208.拝啓、名も無き魔導師へ。 *
迫り来るのは、死を誘う刃。しかしレントは臆することなく、防御魔法陣をもってそれを制した。
魔力は互角。束の間、戦況は真正面からの押し合いとなるが、その泥沼を脱すべく仕掛けたのは、レントのほうであった。
召喚魔法・群兎。帯刀の男のやや後方に展開された魔法陣からは、黒き兎の群れが姿を現わす。
兎は勇猛果敢に、軍勢となって帯刀の男の背を狙った。その愛嬌あるその生き物は凶器となる牙も爪も持たないものの、俊足から生まれる強烈な体当たりが武器と化す。
帯刀の男はその秘めた危険性を察知し、レントとの押し合いを放棄した。強化魔法を宿して上空に飛び上がり、多勢を脱する。路地に面した家屋の壁面に手頃な突起を見つけると、そこで束の間の小休止を得た。
それでも兎の軍勢は、機敏にその進路を転換した。壁面に留まる帯刀の男を視認して間もなく、彼らは路地を踏み上げ主の敵へと飛びかかる。
無論そのとき帯刀の男は、速やかに握った刀を構えた。片手ながらも、繰り出す斬撃は洗練された技。群れの先頭から数えて十数匹の兎は、纏めて両断された。
しかし召喚魔法・群兎の用途とは、この刹那において真価を発揮する。両断された魔獣が噴き上げるのは、黒く染まった多量の血液。その惨い光景を前にした者の視認範囲は、大きく低下する。
この間隙こそ、レントの呼び起こした勝機。彼は迷わず手を打った。炎魔法・放射。
灼熱の一撃は、帯刀の男を焼き払う。巻き添えになる兎の群れは体毛に引火した炎を纏い、さらなる脅威と化した。
そこで魔法戦闘は、万事休す。帯刀の男は為す術無く火だるまとなり、血肉を焼き払われて息絶えた。
こうして二種の魔法を巧みに操るレントは、ついに帯刀の男を討った。それでも彼の顔が浮かばれないのは、相対した男が人間ではなかったから。むしろ戦況は、全く好転していない。それが彼の解釈であった。
そして束の間、その解釈は正当性を得ることとなる。路地からふらりと表れたのは、またも得体の知れない二人組の男。巨大な散弾型魔法銃を握った小柄な男と、魔法杖を背に抱えた薄ら笑いの男。
「……冗談じゃねぇ」
疑うまでもなかった。そこに現れた男たちは、魔獣の類い。忠実に人間を模しているが、同じ魔法を扱うレントには確信的であった。
そしてさらなる絶望は、足元に転がる鈍い音から。思わずして視線を落とした先、転がったのはコムレスの頭部であった。
一瞬にして沸き起こった憎悪と共に、レントは後方へ振り返る。そこにあったのは、レティアと彼女を背に乗せたまま威嚇する魔獣をそのまま通り過ぎて、ゆっくりこちらへ這い寄る巨漢の姿。
それでも千切れた右腕と、間もなくして削ぎ落ちそうな左足は、コムレスの必死の抵抗の証だった。巨漢は満身創痍。息絶えるのは、時間の問題だろう。
憎悪は、諦観へ。そして、達観へ。レントは死にかけた巨漢に向かって吐き捨てる。
「……何でも願いが叶うなら、テメーらが出来るだけ苦しむ殺し方を知りてーよ」
「……でも、苦悶で顔を歪めることも、恐怖で泣き叫ぶことも出来ねーんだろうな、お前らは。たかが魔獣に感情や表情を与えるなんて、術者からすれば負担でしかない」
三人の魔獣は、無言のままゆっくりとレントへ距離を詰める。言葉を話さないのも、術者の余計な負担を軽減するための設定だろう。同業者のよしみで、十分察しがついた。
崩落した獣道。両脇の仲間が去って、次は自分の番だろうか。そしてその次は、かつての自分に希望を与えた見ず知らずの女だろうか。世の中とは、上手くいかないものだ。魔導師という生き方は、やはり不憫なものだ。絶望に支配された戦況から目を背け、レントは追憶する。これこそ走馬灯というものの正体ではなかろうか。革新的な閃きをした気がしたが、まだそれを見るには惜しい。レントは、ある種の賭けに挑んだ。
数年前、ギルド書庫にて。今思えば、そんな曖昧な記憶しか残っていない。ただしその日出会った書物には、運命的な衝撃を覚えた。表題は、憑依の研究。執筆者は匿名。世にも珍しい、混合魔法を記した魔導書であった。
ただし魔導書とは名ばかりで、それは従来の魔導書のように、真っ直ぐと素直に魔法を指南した内容ではなかった。表題のとおり、記された内容はあくまでも研究。魔法の仕組みとその根拠が、論文のように書き連ねられているにすぎない。しかしながらレントは、その魔法の存在に確信を持った。それは彼が偶然にも、その混合魔法に必要となる二種の魔法属性を備えていたから。
習得難易度は、恐らく秘技魔法に匹敵するだろう。そしてさらに憂うべきは筆者曰く、その魔法が天理魔法に類するということ。書物が手製なのは、頒布を禁じられた魔法を示唆する内容であるため、公に出版することができないからであった。
「……どこの誰が書いたのか知らねーが、あんたはその魔法、もう完成させたのかね」
レントは重複魔法陣を展開した。




