115.逆境は連鎖する **
フェイバルは魔力負荷によって強い脱力感に襲われた。何とか時計塔の内部へ移動するものの、ついにそこで腰を下ろす。彼ほどの魔導師であろうとも、街全体を覆うほどの秘技魔法の相殺はさすがに堪えた。荒い息を整え、疲弊した体をしばし休める。
「……さて……ここから……どうしようかねぇ」
そのときフェイバルの通信魔法具が点灯した。
「――こちら通信本部」
声の主は第三師団副長・マディ=グラディオス。フェイバルは何か応えようとしたが、声を発する余裕は無い。
「空の魔法陣の完全な消滅を確認した。恒帝殿、感謝する」
「……そんなことは後だ……ロベリアは……動けそうか?」
「師団長は……安静が必要だ。詰所前の強襲者との交戦で負傷している」
「……そうか。なら状況は芳しくないぜ」
「ど、どういうことだ?」
「こんだけ息が上がる魔法は……久々だ」
フェイバルはしばし息を整えようと試みる。そして絶え絶えながら続けた。
「俺にも活動限界が迫ってきてる。空に魔法陣張るのと……それ粉砕するのじゃ消耗量が違いすぎるってことよ」
そのときマディーは声を詰まらせた。彼が何かの決断を迷っていることは、通信越しのフェイバルであっても理解出来る。
それからしばらく経った後、ようやくマディーの結論がフェイバルへと届けられた。
「――私が出よう。私が戦況を変えてみせる」
それは彼らしくない覇気の無い声だった。まるで何かを恐れているような、憂えているような。
束の間、通信越しから慌ただしく立ち上がる音が鳴る。珍しく落ち着きを失っているのか、いまだ通信は繋がれたまま。マディーは部下の一人へ全権の委任を始めんとするそのとき、フェイバルはようやく応答した。
「……マディーさんよ。残念だが、その必要はなさそうだ」
すかさずマディーの注意が通信魔法具へと戻る。彼はその言葉の意味を尋ねた。
「私では力不足ということだろうか?」
「いーや違う。お前には何とか縋りたいところだったが、生憎もう間に合わなそうもない」
一息つくと、深刻な声で続ける。
「……幻覚ならば嬉しいんだが、コード・瘴気が今まさに、俺の目の前へお出まししてるみたいだわ」
時計塔の内部に繋がる階段をゆっくりと歩みそこへ訪れた者、それはコード・瘴気ことクレント=ズニアであった。
絶望的な報告はマディーの声色を硬直させる。
「なんだと!? 私もすぐにそちらへ向かう――!」
「やめろ馬鹿。最前線は、国選魔道師の仕事だろーが」
「有事だ! そんな建前、今はどうだっていい!」
「作戦の指揮はお前しか執れない。もし傀儡が暴走したとき、新手が現れたとき。騎士を適切に動かせるのはお前だけだ」
マディーからやるせない声が漏れる。フェイバルは続けた。
「それに恒帝サマは、こんなとこでくたばるタマじゃねーよ」
その言葉には根拠も論理も存在しない。それでもなぜか、マディーにはそれが信頼できてたまらなかった。彼は冷静さを取り戻し、ただ真っ直ぐに返答する。
「……信じて、いるぞ」
フェイバルはあえて返事をせず通信を落とした。律儀に見守っていたクレントは、ようやく口を開く。
「朗報だ。使徒はもう動かんぞ」
「使徒? なんの話だ」
「貴様らで言う傀儡のことだ。使徒を操る権限は、洗脳魔導師本人から天導師の私へと譲渡されている」
「なるほど、ジェーマの野郎もそれで使徒を操れてたわけか」
「敵は国選魔道師。ジェーマさんのように片手間で人形遊びをしていては、俺も殺られかねん」
「両手使っても変わらねーよ。にしてもまったく、洗脳魔法ってのは何でもありだな。都合良すぎだ」
「洗脳魔法は、天が我ら革命の塔に授けた至高の魔法。我らには、それをもって良き世界を創造する義務がある」
「良き世界、ねぇ。分かんねーな。お前らにはどんな理想郷が見えてんのか」
「無理も無い。全てが満たされた国選魔道師には決して見えぬところだ」
クレントはゆっくり歩み始めると、まだフェイバルと距離を保ったところで脚を止める。そこでクレントは、おもむろに挑発してみせた。
「さあ、遺言なら今のうちだが」
「……いつかレーナが言ってたな。そういうの、『ブーメラン乙』っていうんだ」
「訳の分からぬ言葉を。頭でも打ったか」
「んだ、知らねーのかよ」
フェイバルは立ち上がる。そこで彼の眼光は、狩りをする獣のそれに変わった。
「遺言残すのはテメーだって言ってんだ」
天下に轟く国選魔道師・恒帝の見せる、迫真の殺気。同じ魔道を往く者として、クレントは武者震いした。そして男は祈りを呟く。
「革命の塔よ、天を穿ち世を導け」
マディーの通信は、ダイトの指輪へと繋げられた。フィロルの一撃を受け、ギルドの向かい側にある木造小屋へ吹き飛ばされたダイトは、それが致命傷に至らずとも、大きな衝撃でしばしの間気を失っていた。ようやく気を取り戻した彼は、すぐに通信魔法具を口元へ運ぶ。
「……こちら作戦本部。応答願う。状況報告を……」
「た、ただいまギルド・ラブリンにて接敵中です。敵の攻撃で戦線離脱していましたが、只今復帰するところです――! けど……」
そのとき、ダイトの切迫した声から突如として緊張感が抜け去った。思わず漏れた困惑の声が、マディーに届けられる。
「どうした!?」
「せ、戦闘は終了……した……ようです」
扉から現れるのは玲奈。そして彼女へ肩を貸すヴァレンの姿だった。玲奈は肩を貸されていながらも、ダイトを見つけるやいなや、親指を立てて戦果を報告してみせる。正面戦闘ではダイトに劣るであろう二人が、戦況を終局へと導いていたのだった。
唖然とするダイトに、マディーから本題が渡された。
「一難去ったところで申し訳ないが、緊急作戦だ。魔導師諸君らに、革命の塔ラブリン支部への突入を命じる」
騎士詰所を後にした時点において、支部への突入はフェイバルが担ったはずだった。ダイトは嫌な汗が滲むのを感じつつ、深刻な声色で尋ねる。
「……フェイバルさんは、どうなりましたか?」
「彼は現在、戦闘状態にある。敵はコード・瘴気。紫の雲の魔法を行使した者であり、恐らくはラブリン支部の最高実力者だ」
「……あの空の魔法、秘技魔法ですよね? フェイバルさんは、あれを一人で撃墜したんですか?」
「そうだ。彼もまた秘技魔法をもってして、空の雲を相殺した」
ダイトは黙り込む。マディーはそんな彼の感情を汲み取って語った。
「彼が心配だろう。もちろん私だってそうだ。それでも、私は彼本人の言葉を聞き、それを信頼してしまった。恒帝は、死なない」
「……」
マディーの声色は、再び緊張を帯びる。
「彼の弟子であれば、彼を信じてやってくれ。師弟とは、きっとそういうものなのだろう?」
ダイトによぎったのは、いつか玲奈の声。
「きっとフェイバルさんは、敵を推し量って私たちを三人にしたんです! だから今は行きましょう!! 私たちの師匠を信じて――!!」
気づけばダイトは自嘲していた。フェイバルと共に長い時間を過ごしてきはずの自分が、こんなところで師匠を信じ切れずにいた。玲奈でさえ、彼をこれほど信じているというのに。
ダイトは応じる。
「――緊急作戦、了解しました。至急ラブリン支部へ直行します」
「感謝する。すぐに位置情報を送信させてもらおう」
ダイトの視線は指輪から、ゆっくりと歩み寄ってくる二人の魔導師へと向けられた。
「ヴァレンさん、レーナさんを連れて帰還してください。俺も一仕事したら、すぐに戻ります」
No.115 フィロル=バンドリアテ
革命の塔・第一天導師を補佐する男。生まれつきの痣を隠すため、包帯で顔の多くを覆っている。張り付けた笑顔は、隠れな顔でも感情を伝える為に始めた。護謨魔法と、柄の魔法装甲を意図的に剥がした魔法槍で戦闘する。