表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
1/2

英雄か、怪物か

昔々、ある国には。

魔王の手から世界を救った、大賢者がいた。


どの国にも存在しない漆黒の髪。

狐の面。

幾重にも布を重ねた異国の衣。


その力はあまりにも強大で、

人々はやがて、彼女を恐れるようになった。


子供が泣けば、

「魔の森の化け物が来る」と囁かれ。


貴族達は語る。

黒髪の怪物が、国へ災厄をもたらしたのだと。


けれど。


その伝承の真実を、

今も知る者はいない。


――これは、

そんな少女と、一人の王子様の物語。

ハルモニア王国第一王子、アルフェルト・ハルモニア。


それが彼の名前だった。


「アルフェルト殿下、本日のお茶会も大変素晴らしゅうございました」


「ありがとうございます」


柔らかな笑み。


完璧な角度。


淀みのない返答。


貴族達は満足げに笑い、令嬢達は頬を染める。


いつもの光景だった。


王族として相応しい振る舞い。

隙のない所作。

穏やかで優雅な笑み。


誰もが彼を“理想の王子”と称える。


けれど。


(……退屈ですね)


アルフェルトは、内心で静かに息を吐いた。


今日交わされる会話も、

昨日と変わらない。


誰が誰を蹴落としたいのか。

誰がどの派閥へ媚びているのか。

誰が自分へ近付きたいのか。


笑顔の裏にある感情など、

見ようとせずとも分かってしまう。


だからこそ、

つまらなかった。


「殿下、本日の舞踏会ですが──」


「ええ、後ほど顔を出します」


貼り付けたような王子様の笑みで返す。


それだけで、

周囲は満足する。


本当に欲しい言葉など、

誰も求めていない。


求められているのは、

“理想の王子”だけだ。


だから私も、

今日まで完璧に演じ続けてきた。


退屈なほど、

完璧に。


その日の夜。


王城では大規模な社交会が開かれていた。


豪華なシャンデリア。

響く音楽。

香水の匂い。

着飾った貴族達。


煌びやかな空間の中心で、

私はいつものように微笑んでいた。


「アルフェルト殿下、本日も素敵ですわ」


「光栄です」


「今度ぜひ我が家へ──」


「機会がありましたら」


綺麗に整えられた会話。

綺麗に作られた笑顔。


何もかもが予定調和。


そんな中。


「……ねぇ、聞いた?」


不意に、

離れた場所から小さな声が聞こえた。


「また魔の森で行方不明者が出たらしいわ」


「やっぱり“災厄の黒姫”の仕業なのかしら……」


黒姫。


その単語に、

アルフェルトの意識が僅かに向く。


「昔から言うでしょう?

魔の森へ入ると黒姫に食べられるって」


「でも伝承では魔王を倒した英雄とも──」


「そんなの作り話よ。だって今も生きてるのよ? 怪物じゃない」


くすくすと笑う令嬢達。


だがアルフェルトは、

その言葉へ小さく違和感を覚えていた。


(……妙ですね)


黒姫に関する記録は、

王宮禁書庫でも読んだ事がある。


そこに残されていたのは、

“国を救った英雄”。


だが同時に、

“災厄を招いた存在”。


真逆の記述だった。


まるで後世で、

誰かが意図的に物語を書き換えたような。


けれど今、

社交界で語られる黒姫は、

ただの“怪物”として恐れられている。


情報が噛み合わない。


アルフェルトはグラスを傾けながら、

静かに考える。


(……面白い)


久しぶりだった。


予定調和ではないものへ、

興味を抱いたのは。


貼り付けた笑顔の奥で、

アルフェルトは僅かに笑った。


まるで退屈を壊す何かを、

見つけてしまったかのように。


その夜。


社交会が終わった後も、

アルフェルトの頭には“黒姫”という存在が残り続けていた。


王宮禁書庫に残されていた記録。


――魔王を討伐し、国を救った黒姫。


――災厄をもたらした黒姫。


矛盾した二つの伝承。


まるで別人の話だ。


一方はそれほど古い記録ではない。

にも関わらず、

内容はあまりにも曖昧で、

意図的な歪みすら感じる。


「……気になりますね」


ぽつりと漏れた呟きは、

静かな自室へ溶けていった。


アルフェルトは椅子へ深く腰掛け、

窓の外を見る。


夜の王都は美しかった。


整えられた街並み。

平和な灯り。

穏やかな夜。


だが、

その全てがどこか作り物めいて見える。


予定通り動く人々。

予定通り交わされる言葉。

予定通りの感情。


まるで舞台劇だ。


その中でただ一つ、

黒姫という存在だけが異質だった。


理解出来ない。


だからこそ、

興味を惹かれる。


アルフェルトは静かに立ち上がる。


その瞳には、

社交界で浮かべていた柔らかな笑みはない。


代わりにあるのは、

知的好奇心に近い光だった。


「少し、確かめてみましょうか」


—翌日—


アルフェルトは護衛を撒いていた。


王族として本来あり得ない行為。


だが、

彼ほどの実力と頭脳があれば、

護衛を出し抜くことなど難しくない。


人気の少ない裏道を抜け、

王都を離れ、

馬を走らせる。


向かう先は一つ。


魔の森。


王国最大の危険地帯。


強力な魔獣が生息し、

濃密な魔素が漂う死地。


不用意に足を踏み入れれば、

二度と帰れないとも言われている。


普通の人間なら近付こうともしない。


けれどアルフェルトは、

迷いなく森を見上げた。


鬱蒼とした木々。


奥が見えないほど深い闇。


空気そのものが重い。


まるで森全体が、

侵入者を拒絶しているようだった。


「……なるほど」


肌へ纏わり付く魔素を感じながら、

アルフェルトは静かに目を細める。


確かに危険だ。


けれど。


だからこそ、

こんな場所で生きている“黒姫”という存在が、

ますます理解出来なかった。


アルフェルトは一歩、

魔の森へ足を踏み入れる。


その瞬間だった。


—ぞわり、と。


空気が変わる。


まるで何か巨大な存在へ、

“見つかった”ような感覚。


同時に、

森の奥からおぞましい程の魔力が流れてくる。


圧倒的な魔力濃度。

魔の森に生息する魔獣達ですら怯え、

逃げ出すほどの。


木々がざわめく。

森そのものが、侵入者の存在を”誰か”に知らせているかのように。


アルフェルトは思わず目を細める。


すると次の瞬間。


何の前触れもなく、

目の前の空間が歪んだ。


黒い布が、

ふわりと視界を掠める。


現れたのは、

見た事もない装いの少女だった。


幾重にも布を重ねた黒衣。


この国のドレスとも、

騎士服とも違う。


袖はゆったりと長く、

流れるような布地が風に揺れている。


まるで絵本から抜け出してきたかのように。

彼女だけが、異質な空気を纏っていた。


けれど不思議と、洗練されている。


そして何より、

目を引いたのは顔だった。


いや。


正確には、

“顔を隠しているもの”。


白い狐の面。


滑らかな曲線で作られたそれは、

視線を逸らすべきだと分かっているのに、

不思議と目が離せなかった。


だが、

上半分だけを隠すその形状のせいで、

口元だけが見えている。


隠されているからこそ、緩く弧を描く唇が妙に印象に残った。


そして。


長い黒髪。


この国に存在しない色彩。

夜をそのまま切り取ったような髪が、さらりと風に揺れる。


光を受けるたび、絹のような艶が静かに流れていた。


まるで物語から抜け出してきた異形。


だが不思議と、

恐怖より先に“美しい”と感じてしまう。


そんな存在だった。


「――あらぁ、迷子さんですか〜?」


鈴のように軽やかな声。


悪戯っぽく笑う口元。


本能は警戒を告げている。


それなのに、

その声音は不思議なほど親しげで、

まるで旧知の相手へ話しかけるようだった。


その瞬間。


アルフェルトは確信した。


―—ああ、この存在が、黒姫なのだと。



「……貴女が、“災厄の黒姫”ですね?」


アルフェルトは静かに問い掛ける。


警戒は解いていない。


むしろ、

目の前の存在へ対する警戒心は、

森へ入る前より強まっていた。


規格外の魔力量。


理解出来ない存在感。


そして何より。


どこか“人ではない”ものを前にしているような感覚。


だがそれでも、

アルフェルトは王子としての余裕を崩さない。


柔らかな笑みを浮かべたまま、

黒姫を見つめる。


すると黒姫は、

面白そうに小さく笑った。


「あらぁ」


「お話をするために来たのかしら〜?」


まるで世間話でも始めるような気軽さだった。


アルフェルトは僅かに目を細める。


やはり掴めない。


「ええ」


「伝承によって語られ方が違うものでしてね」


アルフェルトはゆっくりと言葉を続ける。


「国を救った英雄」


「災厄をもたらした怪物」


「……そして、今も尚生き続けている黒姫」


森の空気が静かに揺れる。


「どちらが本当の貴女なのか、

少し興味が湧いたんです」


その言葉を聞いた黒姫は、

数秒だけ沈黙した。


やがて。


「ふふ」


楽しそうに笑う。


「そうなのねぇ〜」


怒るでもなく、

警戒するでもなく。


ただ、

本当に面白そうに。


「なら、お茶でもしながらお話しましょうかぁ〜」


次の瞬間。


アルフェルトの視界が歪んだ。


「――っ?」


一瞬。

身体から重力が消えたような感覚。


風景が溶ける。


森が消える。


空間そのものが捻じ曲がる。


アルフェルトは反射的に魔力を巡らせるが、

意味がない。


抵抗すら出来なかった。


そして。


ふわり、と。


次に視界が安定した時。


そこは、

先程まで居た森ではなかった。


「……これは」


アルフェルトは思わず息を呑む。


屋敷だった。


だが、

王都の建築様式とは全く違う。


木造の空間。


不思議な香り。


靴のまま歩く事すら躊躇うような床。


障子越しに差し込む柔らかな光。


静かで、

どこか幻想的な空間。


まるで異国。


いや。


異世界。


理解が追いつかない。


「転移魔法……?」


アルフェルトは小さく呟く。


そんなものは、

おとぎ話の中にしか存在しない。


古代魔法の伝承。


あるいは空想。


少なくとも、

現代で実在するなど聞いた事がない。


それを。


目の前の女は、呼吸をするかのように使った。


「さぁて」


黒姫はくるりと振り返ると、

ひらりと長い袖を揺らした。


「せっかくですし、

お茶でもしましょうかぁ〜」


その声音は、

まるで友人を招くように気軽だった。


警戒心の欠片もない。


いや。


正確には、

僕を警戒する必要すらないと、

そう考えているのかもしれない。


黒姫は畳の上へ静かに座ると、

再び空間へ手を伸ばした。


次の瞬間。


何もなかった場所から、

小さな皿が現れる。


「……」


アルフェルトは僅かに目を見開く。


空間収納。


それ自体は高位魔法として存在する。


だが。


目の前で行われたそれは、

あまりにも自然だった。


魔力の練り上げも、

詠唱も、

術式展開もない。


呼吸をするように。


当たり前のように。


そして現れた皿の上には、

見た事もない菓子が乗っていた。


淡い桃色。


花びらのように繊細な形。


まるで小さな芸術品。


「これは……?」


アルフェルトは思わず呟く。


この国の菓子文化とは、

まるで違う。


黒姫は嬉しそうに笑った。


「桜のお菓子よぉ」


「春を象徴する花なの」


桜。


聞いた事のない単語だった。


だが、

確かにその菓子は、

春そのものを閉じ込めたような美しさをしている。


黒姫はそのまま、

今度は茶器を取り出した。


深い色合いの器。


繊細な模様。


統一された美しさ。


まるで一つの文化そのものを、

切り取って持ってきたかのようだった。


アルフェルトは静かに観察する。


黒姫の動きには無駄がない。


静かで、

滑らかで、

妙に洗練されていた。


湯を注ぐ音。


器へ触れる指先。


袖が揺れる音。


一つ一つの動作が、

不思議と目を奪う。


そして。


鮮やかな緑色の液体が、

器へ注がれる。


「抹茶っていうのよ」


「私の国のお茶よ〜」


私の国。


その言葉へ、

アルフェルトは僅かに引っ掛かりを覚える。


だが今は、

それ以上に目の前の光景が異質だった。


黒姫は静かに茶を点てる。


その姿はどこか神秘的で。


まるで儀式のようですらあった。


気付けば。


先程まで感じていた警戒心が、

ほんの少しだけ薄れている。


不思議な空間だった。


静かで。


穏やかで。


魔の森の奥深くとは思えないほど、

この場所は落ち着いていた。


黒姫は静かに茶器をアルフェルトの前へ置いた。


「どうぞ〜」


ふわりと湯気が立ち昇る。


鮮やかな緑色。


今まで見た事もない飲み物。


そして隣には、

淡い桜色の菓子。


花びらのように繊細で、

まるで芸術品だった。


アルフェルトは静かにそれらを見つめる。


自然と、

思考は警戒へ向いていた。


毒。


真っ先に浮かぶ可能性。


相手は“災厄の黒姫”。


規格外の存在。


警戒しない理由などない。


すると。


「あらぁ、安心してくださいなぁ」


黒姫がくすくすと笑う。


「食べるなら、

とっくに森で食べてますもの」


「……」


アルフェルトは一瞬だけ沈黙した。


冗談なのか。


本気なのか。


全く分からない。


だが。


不思議と恐怖は感じなかった。


むしろ。


少しだけ、

笑いそうになる。


「……それもそうですね」


アルフェルトは小さく息を漏らすと、

そっと菓子へ手を伸ばした。


柔らかい。


触れた瞬間、

驚くほど繊細だと分かる。


壊れてしまいそうなほど 儚く、


口へ運ぶと、

上品な甘味が静かに広がった。


「……これは」


アルフェルトは僅かに目を細める。


ただ甘いだけではない。


花の香りにも似た、

柔らかな風味。


舌へ残る余韻すら美しい。


「随分と雅な甘味ですね」


思わず、

そんな言葉が漏れる。


すると黒姫は、

嬉しそうに笑った。


「でしょう?」


「桜って、とっても綺麗なのよぉ」


どこか懐かしむような声だった。


アルフェルトは続けて、

茶器へ口を付ける。


次の瞬間。


「……っ」


僅かに目を見開く。


苦味。


だが不快ではない。


むしろ、

先程の甘味と驚くほど調和していた。


深い香り。


静かな余韻。


飲み込んだ後、

不思議なほど心が落ち着いていく。


「……面白いお茶ですね」


アルフェルトがそう言うと、

黒姫はまた楽しそうに笑った。


「ふふ。そうでしょう?」


黒姫はどこか満足そうに笑いながら、

自分の茶器へ口を付けた。


静かな空間だった。


湯気が揺れ、

柔らかな香りが広がる。


魔の森の奥深くとは思えないほど、

穏やかな時間。


そんな中。


「あ、そうそう」


黒姫がふと思い出したように口を開く。


「この森、

魔素も濃ゆいし、

魔獣も危険なのよ〜?」


「王子様が護衛も付けずに来るのは、

危ないんじゃないかしら?」


「――」


アルフェルトの動きが一瞬だけ止まった。


茶器を持つ手は崩さない。


表情も変わらない。


だが。


内心では確かに驚いていた。


(……王族だとは、

まだ伝えていないはずですが)


森で会った時も、

名前すら名乗っていない。


それなのに、

目の前の女は当然のように“王子様”と呼んだ。


まるで最初から知っていたかのように。


アルフェルトは静かに黒姫を見る。


狐面のせいで表情は読めない。


だが、

口元だけは楽しそうに笑っていた。


すると黒姫は、

そんなアルフェルトの思考すら見透かしたように、

くすくすと笑う。


「それから」


「伝承、でしたか?」


「何か聞きたい事があって、来たのでしょう?」


アルフェルトは静かに茶器を置いた。


「では一つ、お聞きしても?」


「なあに?」


黒姫は楽しそうに首を傾げる。


アルフェルトは数秒だけ沈黙し、

やがて真っ直ぐ黒姫を見た。


「貴方は」


「魔王を討伐した英雄なのですか?」


静かな空気。


湯気だけがゆらゆらと揺れる。


「それとも」


アルフェルトは続ける。


「国へ災厄をもたらした、

化け物でしょうか」


普通なら、

空気が凍ってもおかしくない問い。


だが。


黒姫は数秒きょとんとした後。


「ふふっ」


楽しそうに笑い出した。


「面白い聞き方をするのねぇ、」


狐面の奥で、

目を細めた気配がした。


そして黒姫は、

悪戯を仕掛ける子供のように笑う。


「――貴方は、どう考えているのかしら?」


アルフェルトはすぐには答えなかった。


静かな空間だった。


茶の香りだけが、

ゆっくりと漂っている。


黒姫は急かさない。


ただ楽しそうに、

アルフェルトの返答を待っていた。


その姿すら、

どこかこちらを試しているように見える。


やがてアルフェルトは、

静かに茶器を置いた。


「……さて」


柔らかな笑みは崩さないまま、

視線だけを黒姫へ向ける。


「それを確かめるために、

わざわざ魔の森まで来たのですが」


すると黒姫は、

小さく肩を揺らして笑った。


「ふふ。

答えになっていないわね」


その声音には、

責める色など欠片もない。


むしろ、

楽しんでいるようですらあった。


アルフェルトは小さく息を吐く。


「簡単に答えを出してしまっては、

面白くないでしょう?」


そう言いながら、

再び茶器へ口を付ける。


静かな苦味。


不思議と落ち着く香り。


「少なくとも今のところは、

どちらとも判断しかねています」


その返答を聞いた黒姫は、

狐面の奥で目を細めた気配を見せた。


「まあ」


「随分慎重なのね」


「王族なもので」


アルフェルトが穏やかにそう返すと、

黒姫はまたくすくすと笑う。


まるで、

面白いものを見つけた子供のようだった。


黒姫は再び茶器へ口を付けながら、

ふと思い出したように口を開く。


「そういえば」


「最近の王宮は、

いつもああなのかしら?」


「ああ、と言いますと?」


アルフェルトが静かに聞き返すと、

黒姫はさらりと言った。


「派閥争いとか、

お茶会での探り合いとか」


「あと廊下で令嬢達が揉めていたでしょう?」


「青いドレスの子、

随分怒っていたわね」


「――」


アルフェルトの動きが止まる。


今日の社交会の話だった。


王城内部。


当然、

この森に居るはずの黒姫が知るはずのない光景。


アルフェルトは静かに目を細める。


「……なぜ、

それを?」


すると黒姫は、

きょとんとしたように首を傾げた。


「映像魔法で見ていたもの」


「……映像魔法?」


アルフェルトは思わず聞き返す。


聞いた事のない単語だった。


少なくとも、

王宮魔導士達の知識には存在しない。


黒姫は不思議そうに笑う。


「離れた場所を見る魔法よ?」


「そんな風に簡単に説明されてもですね……」


アルフェルトが僅かに困ったように言うと、

黒姫は「あら」と小さく笑った。


「こういう感じなのだけれど」


次の瞬間。


ずらーっ、と。


空中へ幾つもの光の板が浮かび上がる。


「――っ」


アルフェルトは思わず目を見開いた。


映っている。


王都の街並み。


王城の廊下。


噴水広場。


市場。


それぞれ別の景色が、

透明な窓のように空中へ映し出されていた。


しかも。


全て“今”この瞬間の光景。


人々が歩き、

会話し、

風が揺れている。


黒姫はその一つを指差す。


「ここ、今日の社交会の廊下ね」


そこには確かに、先程話していた令嬢達が立っていた場所だった。


「……」


アルフェルトは言葉を失う。


遠距離透視魔法ですら、

高位魔導士達による大規模術式。


それを。


この女は。


まるで「明日は雨ですね」とでも言うかのような気軽さで、複数同時に展開していた。


「それで?」


黒姫は空中へ浮かぶ映像を眺めながら、

楽しそうに首を傾げた。


「最近の王宮は、

いつもあんな感じなのかしら?」


映像の中では、

令嬢達が笑顔のまま言葉を交わしている。


けれどその視線は鋭く、

互いを探り合っていた。


アルフェルトは静かに茶器を置く。


「ええ。

王宮ですから」


その返答は、

あまりにも自然だった。


「派閥、利権、婚約、継承問題」


「皆それぞれ、

欲しいものがありますので」


まるで、

今日の天気でも語るような口調。


黒姫は「まあ」と小さく声を漏らした。


「大変なのね」


「慣れていますよ」


アルフェルトは柔らかく微笑む。


それは社交界で誰もが見慣れた、

完璧な王子の笑みだった。


穏やかで。


優雅で。


隙がない。


だが。


黒姫はふと、

その笑みをじっと見つめた。


狐面の奥から、

静かな視線が向けられる。


やがて黒姫は、

ぽつりと呟いた。


「……生きづらそうね」


「――」


アルフェルトの動きが、

ほんの僅かに止まった。


空中には、

今も王都の映像が浮かんでいる。


人々の笑い声。


華やかな街並み。


けれどこの部屋だけは、

不思議なほど静かだった。


数秒の沈黙。


やがてアルフェルトは、

いつもの柔らかな笑みを浮かべる。


「……そう見えますか?」


穏やかな声だった。


完璧な王子の返答。


だが。


黒姫は迷いなく頷く。


「ええ」


茶器を手にしたまま、

狐面の奥から静かにアルフェルトを見つめる。


「なんだか、

ずっと気を張っているみたい」


「……」


アルフェルトは答えなかった。


代わりに、

小さく微笑む。


その笑みは美しく、

隙一つない。


まるで、そう振舞うことに慣れきっているようだった。


やがて、空中へ浮かぶ映像を眺めながら、黒姫はふと口を開いた。


「キミは」


「今の王国についてどう考えているの?」


アルフェルトは僅かに目を細める。


王族としてなら、

答えは決まっていた。


アルフェルトは柔らかな笑みを浮かべる。


「美しい国ですよ」


穏やかな声。


淀みのない返答。


「豊かな土地に恵まれ、

文化も発展している」


「民達の暮らしも、

昔と比べれば遥かに良くなっています」


完璧な答えだった。


誰が聞いても、

理想的な王族の返答。


空中には、

今も王都の景色が映し出されている。


華やかな街並み。


笑い合う人々。


賑やかな市場。


けれどその一方で、

映像の端には薄汚れた路地も見えていた。


黒姫はしばらく黙ったまま、

その景色を眺めていた。


やがて。


小さく首を傾げる。


「……私は、

キミに聞いているのだけれど」


「――」


その言葉に。


アルフェルトは、一瞬だけ返答を失った。


やがて、

アルフェルトは口を開いた。


「……歪んでいますよ」


静かな声だった。


空中には、

今も王都の景色が映し出されている。


華やかな街並み。


笑い合う人々。


その一方で、

薄暗い路地に座り込む子供達の姿もあった。


アルフェルトはその光景を見つめたまま、

淡々と言葉を続ける。


「貴族は貴族同士で争い、

平民達には格差がある」


「貧民街も無くならない」


「差別も、腐敗も」


穏やかな口調だった。


感情を荒げる事もない。


まるで、

既に見慣れた現実を語るように。


だが。


その声音には、

僅かな諦めが滲んでいた。


「けれど」


アルフェルトは再び、

柔らかな笑みを浮かべる。


「国というものは、

そう簡単には変わりません」


それは諦めか。


それとも現実を知る者の言葉か。


黒姫にはまだ分からなかった。



黒姫は空中へ映る王都を眺めながら、

静かに目を細めた。


「……そうよね」


ぽつりと零れる声。


「人も、国も」


「簡単には変わらないわね」


その声音は穏やかだった。


諦めている訳でもない。


責めている訳でもない。


ただ、

長い時を見てきた者の響きがあった。


やがて黒姫は、

小さく笑う。


「何度も繰り返しているもの」


「――」


アルフェルトは静かに黒姫を見る。


その言葉だけで。


目の前の女が、

自分達とは違う時間を生きているのだと、改めて理解した。


「……貴方は」


アルフェルトは静かに黒姫を見る。


「いつからここに居るのですか?」


すると黒姫は、

少しだけ考えるように視線を上げた。


「そうねぇ」


静かな沈黙。


やがて。


「数千年前からじゃないかしら?」


あまりにも軽い口調だった。


まるで、

昨日の天気でも話すように。


「千年を超えた辺りで、

数えるのをやめてしまったの」


黒姫はくすくすと笑う。


「長すぎるでしょう?」


「――」


アルフェルトは言葉を失った。


千年。


王国の歴史ですら霞む年月。


目の前の女は、

それを生きている。


いや。


生き続けてしまっている。


やがてアルフェルトは、

静かに問いを重ねた。


「……退屈には、

ならないのですか?」


すると黒姫は、

きょとんとしたように首を傾げる。


「え?」


「退屈よ?」


まるで、

何を当たり前の事を、と言わんばかりの声音だった。


アルフェルトは一瞬、

言葉を失う。


そして。


「……ふっ」


思わず、

小さく笑みが零れた。


黒姫はきょとんとしたように首を傾げる。


「何がおかしいの?」


「いえ……」


アルフェルトは口元を押さえる。


「貴方が、

あまりにも普通の事のように仰るので」


すると黒姫は、

不思議そうに瞬きをした後、

ふふっとおかしそうにと笑った。


「だって退屈なのだもの」


「だからお茶したり、

映像魔法を見たりしているのよ?」


「最近は、

お菓子作りにもハマっているわねぇ」


「そういえば、

ドレスを作ろうと思った事もあったかしら」


次々と並ぶ言葉。


数千年を生きる“災厄の黒姫”とは、

とても思えない内容だった。


「……っ」


アルフェルトの肩が僅かに震える。


耐えきれなかった。


やがて。


「ふふ……っ」


小さな笑い声が零れる。


それは社交界で浮かべる作り物の笑みではなく。


どこか、年相応の少年らしい笑い方だった。


黒姫はぱちぱちと瞬きをした後、

ふわりと笑った。


「あら」


「いい笑顔ね」


「――」


アルフェルトの肩が、

ぴたりと止まる。


すると黒姫は、

どこか満足そうに続けた。


「そっちの方が、

素敵だわ」


静かな声だった。


けれど。


その言葉は、妙に胸へ残った。


黒姫はくすくすと笑っていたが、

不意に「あ」と小さく声を漏らした。


「ああ、いけない」


「大変な事を忘れていたわ」


そう言うと、

黒姫はぱっと立ち上がる。


次の瞬間。


空間が、

静かに揺らいだ。


水面へ波紋が広がるように、

黒姫の隣の空間がゆっくりと歪む。


「――」


アルフェルトは僅かに目を細めた。


黒姫は何でもない事のように、

その歪みへ手を差し入れる。


そして。


取り出した。


一つのネックレスを。


繊細な銀細工だった。


月光を編み込んだような細い鎖。


中央には、

夜空を思わせる黒い宝石が揺れている。


あまりにも美しい。


まるで夜空に輝く満点の星々の様だった。


けれど。


アルフェルトが目を見開いたのは、

その後だった。


「……これは」


息を呑む。


ネックレスから、

膨大な魔力が溢れていた。


濃密で。


静かで。


それでいて、

底が見えない。


一体どれほどの術式が組み込まれているのか、

想像すら出来なかった。


黒姫はそんなアルフェルトへ、

当然のようにネックレスを差し出す。


「キミ、

魔素苦しかったでしょう?」


柔らかな声だった。


「これを付ければ、

きっと楽になるわ」


「私の魔力を流しているから、

魔獣も寄って来ないし」


「幾つも魔法を編み込んであるから、

魔素も苦しくならないはずよ」


あまりにも気軽な口調。


まるで、

少し肌寒い日に上着を貸す程度の感覚で。


けれど。


アルフェルトには理解出来てしまっていた。


このネックレスが、

どれほど異常なものかを。


アルフェルトは、

差し出されたネックレスを静かに見つめた。


指先へ触れなくとも分かる。


込められている魔力が、

常識を遥かに超えている事くらい。


王宮魔導士達が見れば、

卒倒してもおかしくない。


下手をすれば、

国家間の均衡すら崩しかねない代物だった。


そんな物を。


目の前の女は、

あまりにも普通に差し出している。


アルフェルトは小さく息を吐いた。


「……簡単に、

渡して良い物ではないでしょう」


静かな声だった。


すると黒姫は、

きょとんとしたように瞬きをする。


「そう?」


本気で不思議そうな声音。


「だって、

キミ苦しそうだったもの」


「――」


悪意はない。


打算もない。


ただそれだけの理由で。


この女は、

規格外の魔導具を差し出している。


アルフェルトはしばらく黙ったまま、

黒姫を見つめていた。



そして。


「……ふふ」


小さく笑みが零れる。


黒姫はまた不思議そうに首を傾げた。


「今日はよく笑うのね?」


「貴方のせいですよ」


アルフェルトは口元を押さえながら、

どこか困ったように笑った。


「普通、

そんな理由で渡すような物ではありません」


すると黒姫は、

少しだけ考えるように視線を上げる。


「でも、

キミには必要でしょう?」


あまりにも当然のような返答だった。


だからこそ。


アルフェルトは、もう一度笑ってしまった。


アルフェルトは小さく息を吐くと、

差し出されたネックレスへそっと手を伸ばした。


指先へ触れた瞬間、

静かな魔力が流れ込んで来る。


驚くほど穏やかな力だった。


まるで、

冷たい水が身体へ染み渡るように。


先程まで肌へ纏わり付いていた魔素の重さが、

嘘のように消えていく。


アルフェルトは僅かに目を細めた。


「……凄いですね」


素直な感想だった。


そして。


「有難く、

お借りしますね」


そう言って、

柔らかな笑みを浮かべる。


すると。


黒姫はきょとんとしたように瞬きをした。


「え?」


「……?」


「私は、

あげるつもりだったのだけれど」


「――っ」


アルフェルトの肩が、

ぴくりと震える。


数秒の沈黙。


やがて。


「……ふふっ」


耐えきれなかったように、

笑みが零れた。


黒姫はそんなアルフェルトを見ながら、

不思議そうに首を傾げている。


その様子が余計に可笑しくて。


アルフェルトは口元を押さえながら、しばらく笑いを堪えられなかった。


ひとしきり笑った後。


黒姫はふと、

窓の外へ視線を向けた。


「あら」


「もうこんな時間なのね」


アルフェルトもつられるように外を見る。


いつの間にか、

窓の外は夕暮れへ染まり始めていた。


橙色の光が、

静かな部屋を柔らかく照らしている。


すると黒姫は、

くすくすと笑った。


「早く帰らなくては、

護衛さん倒れてしまいますわよ?」


「――」


アルフェルトは僅かに目を見開く。


やはり。


この女は、

全部気付いている。


森へ入る前から、

きっと。


アルフェルトは小さく苦笑した。


「……そうですね」


「随分、

長居をしてしまいました」


すると、黒姫は笑いながら首を傾げる。


「あら」


「私は退屈しなくて、

嬉しかったわよ?」


狐の面の奥で、

さらりと黒髪が揺れる。


口元だけは隠れていないせいか。


その笑みだけが、

やけに柔らかく見えた。


けれど。


肝心な表情は、

最後まで分からないまま。


まるで、

最初から全てを見せる気など無いように。


やがて黒姫は、

ふわりと笑った。


「じゃあ、

また来てくれるのを楽しみにしているわね」


次の瞬間。


空間が静かに揺らぐ。


「――っ」


視界が歪む。


一瞬の浮遊感。


そして気付けば。


アルフェルトは、王宮の自室へ立っていた。


「っふふ…」


アルフェルトは思った。


きっとこの王宮へ僕を返した転移魔法も、

彼女からするとお茶会を切り上げたような感覚なのだろう。


なんと規格外で、

なんと人間らしい災厄なのだろうか、と。


「…本当、噂も伝承も当てになりませんね。」


その言葉はどこか完璧な王子様とは違い、

すこし明るく、歳相応の少年のようだった。





読んで頂きありがとうございました!


まだまだ続く物語なのですが、

ストーリーもかなり練っております……!


良ければこれからも、

災厄の黒姫と完璧王子様を見守って頂けると嬉しいです。


次回、

黒姫やらかす?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ