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昼間の花街は意外と長閑だ。
ルチカはヴィルバートとマキに挟まれながら、ローリエのいる娼館を目指し歩いていた。
ヴィルバートは帽子を深く被り直し、庇の陰からマキを睨みつけている。
ルチカの髪色は、花街ではすでに周知されている。
なので客のいない昼ならば、被り物は必要なかった。
片方は手錠で繋がり、もう一方はしっかりと手を握って、逃げないようにと拘束されている。
「女衒に売られるみたいな気分です」
「誰が女衒だ」
すかさずはたいたヴィルバート。
対してマキは、至極冷静に返した。
「君を花街に売っても需要がないだろう?――――ああ、一人はいるかもしれないけれど」
マキは意味深な眼差しをヴィルバートへと向けてから、ルチカへと戻す。
「それに、年が……。女衒に売られる少女たちより、君は年増だからねぇ?」
(年増!?)
ざっくりと傷つけられたルチカは涙目だ。
思い返せば、花街界隈を歩いていてもルチカよりも年下の少女が圧倒的に多かった。
女衒に連れられて来る年端もいかない子供たちに比べれば、ルチカは間違いなく、年増だ。
「ちなみに年はいくつ?」
「……十七です」
「成人していて女衒に売られるだなんて、全くおこがましいにもほどがあるよ。……あれ?やさぐれ猫になっているよ?マリアそっくりだ」
「マキ。機嫌が悪いのはわかるが、その辺で止めてやれ。猫が泣く」
(酷い……)
手間を掛けさせたことで、マキの機嫌を損ねたらしい。
だと言うのに、彼はさらに笑みを深めて続ける。
「自分が泣かせたと思うと、こう、ぞくぞくしないか?もっと泣かせたくなるような……、ああ、泣き止んだ」
冗談ではない言葉に、ルチカ恐怖に戦き、瞬く間に涙が引いた。
ずたずたに弄ばれたルチカを、ヴィルバートが引き寄せ、マキからいくばくかの距離を取らせる。
しかしその行為がさらにマキを刺激したようだ。
「はぁ……。ヴィル。愛猫だからって、甘やかしたらつけあがるよ?あめと鞭を使い分けないと」
(きっとそのあめには、変な薬品が入ってるんだ……)
ルチカは、常に携帯している劇薬指定のあめ玉に服の上からそっと触れた。
「ヴィルは猫じゃらしとあめばかりで――――、あ。フルーヴェルの魔女」
小言の途中で唐突に、マキが前方を見つめて声を上げた。
彼の視線を辿ると、娼館の玄関先でローリエが忙しなくうろうろと歩き回っているのが見えた。
「フルーヴェルの魔女、ですか?」
「ほら。この間逮捕した元伯爵。あの人がそう呼んでいたのが、彼女」
「魔女だなんて時代錯誤もいいところですね。頭沸いてるんじゃないですか」
例の元伯爵を思い出すと、こめかみが痛くなる。
きっとあの杖の強度ならば岩をも砕けたはずだ。頭蓋骨が無事で、後遺症や痕が残らなかっただけよかったと思うべきか。
「それはさておき、様子が変だよね?」
「誰かを待っているようにも見えるが?」
右へ行っては顔を上げて遠くを極み、誰も来ていないとわかると左に行って同じことを繰り返している。
「ローリエさーん!」
ルチカが叫びながら駆けていくと、ローリエは一瞬驚きに目を見張ってから、破顔して抱きついてきた。
「ルチカ!あなた、何ていいときに来たの!」
「……?」
ルチカだけではなく、ヴィルバートとマキも状況が飲み込めずに、目だけで困惑を伝え合っていた。
ローリエは抱擁を終えると、娼館の中へとルチカを問答無用で引き摺っていく。
「もうすぐ産まれそうなの!」
「またですか……」
ルチカは何をさせられるのか悟り、マキを仰いだ。
「手錠を外してください。緊急事態です。人命に関わる重大な問題が発生しました」
目をぱちくりとさせたマキは、鬼気迫るルチカに素直に鍵を差し出した。
◇◆◇◆◇◆
「産婆さんはまだなの!」
「お湯用意して!早く!」
「皆!即戦力が来たわ!」
「――――ルチカ!?……待って、挨拶は後!」
「誰か、今すぐ綺麗な布を集めて来て!」
「ねぇ、鋏はどこよ!」
「あああ!頭がっ……!」
隣室からもれ聞こえる声は銃撃戦、駆けずり回る足音は敵地への突入攻撃か。産声が上がれば勝利の旗が掲げられる。
まさに戦場さながらだった。
それをまるで意に介さず、平然と紅茶を啜るマキに、ヴィルバートは言葉もない。
こういう性格だと、嫌というほど知っている。
十数年ともに過ごした。互いの家族よりも遥かに長く。
音を立てずにカップをソーサーへと戻したマキは、悠然と足を組み、肘掛けに腕を置いた。
「色彩師には、助産の資格を持っている者が多いと言うけれど、偽色彩師もそうなんだ?」
「さぁ……?聞いたことはないが……」
王家に雇われている色彩師には必須条件ではあるが、必ずしも必要な資格ではない。ただ、産まれた子供に対して、すぐに彩色を施すことが多い色彩師たちは、資格がなくとも出産に立ち会う経験が豊富なのだろう。
「子供か……。俺たちには、永遠に予定がないよね」
「……一緒にするな」
「自分はあるって?口づけ一つまともに交わせないヴィルには、定年が来ても結婚さえ無理だろうね」
「……俺は、何か怨まれるようなことをしたか?」
マキは煩わしげに手を振った。
例の嫌がらせが尾を引いているのか、すこぶる不機嫌だ。
「ヴィルも俺も、相当不幸な星の下に生まれたけれど、これから誕生する子供だけは幸せな人生を送れるように、祈りでも捧げようかな」
「……本気で大丈夫か?何か、言われたのか?」
ここまで荒んだ物言いをするマキを見るのは、いつ以来だろうか。
「……ヴィルにも半分血の繋がった兄弟がいれば、俺の心情を理解出来ると思う」
「……ぞっとするから止めろ」
マキが言うと、現実になりかねない。
「あり得ない話ではないだろう?俺も、兄やら姉やら弟やら妹がいるなんて、正直今でも実感ないよ」
マキは、はぁ、と憂鬱そうなため息をつく。
ヴィルバートもつられて嘆息をもらした。
兄弟がいるはずない、と自信を持って言えないことが腹立たしい。
その点に限って、母親は潔白だ。
あの女は一人の男しか眼中にない。
だが、あの男は――――。
「家族はヴィルだけでいいのにねぇ?」
「概ね同感だが……」
「歯切れが悪いな。ヴィルの哀しい過去の恋愛事情をルチカに話して来ようかな?」
「…………ルチカ?」
いつもならば猫やら偽色彩師と呼ぶはずのマキが、彼女の名前を口にした。
マリアをゴリラと呼ばれたときとはまた違う不快感がふつふつと沸き上がる。
そもそもマリアのどこがゴリラに似ているのか、未だに理解し難い。
「ヴィルの前ではそう呼ぶことに決めた。構わないだろう?ヴィルの飼い猫であっても、ヴィルの女ではないからね」
ルチカは確かに飼い猫だ。だから他人に軽々しく触れられたくはない。
愛猫と揶揄されることに抵抗はなくなってきたが、恋人や女と言われると違和感を拭い去れない。
「ヴィルがじれじれしてる間に、あの貧困街の男に脇からさらりと持って行かれるかもしれないなぁ」
その男の話はしたくないのでヴィルバートはマキを無視して隣室へと意識を向けた。
悲鳴に近い叫びが轟いている。
無事産まれるよう祈ることは、悪くはないかもしれない。
◇◆◇◆◇◆
「おぎゃぁーー!」
その戦果の雄叫びに、ルチカは疲労困憊を抑えて最後の任務へと取り掛かった。
出産の佳境にのんびりと駆けつけてきた産婆によって臍の緒を切られたしわくちゃの子供は、母親の次にルチカへと手渡される。
しっかりと抱き止め、ルチカは隣室へと声を掛けた。
「マキさん!ヴィルを遠くに運んでください!」
「いいよー」
俺は荷物か、とヴィルバートの不満げな声と、二つの足音が遠ざかっていく。
ルチカは指を、小さな手のひらに当てた。やわく握られて、返事をするように心で祈りを捧げた。
(多彩な幸福で溢れる生を送れますように……)
娼婦の子供だ。苦労は多いだろう。
ルチカに出来るのは、この余分な白を剥がすことだけ。
つまり、何もしてあげられないのと同義だ。
触れた指先から花が咲いた。
ぴしりと亀裂が入り、みるみるうちに子供らしい玉のような肌が現れ、横たわる母親にそっと手渡した。
その段階で剥落処理が終了したのか、子供の白かった産毛が赤みを帯びている。
(産まれたばかりの子供は剥がれやすいよね)
成人した人間が一番時間が掛かるのだ。
とはいえ力のある使い方次第で多少なり早くも出来る。
「ありがとう、ルチカ」
子供の母親に言われて、我に返った。
「いいえ。大したことは」
恐縮するルチカに、ローリエが背後からずしりとのし掛かった。
豊満な胸が、背中を圧迫する。
「お礼ぐらい素直に貰っておきなさいよ。ただよ、たーだ」
(重い……)
「……では、遠慮なく」
「だけどね、ルチカ。ただより高いものはないの」
ルチカの頭に顎を乗せ、ローリエがしゃべるとがくがく脳に響いた。
「つまり?」
娼婦の少女から女性たち皆が、くすくすと笑ってルチカをながめている。
心なしか、子供にまで笑われている気がして、ルチカの嫌な予感が膨れ上がった。
「つまりね。人手が足りないの」
「しませんよ。需要がないですから」
「ルーチーカー」
ローリエが甘えた声を出し、場が和やかな雰囲気に包まれていく。
渋々ルチカはつぶやいた。
「他のことをしますから」
次の瞬間、ローリエの活気に満ちた弾ける声が上がった。
「よし!言質を取ったわ!さあさ、馬車馬の如く働いてちょうだい。ルチカがいない間に色なしの子が増えのよ」
うきうきとして離れていくローリエに、ルチカはまた無償労働を余儀なくされたと肩を落とした。
初めからそう言ってくれても、断りはしないというのに。
(楽しんでるな……。魔女め)
「聞こえてるわよ」
ローリエがルチカを一瞥してくすりと笑んだ。
やはり彼女は、魔女かもしれない。
◇
ローリエはどこから集めてくるのか、娼館の前には白い長蛇の列が出来た。
(鬼!魔女!)
そう内心で叫び、全てを終わらせたころにはとっぷり日が暮れていた。
マキが金を払い借り受けた娼館の一室で、ルチカが寝台へと倒れ込むと、毒々しい朱の布団が波打った。
ルチカの顔の傍にはマキが腰掛けている。
「ヴィルの具合は本格的に悪いらしいね」
ルチカはマキとは反対側へと目を向けた。
広い寝台の隅で布団に埋もれ、ヴィルバートが苦悶の表情をにじませ眠っている。
「だから帰った方がいいって言ったのに……」
額に浮かぶ汗を、ルチカは服の袖で拭った。
しかし険しい顔は緩まない。
「ヴィルは離れたくなかったのかな――――俺と」
ルチカは一瞬どきりとしてしまったことを悔いた。
「自分のことだと思った?」
「……」
「まぁ、半分は君かもしれないな。ヴィルを初めから避けずに突っ掛かった希少な子だから」
それはそうだ。ルチカは色で差別をしない。される側なのだから。
「マキさんはどうだったんですか?初めてヴィルに会ったときに驚きましたか?」
マキは思い出すように目線を上げる。
「どうだったかな。ヴィルが可愛い男の子だったことは覚えているけれど……。騎士団の学院に入るには少し早くて、初めの内は大体二人でいたな」
ルチカは体を起こしてマキの昔話を聞く体勢を取った。
「上級生に混じって勉強していたということですか?」
「そうだね。ロランツやクランと同学年」
「皆さんいくつですか?」
「俺が二十四でヴィルは誕生日が遅いからまだ二十三。ロランツたちが今年二十六」
マキの隊は同期で集めてあるのかもしれない。
ヴィルバートとも親しく、マキが上司でも和気あいあいとしているのはそのためだろう。
「正直な話、ヴィルの髪色を気にする余裕なんてなかったよ。母親が死んで、いきなり父親のところに連れて行かれたと思ったら、そっちの家族に疎まれて、最終的に預けられた先が騎士団」
さらりと言ってのけたが、結構な重さの内容に言葉を失った。
「ヴィルのところは、ほとんど育児放棄。最低な兄妹だからな、本当」
マキが仰向けに転がり、苦々しくつぶやいた。
「兄妹?」
「俺の父親と、ヴィルの母親が兄妹」
ルチカは目を瞬き二人の顔を見比べた。
どちらも顔立ちが整っているが、系統が違う。
マキは一見優男風でヴィルバートは硬派な印象だ。
似ている部分は、身長が高いところぐらいではないか。
「従兄弟だったんですか。ヴィルは目以外は母親似なので、きっとマキさんも母親似ですね」
マキはにっこりと笑って肯定した。
亡くなった母親のことが大好きだったのだろう。
ルチカにはない感情だ。
ヴィルバートと同じで、両親はまともな人間ではなかった。
(箱庭を出るまで親だとも知らなかったけどね……)
ルチカは昔を振り返り、暗澹なため息をついた。
「父親は、まぁ、悪い人ではなかったけれど……その他がね。しつこく嫌がらせをしてくるから困っている。だからルチカ、俺を助けてくれるよね?」
マキがルチカの手を握って、有無を言わせぬ眼差しで見つめてくる。
(そこに話が繋がるわけね……)
マキへの嫌がらせ相手は王家の人間。
つまりはマキ自身が王家縁の人間ということになる。
「……一つだけ条件をつけても構いませんか?
「砂糖菓子?」
「砂糖菓子はヴィルに食べさせて貰います。マキさんは王宮に自由に出入り出来ますか?」
マキはルチカの質問が意外だったのか、瞠目してから考える素振りを見せた。
「王宮に入りたいだけなら、色彩師の代役として顔合わせとリハーサル、本番と機会はある。だけど君の条件はもっと、難解なことだろう?」
「そうですね。少し調べものをさせて欲しいです」
「調べもの?」
「そうです。アルフレッド王時代の文献を見せてください」
ルチカは初めて、マキを絶句させた。
国の重要文化財でおそらく機密分の類だ。簡単に閲覧出来る代物ではない。
それを重々承知で頼んでいる。
「……残っているかわからないけれど、それでもいいなら話を通せないこともないかな」
マキはころりとルチカの方に体を向けて、左手を掬った。
カチャン、と手錠が嵌められて、もう一方をマキは自らの右手首へと掛ける。
「今夜は俺と、繋がって?」
睦言めいた囁きに、慣れないルチカは布団の中へと潜り込んで、頭までしっかりと埋もれた。
これで赤くなった顔は見えないはず。
「もう寝るの?」
「明日も早いんだから速やかに寝てください」
「仕方ないなぁ。――――おやすみ、ルチカ」
「……おやすみなさい。マキさん」
マキは嬉しそうに、二人がくるまる布団へと滑り込んだ。
うぅ、低迷中です……。文章雑談ですみません。
そしてヴィルとマキさんの従兄弟設定。ようやく書けました。




