65.眠る母と迷う子
ピリック通り某所に位置する、高級感溢れた宝石店にて。華々しい格好で着飾った貴族らが店内を闊歩する平穏は、突如として崩れ去った。
突然の激しい音と共に、ガラス片が周辺へと飛散する。
「――な、なんだ!?」
無論店内は、瞬く間に騒然となった。貴族らは一斉に出口へと逃げ惑う。店主はもはや、訳も分からずにその場で立ち尽くし困惑した。なぜなら彼らの瞳には、一つの異変すら捉えることが叶わないから。
宝石店を襲撃したのは、ダイトとウォン。ただし彼らは、エフィの諜報魔法・不可視を纏ったうえでこの店へと至る。ゆえに今の彼らは、この場の誰からもその姿を認識されない。
ウォンはガラスケースを破壊すると、そこから目に付く宝石をありったけ持ち上げた。空中へ浮遊する宝石に気付いた店員は叫ぶ。
「……ど、泥棒だ!!」
それを聞いた用心棒の男は懐の拳銃を抜き、すかさずウォンの元へと迫った。ただしそこへ割って立ちはだかるのは、ダイト=アダマンスティア。少年の手に握られたのは、鉄の棍棒。事前に鉄魔法・造形で創り出したそれには、既に諜報魔法・不可視の行使を済ませてあった。
ダイトは用心棒の男に向かって、躊躇なくそれを振り払った。腹に不可視の一撃を叩き込まれた男は、そのままあえなく後方へと吹き飛ばされる。
屈強な男は、何の前触れも無しに空へと舞った。逃げ惑う貴族と店員には、少なくともそう見える。不可視の現象に恐れおののくのは、無理もないことであった。
ウォンが宝石を持ち寄った小袋にしまったところで、また彼は再び不可視の住人となる。ダイトもたそこで引き際を察し、手当たり次第に宝石を掴み取って店を後にした。
二人は商店街の喧騒に紛れ、店から遠く遠くへと逃げ続ける。自分でも恐ろしいほど冷静にやってのけた。無論そこに、罪悪感は存在しない。これが彼の解釈した、世界の縮図なのだから。
「――存外チョロいもんだな」
彼らはやすやすと基地へ逃げ帰った。ウォンはご機嫌な様子で小袋の宝石をテーブルへと広げる。ライブラは慎ましく微笑んだ。
「これだけあれば、当分の間は生きていけるわねー」
眩しいほど輝く宝石たちを目の当たりに、笑顔が零れる。対して、ひと休憩を終えたダイトはまだ気を緩めることなく提案した。
「とりあえず早いとこ、金に換えちまおう。万が一にも足が付くと面倒だ」
そして繰り返される、盗賊としての日々。ある日は気楽に、食料品店へ。またある日は気を引き締め、宝石店や魔法具店へ。彼らは手を汚して、もはや正常な感性を失っていった。
幾度と日が流れれば、ダイトには約束の日が訪れた。彼は久しくして、ギノバス王立病院を訪れる。清潔感のある院内で感じる周りの視線から、自分の容姿が場違いであることをなんとなく察した。汚れきったぼろぼろの服。くすんで伸びきった白い髪。ただそれだけではなく、窓に映る自分の人相が随分と悪くなった気がした。
病室の扉を開く。母の傍に控えるのは、あのときと同じ治癒魔導師の少女・セイカ。彼女はダイトが抱えた麻袋を見ると、驚いた表情を見せる。
「まさか君……本当に……!?」
ダイトは顔色一つ変えず、ただ淡々と話した。追究されたくなかった。無意識に口が早く回る。
「……これで一年分はあります。だから母を生かしてください。それでは――」
セイカは感じた違和感を押し殺すわけにいかなかった。麻袋を床に捨ててすぐに病室から出ようとしたダイトの腕を掴む。
「ま、待って! こんなお金をどうやって!?」
ダイトは少し間をあけてから答えた。
「そんなの分かるでしょ。奪ったんです。それが、このふざけた世界で生きるということですから」
セイカはダイトの頬を弾く。それは反射的だった。
「き、君は大馬鹿だ! こんなやり方は――」
「こんなやり方って、あんたがそうさせたんだろ? あんたが金を集めろって言ったんだ。加担してないとは言わせねぇ」
ダイトと目が合ったとき、セイカは彼の瞳に宿る狂気的な何かを感じた。彼はもはや、あの日の弱りきった少年ではない。彼女が感じたのは、紛れない恐怖であった。
そしてダイトは、怯えるセイカをさらに追い詰める。
「……俺の苦労を何も知らずに、ただ金を作れだって!? ふざけるな!! どれだけ誠実に生きても、何もかも無くなっていくってのに、次は親を見殺しにしろって言うのかよ!?」
セイカは何も言い返せなかった。彼女に募るのは、冷たく重たい罪悪感。
「……ごめん。君の言っていることは正しい。最初から分かってたんだ。幼い君がこんなたくさんのお金を作る方法なんて、これしかない。なのに、ボクは君にやれと言ったんだ。君が手を染めたのは、ボクのせいだ」
ダイトはそれに何の応答もせず、セイカの手を乱暴に振りほどく。
「……金は払った。また一年後、払いに来る。だからそれまで、母を生かしてくれ」
「……」
セイカは黙り込む。ダイトは返事の無い彼女を、躊躇無く脅迫した。
「もし治療を止めたなら、俺はお前を殺しに行く」
暴論だった。それでも彼女は、凜として言葉を紡ぐ。
「……君の母が起きたら、そのときボクは、ボクの命で君の母にお詫びする。君が手を汚したのは、ボクのせいだから」
ダイトは無言のまま病室を後にした。今の人相は、眠る母にすら見せたくない。
そしてセイカはダイトの母と共に、静かな病室へと取り残される。彼女はふと呟いた。
「……こんなお金、受け取れないよ」
は麻袋をベッドの下に隠すと、彼女はベッド傍の椅子へと腰掛ける。
「……ごめんなさい、オリハさん。ボクのせいで、あなたの大切な息子さんは変わってしまいました。絶対に、目覚めさせますから。その時、ボクを許せとは言いません。せめて彼を、思いっきり叱ってやってください」
盗賊の旅路は続く。商店街・ピリック通りで頻発する盗難は、遂に騎士たちの知るところとなった。商店街には日に日に騎士の姿が増える。それでも彼らは止まれなかった。
ダイトは一六歳になっていた。盗賊稼業を始めて六年も経てば、魔法がからっきしだったウォンとライブラにも、簡単な魔法が身につく。ゆえに盗みはより周到に、そして暴力的になった。
「――さ、今回もまずまずだな」
「さっさと換金してポンド街に配りましょーか」
「そうだな」
商店街に並ぶ景気の良い店を襲撃する日々。まずは盗賊団の生活費と、ダイトの母の治療費へ。余り余った利益は、ポンド街の住民へと還元された。ゆえに少年少女は、さながらポンド街の救済者と化す。
「――ポンド街の盗賊? いや、知らねぇな……」
「――そうですか、ご協力ありがとうございました。それでは、失礼いたします」
ポンド街には度々騎士が足を踏み入れ始めるも、大きな成果は上がらない。なぜならそこに住む皆が、救済者たる盗賊の正体を匿ったから。
それでもその虚構に過ぎない安泰など、永遠には続かない。この日、ダイトの命運は揺れ動いた。
「――ったく、なんで俺はお前の買い物に付き合うはめになってんだよ」
「――いいじゃんいいじゃん! だって今日受ける予定だった依頼、急にキャンセルになっちゃったんだし。どうせ暇でしょ?」
「……それはまあ、暇だよそりゃ」
ピリック通りを訪れたのは、今を生きる大陸最強の魔導師パーティ・煌めきの理想郷の二人、フェイバル=リートハイトとクアナ=ロビッツ。
「……んで、何買うんだよ? また魔導書か?」
「うんん、違う」
「じゃ何だよ?」
「これといって特には、何も考えてませんねー」
「……んぁ?」
「何か気になった店があったら、ふらっと入りたいなーって感じかな」
「なんだよ。俺はてっきり荷物持ちかと思ってたんだか、何も決めてないのか」
「……ま、まあね」
ただ意味も無く、同じ時間を共有したかった。クアナのそんな思惑に、不器用な男は気付けない。
フェイバルは呟く。気付けなくとも、彼とてまんざらでは無いから。
「ま、たまにはいいか。ここらはギルドから少し遠いし、一人じゃあんまり来ねぇーからな。ただの散歩も悪くないな」
「でしょ! へへ、乗ってきたね。 さ、たまには依頼なんて忘れてのんびり歩きましょうよ」
No.65 セイカ=?
ギノバス王立病院に勤務する治癒魔導師。ダイトよりも一つ年上の、二一歳。低身長と白い姫毛が年齢より幼く映える。幼少期から治癒魔導師としての才能は凄まじく、作中現時点での勤務歴は一〇年を超える。




