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最愛なる魔王様  作者: 嶋 紀之


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12/22

Act.5

 気がついた時には朝だった。どうやら、考え込むうちに寝てしまったらしい。

「はあ……。僕は、どうしたら……」

 結局、未だ結論は出ないでいる。

 告げないでいるのは魔王への裏切りだ。だが、言ってしまえばネルケへの裏切りになる。迷っている余裕はない。こうして考えている間にも、彼女は準備を整えているのだから。早く、決断をしてしまわねば――そう思った矢先。

 至極丁寧に、慎重に、扉がノックされる音。慌てて開ければ、そこには、朝食を片手にした魔王がいて。

 反射的にドアを閉めていた。

「なっ!? い、いきなり閉めずとも良いだろう……?」

「っ……来ないでくれ!」

 ドアを背で抑え、震える唇を噛み締める。

「これ以上僕を惑わすな!!」

「……ヴィンデ……?」

 扉越しに聞こえる困惑の声に、ほだされてしまいそうになる。

「どうか、したのか。……昨日のことか?」

「っ……」

 言えない。答えられない。口を開けば、全て喋ってしまいそうだ。ネルケを裏切ってしまいそうだ。

 僕も、魔王も、しばらくの間黙っていた。

「……すまない」

 先に口を開いたのは魔王。

「いきなりあんな告白めいたことをして……不快にさせたな」

「違うっ!!」

 辛そうな声に、思わず、叫んでいた。

「違う……違うんだ。僕は。……嬉しかった。貴様の言葉は本当に、嬉しかったんだ……」

「ヴィンデ……?」

「……だが……僕は、貴様に応えることが、できない……」

 ああ駄目だ、これ以上は。待て。考えろ。落ち着くんだ。決断を間違えれば、後悔どころではすまないのだから。

「……なにか、悩んでいるのだな? 私では力になれないか……?」

「頼む……、もう、放っておいてくれ……」

「…………そうか」

 その優しい声が今は辛い。無条件に縋り付きたくなる。奴の側につくということは、国を、ネルケを裏切ることだというのに。

「わかった……。食事は、外に置いておくぞ」

「すまない……」

 本当は行ってほしくない。このまま側にいてくれたら、僕はあっさり国を裏切れるだろう。それはそれで楽になれる気がした。

 けれど、どこまでも優しいアイツは、僕の言葉を優先してくれたのだ。

 足音が消えたのを確認してから、そっと扉を開け、食事をとった。





 チクタクと響く時計の音。焦る気持ちばかりが先走り、どうにも思考は纏まらない。考えるも何もない話なのだ――魔王を選ぶか、ネルケと国を選ぶか。二つに一つ。選ぶだけのこと。たったそれだけだとわかっているのに、脳の奥まで麻痺してしまったように、頭が働かない。

 ああ、考えたくないのだな、と、どこか人事のように感じていた。

 だがそれでは駄目なのだ。僕には時間がない。決断しないということ自体が、結果、ネルケを選ぶことに繋がる。魔王を裏切ることになる。あの男の信頼を、期待を、愛情を――裏切るだなんて。僕にはできない。やりたくない。

 ……だが、はたしてネルケを裏切っていいのか? 国を捨ててしまって、本当にいいのか? そんなことが、許されるのだろうか。

 思考は延々と堂々巡りだ。結論は出ない。決断しなければならないのに。小さく唇を噛み締めた瞬間。

「……王子くーん? 入るわよ」

「なっ――!?」

 ノックも無しに開け放たれた扉。魔王の側近が、食事のトレイ片手にずかずかと上がり込んできた。

「き、貴様っ……、いきなり何の用だ!?」

「見てわかるでしょ? お昼ごはんの配達と、朝ごはんの食器回収よ。……はい、コレ食べてね」

 差し出されたのは、作り立て感漂うサンドイッチとスープに、ほんのりと果実の香りがする紅茶。ここでの昼食にしては豪華だった。

「……今日は、珍しくまともな食事なのだな」

 思わず感想を漏らせば、呆れたように返ってきたため息。

「だって、作ってるのあたしじゃあなくて魔王様ですもの。あいつったら、あんたがふさぎ込んでるみたいだからって、仕事ほっぽりだして作ったのよ! これを!」

 ――は? 今、コイツはなんと言った?作ったって……食事を?魔王自らが?

「…………あいつが、これ、全部をか?」

「もちろん。あんたも晩御飯で知ってるでしょう、魔王様の料理の腕は」

「な……、あ、あの夕食……、魔王が作っていたのか!?」

 あの暖かい家庭の味を、奴が!? 反射的に、エプロン姿でキッチンに立つ奴を想像してしまった。……意外に似合うかもしれないな。少し、見てみたい気もするが……って、そうじゃないだろう! 落ち着け僕!!

「……あら、知らなかったの?」

「ああ……初耳、だ……」

 思ってもみなかった事実に、驚愕というか、困惑というか――とにかく僕が混乱しているのだけはたしかだろう。

 仕切り直しのように咳ばらいし、側近は続ける。

「――とにかく! あたしとしては困るのよ、あんたが弱ってると。とりあえず空元気でいいから、魔王様に会ってくれないかしら?」

 鋭い視線が突き刺さる。……しかし何故、僕がこの女に指図されねばならないのだ。

「それは頼みか? 強制か?」

 厭味混じりに問い返しても、側近は一切動じなかった。

「拒否権なしの命令よ」

「……だとしても、断るぞ」

 これ以上の会話は無意味だな。そう思って、奴に背を向け、空いた皿を無言で差し出した。今魔王に会うわけにはいかない。会ったら決断するよりも前に、奴に全てを話してしまうから。


 ――しばらく、僕達は無言でじっとしていた。女には退くつもりは一切ないらしい。さっさと去ってくれれば良いものを……。

 しかし、奴は去るどころか、むしろこちらに近付いて来て言った。

「……なに、なんかあったわけ? 確かに顔色悪いわねぇ……思い悩んじゃってるカオ。魔王様に言えないようなことなの?」

「貴様には……関係ないだろう」

「あるわよ、あんたに元気がないと魔王様が仕事してくれないの!」

 怒鳴ったかと思えば、僕の目の前に回り込んで。ベッドの縁に腰掛けた。

「……あたしで良ければ、話くらいなら聞くけれど?」

「ふん……どうせ、魔王に伝えるのだろう」

「内容によるわ。伝えない方が良さそうなら、言わない」

 事務的な声で即答した女は、再び、僕を睨みだした。

「……貴様に話す筋合いはないだろう」

「話してくれるまでは退かないわよ?」

「邪魔だ、目障りだ。放っておけ! 一人にさせろ!!」

「悪いけどあたし、あんたに従う筋合いはないのよねぇ」

 ……強情な女め。どうしても退かないつもりなのか。

 適当にあしらってしまおうかとも思ったが、下手に相手をすれば、こちらの隙を突かれて全て吐かされるのではないかというような気迫が奴にはあった。さて、どうしたものか……。

 思案していると、女はぼそりと呟いた。

「……あんたがあたしが信用してないのはわかってるわ。あたしも、あんたを信用してないし」

「ならば話は早い。貴様に話すことなど……」

「でもね、あんたもあたしも同じはずよ」

 そう言って、彼女は僕をまっすぐに見る。

「魔王様の幸せ。あんたもあたしも、それを望んでいることは変わらない。……でしょう?」

「……だから、なんだと言うのだ」

「あたしはあの方に笑っていて欲しいだけよ。その為なら、あんたのこと信じてやっても構わないわ。人間の男なんて信用する気にはなれないけれど」

「…………」

「だから……おとなしく白状なさいな」

 奴の目は真剣だった。本気で、魔王のことしか考えていない顔だった。それもひどく優しい、まるで肉親が子に向けるような、そんな色を僅かに携えた瞳だ。

 言ってしまってもいいかもしれない、と、一瞬血迷った考えが頭をよぎる。無論全てを言う気はないが、多少ならば……一部ならば。話すことでなにが変わる訳でもないのだが。魔王のことを案ずる気持ちは、僕も、彼女も同じなのではないかという気がして――。

「……僕は、どうやら、魔王に恋愛的好意を抱いている、ようなのだが」

 どう始めたら良いものか、散々悩み、ようやっと口にしたのはそんな出だし。

「しかし、僕は……その、生贄になる覚悟で国を出てきたわけで。停戦中とは言え、我が国と貴国は戦争中な訳だしな……。それが、魔王と結ばれてしまっては、国への裏切りになるのではないかと」

「……ええ」

「顔を合わせたら、奴に、好きだと言ってしまいそうで――だから、直接会いたくないのだ」

 多少の嘘を織り交ぜながらも、語りだすと口が勝手に動いていた。言葉にしただけ、感情には生々しい実感が伴って。どうしようもなく焦っている自分に気付く。

「好き……なのだ、きっと。初めてなんだ、こんなにも誰かに焦がれたのは。こんなにも誰かに思われたのも。どうすればいいやもわからない――わからない、のだ」

「…………」

「だって、奴は魔物で。男で。僕も男で。おかしいだろうこんなの?」

「……あんたの国じゃあおかしなことでも、此処なら、シュバルツェンならそう珍しい話じゃ」

「僕はヴァーイスの人間だ……残念ながら」

 残念、ながら? 自分で言っておいて困惑する。何が残念だと言うのだ。ヴァーイスに生まれたのは僕の運命。誇らねばならないこと、なのに。

 ああ、でも、そうか。そうなのだろうか。もしも僕が魔物に生まれていたら、こんな苦悩は要らなかったのだろうか。

「……僕は、祖国を裏切れない……裏切っては、ならない」

 ネルケが、あいつが僕を信じて待っているから。あいつを裏切る訳にはいかない。国でたった一人の、僕の、味方だから。

「魔王を愛するのは国への裏切りだ……、だがしかし、奴への思いは今更消せるようなモノではない……」

 決断せねば。選ばなくては。国か魔王か、ネルケか、魔王か。いずれか一つを。どちらも失わない手段など無いのだ。悔しいことに。

「……こんな状態じゃあ奴に会えない。会いたくない。誰にも関わりたくない気分だ。……さあ、わかったら帰れ」

「…………王子クン、は、」

 側近は、やや迷った末に――だが、しっかりとこちらを見て。

「魔王様を、愛しているのね?」

「……あい、」

 ああきっとそうなのだろう。非常に不本意ながら、恐らくは。この胸を締め付ける息苦しさに名をつけるならば、愛、ということになるのだろう。

「そういうことになる……の、だろうな」

「……そう。それじゃあ、あんたは自分の国を……愛しているの?」

「え?」

 思いもよらない質問だった。

「あんた、国が大切なんでしょう。妹の為に生贄になる覚悟だったんでしょう?」

「あ、当たり前だ……」

「ねえ、どうしてそんなに気張ってるのよ。人間は皆あんたを嫌ってるじゃない……『死の王子』クン」

「っ!!」

 忌まわしき名前を、僕の呪われた本性を。いきなり突き出されて思考が固まる。

「ねえ、それでも本当に国が好きなの? 魔王様への気持ちと、比べるくらい大事なもの? ……ひょっとして、『国民は国を愛する義務がある』なんて話、真に受けてたりするだけじゃあないのかしら」

「きっ……貴様になにがわかる!!?」

 叫んだ声は裏返っていた。

「人間がいかに愚かなのか、なら、よぉく知ってるわよ。あいつらは皆そう。『国を愛せよ、王に全てを捧げよ』って……馬鹿みたい。くっだらない」

「黙れ……」

「ここはあんたの国じゃないのよ? もう少し、自分に素直になるべきだわ」

「黙れ黙れ黙れ!! 僕はただ……っ、ネルケが、妹が。唯一僕を嫌わずにいてくれたから。彼女が望むなら、僕は……」

「今のあんたには魔王様がいるわ」

 鋭い声に、はっとした。

「……あんた、嘘つきの目をしてる……。妹の為、国の為、って言うなら、なんでそんなに死にそうな顔してるのよ」

 ……そういえば、魔王にも似たようなコトを言われた。僕が祖国の話をする度に、怯えたような目をしていると。『そう言わされている』ようだ、と。そんなはずは、ない、のに。

「王子クンさあ……、あんた、本当に妹が好きなの? 自分より才能あって、上官で、皆に慕われてる妹が……憎くないの?」

「そ……っ、そんな、訳が……!!」

 違う。違うんだ、そんなはずは。僕はただ、ただ純粋に、ネルケの為に。彼女の為に。それだけが僕の存在意義だから。嫉妬だなんて、憎いだなんて。そんなことは。

「妹さえいなければ、あんたが英雄になれたかもしれないのに。彼女が完璧すぎるせいで、あんたは死に神呼ばわり。国の為にって必死になっても、人間は、誰も味方をしてくれない。……でしょ?」

「や、めろ……っ、違う、僕は、僕は……!!」

「馬鹿な奴らなのよ、人間って。必死こいて守ってやる価値もないわ。捨てちゃいなさいよ、あんな国。あんたには魔王様がいるわ。なにを怖がる必要があるの」

「黙れ……頼むから、黙れ……」

「……だって、今のあんた、まるで……」

「煩い!!!!」

 耐え切れず、僕は叫んでいた。

「……頼む、から…………。今日の所は、出ていってくれ……」

「……ごめんなさい、少し……熱くなりすぎて。あたし、」

「わかっている……。魔王の為、だろう……?」

「……やめてよ、その辛気臭いカオ。ハニィを泣かした、って、魔王様に怒られちゃう」

「すまない……」

 冗談のつもりだったのだろうが、笑ってやれる余裕は僕にはなかった。

「もう……ホント、らしくないわねえ。調子狂っちゃう。あんたは生意気なくらいがちょうどいいわよ」

「…………」

「……魔王様には、しばらくは会える状態じゃないって伝えてあげる。悩みたいなら、自分一人でじっくり考えたら?」

 ほんの少し優しい調子で言うと、側近は空の食器を回収し、僕に背を向ける。

 そして去り際、ふいに思い出したように振り返り。

「……あんたの気持ちがどうであれ、もう、祖国には帰れないのよ。また戦争にならない限りはね。……そこんとこ、ちょっと冷静になってみなさいな」

 そう、微笑んで立ち去った。

「……また戦争に、か」

 僕がどちらを選ぶにせよ、もうじきネルケが、勇者が攻めてくるのに。何も知らないのだ。魔王も、側近も。

「このまま……、このまま、では、魔王は」

 何も知らずに奴が傷つく。僕ではなく、ネルケの手で。あの美しい血を散らす?

 想像しただけで虫酸が走る。あの恍惚を奪われるのか。あの紅を奪われるのか。また、ネルケは僕から奪っていくのか。

 ――また? いや違う、そんな。思っていない、奪われただなんて。彼女は持っていて、僕は、最初から持っていない。ネルケが光なら僕は影だ。闇だ。ヴァーイスの輝かしい歴史の影なのだ。それは自ら選んだ運命、だろう……?

『妹さえいなければ、あんたが英雄になれたかもしれないのに』

 違う、そんなことはない、ネルケは選ばれた存在で。僕は薄汚れた殺人者で。だからそれは、仕方のないことで。

『自分より才能あって、上官で、皆に慕われてる妹が……憎くないの』

 憎んでなんかいない、憎んではいけない。彼女は僕の唯一の味方。ネルケを裏切れば、僕は孤独だ。彼女の為に働かなければ、僕は、ただの殺人者になってしまうから。

 ……本当に? 本当に、そう、なのか?

 今の僕には魔王がいる。奴を選ぶなら、国なんて、妹なんて。どうだっていい。もう我慢をする必要もない。……違うか?

 いや、違う、我慢なんてしていない……僕は本心から、ネルケが、大切で……。

『あんた、嘘つきの目ぇしてる』

『おまえはヴァーイスの話をするとき、決まって、何かに追い立てられたような顔をする……』

「っっ……!!」

 側近の言葉が。以前、魔王に言われた言葉が。脳内に蘇り反響する。

 わからない。もうなにもかもわからない。違うんだ、そんなこと。思っていない。憎いだなんて。妬ましいだなんて。僕は、僕は、僕は――――。


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