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狐は去りし夢を見る ⑥



    ◇          ◇



 わたしは用件を一方的にまくし立て、携帯電話の電源を切った。絢十が何かを言おうとしていたけれど、それを聞いている時間はない。状況は最悪だ。

 あらためて周囲を見回した。

 大正時代まで水運に用いられていた高瀬川沿いの木屋町通の一角が、炎に包まれていた。歓楽街から一本外れた観光街であるここら一帯には、京都独特の趣のある木造建築物が非常に多く、それらを好む人間が多く住んでいる。

 つまり炎狐は、この一角の人間を建物から追い出すために炎を放ったということだ。

 その証拠に、この狭い木屋町通には、多くの仮死者が倒れている。今は彼らを炎から遠ざけるため、良識のある数体の怪が仮死者を運んでいるところだ。

 わたしはその中に、見覚えのある猫耳セミロングヘアの少女を見つけた。猫娘の魚屋だ。


「ストップ・ザ・魚屋!」

「にゃ!?」


 炎に照らされて炎色に輝く体毛を逆立て、魚屋が恐る恐るこちらを振り向いた。背負っていた人間のおばさんが、魚屋の背中から地面にずり落ちた。


「ぅ、うへぇ……鬼っこちゃん」


 人の顔を見て「うへぇ」というのは失礼だ。そこまで怖がられると、さすがにわたしだって傷つくのだけれど。


「あ、こ、こここれ、ああたしじゃないよっ!? あたしゃただ、転がってるやつらが燃えないよーに、助けてやろうと思っただけさね! ここらのやつらは、うちのお得意さんだから!」


 魚屋が大慌てで、わたしの目の前で肉球と鋭い爪を左右に振った。


「ああああ、もちろん火事場泥棒もやってないよっ!? そりゃちょっとは綺麗な宝石だなあって思ったけど、まだ盗ってないにゃ! いくら命を助けたからって、見返りを期待するほど猫は賢くないにゃ! 我々は刹那的な生き物ですからにゃ!」


 何をペラペラと不穏なことを言っているのか、この猫は。

 魚屋だけに、目が泳いでいる。けどまあ、おそらく脳裏にそういった欲望が浮かんだだけであって、実際に実行はしていないだろう。

 少なくとも、こいつはわたしに嘘はつかない。


「わかっとるわ。あんた、ここらへんで炎狐見んかったか?」

「炎狐? にゃんで?」


 まるで巨大魚でも担ぐかのように、右肩に大きなおばさんを担ぎ直し、魚屋が奇妙な表情をした。小柄であってもやはり怪、並外れた力がある。


「火ィつけた可能性が高いから追ってる。街中で仮死者を量産しとるのもそいつや」


 魚屋の表情が変化した。


「ねえ、鬼っこちゃん。安機はさあ、完全にニンゲンの味方なの?」

「はあ?」


 わけのわからない質問に、わたしは眉を歪めた。


「怪の味方ってわけじゃないよね。でも、ニンゲンの味方でもないと思ってた」

「何が言いたいんか意味がわからへん。悪いんやけど、あんま時間ないねん。もっとわかりやすく言うてくれへん?」


 魚屋がずり落ちてきたおばさんを担ぎ直す。


「なんでもかんでも怪のせいにしないでほしいな。あたし、見てたよ。火をつけたのはニンゲン。少なくともニンゲンの容姿だった。見かけはね。炎狐ちゃんはそのあとに来て、魂を抜いたんだ」


 火を放った共犯者がいるってことかっ!? ならば小箱の持ち主だ!


「ど、どういうことや!」

「さてにゃあ? あたしが見た放火犯はニンゲンの格好したジジイだったよ。まーでも、炎狐ちゃんが魂抜いてったのは事実だから、そいつを庇うつもりもないけどね。……ただ、あの炎狐ちゃんは、にゃ~んだか今にも泣きそうな目ぇしてたなあって思っただけさ」


 わたしにはわからない感覚。犬や猫に属する怪には、人間の感覚ではわからない同族の表情を読む。つまり、それが怪であろうがなかろうが、犬や猫に属する動物であるなら大体の感情を読み取れるということだ。


「どっちに行った?」

「西」


 狐は哺乳綱ネコ目、イヌ科イヌ亜科。魚屋の言うことは嘘やデタラメではないだろう。でも、今は緊急事態だ。それを考慮に入れる余地はない。


「鬼っこちゃん、あの炎狐ちゃん、たぶん苦しんでるよ」

「それでもあいつは禁忌を犯した。見逃すわけにはいかん。京都多種族安全機構は怪の味方でも人間の味方でもなく、正義の味方やからな」


 ほんの一瞬の間を開けて、魚屋が口元を歪めた。


「にゃは、だよね~。だからこそ、真実はちゃ~んと究明してよね」


 魚屋がへらっと笑った瞬間、突然炎を突き破って、燃え盛る家屋の中から人狼が飛び出してきた。


「どわっちゃあ! あち、あちちち……!」


 背中を丸め、棍棒のような太さの両腕を胸の前で交差している。人狼は、わたしを見るなり、ものすごい大口を開けて表情を引き攣らせた。


「あ……あぁぁ……おぅふ……お、おお鬼……」


 ここまでのオーバーリアクションであれば、同族でなくとも、わたしにだって人狼が何を考えているか手に取るようにわかる。


「びびってるとこ悪いけど、あんた、頭燃えてんで」

「ぬっほあああぁぁぁ!?」


 人狼は腕の中に持っていた物体を魚屋に押しつけるや否や、小さなコンクリートの川、高瀬川へと頭から飛び込んだ。人狼の頭部で踊っていた小さな炎が消し飛ぶ。

 高瀬川から頭を出した人狼の頭頂部を見て、わたしは思わず噴き出した。


「あっはははは、人狼が河童になりよったわ!」

「にゃはははははは! チョーウケる!」


 人狼は狭いコンクリートの川をよじ登るなり、魚屋を指さして喚く。


「あ、あんたが火の中の赤ん坊を救い出せっつーから行ったんだろーがッ」

「あたしのことは社長って呼びな、この河童ハゲ!」


 ふと気づけば、魚屋の右肩には仮死者のおばさんが、左腕の中には元気に泣き出した赤ん坊が抱えられていた。

 あの人狼、火の中に取り残された赤ん坊助けに行ってたんか。それも、ニンゲンの。


「ったくよぉ~。たかが一回の食い逃げで、こんだけただ働きさせられるたぁ、悪いことはできねーな」

「ぶつぶつ文句言うな、従業員一号。三食焼き魚あげてるっしょ」

「へいへい。たまにゃ肉も食いてえよ。力が出なくなっちまうぜ」


 しょんぼりと、大きな肩を落とす人狼。

 わたしはそんな二体の怪の様子を見て、また少し笑った。


「おい、魚屋二号」

「……あ? お、俺のことか? 従業員でも魚屋でもいいから、せめて一号か二号かで統一してくれよ。それと、一応俺にはちゃんと名前があんだからなっ」


 魚屋が顔を歪める。


「あんの!? なんで!? ワンコずるい! あたしにだってナイのにぃ!」

「ワンコ言うな! 名前は神樹にもらったんだ」

「神樹に?」


 魚屋が問いかけると、人狼がうなずいた。


「社長みたいなデミ・ヒューマンにゃわかんねえ感覚だろうが、神樹産まれの怪は最初っからある程度の知識と名前を持ってんだ。つか、社長は人間だった頃の名前を名乗りゃいいじゃねえか」

「にゃ? あたしって人間だったの? んな記憶ないんだけど」


 魚屋が不思議そうに首を傾げた。

 魚屋は、どう見ても半分以上人間だ。洋服だって着ているし、むしろ人間の女の子に猫耳と尻尾をつけただけの仮装にさえ見えるくらいにヒトの血が濃い。京にはオリジナルの猫又も存在するが、あれはもう本当に二足歩行する普通の猫といった風体だ。

 同じ系列の怪とはいえ、両者はまるで違う容姿をしている。まあ、京ではそれも珍しい現象ではないのだけれど。


「……これだから猫はよお。適当生物だから忘れてるだけじゃねえの? よく思い出せよ」

「うっさいワンコ!」

「だからワンコ言うなって……」


 人狼の不満そうな呟きを黙殺して、わたしは命じる。


「あんた、そこらの仮死者運び終えたら他の怪に協力させて、消火の指揮せえ。うちは炎狐を追う。ほんで、あとからマヌケそうな人間が来たら、西の方角に行ったって伝えて」


 こういった輩は、大切な役割を与えることで変化することが多い。悪人から、善人へ。怪を更生させることも、京都多種族安全機構の大切な役割だ。


「そりゃ別に構わねえけどよ、どうやって消火すんだ? 川から水を汲み上げるなんてことはできねえぞ。隣の家の水道を借りたって、すぐに燃え移っちまって使えなくなるし、一帯が燃え尽きるまで待つしかねえんじゃねえの?」


 人狼が、外国人がそうするように両手を広げて肩をすくめた。さすがは西洋の魔物だ。仕草もそれらしく見える。


「趣があってもったいないけど、燃えてる建物の隣にある建物を潰すんや。燃えるもんを破壊して延焼を最小限にすれば、小さい火だけになる。そしたらあとは水道の水使って消したらええ。あんたは力有り余っとるし、そういうやり方得意やろ?」


 人狼は少しだけ考えるように視線を斜め上空に上げたあと、わたしを指さして呟いた。


「まあ、平気なツラでビルを揺らしちまうような、どこぞの赤鬼ほどじゃねえけどな」

「むぐぅ……」


 それもまた傷つく言葉だ。人狼はどこ吹く風で、片腕をブン回している。


「ま、いいぜ! んじゃま、いっちょやったるか!」


 わたしは思う。

 意外と。意外と悪い怪なのではなく、本当に腹が減って、やむにやまれず魚屋の魚に手を出してしまったのかもしれない。そんなことを考える。

 わたしはその場で屈伸をして、早口に呟いた。


「おい、二号。名前」

「あ?」

「あんたの名前、覚えといたるわ」


 人狼の表情が、またしてもわたしにわかるくらいに歪められた。


「あんたに覚えられるとなると、ゾっとしねえな」

「じゃあいい。――魚屋、この場は任せるで」

「あいさー! 今後ともご贔屓に!」


 猫娘が腰を少し曲げ、可愛らしい敬礼をする。

 威勢のよい魚屋の声を背に、わたしは両膝を曲げて、幅数メートルの高瀬川を一息に飛び越え、木造建築の瓦屋根へと飛び乗っていた。

 さらに膝を曲げて跳んだ瞬間、背後から声が届く。


「ラルだ!」


 わたしはうしろ手を振って、アスファルトに両足をつける。無人の河原町通を横断し、さらに西へ。

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