第三話
鹿威しだけが部屋の静寂をやぶり、快い音を鳴らす。
しかし輝政には全然快くないのだ。
汗が体中から滝のように吹き出していく。
「池田輝政でございまする!親父殿にお目にかかり、恐悦至極でございまする!!」
「よう来てくれた、輝政」
「はっ」
「鹿威しの音が快いのぉ」
「はっ」
緊張のあまり、返事しかできていない。
だが、家康は終始ニコニコと笑っている。
家康の方だけ見れば、仲のいい義父と娘婿に見えるのではないか。
「そうかしこまるな。儂はお前に期待しておるぞ」
「はっ!某には勿体ないお言葉でございまする!」
口ではそう言いながら、先程までの緊張している顔とは違って少し微笑んでいる。
嬉しそうだ。輝政はすぐ顔に出る派らしい。
「ときに輝政」
「はっ」
「督姫とはどうじゃ」
輝政の心臓がどきんっとなる。
触れたくなかった部分である。
「はっ。以前と変わりなく…」
輝政にしては珍しく言葉を濁し、目もきょろきょろと泳いでいる。
自然と拳にも力が入り、ぷるぷると震えてしまう。
動揺しているのが、そのまま行動に出ている。
「そうか。面を上げい」
「はっ」
恐る恐るゆっくりと頭を上げる。
目の前にはニコニコと笑っている家康。少し緊張もとけ、輝政の顔も緩む。
「だがな、輝政」
「は、はっ」
「期待しておるが、それとこれとは別じゃ」
家康の顔が満面の笑顔とは違い、どんどんと曇っていく。
「まだ婚儀をしておらぬのじゃ。嫁入り前の女子は父である儂のものよ。手を出すでないぞ」
とうとう、鬼の顔である。
これ以上怖い鬼がいようか。いや、いない。
目はつりあがり眉間に皺がより、大きく開いた瞳孔が輝政をぎろりと睨んでいる。
あまりの怖さに家康の頭に角があるような幻覚まで見えてくる。
「ひぃっ」
輝政の拳もがたがたと震え、緩んでいた顔は強張り頬も揺れてしまう。
輝政の胸の音だけが部屋の静寂を破り、顔色を悪くさせる。
「分かっておるの、輝政」
「は、はいぃぃ。失礼致しまするぅ!!」
その威圧感から体が数歩下がってしまい、すばやく頭を下げる。
「そないに下がらんでも。督姫との距離はあんなに近うのに…」
その後家康の部屋から汗がぽたぽたと落ちており、それをたどると真っ青な顔をしてがたがたと震えている輝政が下を向いて歩いていたそうだ。




