第九話
場は家康の部屋。
家康が一人、部屋で何故か鍋の加減を見ながらのんびりしていた。
すると、襖に黒く人影が写った。
背中を丸め頭も下げ縮こまっているその姿は、怯えているような様子をうかがえる。
襖に手をかけそれはそれはゆっくりと、開けた。
「よぉ来てくれた、秀秋」
家康が部屋に呼んだのは西軍の武将、小早川秀秋であった。
家康は秀秋を笑顔で迎え、招き入れた。
が、なかなか部屋の中には入って来ようとせず部屋の外の様子をずっと伺っている。
「ささっ、中に入れ。もう鍋は出来ておるぞ」
言葉だけでなく、手でもこっちへ来いとするがなかなか中に入ってこない。
手で襖を持ちながら、顔だけをのぞかせている。
「早う」
家康が急かすもなかなか入ってこない。
ずっと眉を下げ、口をもごもごさせている。
「何か言いたいのならば申してみよ」
「そ、某は西軍で…」
「なんじゃそんなことか、よいではないか。ほれ」
秀秋の言葉に少し呆れた顔を見せ、またも手招きをする。
「でもぉ」
家康がここまで誘っても、なかなか部屋に入ってこない。
「以前まではあんなに懐いてくれとったのに、大きくなった途端にそれか。」
ふぅとため息をつきながら寂しそうな面持ちを見せながら、ちらりと秀秋を見る。
「…じゃあ、少しだけなら」
そう言い、相変わらずの背中を丸めたまま、そろそろと部屋に入ってきた。
「ほんとに大きくなったのぉ。前に向日葵を見に行ったときは本当に小さかったのにのぉ。ほら、秀秋の為に鍋も用意したのじゃ。ほれ、食え」
目の前ではぐつぐつと、鍋が煮えたぎっている。
実は、鍋は秀秋の大好物であり戦国を代表する鍋奉行の一人でもある。
大好物が目の前にあれば、食べたくなるもの。
秀秋は目の前の鍋から目が離せなくなった。
「食べてもよいのだぞ」
そう言われても、受け取ることに対しての恐怖心はあっただろう。
たとえば、このように話していることが三成にばれてしまったら怒られるのではないか。
たとえば、この鍋に毒が入っているのではないか、など。
それでも目の前にある誘惑には勝てず、躊躇いながらも器を受け取った。
「うまいぞぉ」
じーっと家康を見つめたあと、一口ぱくりと食べた。
口の中に広がった味は大層、美味しいものであり、それは頬が落ちる程であった。
「美味しい…」
「そうじゃろう。秀秋の為に用意したのじゃ」
優しく微笑みながら言う家康は、先程まで罵倒を浴びせられた三成とは違い、秀秋にも沁みるものがあったのではないだろうか。
「顔色があまり良くないようじゃ。何があったのじゃ」
その言葉をきいた途端、秀秋の箸がぴたりと止まった。
「な、なにも…」
「石田殿と何かあったのか」
ずばりと言い当てられてしまい、箸を落としてしまう。
追い込むように家康はすかさず、言葉を続ける。
「なんじゃ、上手くいっておらぬのか」
首を振るしぐさを見せるが、顔はしかめっ面のまま。
嘘がつけないのか本心がダダ漏れである。
「上手くいっとらんのじゃな。嘘はつかんでよい。石田殿には言わぬ」
家康がそういうと、ぽつぽつと秀秋は喋り始めた。
「某は最善を尽くしているつもりなのだが、石田殿が某に求めるものはより上のようで…」
「秀秋は頑張っておるのじゃな」
家康の相槌にこくんと頷く秀秋。その様子は小さな子供そのものであった。
「あのときだって、僕は嫌だみたいな態度とってさ…」
秀秋は何度も人差し指で畳にぐりぐりと円を描く。
いじけている子供のようだ。
年を重ねたからした元服、形だけ元服したようなものである。
「あれは傷ついたじゃろう。大谷殿しか信用していないっと、公言しておるのも同じじゃ」
大層心配した様子で、真っ白の眉を下げて悲しい顔になっている。ただ、決して子犬のような可愛さはない。
「まぁ、いいよ…。実際そうだしさ。でも、唯一信用している大谷殿とも言い争いしてたけど…」
「そうじゃったのか?」
家康にとっては好機となり得る情報だ。なんとしても手に入れたい。
先程の悲しい顔とは違い、戦をするときの顔である。秀秋はすっかり心ひらき、安心しきっていた。
その上酒の酔いが進み、家康の顔の変化など一切気が付かなかった。
それどころか、更にその話を詳しく話してしまう。
「うん。大谷殿の計略が気に入らなかったからさ。石田殿は怒っちゃった。最後は部屋を出て行っちゃたから。おかげで、残された部屋の空気は最悪だったよ」
「ほぉ、秀秋も大変じゃったなぁ」
既にべろべろになって呂律も回っていないのに、秀秋に酒を注ぐ。
「怖いの、なんの。僕、見れなかったよ。あーあ、西軍はだめなのかなぁ」
そう言いながら、組まれたばかりの酒をぐいっと飲み干した。
「石田殿は、いつも某に怒っておられる。某ばかり責められる。何もいっていないのに…」
「そうか、秀秋は悪うないぞ。頑張っておる」
「家康殿ぉ」
「ほら、もっと食べよ」
元服をした男が涙を流しながら、鍋をすするのは何とも言えぬ情景であった。
「秀秋がそのような扱いをされているのは、儂も耐えられぬわ。秀秋、東軍に来ぬか?」
「え?」
突然の言葉に2回目である秀秋停止である。
だが、今度は鼻は垂れているし目は充血しているなどと、とんでもない顔であるが。
「そ、某は西軍で…」
「儂は秀秋に東軍に来てほしいのじゃが」
先程とは違う真剣な目でまっすぐと見つめる。
「でも…」
「秀秋が必要なのじゃ」
「某は西軍で…」
「秀秋の意思でなかろう」
「でも、身の上から考えても西軍にいるべきって…」
「兄弟でも敵になる世ぞ?そんなことを気にしてはいかんぞ、秀秋」
「でも…」
様々な理由で言い訳を作る秀秋に、優しくしていた家康とてもう我慢の限界であった。
「秀秋!」
先程までの優しい声音とは違い、怒っている家康に体をびくっと反応させる。
「貴殿も一国の主じゃ、決断は自分でせぇ」
怯えた様子の秀秋にそう伝えると、また先程の笑顔に戻り鍋を食べ始めた。
笑顔で鍋を食べる家康に、恐る恐る声をかける。
「あのぉ…」
「ん、なんじゃ?」
眉をあげ、首を傾げる家康は先程までの優しい印象に戻る。
優しい家康に戻ったことがわかると、先程よりは自信を持ちながら口を開く。
「も、もし某が東軍につくといったら?」
絞り出したような声で口にした。
その言葉を聞くと、優しく微笑みながら言った。
「当然、歓迎するぞ。儂の大事な秀秋なのじゃ」
その言葉を聞き、ホッとしたのか先程までの怯えた様子や、緊張した面持ちはなくなり
長き時間、二人で談笑を続けたのであった。
秀秋は幼少の頃から親からの愛情を受け取らずに育った。
だから、元服し大人になっても人一倍、愛に飢えていたのではないか。
そんな秀秋に養父でもなく、本当の父でもないが最も優しくしてくれたのは家康だったと言える。
優しく自分に微笑みかけ鍋を振る舞ってくれた家康のことを、本当の父以上に親しみ、恩を感じていたのではないだろうか。




