十九話
次に創汰に会ったのは土曜日だった。天気が良かったので公園のベンチで本を読むことにした。小学生のかけ声や元気に走り回っている姿は、とても癒されるものだ。夢中になってストーリーに入り込んでいると、となりに誰かが座った。
「わざわざ外で読んでるの?」
はっと顔を上げると私服の創汰が笑っていた。黒白ボーダーのボートネックシャツ、灰色のダメージジーンズ、ブランド品のバッグとサングラス。ピアスは以前は二個ずつだったが、四個に増えていた。どれも十万円はしそうだ。
「別に、どこで読んでも私の勝手でしょ。邪魔しないでよ」
「制服の時より私服の方が可愛いね。どこで買ってるの?」
「うるさいな。話しかけないで」
「また新田亘紀の本?」
「今、いいところなの。あっちに行ってよ」
「つれないねえ。もっと柔らかい態度とれないの?」
「生まれつき頑固なんだってば。可愛げがないって、これでわかったでしょ。私よりずっと女の子らしい人、数えきれないほどいるんだし、創汰はモテモテなんだから」
「俺、全くモテないんだよね」
「え?」
驚いて全身が固まった。創汰はにっこりと笑いながら続ける。
「嘘じゃないよ。女の子と手もつないだことないって教えただろ? 自分でも情けなくなってくるよ。彼女いない歴十六年。そのくせモデルにはスカウトされててさ」
ははは……と苦笑している。とても信じられない。
「確か、創汰って偽物がいたんだよね? そっちは女の子にちやほやされて人気者だったんでしょ?」
「よく知ってるね。そうなんだ。しかも俺が本物の早乙女創汰だって言ったら、嘘つくんじゃないって怒られちゃった」
「怒られた? 創汰が? かっこ悪いって意味?」
「そう。ついでに言うと友だちもいないよ。仲良くしたくても必ず裏切られる。お金持ちはいいよなって妬まれてね」
急に創汰が可哀想になってきた。ぐっと両手を握りしめる。
「酷い。嫉妬で別れるなんて。そんな人と付き合わなくていいよ。創汰には、もっと暖かくて穏やかな友だちがどこかにいるはずだよ」
「励ましてくれてありがとう。やっと柔らかなしゃべり方になったね」
微笑んだ創汰に、どきどきと鼓動が速くなる。顔が赤くなってしまう。頬の火照りを隠そうとしたが、まるで風邪をひいた時のように真っ赤になる。
「あれ? どうかしたの?」
「な……何でもない。こっち見ないで」
「熱でもあるんじゃない? 大丈夫?」
「へ、平気。心配しないで」
慌てて汗を拭うが、後から後から流れて止まらない。
「もしよかったら、喫茶店で冷たいもの飲もうか? 俺が奢ってあげる」
「そんな。ちゃんと自分で払うよ」
「俺が誘ってるんだから。よし。さっそく行こう」
そっと手をつないで歩いていく。さらにどきどきが増して、赤い顔が周りの人にバレないように俯いて足を動かした。
前回と同じ店にたどり着く。向かい合わせに座って、創汰からメニュー表を渡された。冷たいジュースとソフトクリームを頼み、深呼吸をしながら待つ。
「衣緒は、友だちたくさんいるの?」
突然聞かれて、うんと頷いた。
「親友が三人。姉妹みたいに仲良しなのは、雅美って子」
「ふうん。友だち作りがうまいんだね。羨ましいよ」
「そういうわけじゃないよ。類は友を呼ぶみたいな感じで集まったんだよ」
「そっか。喧嘩したりいじめたりする?」
「ううん。関係がぎくしゃくしたら嫌だもん。これからも傷つけあったりしないよ」
「へえ。俺もその中に入りたいな」
もし入ったら大変なことになる。まず知理子は彼女になろうと頑張り、雅美も創汰の話しかしなくなるだろう。こうやってお茶を飲んでいる事実を全て明らかにしないのは、その大変な目に遭いたくないからだ。
「女の子にモテないらしいけど、告白したことはないの?」
ふと疑問が浮かんで質問した。創汰は首を横に振って即答した。
「したけどフラれちゃった。ずっとそばにいたくないって」
「創汰がモテない? フラれる? みんな頭が狂ってるんじゃないの?」
「狂ってる?」
「だって……。こんなにかっこいいのに」
無意識に呟いた。ぼっと創汰の顔が赤くなった。完全に照れているとわかる。
「そ、そうかな? 俺、かっこいい?」
「かっこいいからモデルにスカウトされたんでしょ? 背が高くてスタイル抜群。イケメンで文武両道。もう創汰に勝てる男なんてどこにもいないよ」
「いや……。衣緒にそこまで褒められちゃうとは……。嬉しいなあ」
あははと軽く笑う。つられて衣緒も微笑んだ。男子にヨイショをしたのは初めてで、緊張でいっぱいになった。
ジュースが運ばれて一気飲みをした。のどが冷たく潤され、とても気分がいい。ふう、と息を吐いて創汰の方に視線を向けた。
「はあ、すっきりするね。創汰は?」
「俺も同じ。さっきまで炎の中にいるみたいだったけど」
「そっか。よかったね」
自然に笑みがこぼれた。男嫌いなのに、なぜか創汰の前では素直な気持ちになれる。
「やっぱり衣緒は可愛いな。もっと衣緒のこと知りたいよ」
創汰のペースに乗せられそうになっていると気が付いた。ぶんぶんと首を横に振り、男と関わってはいけないと自分に言い聞かせた。
「それは残念だけど無理だから。私は彼氏いらないし、創汰と付き合う気はさらさらないもん」
「頑固な性格に戻らないで。ずっと柔らかな衣緒がいい」
「本当の私はこれなの。しょうがないでしょ」
ふん、と目を逸らしたが、実は自己嫌悪に陥っていた。他人に気遣う穏やかな人だと思われたい。頑固者だと呼ばれたくない。だが、うまくできないのだ。
その後運ばれたソフトクリームも完食し店を出た。支払いの時にバッグから財布を探したが、その前に創汰がレジへ行っていた。また奢らせてしまった。
「私、創汰にお金使わせたくないよ」
「いいんだよ。いっぱいあるんだから」
「いっぱいあっても、申し訳」
「じゃあさ。俺とデートしてくれない?」
遮られ、だらだらと冷や汗が流れた。
「デ……デート?」
「うん。予定がない日は二人きりで出かけよう。誰にも邪魔されずに」
男子とデートをする日がくるなど夢にも思っていなかった。まるで恋人同士のようだが頷いた。
「わ、わかった」
「決まり。衣緒を一人占めできるなんて、俺は幸せ者だなあ」
そして、ぎゅっと力強く抱きしめられた。いきなりで、衣緒はそのまま創汰の広い胸に倒れこむ。
「うわあっ。は……放してっ」
「こうすると、ちょうどすっぽりと腕の中に収まっちゃうんだね」
「そ、創汰は……。体が大きいから」
「あの夜も、ぎゅって抱きしめてあげたよね」
そうだ。創汰に助けてもらわなかったら、衣緒はトラックにひかれて死んでいた。どきどきしながら耳元で囁く。
「ありがとう……」
「ん?」
「あ、ありがとう……。助けてくれて……」
「あはは。どういたしまして。衣緒は絶対に護ってみせるよ。どんなに遠くにいても必ず」
かっこよくて男らしい言葉に、ばくんばくんと心臓が速くなる。興奮して頭のてっぺんから足のつま先まで、小刻みに震えた。けれど創汰のペースには乗ってはいけないと考え直し、ぐいっと離れた。
「いい。自分の身は自分で護れるし、創汰に迷惑かけちゃう。しゃあ、今日はこれで。ジュースとソフトクリームごちそうさま」
とりあえずそれだけ伝えると、くるりと後ろを振り返って逃げるように走った。