第二章 六年が過ぎて(2)
ラックとジールが納屋にあった剣を手に駆けつけた時、小屋の中には赤い血とシチューが飛び散り、農具と割れた食器が散乱していた。血と埃にまみれ、地べたに這いつくばるデームスが二人の姿を見て声を絞りだす。
「バカ野郎、なぜ逃げなかった?」
「そんなことできるわけないだろ。デームスさんは俺たちの恩人で、俺たちはこの王国の剣士なんだ」
ラックが吠えた。そのまま中に押し入ろうとするのを、赤い甲冑を着た二人の兵士たちに止められる。
「ラック・ハイモンドか。六年ぶりだな。お前がこの男を見捨てて逃げ出すような下郎じゃなくて安心したぞ」
悠然と振り返るイギスと視線がからみあう。その暗い炎のような闘気に呑まれ、ラックの足が小刻みに震えた。
「あ、当たり前だろ」
かろうじて強がってみせたが、それ以上の言葉が続かない。肺に酸素が入ってこないのに、何かを言おうとして気ばかりが急いてしまう。
「そう怖がることはない。俺の気が向けば、今日のところは半殺しで済ませてやろう」
一方のイギスには余裕があった。だがそんな状況でもあたりの空気は極限まで張りつめており、油断は感じ取れない。
「せっかくの再開を祝うのに、ここではいささか狭すぎるな。場所を変えるぞ。ついてこい」
イギスは二人の兵士を従え、月夜の草むらへと歩いていった。ラックとジールもそれについていく。五感が研ぎ澄まされているせいか、虫の音がいつもより近く感じられた。
「このあたりでいいだろう」
山小屋から少し離れたところでイギスが振り返った。二人の兵士は後ろに引き、片膝を立てて腰を下ろす。それは一対一の決闘に余計な助太刀はしないという合図だった。もちろん決闘をするのはラックとイギスである。ジールも二人の兵士にならい、片膝を立てて腰を下ろした。
イギスが剣を抜くと、月の明かりを反射して一瞬だけ光を帯びた。ラックも自らの剣を抜き、イギスと対峙する。
正直なところ、こうやって向かい合っているだけでも辛かった。六年前の恐怖がよみがえり、イギスの闘気が地中からラックの足をつかんでくるような錯覚におちいる。だが、ここまで来たら逃げる訳にはいかない。やらなければ、やられる。その極めてシンプルなルールを思い出して、ラックは雑念を捨てた。こめかみを伝わる冷たい汗が気にならなくなった。
二人の間を風が吹き抜け、草の葉を宙へと巻き上げる。
「どれ、腕前を見てやろう」
イギスが疾風のごとく間合いを詰めてきた。
ガン、ガン、ガン、ガキン!
一太刀ごとにその衝撃がラックの両腕に伝わる。重い鉛のような斬撃に、体力が、気力が削られていく。一方的な防戦を強いられ、たまに隙を見て攻撃を仕掛けても、すべてが浅いところでいなされた。力の差は歴然だった。
「くっ」
ラックはたまらず後ろに引き下がり、間合いを取った。
「剣の腕はかなりのものだな、ほめてやるぞ。そうでなくては待った甲斐がない。だが……」
イギスは利き足である右足を一歩後ろに引き、右手で剣を構え、左手を前方に大きく伸ばした。それはラックの父ロイズを倒した、あの竜巻の技を放った構えである。
「俺が本当に知りたいのは、お前がデルタイを使いこなせるようになったのかどうかだ」
イギスが再び臨戦態勢に入るが、ラックは肩で息をしたまま動こうとしない。イギスの舌打ちが聞こえた。
「失望したぞ、ラック・ハイモ……」
その言葉が草原の中にかき消えた。
ラックが利き足である右足を一歩後ろに引き、右手で剣を構え、左手を前方に大きく伸ばしたのである。それはイギスとまったく同じ構えだった。
対峙する二人の間につかの間の静寂が訪れる。
試合を見守るジールの脳裏を、これまでの思い出が次々に現れては消えていった。
幾度となく足を運んだ山奥の修行場。
二人で剣を打ちあう辛く楽しい日々。
喉の渇きを潤すのにぴったりな渓流。
夏の日差しを遮ってくれる高い樹木。
近くには岩がむき出しになった山肌があり、その一部は黒くこげ、深く、大きくえぐれていた。
――そう、その光景こそが二人の修行の証だった。
「ラック、ぶちかませー」ジールは無意識に叫んでいた。
「トルネード・ロール!」
「フレイム・ドラゴン!」
二人の声が同時に響き、竜巻と炎のドラゴンが激しくぶつかり合う。
激しい熱風が生まれ、その余波でラックの体は後方へと吹き飛ばされた。一方のイギスは、何事もなかったかのように涼しげな顔でその場に立っている。
「うう、さすがだな」
ラックはうめき声を発しながらも立ち上がろうとした。だが足の力が抜けて、倒れこんでしまう。ひとしきり地面でもがいてから目を開けると、そこにはイギスの剣先があった。
「これで勝負あったな」
イギスが宣告した。その冷たい表情からは何も読み取ることはできない。
「俺を殺すのか?」
「楽しかったぞ。今日のところは半殺しで済ませてやる」
イギスの蹴りがラックの腹部に襲いかかった。肝臓をやられて呼吸が止まり、ラックはその場でのたうち回る。
「だが今日、俺がここに来たことは決して他言するなよ。赤いトラ隊長イギス・ダンサンが獲物を仕留めそこなったという不名誉な噂が立てば、俺は自分の名を守るためにすぐさまお前たち全員を殺しに来るだろう」
それは勝者から敗者への絶対的な命令だった。ラックは悔しそうにイギスを見上げながらも、うなずくしかない。
「用は済んだ。行くぞ」
イギスは剣をしまい、二人の兵士を連れて闇の中へと姿を消した。その一部始終を見届けてから、ジールがラックに駆け寄る。
「おい、大丈夫か」
「なんとかな、それよりデームスさんだ」
ラックが山小屋に目を向けると、足を引きずりながら歩いてくるデームスとそれに付き添うイリアの姿が見えた。
「この程度なら死ぬようなケガじゃない。それよりお前の戦いぶり、とくと見せてもらったぞ。成長したな」
デームスの言葉に、へへ、とラックが照れ笑いした。
「ジールもよくぞあの決闘の場で最後までこらえた。本当はラックに加勢したくてウズウズしていたんだろ?」
まあね、とジールが鼻の頭をかいた。
「お前たち二人のデルタイを合わせれば、イギスとも良い勝負ができたかもしれないな」
え? と二人の体が硬直した。
「デームスさん、もしかして俺のデルタイのことも知っていたの?」
ジールの目が泳いでいる。
「もちろんさ。デルタイが覚醒するまでラックに二年遅れはとったけど、それ以来ジールの表情にも自信が感じられるようになったからな」
デームスは切れた口の中が痛いのか、顔をゆがませながら笑顔を作った。
「なんだ、早く行ってくれよ。俺たち、デームスさんたちに隠し事をしているつもりで申し訳なく思っていたんだぜ」
「そうか、それは……」と言いかけたデームスが、誰かが近づいてくる気配に気づいてそちらに振り向いた。
草むらに溶けこみそうな若草色の甲冑を着た大柄な男が歩いてくる。グリンピア王国の兵士だ。
「そういえば、新しい副団長が今日ここにやってくることになっていたな。お前さんがそうか?」
デームスが甲冑の男に話しかけた。男は兜を脱ぐと、左ひざをついてデームスに名乗る。
「はい、ワットルド団長にはいつも大変お世話になっております。このたび栄えあるグリンピア王国第三旅団の副団長に就任しましたガイル・シモリスです」
それはジールの兄、ガイルだった。ガイルは頭を下げてから、ゆっくりと視線をあげる。そこには血まみれで傷だらけのデームスが、イリアに支えられて辛うじて立っていた。
「デ、デームスさん、なぜそんなお怪我を?」
ガイルは慌ててあたりを見回し、すぐに傷ついたラックとそれをかばうジールの姿を見つけた。
「お前たち、これまでお世話になった恩人にこんな怪我を負わせるとは何事だ!」
ガイルの怒声が飛ぶ。今にも剣を抜いて切りかかってきそうな勢いだ。
「いや、俺たちじゃないよ」
「嘘をつけ、お前たち以外に誰がいるんだ」
いや、それはイギスが……という言葉をラックは呑みこんだ。他言はできない。イギスの名を汚し、自分たちが殺されるとしたら、そこには一人の勝者も生まれないからだ。
「実は突然野盗に襲われて、不覚を取ってしまってな。二人が助けに来てくれなければ危ないところだった」
デームスが助け船を出してくれた。
「そうだったのですか。私はてっきりこの二人が悪さをしたのかと」
「そんなわけないだろ。ていうか第三旅団の新しい副団長って兄さんだったのかよ」
ジールが今さらながら驚いた声を出した。
「まあな。だからワットルド団長の兄上で、かつては武勇をはせたデームスさんに挨拶に来たんだ」
「デームスさんが武勇をはせたって本当?」
今度はラックが驚きの声を上げる。
「なんだ、お前たち、そんなことも知らなかったのか。デームスさんは第三旅団の前隊長で、この王国の剣士の中でもロイズさんと並び称されていた方だぞ。でも家の事情でこの村に戻らないといけなくなり……」とそこで、デームスがガイルの言葉を遮った。
「昔の傷をつつくのはそのくらいで勘弁してくれ。俺はここでの生活をとても気に入っているんだ」
その瞳にはどこか達観したような穏やかさがあった。
「あ、いや、これは失礼しました」
大きな体をすくませるガイルに、ジールが口を滑らせる。
「もしかしたらガイル兄さんが今日ここに来たから、俺たちの居場所が奴らにバレたんじゃないか?」
「奴らって誰だ」ガイルの眼光が再び鋭くなった。
「あ、いや、何でもないから」と取りつくろうラックがわざとらしい。
結局この晩はガイルとの久しぶりの再会を祝い、その疑念をはぐらかすだけで過ぎていった。




