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家出 6

 広場の一角、そここに人のたむろするベンチの一つまで来ると、青年はリラを振り向き手を放した。

「あ、ごめん、種もみ重いでしょう?」

「重くなくはないけれど…」

 言いよどんだのは、青年がどう見てもリラのように鍛えた体をしているわけではなかったからだ。自分が持つよ、と言われても素直に渡していいものか。どうせ生まれたての赤子ほどの重みしかないし。

「まぁ、そこにおいて、あなたも座るといいんじゃないかな?」

 あくまでも軽く、青年は言う。とりあえず種もみの包みを置いて、青年に向き直る。

「なんで名前を知ってるかって?そりゃ、農家でその容姿で、かつ種もみを買う権限のある女性なんて、この都市広しといえどリラ・シンガくらいでしょう」

 ニコニコと断言されて、リラは浮かべる表情を思いつかなかった。それ程有名人であるつもりはなかったのだが、知られているところには知られているのかもしれない。

「有名ですよ、シンガには美しい黒い女王がいるってね」

「黒い女王だなんて、そんな」

 肌の色が褐色というよりは黒に近いことを恥じたことはないが、あからさまに黒いと言われたのは初めてだった。

「美しいよね、本当」

 青年はしみじみとリラを眺めて言う。それを言ったら、どう考えても青年の方が美しい、もはや麗しいと言って差し支えない顔だちなのだが、それはどうなるのか。理想的な卵型の中に、大きすぎない鼻と、少し切れ長の目がバランス良く配置され、口元は紅を刷いたように赤い。青年はすらりと美しい手をしている。これで髪の毛が黒ければまるで…。

「あ、アキです」

 自分を指さして名乗る。年上のように思えるが、軽さ故にあまり気にならない。むしろ幼く見える。

「ねぇ、リラさん、お願いがあるんです」

「リラでいいです」

「じゃあ、リラ。あなたに叶えて欲しいお願いがあるので、何か交換しませんか?無体なことじゃないので」

「はい?」

「こう見えて、結構伝手があるんでかなりお願いはきける方ですよ」

 青年は微笑みを崩さない。そして本音はまるで読み取れない。何が目的なのだろう。見知らぬ彼からの提案に乗らないのが一番良識的だったが、ふと心を過ぎったお願い事が賭けに乗らせた。警戒しつつ、リラは聞く。

「そのお願いの内容にもよります」

「髪を解いてその後に触らせて欲しい」

 青年に駆け引きも何もなかった。まるで飼い猫の頭を撫でさせてほしいとでもいう気安さだ。リラはヘアバンドを抑えつつ、戸惑いを隠せない。髪を触らせるのは想い人だけ、なんて言い伝えがあるわけでもない、ただやはりそれは親しい間柄ならではのこと。だが、彼はもしや単純にこの生まれつき細かくカールしたふわふわの髪に触りたいだけという気もした。

「何かお願いを言ってみてよ」

 彼に叶えられないお願い事ならば、どちらにしろ彼も諦めるだろう。リラは願いを口にする。

「弟のイーサン・シンガがに会いたいのです、可能ですか?家を出て役所の試験を受けているらしくて」

「あぁ…」

 顎を白い指で叩きながら、アキは考え込む。

「あぁ…不可能ではない。かな。でも今日というわけにはいかないなぁ…」

「いつなら可能ですか?」

 何故、彼に可能なのかはとりあえず無視してリラは畳みかける。

「うーん、はっきりはわからないけど合否が出てからなら、たぶん、なんとか捕まえられそうな気がする」

「それでも構いません」

「じゃ、連絡するよ、忙しい時期だと思うけど頑張って街まで出ておいでね」

 リラは頷く。青年はリラの手を包み込むように取って言った。

「ありがとう!交渉成立だね!」

「先払いはしませんよ?」

 慌ててリラは手を引こうとするが、青年は思いの他強い力で手を握っている。

「二回払いでもいいよ?」

 いやいやいやいや…リラが引きつった笑みを浮かべていると、見知った顔が視界に入る。ガレンだ。

「おい」

 優しいとは言えない形相のガレンが割って入ったところで、もう一つ声が割って入る。

「アキッ、こら、何をしてるんだ」

 振り返れば茶色い髪の青年、昨日、求人票を掲示板から剥がしていた青年が居た。

「すみません、ミズ・リラ。うちの不心得者がご迷惑をおかけして」

「コリン、迷惑はかけてないよ」

 あぁ、やっぱり彼がコリンで先ほど店番をしていた女性が彼の有能な運命の恋人なのだな、とリラは考える。しかし、うちの不心得者とは、さて、この青年はウィル商店コリンの親戚筋ということだろうか。先ほどの女性にも親戚になるのだと言っていたし。

「いつまで手を握ってるんだ」

 ガレンが乱暴にリラの手を奪い返す。まるで自分の物のようだな、とぼんやりと考える。もう違うのに。

 リラはそっとガレンの手を逃れ、コリンとアキと向き合った。

「大丈夫です、ちょっと話をしていただけですから」

「ね、言っただろ、コリン」

「向こうに怖い顔した女性がいたけど、アキ…の知り合いじゃないのか?」

 心当たりでもあるのかアキはきょろきょろと振り返る。肩をすくめたコリンはリラの髪の毛にふと目を止め、それから改めて謝罪する。

「ベルから経緯は聞いてます、無理なお買い物ではなかったでしょうか?」

「目的のものです、ありがとうございます」

「ならよかった、何かお詫びをしなくてはならないところなのですが…」

「いえ、それ程のことでは…あ、でも最近、バターを使った菓子を提供している店があると聞いたのですが、場所をご存じでしたら教えていただけませんか?」

「あぁ」コリンは頷き、だが困った顔で言う。「あそこ、なのですが、予約販売なので今日は買えないと思いますよ。うちに取り置きでもあればよかったのですが」

「思い付きですので、お気になさらずに。ありがとうございます」

 リラはようやく微笑んだ。ウィル商店といえばメリダで、息子だというコリンとは初対面だったがなかなか良識人のように思え、心が明るくなる。先ほどの女性も良い感じだったし、これからも良い付き合いができそうだ。

 問題は。

 ちらりとアキを見る。彼は目的の女性を見つけられなかったようで(或いはコリンの虚言か)、きまり悪げに、それでも微笑んでリラを見ていた。その視線にリラは落ち着かない気持ちになる。ふわりと風が吹き、髪を揺らす。アキの結んだ髪からほどけた一筋が、そしてリラの髪も。

「連絡するから、多分、鳥を飛ばすね」

 さらりとアキは言う。リラは平静を装って答える。

「待ってます」

 コリンとガレンが何か言いたげに二人を見たが、答えずにリラは種もみを持ち上げようとして、ガレンが横から奪い取る。それくらいは気の利く男である。

「それでは」

「ええ、ではまたお待ちしております。何かありましたらご連絡ください」

 コリンのその言葉に含まれるものにリラは頷いた。そんなもの関係ないと言わんばかりにアキが手を振る。

「またね、リラ」

 ぼそりと、ガレンが随分と気安い男だと呟いたが、聞かなかったことにし、その場を離れた。アキが気安いのは確かだが、不思議と嫌な気安さではなかった。コリンの「怖い顔した女性」という言葉から察するに、女好きのする、女性の扱いのうまい人なのかもしれない。

 だが、恋人になるわけでもないし。リラは気にしない事にした。

 それよりも目の前のガレンの不機嫌そうなこと。農場の誰と話をしていてもこんな仏頂面になる彼を見たことはない。

「ガレン?」

 そっと声をかける。振り向いたガレンは、溜息を一つついて言った。

「すまん、自分でもびっくりしている」

 何について謝罪されたのか、わからないふりをしてリラは応えた。

「そういうこともあるよね」

「あー」

「ガレン、とりあえず帰りましょう。良い種もみなのよ、今から帰れば今日中に下ごしらえができる」

 ガレンは諦めるように頭を振って、自転車を預けてある倉庫に向けて歩き出した。

 リラは、ふと振り返る。広場でアキとコリンが何事か話しているのが見えた。二人とも同じ色の髪なんだな、と思う。

「リラ、行くぞ」

 ガレンの声にリラは足を速めた。種もみの下処理をしたいのは、本当だった。

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