

 出会ったばかりのころからの懐かしい記憶が瞬時に駆け巡り、ルチカは泣くのを堪えて布団から顔を上げた。

 

「ヴィルは……いつ?」


「ニギャーニギャー」


 マリアが責めるように鳴き声を荒げた。


「……もっと早くに、帰って来れれば……。あの御者たちめ……ぶっ飛ばしてやればよかった……」


 道中捕まえた御者たちは誰も彼も、もっと飛ばせというルチカの言を聞き入れてはくれなかった。

 法定速度を厳守すると言い張った御者たちを、片っ端からぶっ飛ばし、引き摺り下ろしてルチカ自ら馬車を操ってさえいれば。


「ニギャー」


 マリアが爪の剥き出しになった短い前足を、ルチカの頭へと乗せた。

 好敵手の慰めに、涙が決壊しかけたところで――――、


「うおっ!?なぜヴィルの部屋にシスターが!?」


「ロランツー。寝言は寝て――――本当だ」


 彼らの視線はルチカの服装に釘付けだった。

 修道女服に身を包んだルチカは、ロランツとクランを振り返ると、涙目で言葉を浴びせ掛けた。


「何でそんなに呑気に会話なんてしてられるんですか。あれですか。本当は愛想のないヴィルのことなんてどうでもいいと思ってたんですね。仏頂面の渋面のしかめ面め、って。彼の死を悼むのは愛猫たちだけですか。……さぁゴリラ、二人で祈りましょう」


「ニギャー」


 指を組んで瞑目した瞬間、脳天をはたかれた。


 その厳しくも優しいはたき様に、ルチカは開眼してすぐさま背後を降り仰いだ。


 照れと呆れと不機嫌がない交ぜになった表情で、死んだはずのヴィルバートがそこにいた。


「……生きてる」


「勝手に殺すな。しかもなんだその服は。マリアが異臭に顔をしかめているだろう」


 修道女服のまま教会を脱走してきたルチカは、着替えもせずに数日掛けて急ぎ帰ってきたのだ。

 その間、雨に当たることはあっても、体を洗うことはなかった。

 お風呂どころか、水浴び一つしていない。


 マリアへと目を移すと、凶悪な三白眼でルチカを睨んでいた。

 始めから、ヴィルバートの死を哀しんでいたのではなく、ルチカの臭さを訴えていたようだ。


(顔をしかめてる……?いつもの不細工なゴリラだよね?)


「ニギャッシャー!」


 顔を近づけ過ぎていたルチカの頬を、マリアはすぱんと肉球で叩きつけた。


「マリア。臭くても攻撃はするな」


 そう言いながらも、ヴィルバートはマリアの頭から背中を撫でている。


「何ですかその甘い躾は。そんなことより、大丈夫だったんですか?危篤は?」


 ルチカはヴィルバートの顔や肩に触れて、異常がないかを確認した。

 どこも怪我をしていないようだ。


「問題なさそうで、安心しました……」


 数日間の気苦労で、よろめいたルチカをヴィルバートが支える。


 久々の腕の中で微睡みかけたルチカの耳に、懐かしくも無情な金属音が響いた。


 ――――カチャン。


(……?)


 左手首に慣れ親しんだ重み。

 そこにはマキの私物の手錠が、しっかりと嵌められていた。


「…………は?」


「はい。偽色彩師確保。ああ、助かった。よかったね、ヴィル。計らずも愛情が証明されて」


 いつの間にか出現したマキが、そう言いながらもう片方の輪をヴィルバートの右手首へと掛けた。


「――――マキ」

「――――マキさん」


「やだなぁ。せっかくの感動の再会だから、笑顔で喜んだら?顔、恐いよ?」


「誰がそうさせていると……」


 ヴィルバートは小言を言う気力もなさそうにため息をつく。


「仕組まれたことなんですか?」


「ニギャー」


「ゴリラは黙ってなさい」


「マリアだ。後でマキに、簡単に説明をさせるが、まず……」


 ヴィルバートがマリアを避難させ、マキが後を続けた。


「異臭騒ぎになる前に、お風呂に入っておいで」


 ルチカは、ヴィルバート、マキ、マリア、ロランツ、クランを順番に見渡していき、全員の眉が潜められているのを受け止めてから、一言告げた。



「どこまでも失礼な国ですね」




◇◆◇◆◇◆



 手錠を一時外され、浴室へと放り込まれたルチカは、綺麗さっぱり洗浄を終えて、ついでに修道女服も洗濯した。


 マキからのお詫びの証なのか、ルチカ用の私服を数着贈られ、それを着て現れるとヴィルバートが不服そうに言った。


「マキの猫だな」


「餌をくれる人が飼い主です」


 手錠で繋がる二人は、マキの執務室のソファに掛けて、この部屋の主と対峙している。


「修道女服も似合っていたよ。ねぇ、ヴィル?」


 マキに振られたヴィルバートは、無言を貫いた。

 だがうっすら、目尻が赤くなっている。

 これまでの苦労が吹き飛び、ルチカは彼へと擦り寄った。


「清貧、貞潔、服従か。君とは正反対だけれど」


 シスターになるつもりはないので、それに関しては構わない。


「わたしの修道女服の話はいいので、本題に入ってください。わたしは何の罪で逮捕されているんですか」


 ここに留まる理由がないから、旅立ったというのに。


 マキは優雅に足を組み替えて、肘おきに肘を掛けた。


「逮捕じゃなくて、確保。猫の手でも借りたい問題が発生してさ。どうかな?助けてくれる気、ある?」


 人に物を頼む態度ではないが、知らない仲ではないので、話だけは聞いておくことにした。


「どんな問題ですか?」


「まず、女神の復活祭だけれど、見たことがある?」


「ありません。露店にしか興味がないです。ふわふわの砂糖菓子の噂だけは聞き及んでいます」


 雲のような見た目で、甘く舌の上でほどけて溶けてなくなるという、その砂糖菓子だけが女神の復活祭におけるルチカの未練だ。


 路銀を跡形もなく寄付されたルチカには、もはやストライエの教会へと戻る資金すら皆無だった。

 件の砂糖菓子をお土産に買うことなど、夢のまた夢。


「砂糖菓子?報酬として露店ごと買ってあげるから、仕事の依頼を引く受けてくれない?」


 流し目を送るマキにルチカは――――、


「にゃー」


「浮気猫」


 特大の餌を目の前にぶら下げられて、マキの猫になりかけたルチカを、ヴィルバートが強めにはたいて正気に戻した。


(砂糖菓子に釣られるところだった!)


 依頼内容を把握しておかないと、後々痛い目を見る。


「何をしたらいいんですか?」


 マキはにこりとして、それを口にした。



「色彩師になって欲しい」




            ♢




「ぶっ飛ばしてやる」


「それは心に留めておけ」


「人質は黙ってください。わたしは歓楽街の花街か貧困街のどちらに行くか思案中ですから」


 最後まで話を聞かずに、騎士団の施設から逃げ出したルチカは、運よく通りがかった馬車を手を振り止めた。

 そして憤慨しながらヴィルバートを見据える。

 今回くらいルチカに加勢してもいいはずなのに、彼は人質という名の監視役に徹しているのだ。


 逮捕されたわけではないので、どこに行こうが咎める権利はない。

 だが手錠の鍵がマキの手中にあるので、必然的にヴィルバートを連れ回さなければならなかった。


「花街か貧困街?」


「どちらかに匿って貰います。ローリエさんか、ア」


「花街に」


 ルチカの話を聞かずに、ヴィルバートは御者の男に短くそう告げた。

 馬車内へと押し込まれ、出会ったときのように向かい合ってではなく、手錠があるので肩を並べて座る。


「王家ならいくらでも色彩師を確保出来るのに、わたしにお鉢が回ってくること自体がおかしいですよ。何か隠してませんか?」


「……。一つ言えるのは、色彩師を間に合わせなければ、マキは地方に左遷されるということだけだ」


「左遷?」


 ルチカの声に合わせて、ゆっくり馬車が動き始めた。

 小窓からの景色に軽く目を流してから、ルチカは眉を顰めてヴィルバートをながめた。


 左遷とはいくら何でも厳し過ぎる。

 国をあげた祭りとは言え、色彩師一人いないことが、有能な人材を切り捨てるほどの大事なのだろうか。


「あいつを地方に飛ばしたがっている人間がいて、時折無理難題を吹っ掛けて来るという話だ。それをことごとく解決しては昇進するものだから、最近では嫌がらせじみた難癖が多い」


「笑顔でさらりと解決しては、その人の自尊心を傷つけている様子が目に浮かびますね。マキさんに勝とうだなんて無謀にもほどがありませんか?」


「今現在人質を取って反抗中の猫が何を……」


「わたしにも曲げられない信念があります。色彩師はまがい物。そんな屈辱的な名称を嘘でも名乗る気はありません」


 ルチカは揺らがない瞳でヴィルバートを真正面から睨みつけた。


「……マキを敵に回すのか?」


「……」


 やや怯んだルチカに、ヴィルバートが畳み掛ける。


「十数年来の友人を書面で殺しかけてまで呼び寄せた猫を、易々と見逃す男か?」


「どうせ捕まるってことですか?例え両手両足拘束されて馬車で引き摺られたとしても色彩師にはなりません」


「本人の前でそれは言うな。……マキならやりかねない」


 真剣に言い聞かすヴィルバートに、ルチカは身震いをした。


「どこかの貴族から借りてくださいよ」


「それが、すでに色彩師を貸さないよう、方々へと根回し済みらしい」


 呆れ混じりに言うヴィルバートを尻目に、ルチカはしばし思考を巡らせた。


(貴族相手に根回しね……。騎士団の人事に口を挟めて、そんなことを出来るのは……王家か)


 マキが王家にどのような反感を買ったのかは想像もつかないが、面倒ごとであるのは間違いなさそうだ。


 手を貸してあげたい気持ちはあるが、ルチカにも譲れない一線がある。


 ルチカ以外の人間で、どこにも雇われていない色彩師がいれば万事解決なのだが。


「どこかにその辺りに色彩師が落ちてませんか」


 小窓から街を見渡すと、ヴィルバートが「落ちてるわけないだろう」と冷静に返してくる。


「マキさんなら一度くらい左遷されてもまたすぐに戻って来ますよ」


「……マキが追い出されたら、ついでに俺も左遷されるだろうな」


 自嘲気味なヴィルバートに、ルチカは慰めの言葉を紡いだ。


「王都が世界の全てではありません。二人とも騎士団を首になったら、一緒に旅に連れて行ってあげますよ」


「誰が首だ。縁起の悪いことを言うな」


 即座にはたかれた。


(心配してあげたのに)


 ルチカはとりあえず第一案の色彩師探しに取り掛かるべく、窓から行き交う人々をしらみ潰しに目を通した。


 歓楽街が近づくと、師匠に放置され寂しいと言う暇もなく、あくせくと働いていた日々を思い出す。


 師匠と貧困街に行った流れで、歓楽街にも挨拶をしてから旅立ったというのに、また舞い戻ってしまった。


(笑われるな……)


 嘘に踊らされて来たと知ればなおのこと。

 詳しい事情は伏せておくべきだろう。


 ふと目を向けると、ヴィルバートが穏やかな瞳でルチカの様子を見つめて苦笑していた。


「初めて会った日を思い出すな……」


 あのときは確か、馬車の中から師匠であるアニスの姿を探していて、笑われたのだった。


「――――おかえり」


 唐突に、ヴィルバートが言った。


 変える場所はここだと認めて貰えたようで、顔がほころぶ。


「ただいま」


 ヴィルバートは照れくさいのか、ルチカの頭を撫でる振りをして、大きな手のひらで視界を覆い、やんわりと遮った。


 指の隙間から覗けた彼の顔にどきりとする。


 反対の手の甲で自分の顔を隠しているが、色づく目元に彩られた紫石英の瞳はルチカだけを映している。


 ルチカは心臓が壊れてしまわないように、両手で押さえつけた。


 ヴィルバートの手が、目からずらされてルチカの頬へと滑り下りてくる。

 マリアにするように、指でくすぐられ、首を竦めてきゅっと目を瞑った。


「――――ルチカ」


 囁かれた名前に、ルチカは返事をするように彼の名を呼んだ。


「ヴィル……」


 緩やかに馬車が停止し、かすかな揺れで二人の距離がさらに縮まった。

 見つめ合う二人を、邪魔する者などいるはずがなくて――――、


「はい。そこまで。ここぞとばかりに、いちゃいちゃしない」


「「――――っ!?」」


 馬車の扉を開けて顔を出したのは、騎士団の本部にいるはずのマキだった。


 ルチカとヴィルバートはあまりの驚きに、身を寄せ合ったまま固まった。


「人が困っているときに、恋人との仲を深めようだなんて薄情だな。親友が聞いて呆れる。ヴィルの、人には知られたくない秘密でも暴露しようかなぁ?」


 マキは、余裕を持って獲物をいたぶる、大型猫科動物の表情をしている。


 逆らうなと、ルチカの中で警鐘が鳴り響いた。

 

「恋人って……、これは飼い猫だ」


(にゃー……)


 マキの口の端が上がり、完全に獲物を捕らえる目つきをした。


 ただの猫が敵う相手ではなかったのだ。


 百獣の王が、そこにはいた。


「いいのかな。昔ヴィルが花街で」


「――――マキ」


 ヴィルバートの、鋭い氷柱のような声音を、マキは太陽の笑みで溶かして躱す。


「とりあえず下りてきたら?久し振りに花街で遊ぶのもありかな。三人で仲良く朝まで過ごそうか?」


 ルチカはぶるりと震えてから低姿勢で告げた。


「話だけはうかがわせて頂きます」



 屈服したルチカに、マキはにっこりと満足気に微笑んだ。



マリアは一応ルチカによって剥落済みです。

ちなみに、ヴィルの部屋の窓は常時開放されています。

侵入する勇気があるのは、マリアとマキさんだけですかね。

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