第124話 悪役令嬢、サロンを開店する
貴賓区画の門が、見えてきたところで、律子は、足を、止めた。
人が、いる。
門の前に、四人——いや、六人。互いに、少しずつ、距離を、置いて、立っている。知らない者同士が、同じ戸の前で、鉢合わせた時の、あの、所在のない距離だった。
「……あ」
小柄な影が、先に、気づいた。紙の包みを、抱えている。ティモだった。それから、彼は、隣の、よく仕立てられた上着に、気づいた。
「……あなたも、ですか」
「……君も、か」
オラーツィオ・バッソが、菓子折りを、持ち直して、苦笑いをした。裁定所で、机を挟んで、向かい合った二人が、同じ戸の前に、並んで、立っていた。
「皆さま、お揃いで」
律子は、歩み寄った。六人が、一斉に、振り向いた。
「——朝から、どんな、御用かしら」
◇
貴賓区の居間に、サロンが開店した。
開店した、としか、言いようが、なかった。ジーナが、目を、白黒させながら、お茶を、淹れ続けた。
バッソは、菓子折りを、卓に、置いた。
「……先日の、礼だ。世話に、なった」
「まあ。あの時の、お礼のお菓子折りを、今日になって、お持ちになったの」
「…………う、うるさい。それと、だ」
バッソは、咳払いを、一つ、した。
「卒業の前に、一度、見てもらいたい、書類が、ある。実家の、祖父の……いや、詳しくは、また、改めて、説明する。——礼もする。何でも、とは、言わんが」
「拝見するだけ、なら。中身を、伺ってから、お受けするか、決めますわ」
「……相変わらず、だな」
バッソは、それだけ言うと、長居をせず、帰っていった。よく仕立てられた上着の背中が、少しだけ、軽そうに、見えた。
ティモは、紙の包みを、抱えたまま、何度も、頭を、下げた。
「あの、僕も、その、お礼を、まだ、ちゃんと、申し上げて、なくて。……写しの御用が、あれば、いつでも。夜でも、やります」
「ありがとう。二十二番地が、次に、立て込んだ時にね」
「はい! ……あ、あと、あの」
ティモの顔が、急に、曇った。
「……クララさんの、こと、なんです。今朝、食堂で……その、ひどい、言われ方を、していて。よくも、ぬけぬけと、とか。……クララさん、そんな人じゃ、ないのに。僕、あの、何て言えば、いいか、わからなくて」
……予測、的中。
……当たって、ほしくない方だけ、当たるのね。
「ティモさん」
律子は、声を、少しだけ、低くした。
「言い返さなくて、いいわ。噂に、こちらが、反応すれば、火に、油なの。——手は、もう、打ってあるわ。今朝、一番でね」
「……本当、ですか」
「弁護士は、噓をつくと、お仕事を、失うのよ」
ティモは、ようやく、少し、笑って、包みを、置いて、帰っていった。包みの中は、焼き立ての、堅パンだった。二十二番地の、隣の、パン屋のものだと、いう。
入れ替わりに、小柄な女生徒が、一人、進み出た。図書館で、見た顔だった。書架の、反対側で。
「あの……わたし、申し上げたいことが、あって、参りました」
女生徒は、息を、吸って、一息に、言った。
「蛙は——影の蛙は、一匹、でした! わたし、歓迎会で、ちゃんと、見てたんです! なのに、百匹って、言われて、そうかも、って、言ってしまって……ずっと、気になってて。昨日、セヴェリーニ様が、ご自分で、蛙のお話を、なさったから、わたし、やっぱり! って……」
……あなた!
……あの日の、目撃者さん!
……ええ、ええ、一匹よ! 正しかったのは、学府中で、あなた、一人!
「一匹が正解ですわ」
律子は、力を込めて、頷いた。
「よくぞ、覚えていて、くださいました。記録の訂正、確かに、受理いたしましたわ」
「じゅ、受理……」
女生徒は、ぱっと、顔を、輝かせて、それから、怖々と、付け足した。
「あの……また、影絵、見られますか。歓迎会の、蛙は、その、とても、可愛かったので……」
……怪談が。
……怪談の語り部が、いま、ファンに、なったわ。
午後の早い時間には、家格の釣り合う令嬢が、三人、揃って、訪れた。一年前、お茶会の招待状に、一句一字、同じ文面の、丁重な欠席を、寄越した方々である。
三人は、揃って、礼をして、揃って、言った。
「先日は、失礼を、いたしました。よろしければ、今度、お茶など、ご一緒に」
「先日は、失礼を、いたしました。よろしければ、今度、お茶など、ご一緒に」
「先日は、失礼を、いた——」
……文例集。
……改訂版が、出たのね。
「喜んで。ずっと楽しみにしておりましたの」
律子は、微笑んだ。文例の外の言葉で、答えるのが、せめてもの、礼儀だと、思った。
「日取りは、お手紙で。——お待ちして、おりますわ」
……手のひらを返したような対応ね。
……婚約破棄が同情を誘ったのか?
……いずれにせよ、
……社交の耳が、開通した。
……一年、遅れの、お茶会の招待。
……遅れても、届くものは、届くのね。
◇
昼を、過ぎた頃、三人の女生徒が、戸口に、立った。
昨夜、最前列にいた、あの、女生徒の一団だった。三人とも、顔色が、白かった。眠っていない、顔だった。
「……ソフィア・レンツィと、申します」
「パオラ・ネグリです」
「……ビアンカ・ファッロ、です」
三人は、名乗って、深く、頭を、下げた。一番、深く、長く、下げたのは、ビアンカだった。上げた顔の、その目は、赤かった。
「クララちゃんに、舞踏会で告発すれば、って——言ったのは、わたし、なんです」
声が、震えていた。
「みんなの前なら、握りつぶせない、って。事実を、順番に、言えばいい、って。……わたしが、言いました。その時、クララちゃんは、何も……クララちゃんは、ただ、黙って……」
「どうぞ、お掛けになって」
律子は、椅子を、勧めた。三人は、動かなかった。罰を、待つ者の、姿勢だった。
「……罰なら、覚悟して、参りました。退学でも、なんでも」
「あら。私、学府の、教師では、なくてよ」
律子は、自分から、椅子に、掛けた。
「それに——お説教も、しないわ。善意はね、責めても、賢く、ならないの」
三人が、顔を、上げた。
「その代わり、お仕事を、お願いするわ。お掛けなさいな。ジーナ、お茶を三つ。——濃いめでね。皆様も、眠っていらっしゃらないもの」
三人が、恐る恐る、腰を、下ろした。律子は、帳面を、開いた。
「昨夜までのことを、順番に、正確に、話して、頂戴。誰が、何を、言ったか。いつ、どこで。——そして、クララさんが、何を、言って、何を、言わなかったか」
聴取は、一刻ほど、かかった。
律子は、時々、問いを、挟みながら、帳面に、書き留めていった。舞踏会の案を、出したのは、三人。事実を順番に、と、形を、与えたのも、三人。クララは、案を、出していない。賛成すら、していない。頷いても、いない。——ただ、黙って、俯いていた。
「……重要よ、それ」
律子は、ペンを、止めて、言った。
「クララさんが、案を出していないこと。虚偽と知りながら、語った事実が、ないこと。——処分を決める場では、それが、重さを、変えるの」
「……わたしたちは」
ソフィアが、膝の上で、手を、握った。
「わたしたちは、罰されますか」
「あなた方を、罰する法は、探したけれど、見当たらないわ」
律子は、正直に、言った。
「あるのは、罰より、性質の悪いもの——後悔、だけ。……だから、使い道を、あげるわ。三つ」
律子は、指を、立てた。
「一つ。検証の場に、呼ばれたら、今、私に話したことを、そのまま、話すこと。盛らず、削らず、順番の通りに。二つ。クララさんの、そばに、いること。三つ。——噂に、言い返さないこと。火に、油だもの」
「……そばに、って」
パオラが、口を、開いた。
「クララちゃん、部屋から、出てこないんです。食事も、ほとんど、とらなくて。……セヴェリーニ様に、合わせる顔が、ない、って。毛布の中から、それだけ」
……。
……合わせる顔、ね。
……こちらは、早く委任してもらいたくて、待ち焦がれているのに。
……なんて、言っても、届かないでしょうね、毛布の中には。
「何も、伝えなくて、いいわ」
律子は、言った。
「ただ、栄養のあるものを、食べさせて、あげて。ちょうど、お菓子が、そこに、あるわ。季節外れの、いただきものだけれど」
三人は、卓の上の、菓子折りの包みを、見た。それから、帰り際、ビアンカが、一度だけ、振り向いた。
「……あの。どうして、ですか」
「なにが」
「どうして、クララちゃんを、助けるんですか。昨日、あんな……あんなことを、された、のに」
律子は、扇子を、開かなかった。ただ、笑った。
「私は弁護士を志しているの。——人を助けるのが、弁護士よ」




