エピローグ
誰かの声が聞こえる。俺を呼ぶ声が。
体を揺さぶられ、俺は重たい瞼を渋々持ち上げた。
歌はもう聞こえない。華を照らしているのが月明かりではなく太陽の日差しだからだろう。俺は結局あのまま朝まで眠っていたようだ。
「お兄ちゃん、起きてるの?」
俺を呼んでいたのは、まだ幼い少年。艶やかな黒髪をサラサラと風に揺らし、髪と同じ色のあどけない瞳で俺をじっと見つめていた。
「起きている」
「良かった! 全然返事しないからびっくりしたよ」
俺は体を起こし、少年に向き直る。少年はキラキラしたその瞳で俺を真っ直ぐ見据えていた。
「その花歌うんでしょ? ボクも花の歌が聴きたいんだけど、夜にしか歌わないってみんなが言うんだ」
「そうだな、月夜にしか歌わないからな」
「やっぱり……、でもお母さんに夜に外に行っちゃダメって言われてるから」
少年の声がみるみる沈んだものになっていく。だが、不意に瞳がきらっと光り純粋な瞳で見つめられた。
「お兄ちゃん歌知ってるんでしょ? 歌ってよ」
「俺が……?」
「聴きたいよ歌ってよー」
その純粋で真っ直ぐな視線に俺は思わず言葉を呑み込まされる。歌えるかと聞かれれば正直自信はない、だがヒヨの歌を聴きたいと言うこの少年に、俺は聴かせてやりたいと思った。
ヒヨのようには歌えないだろう、それでも俺は口を開く。紡ぎ出すのはヒヨの歌。所々自己流に歌詞を変えてしまったが、それでも一旦音が溢れれば最後まで途切れる事は無かった。
俺の歌にヒヨ同様の不思議な力は宿っていないだろう。だが、歌い終えると少年は手を叩いて喜んでいた。
「凄い凄いよお兄ちゃん! 良い歌だった」
そう言ってはしゃぐ少年が俺の腕を両手で掴み引っ張ってくる。俺はその力に身を任せ立ち上がった。
「お兄ちゃん、もっと歌って! みんなにも聴かせたいんだ」
「いや、俺はそんなに歌え……、おい引っ張るな」
少年は笑いながら俺の腕を引っ張っていく。振り払うこともせず俺はそのまま少年と街へ行く事となった。
一度振り返ると、華は風に揺れている。それがまるでヒヨが手を振っているように見えて、俺は小さく笑った。
結局広場まで連れてこられた俺は、集まった街の住人の前で歌う事となり、歌い終わるとさらに、別の街の人間に腕を引かれ連れて行かれた。そこでも歌わされ、やっと解放されたかと思えば、今度はまた別の街へと連れて行かれる。
抵抗もせず連れ回されているのは多分、ヒヨの歌を多くの人に聴かせたいと思ったからだろう。
そうしていつしか俺の噂は広まり、やがて誰かが俺を「ウタウタイ」と呼ぶようになった。
忙しくも充実した日々のなかで、俺は男の言葉を思い出す。
艶やかな黒髪の奴は、「生きる理由」を見つけろと言い、俺は歌を探すと決め、そして見つける事が出来た。しかし歌は、ヒヨは俺の傍から居なくなり、今度はヒヨとの再会を生きる理由にした。だがそれはもう叶わない。俺はいっそ、あのまま華の傍で朽ち果てたって構わないと、そう思っていた。だが、
「どうやら、理由が出来てしまったみたいだな。いや……この世界を生きるのに理由なんてもう要らない」
これは自分の心が強く望んだこと。使命のようなものだ。
澄んだ空に俺の呟いた言葉が溶けていく。
未だに色を失ったままの街から、楽しげな声が聞こえる。俺はその声に誘われるまま歩きだした。
ヒヨの歌を待つ者達の所へ。
◇◇◇◇
俺がウタウタイとして旅を始めて、半年が過ぎた。あれから忙しなく呼ばれては歌うという事を繰り返していたため、ヒヨの眠る丘に来るのは随分久しかった。
鼻孔を擽る、青々とした葉の匂い、そして風に揺れる紅い華を夕暮れの優しい茜色が染め上げる。
だが、その華の隣りに俺に背を向け座っている男が居る。男は俺に気付いているだろうに、振り向きもせず座っていた。
男の銀色の髪が風に踊る。その背がなんだか寂しそうに見えた。その姿に見覚えがある。俺の頭の中に記憶が雪崩れ込む。
男に背を向けて座った。
「生きづらい世の中になっちまったなァ」
「あるべき姿に戻っただけだろう」
そう言うと男は黙ってしまう。ただ風の音しかしない。
「もうオレには居場所がねえ」
その風の音に掻き消されそうなくらい、男の呟いた声は小さかったが、確かに俺には聞こえた。
居場所。この男もまた、罪を償うことも責められる事もなく、全ての罪を背負い生きていかなくてはならない。誰もこの男を裁く事も咎める事も出来る筈がないのだ。
罪を抱えたままでは、本当の居場所なんてこの先この男には見つからないだろう。
自業自得と切り捨てられればどんなに楽だろうかと、俺は目を瞑る。全てを許せたわけではない。今でも思い出す、血に染まる母の亡骸。全てを奪おうとしたこの男を俺はきっと一生許せない。許してはいけないのだ。
「思い出した事がある」
男は何も言わない。俺は話しを続ける事にした。
「俺はアンタに昔会っていたんだな。夕暮れの公園で」
寂しげな眼をした男が差し出した手を、俺は確かに掴んだんだ。
「いつか言ったな……俺を恨んで逝けって、その言葉そっくりそのまま返してやる。俺はお前を許してやらない、一生恨み続ける」
風が頬を撫でる。遠くに見える街から風が声を運ぶ。少し前までもう聞けないと思っていた笑い声。ヒヨが与えてくれたもの。
この先守らなくてはならないもの。
俺は男に背を向けたまま立ち上がる。
「最高の殺し文句だなァ」
俺の言葉に男が小さく笑った。俺はやがて夜を迎える丘を後にする。
例えこの先、この歌が必要とされない日が訪れようとも俺は、歌い続けよう。
歩き始める靴音が、重なりあった。
シランは銀髪と、再び旅に出ました。
ヒヨは優しく二人を見送り、艶やかな黒髪の少年は、シランから教えられた歌を口ずさみ。タツミは忙しく走り回り、フィオーレはそんな彼を支える。
ここまで見ていただきありがとうございました!
これで「華は歌い続ける」は完結しましたが、「華は可能性を歌う」にて、別の最終話や番外編などをご用意しておりますので、そちらも宜しくお願いします。
本当にありがとうございました。




