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「……兄さん……」

 ヴァーイスの中枢、王国城のテラスにて。一人の女性が空を睨んでいた。きりりとした顔立ちに、170cm近くある身長。身に纏っているのはヴァーイス軍の隊服。裾の長いデザインは高位の軍人である証だ。ぱっと見は細身な男にも見える、力強さと美しさを兼ね備えた中性的な美人だった。

 彼女こそ、ヴァーイスの未来の女王にして勇者、ネルケ=ブルレムその人である。

 冬の夜は、外にいるには少し、肌寒い。ネルケがぼんやりと空を見つめていると、いつの間にか、一人の男が傍らに来ていた。

「ネルケ様、早く部屋へお戻りください。風邪を引いてしまわれますよ」

 部下らしき、いかにも軍人風の男に言われ、慌ててネルケは振り向いた。

「……む、すまない。考えごとをしていてね」

「それは……まさか、ヴィンデ様のことですか」

 控えめに問うた男に、彼女は頷く。

「ああそうだ。今頃何をしているのか、酷い目にあってはいないかと……つい心配で」

「あの方はそんなやわな人間ではないでしょう、何をされても平気だと思いますが」

 冷たく言った声には、どこか軽蔑するような音が含まれていた。王女は静かに男を見遣って笑う。

「……確かに兄さんは強い。だがしかし、相手が魔王ともなると……な」

「ネルケ様がお気になさらなくても大丈夫でしょう。さあ、早く部屋に戻りましょう」

「ああ……」

 よほどこの話題を終わらせたかったのか、彼はやや強引に言った。

 ネルケは頷き、歩み出しながら――優しい声音で彼に問う。

「……君は、兄さんが嫌いなのかね?」

 ハッと立ち止まり、振り返った男。

「いっ、いえ!そんな、王家の方にそのようなことは……」

「構わない、正直に申せ。私に遠慮は無用だぞ」

 王女はまるで聖母のように、穏やかな笑みを浮かべていた。

「……貴女様には全て、お見通しなのですね。ええ……、正直な所、自分はあの方を快く思っておりません」

 ぽつり、ぽつりと、部下は語りだす。まるで神に懺悔をするかのように。

「貴女が兄上様をとても思っていらっしゃるのは、よくわかっております。それでも自分は……」

「大丈夫……、私は君の気持ちが聞きたいんだ。だからどうか、正直に言ってくれないか?」

「ああ……すみません、ネルケ様。自分にはどうしても、あの方が我々とは違う、まるで別世界の生き物のように思えてしまうのです。恐ろしいのです、あの方が」

 ネルケの白く美しい手が、小さく震える彼を撫でた。

「何を、君は恐れている?」

「……戦場での彼を御覧になればわかります! あの方は、情けを請う敵を容赦なく切り付け……その屍を平気で踏み、あまつさえ戦死した味方さえもをゴミのように扱って……! まるで、人の心がない鬼のようでした!」

 言いながら記憶が蘇ってきたのか。男の怯えは、どんどん強くなっていく。

「少なくとも自分が見た時のあの方は、異常でした……、魔物のような禍々しい気を纏っていました」

 ネルケは、実兄へ向けた誹謗ともとれる台詞を、黙って静かに聞いている。

「無礼を承知で申し上げますが……自分には、あの方が死に神のように思えて仕方ありません! いつか我が国を滅ぼすような、闇を持っている気がして、ならないのです……」

「……そうか……。よく、話してくれたな」

 ぽん、と、軽く頭に置かれた手。王女は寂しげな笑みを浮かべて言った。

「君と同じようなことを、沢山の人が言っていたよ」

 はたして何を言われるのか。男は、一瞬硬直した。

「兄さんは異常だ、危険だ、闇のものに憑かれている……もしかしたらそれは真実かもしれない。戦っている時の兄さんは、まるで違う人のようで……私でも恐ろしく感じる時があるほどだから」

「……ネルケ様も、ですか?」

「ああ。……だが、それでも私は、兄さんが害悪だとは思わない」

 彼女がどんな話をしようとしているのか、全く想像がつかない。ただ、男を叱るだとか非難するだとか、そういった様子は一切見受けられなかった。むしろ優しく諭すような調子だ。

「……だって、そうだろう? もし兄さんが根っからの邪悪だったとしたら、私の身代わりになってくれるわけがない。あんなに優しい人が、悪であるはずがない」

「…………」

「兄さんだけじゃない……人は皆、どんな罪人でも、どこかに優しい心があると私は思う。だって赤子のうちは皆、純粋に、無邪気に笑っているじゃないか。誰にでも生れつきの善い心はあるものだ。周りが愛の手を差し延べてやれば、彼らは悪になることはなかったはずなのだ」

 王女は男の目を見つめ、きっぱりと言い切った。

「……だから兄さんにも、何か理由があるのかもしれないぞ。あんな戦い方しかできない理由が」

「ネルケ様……」

「自分と違うモノを拒絶するのは簡単だ。だが……もしかしたら、異端と寄り添うことでわかるなにかがあるかもしれない。……そういう考え方があることを、知っていてくれたら、嬉しい」

 照れ臭そうに笑う顔は、どこかまだあどけない。先程までの大人びた様子が嘘のようだ。

「……なんて、自分の意見ばかり語りすぎたな。すまない」

「い、いえ! そんな……ありがたきお言葉ですっ、自分は……少し、浅はかだったかもしれません」

 不思議だ。男は奇妙なほど安堵していた。元からこの姫君は、年齢以上に大人びているところがあったが――数ヶ月前に勇者として覚醒してからというもの、身に纏う気にも風格が滲み出ていた。

 彼女が自分よりもずっと若い娘なのだと忘れてしまうほど、ネルケの言葉は強い説得力と安心感を持っている。そのオーラは、天使や聖人を彷彿とさせた。

「自分と違うモノ、自分より強いモノを恐れるのは当たり前のことだろう? 恥じることはない」

「ネルケ様……っ、」

 優しい笑顔。彼女に着いて行けば間違いないと思わせる表情だ。男が頷いたのを見て、ネルケは表情を引き締めた。

「……行こうか。今夜は風が冷たい。体調を崩しては大変だ」

「は、はい!」

「あと数日で、対魔王用の装備が完成する……。必ずや魔王を倒し、我が国の平和を取り戻さねばな」

 空を睨み、ネルケが言った――その時だった。

「――姫様! 占術師様が、お呼びです!」

 屋内から、一人のメイドが駆けてきた。

「なんでも、とうとうお告げが出たとか……。至急いらしてください、とのことです」

「おばば様が?」

 ネルケの顔に、驚愕と僅かな怯えが映る。

「……わかった、すぐに行く」

 ただ事ではない様子を感じとった部下を、安心させるように笑い、王女は言った。

「すまない。せっかく呼びにきてくれたのに……、少し野暮用ができた。先に訓練所に戻っていてくれ」





 ヴァーイス王家に先祖代々仕える、占術師と呼ばれる者がいる。高位の占い師、つまりは予言を行う者たちだ。現在の占術師はだいぶ高齢の女だが、その予言の実力は、歴代最高ではないかとさえ言われている。

 兄の身を案じたネルケは、彼女に予言を頼んでいたのだ。

「……おばば様。急に呼び出したということは……もしや、悪い未来が見えたのですか!?」

「落ち着きなされ、姫様……。ヴィンデ様の命に陰りは見えませぬ」

 老女の言葉に、ほっとため息をつく。しかし占術師の顔は険しいままだ。

 恐る恐る、ネルケは尋ねる。

「……では、まさか、命以外のなにかが危険にさらされているのですか?」

「ううむ……、そうですな、とてもお伝えしがたい話じゃが」

 彼女の声は、僅かに震えていた。

「あの方の未来は闇に染まっております……。放っておけば、やがて我が国を滅ぼす……そんな光景が見えたのじゃ……」

「そんな!?」

 思わず、ネルケは悲鳴を上げていた。

「何故……何故だ! 今までそんなことはなかったのでしょう!?」

「ああ……恐ろしや、魔王の所業じゃ! 魔王と出会ったことで、ヴィンデ様の運命が狂い出したのじゃ……!」

「魔王が……!?」

 王女の声は怒りと、憤りと、兄を思う気持ちで溢れていた。

「奴の禍禍しい力に、兄さんが囚われていると……そう言いたいのですか!?」

「ええ……恐らくは……、」

 ネルケはキッと唇を噛み締め――気持ちを押し殺した声で言う。

「……どうすれば、兄さんを救えるのです……?」

「もう運命の歯車は動き出しております……今更、ヴィンデ様から闇を消すことはできますまい……」

 途端、弾かれたようにネルケは叫んでいた。

「わからないだろう! 諦めて見捨てるのは簡単だ。だがそれでは誰ひとりとして救えない! まだ間に合うかも知れないだろう!?」

 しぃんと静まる室内。はっと我に返り、ネルケは老女に頭を下げる。

「っ……、すみません、取り乱して」

「……いいえ。焦るお気持ちはよぉくわかりますえ……」

 慈しみ深い瞳で、老女は見つめている。

「……伝承によれば、勇者の光だけが魔王の悪しき力を消し去れる、とか……。望みがないわけではありますまい……」

「……例え、僅かな望みでも。私は行きます。必ず兄さんを救ってみせます」

 凛と言い放った姿。彼女なら大丈夫ではないかと思わせるオーラに、老女は静かに頭を垂れた。

「ああ……どうか、お気をつけくださいませ……」

 自分の悲しい予言を、この美しき勇者が覆してくれるのではないかと。らしくもなく、占術師は期待していた。


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