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七の王国  作者: 毎留
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第二章 六年が過ぎて(1)

 広大な草原に陽が沈もうとしていた。

 風にたなびく草の穂は夕日を浴びて黄金こがね色に輝き、雄大なうねりとなって大地のキャンバスに美しい紋様もんようを描き出していた。何かに驚いたかのように鳥の一群が草原から飛びたつが、その鳴き声は風の音にかき消され、その姿は夕日の残渣ざんさかすんでいく。

 ここは首都カシウスの東方にある小さな村であり、名をカチェという。羊飼いの青年は大きく息を吸い込むと、犬を連れて羊たちを牧舎に誘導する作業に取りかかった。それはこの六年間、彼が欠かさず行ってきた日課でもある。やや黒みがかった金色の髪と、しなやかな全身のバネ。それらが青年の姿を印象付けていた。

 犬と青年によって二方向から追い立てられた羊たちが駆け出す先には、木製の牧舎が見えている。

 青年は右手に持った木刀を打ちこむような仕草をして、威嚇いかくを効かせながら羊たちを誘導していった。一方で群れからはぐれそうになった子羊を見つけると、駆け寄って手を差しのべ、群れのもとへと導いてやる。

 今日も一日の作業が終わろうとしていた。

「おーい、ロハン」

 丘の上から野太い声が聞こえた。声の主は、筋肉質の大柄な身体をこの地方独特のゆったりとした民族衣装で隠した黒髪の青年だ。

「ゼムか。そっちは終わったか?」

 ロハンと呼ばれた青年がこたえた。訳あって偽名を使っているが、本名をラックという。ゼムと呼ばれた青年の本名はジールだ。

「もちろんだ。もう来年の春まで心配いらないぜ」

 ジールはこの日、冬越しに備えて暖炉だんろに使うまき割りにはげんでいた。

「俺のほうももうすぐ終わるから、そうしたら家に帰るよ」

 ラックはジールに向けて軽く手を振る。

 六年前の豊穣祭の夜、二人はともに剣の修行をし、グリンピア王国の国宝ともいうべき剣士カシウスの聖剣を奪還だっかんすることを誓いあった仲である。

 翌日、ジールの兄であるガイルの無事は確認できたが、ラックの父ロイズは帰らぬ人となっていた。

 その後二人は、ガイルが所属するグリンピア王国第三旅団の団長ワットルド・ディークマスの勧めで、彼の故郷であるカチェの村に疎開することになった。

 ラックはレッディード王国の最精鋭部隊・赤いトラの隊長イギス・ダンサンに目をつけられており、どこかに身をひそめる必要があった。首都カシウスで生まれ育ったラックがそのまま自分の生家に留まることは論外であったし、ラックと仲のよいジールの故郷にも赤いトラの偵察部隊がやってくる可能性があった。そこでワットルドは自分の兄が暮らす家に二人を託すことにした。ラックの父ロイズはグリンピア王国の第二旅団に所属していたため、ラックとワットルドの関係がレッディード王国に気づかれる可能性は低かった。

 ワットルドは自分の兄デームス・ディークマスに、二人を第三旅団の入団志願者だと紹介した。そして、とある事情で住む家をなくしたため、入団が許可される十八歳になるまで住みこみで働かせてほしいと頼みこんだ。

 妻と二人暮らしで子供のいなかったデームスは、快くそれを引き受けてくれた。彼はここカチェの村で、羊を飼って生計を立てている。ラックとジールはそれぞれロハンとゼムという偽名を使い、デームスの家の一室を借りて、その仕事を手伝うことになった。

 羊の世話、飼料作り、薪割りや水運びはもちろんのこと、現金収入を得るためふもとの町まで羊毛を運ぶこともあった。ラックが一番苦手だったのは、羊をしめて解体する作業であったが、その日の晩には決まって新鮮なマトン料理がふるまわれた。最初こそ羊の臓物を煮込んだシチューには手を付けられなかったが、いつしか彼の大好物になっていた。

 デームスは二人のために剣の修行をする時間も作ってくれた。ただ彼自身は、王国の精鋭部隊である第三旅団の隊長を務めるワットルドの兄だというのに剣の腕に関してまったくの素人だった。たしかにでっぷりとした腹や温厚そうな顔だちを見ても、巧みに剣を使いこなすイメージはない。そこでラックとジールはいつしか二人だけで奥の山に出向き、修行をするようになった。

 そして六年の歳月がたち、二人は十八歳になっていた。



 土間に作られた囲炉裏いろりで、木片が赤く燃えていた。その上に吊るされた鍋からは羊肉と香草の独特な匂いが漂ってくる。部屋の片隅には農作業用の道具が並べられ、窓から望む景色は闇に飲みこまれようとしていた。

 デームスはイネ科の植物を編んで作った椅子いすに座り、小刀で木片を削って馬の置物を作っていた。これをふもとの町まで持っていけば、わずかばかりの現金収入になるはずだ。妻のイリアは少し離れた渓流けいりゅうまで水を汲みに行っていた。今、この山小屋にはデームスしかいない。

 物静かな屋内に、外から扉を叩く音が響いた。

 誰だろう、とデームスはいぶかしむ。イリアなら静かに扉を開けて入ってくるはずだし、ロハンやゼムなら「ただいま」と「腹減った」を口にしながら、もっと賑やかな帰宅になるはずだ。

 だとすれば客人か。村の衆か。それとも近々挨拶に来るという文を寄こしていた第三旅団の新しい副団長だろうか。団長の兄とはいえ、こんなロートルのところまで挨拶まわりに来るとはご苦労なことだな。

 呑気のんきな想像をしながら扉を開ける。その途端、デームスの顔が引きつった。

 そこには深紅の甲冑をまとった三人の男が立っていた。手前の男が悠然とした仕草でかぶとを脱ぐと、鋭い眼光が現れる。デームスもよく知っている男だった。

「イギス・ダンサン。お前がなぜここに……」

「久しぶりだな、デームス・ディークマス。お前ほどの剣士がこんな片田舎に隠遁いんとんしているとは思ってもみなかったぞ」

「よせよ、昔のことだ。それよりお前はこんな片田舎まで何をしに来たんだ。腹が減っているなら鍋料理くらい馳走してやるぞ」

 デームスは努めて明るく振舞った。だが体は正直なもので、足が小さく震え、背筋を冷たい汗が伝わる。

「俺がここに来た理由なら、お前にも想像がつくはずだ。だが正直なところ、俺もお前の顔を見るまでは半信半疑だったぞ」イギスの目が妖しい光を帯びた。

「答えろ。ラック・ハイモンドはどこにいる?」

 その瞬間、デームスの目が大きく見開かれ、体が硬直する。

「ほう、いい反応だ。やはりここにいたか」

 イギスは満足げにうなずいてから、不意にデームスの足を払い、その体躯を押し倒した。そしてすぐさま腰の短剣を抜き、デームスの左手を貫く。

「ぐわー!」

 デームスは痛みのあまり悶絶もんぜつした。左手から血なまぐさい液体があふれ、地面へと吸いこまれていく。

 だがこんな時でも彼は冷静さを失ってはいなかった。わざと大きな声を上げたのは、一刻も早く妻のイリアにこの事態を伝えるためである。視界の片隅に、足音を消して走り去るイリアの後ろ姿が映った。



 すでに日は沈み、はるか彼方まで連なる黒い大地が月光を帯びていた。暗い草原から虫の音が聞こえてくる。はるか前方には一軒の山小屋があり、そこから小さな光が漏れていた。ラックとジールが身を寄せているデームスの家だ。

 もうそろそろ夕げの用意もできているだろう。

「今日も腹が減ったな」

 ジールが独り言ちる中、遠くからデームスの叫び声が聞こえた。

「おい、今の聞こえたか?」

「ああ、デームスさんの声だ」

 二人は顔を見合わせてから、山小屋に向けて走り出した。そこに前方からイリアが駆けてくる。温厚で優しいその顔が、いつになく引きつっている。

「イリアさん、どうしたの?」

 というラックの問いかけは、低い声でさえぎられた。

「静かに。二人とも今すぐ逃げなさい」

「え、何の話だよ。デームスさんの叫び声が聞こえたんだ。助けにいかないと」

「いいから私の話を聞きなさい。手短に言うわ。私たち夫婦はあなたたちの正体を知っているの。あなたたちの本当の名前はラックとジール。そしてラックは豊穣祭の夜にフレイム・ドラゴンを放ったせいで危険人物とみなされ、赤いトラのイギス・ダンサンに命を狙われているのよね。そのイギスがあの家に突然やってきたの」

 二人は突然の告知に戸惑ったが、すぐに今の状況を理解した。

「それならデームスさんが危ない」

 山小屋に向けて走り出そうとするラックの腕を、イリアがつかんだ。

「待ちなさい。私たちが国王陛下からたまわった極秘任務は、二人の正体を隠してこの村で育てること。そして子供がいない私たちにとって、あなたたちが息子のように思えることもあったの。だからいつかこんな日が来たら、あなたたちだけでも逃がすと決めていたのよ。さあ、早く逃げなさい」

「そんなこと言われても……」

 イリアの言葉に逆らうつもりはなかったが、自分たちだけ逃げる訳にもいかない。ためらうラックにジールが問いかけた。

「俺はこの王国の剣士だ。ロハン、じゃなくてラック。お前はこの王国の剣士か?」

「あ、当たり前だろ」

「だったら早く行こうぜ」

 ジールが歯を見せて笑った。ラックもその意味をようやく理解する。

「イリアさん、ごめん。ここでデームスさんを見捨てたら、俺たちはこの国の剣士である誇りを失ってしまうんだ」

「ちょっと待ちなさい」

 あわてて制止しようとするイリアを振り切って、二人は山小屋へと走り出した。

 イリアの優しさを思うと胸が痛んだ。でもそれ以上に気持ちが高ぶっていた。そして何よりも怖かった。



「さあ、早く奴の居場所を言え」

 イギスの鉄拳がデームスの腹にめりこんだ。デームスは声にならない声を出して、床へと崩れ落ちる。だが決してラックたちの居場所を話そうとはしない。

「かつてこの王国屈指の剣豪だっただけのことはある。なかなか強情だな」

 イギスが右足でデームスのあごを蹴り上げると、唾液と血液の入り混じった赤い液体があたりに飛び散った。

 先ほどデームスの妻がどこかに走り去ったことは気配で察していた。ならばそろそろ奴らが現れてもおかしくない頃合いだ。

 早くしろ。俺は待ち疲れたんだ。尻尾を巻いて逃げ出すような、つまらん真似はするなよ。

 イギスは高ぶった気をしずめるため、囲炉裏の上にあった鍋を蹴飛ばした。甲高い音がしてシチューが飛び散る。

「おい、お前ら何をしているんだ」

 背後から聞こえてきた青年の声に、イギスが冷たい笑みを浮かべた。

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