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狐は去りし夢を見る ⑦



    ◇          ◇



 アクセルを全開にして、僕は木屋町通を目指す。

 動力の大半を失った現在の京では珍しい原付のエンジン音に、道行く怪らが怪訝な表情でこちらに視線を向けてくる。

 だけど、構っている場合じゃない。遠慮をしている場合でもない。

 原付を限界まで倒し、時速五十キロで交差点を曲がる。

 遅い。あぽろ11号のやりすぎ改造もどうかと思うが、ただの原付では京の第一級閉鎖指定地区は広すぎる。

 気ばかりが焦る。

 今出川通から河原町通へ南に入り、二条通から木屋町へと飛び込む頃には、付近一帯には鼻につく焦げた臭気が充満していた。

 南の空が赤い。

 そんな僕とすれ違うように、何体かの怪が仮死者と思われる人間を運んで走って行った。行き先が気になるけれど、あれはおそらく冬乃の指示だ。放っておいても危険はないだろう。

 原付を走らせる。空を覆うほどに成長した街路樹の下、木屋町通をしばらく行くと、踊る炎が見えてきた。


「熱……ッ」


 熱風に顔を覆う。手をどけたとき、僕の視界に飛び込んできたのは巨大な肉体を持った銀色の人狼だった。体毛のあらゆる箇所が焦げている。

 あいつ……!

 全身に痺れるような恐怖が蘇る。


「クソッ、あの鬼女め、消火しろなんざ簡単に言いやがって! 火の回りが早ええ!」


 炎の踊る建物の三軒隣り、木造建築に狙いを定め、豪腕を振り抜く。重く硬い音が響き、建物が揺れた。

 人狼の陰から、これまた見覚えのある猫娘が顔を出す。


「文句言わない! さっさと壊さないと、炎に追いつかれるよ! 木屋町全部焼いたら、あんた今度こそ鬼っこちゃんに挽肉にされるかんね!」

「じゃあ手伝えよ、社長!」

「にゃは、むりむり。あたし非力だもん。猫だから。搔き切るのは得意だけどさ。頑張れ頑張れ、ラル。うまくいったら、ボーナスに鴨川の魚を十尾あげてもいいよ」

「頼む、給料やボーナスは金にしてくれ……」


 やりとりを見る限り、どうやらもうあの人狼にも危険はなさそうか。

 ラルと呼ばれた人狼は、豪腕を何度も何度も柱へと打ちつけている。

 僕は念のために腰に挿した拳銃(レンの弓)に右手をやって、二体の怪へと駆け寄った。

 えっと、確か彼女の呼び名は――。


「魚屋!」


 頭頂部の猫耳がピクっと動き、魚屋がこちらに振り向いた。


「まいど! ……って、あんたは安機の新人くんかい。一日ぶりだねえ、元気だった?」


 おふざけに乗っかっている場合じゃない。僕は魚屋の言葉を無視して、人狼ラルに視線を向けた。


「んあ、ラルならもう大丈夫。鬼っこちゃんに言われて、延焼防止にああして社会にご奉仕中だかんね。南側は他の怪が建物破壊してるよ。で、この北側はあたしとラルね」


 ラルというのは人狼の名前か。


「社長はなんも手伝ってねえだろうがッ! このクソ猫が!」

「社員の手柄は社長の手柄。社長のミスは社員のミス。おまえのものはおれのもの。おまえはおれのもの。これが社会の掟さ」

「がぁ、もう!」


 人狼ラルは一瞬だけ僕に視線を向けたが、それどころではないのか、必死で柱を殴り続けている。すでに炎は二軒隣りの店舗跡にまで燃え移っている。

 間に合うか? いや、それよりも僕にはやることがある。


「冬乃はどっちに行ったの?」

「ああ、鬼っこちゃんの言ってたマヌケってのは、あんたのことだったのかい。う~ん、昨日と違ってなかなかいいツラ構えだったから、気づかなかったよ。てっきり暁時人かとばかり思ってた。にゃはは」


 僕よりマヌケ顔だなんて、課長が聞いたら卒倒しそうだ。


「急いでるんだ!」

「はいはい、鬼っこちゃんなら西だよ。炎狐ちゃんを追いかけて西に移動した。マヌケがきたら、そー伝えろって言い残してさ」

「くそっ! 入れ違いか! このままじゃ炎狐と冬乃が衝突してしまう……!」


 呆然と、魚屋の口がわずかに開けられた。


「あんた、止める気なのかい? 鬼っこちゃんを」

「そうだよ! 冬乃に伝えなきゃならないことがあるし、炎狐に教えてあげたいこともある。だから時間がないんだ。本当は、戦う必要なんてないんだよ」


 猫の口角がゆっくり持ち上げられ、瞳が細められる。人間に近い容姿だからだろうか、なぜかはわからないけれど、僕の言葉で機嫌がよくなったのがわかった。

 とてもいい顔で笑う。この魚屋は。正直、少しだけ見惚れた。

 猫と人間の特徴を兼ね備えているのだから、この笑顔は極めてたちが悪い。破壊的なほどの可愛らしさだ。冬乃の赤い髪と瞳も、とても綺麗だった。彼女らと同じくデミ・ヒューマンであるナツユキも、やはり何らかの変化をきたしているのだろうか。

 怪はとても恐ろしく、同時に可憐で美しい。躍動感が人間などとは比較にならない。人間ベースの彼女らと違って、狼ベースの人狼ラルは神樹に産み落とされたオリジナルなのだろうけれど、やはり暴力性の中にも野生の美しさや逞しさのようなものを感じてしまう。

 余計な考えを振り払い、僕は原付を取り回した。


「ありがとう、魚屋!」

「いーえー、どーいたしまして。あんたはさ、個人的に応援しているよ。マヌケくん」


 その物言いに、僕は苦笑いでこたえる。


「マヌケはやめてほしいな。名前は一条絢十だ」

「あいあい、絢十ちゃん。あたしは魚屋よろしくネ。これ、うちの店のケーバン」


 猫娘は腕を広げてくるりとその場で回転し、蠱惑的な笑みを浮かべながら、僕のコートのポケットに、携帯番号の書かれた紙をねじ込んだ。店の携帯というよりは、彼女へのホットラインだ。

 女の子からこんなことをされたことがなかったから、なんだか少し気恥ずかしい。


「あ、ありがとう……」

「不漁の日以外は、七条通か四条通でいつも露店出してる。値段はその日の気分次第だけど、あ~んたなら安くしとくよぅ。いつでもね。だから、今後ともご贔屓にィ~」


 僕はアクセルを開けて、西へと向けて原付を走らせる。

 得体の知れなかった怪という存在も、接してみれば存外に楽しいやつらだ。猛獣と違って言葉を理解している分、話せばわかるというのが大きいのかもしれない。

 そう、話せばわかるんだ。理解させることができる。鬼と狐だって、最初からぶつかる必要なんてないんだ。

 中京区を横断し、二条付近で原付を一度停めた。ここまで怪同士の小競り合いはいくつか遭遇したが、冬乃も少女狐も見てはいない。


「くそ……っ」


 行き過ぎたのか、まだ先なのか、それとも少女狐が方向転換をしたのか。

 気ばかりが焦って考えが空回る。こうしている間にも、冬乃は少女狐を仕留めてしまうかもしれない。それとも、すでにすべてが終わって事務所に帰ってしまったか。

 何度か携帯に電話をしてみたけれど、出そうにない。


「二条駅のほうまで行ってみるか」


 駅といっても、第一級閉鎖指定地区内の駅はすべて廃墟化している。電車など、とうの昔にやってこなくなった。


「……」


 こうして停まっているだけで、珍しいエンジン音に釣られて怪が寄ってくる。

 数体は原付のロゴを見て舌打ちをして引き返すけれど、そのうち何体かは恨みがましい目つきで歩み寄ってくる。

 牙を剥き、爪を出しながら。


「うわっ、ちょ……!」


 言いたいことややりたいことは想像できる。だからこそ、今は特に停まっている時間はない。時間があっても停まれないけど。

 僕は彼らの手が届く距離に入る前に、僕は再びアクセルを吹かせた。

 無改造の原付などでは、彼らがその気になれば追いつかれるのかもしれないけれど、積極的にそうしないところを見れば、冬乃や暁時人の京での治安維持活動は、多大なる効果を収めているのだと思った。


「あまり細い道を行くのは危険だな」


 二条駅を目指して細道から大通りへと出た瞬間、爆発音と同時に右手の空が真っ赤に染まった。

 ……二条城! そうか、冬乃は少なくとも人的被害の出ない場所を戦いの場に選ぶ! ここらへんだと、二条城の庭園しかない!

 タイヤを滑らせ、西から北へと進路を変える。

 二条城の東大手門を原付に乗ったままくぐり、僕は目を見開いた。子狐が体毛を逆立て、いくつもの狐火を、ところ狭しと駆け回る冬乃へと放ち続けていた。

 いや、違う!

 子狐はどうにか冬乃と距離を取ろうとして、狐火を自らと彼女の間に落としているだけだ。距離を取って逃げだそうとしては、冬乃に回り込まれている。

 やっぱりあいつ――。


「待って、冬乃!」


 僕の声は熱風と轟音に遮られ、彼女の耳には届かない。


「くそっ!」


 京が第一級閉鎖指定地区となり、二条城の城内が管理されなくなって数十年。すでに砂利など姿を消し、全面が雑草に覆われている。だから、至るところで炎が上がってしまっているんだ。

 行くしかない!

 原付のアクセルを開けて、僕は身を低くして歯を食い縛った。庭園で踊る炎を突き破って火花を弾き飛ばし、無謀にも突き進む。

 冬乃が火柱を飛び越えて、空中で右の拳を引き絞る――!

 赤髪が熱風と慣性で激しく踊った。むろん、その先に存在するのは小さな子狐だ。


「やめろぉぉぉーーーーーーーーーーーっ!!」


 原付を横倒しに滑らせ、子狐の前に躍り出て、僕は両手を顔の前で交差した。

 赤鬼の一撃は大地を揺るがし、鉄筋コンクリートのビルすら破壊する。自分の両手など気休めにもなりはしない。受ければ上半身は粉砕されて、肉片と化すだろう。


「絢――ッ!?」


 突然子狐の前に滑り込んできた僕に驚愕し、冬乃が息を呑む。指の隙間から見える、迫り来る赤鬼の拳。

 死――。

 冬乃が歯を食い縛り、放った拳の軌道をわずかに逸らした。赤鬼の一撃は僕の頬を裂き、衝撃波で二条城庭園の大地を貫いて雑草下の砂利を一気に跳ね上げ、さらに地面を抉って止まった。僕はといえば、まるで大波か大風に巻き込まれたかのように視界が空になり、大地になり、気づけば全身で地面を転がっていた。


「絢十!」


 頭の中で冬乃の声が反響している。視界は作りかけの粘度のように歪み、身体は指一本すら動かせない。喉奥から溢れ出た酸っぱいものが、唇を伝って地面に流れ落ちたのがわかった。

 まるで交通事故だ。

 かろうじて理解できたのは、風圧。赤鬼の拳が巻き起こした風圧に吹っ飛ばされ、脳震盪を起こしているということだけだ。

 脳内がシェイクされたせいか、意識が混濁する。


「絢十!」


 彼女が駆け寄ってきて跪き、僕の頭を抱え起こして膝枕をした。


「よかった、生きてる……ごめん、ごめんね……。大丈夫、すぐに病院に連れて行ってあげるから」

「……………………ナツ……ユキ……」


 このときの僕には確かに意識があった。彼女が日向冬乃であることも理解していた。なのに最低なことに、口から出た言葉がこれだったんだ。

 なぜ?

 冬乃はその言葉に、大きく瞳を見開いた。ただ、怒るでもなく、嘆くでもなく。寂しげに小さな声で「……うん」と静かにうなずきながら。

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