冒険の始まり 地獄教の儀式 7
カシムが成人して、騎士の道を選ばず、考古学者となってペンダートン家を飛び出して行ったと聞いた時は、驚いた。
カシムはこのままペンダートンの騎士として、末永くグラーダ国に仕える事になるのだろうと信じて疑わなかったからだ。
共に過ごしていた時も、よく「修行ごっこ」にアクシスを付き合わせて「ボクは騎士になる!」と言っていた。
しかし、アクシスはその事で裏切られたと思う気持ちは無く、逆に嬉しいと感じていた。
「グラーダの騎士」になれば、カシムの性格上、自分との立場の違いをより強く感じてしまい、「王女と結婚するなど出来ない」と言っていただろう。
だが、グラーダ国と関係ない職業を選んだのならば、もはや身分の差だけとなる。
しかもその差は極めて小さい。
何せ、伝説の騎士の孫であり、世界一の騎士の名家であり、大公爵家の末子カシムである。
カシムには2人の兄達がいるが、2人とも「次期当主はカシム」と公言していた。父も、伝説の祖父ジーンも同じ意見である。
身分だけで言うなら、どの国の王子よりも遥かにグラーダ国の王女と結婚するのに相応しい人物という事になる。
だから、アクシスは、いつかきっとカシムが迎えにきてくれると信じて疑わなかったのである。
あの幼い日に「アクシスはボクが守る」といった約束も。
そして、その約束は果たされたのである。
◇ ◇
カシムの姿を目にした瞬間、歓喜が押し寄せ、涙があふれた。
しかし、アクシスは必死に唇を噛みしめて、感情を爆発させないように努めた。自分が泣き叫んでしまっては全てが台無しになってしまう。カシムの邪魔をするわけにはいかない。
バルコニーに設置された演壇にデネ大司教が進み出てきた。その両脇をヴァジャとロビスの2人の高弟が固める。
デネ大司教の登場に、一際高くなっていた祈りの声がピタリと止む。
デネ大司教が演技がかった身振りで両手を挙げる。
「皆の者。まもなく日の出だ!」
神殿の出入り口には扉はなく、大きく開け放されているが、出入り口は西を向いていて、更に崖の下にある。外の景色では夜明けかどうか分からない。しかし、天文学と正確な時間が分かるならば、今日の日の出の瞬間も正確にわかるだろう。
そして当然デネ大司教は正確に日の出の時刻を把握していた。
「これまでの皆の働きに感謝している。いよいよ我々の悲願、地獄の顕現が叶う時がきた!
地獄が顕現すれば、生も死も意味を成さない、物質から解き放たれる世界となるだろう。その中では、永遠の生と永遠の死。永遠の快楽と、永遠の苦痛が望むままに得られるのだ。
先に身を捧げた者たちとも、更に遙か昔に死に別れた者たちとも望む時に再会でき、別れる事が出来るのだ」
異常者たちは、回廊に密集して身動きすら取れない有様だったが、大司教の言葉に歓喜の呻き声を上げ出す。
「つまり、各々が望むがまま、好きなだけ殺し、殺される、永遠の快楽の世界が到来するのだ!!」
デネ大司教の宣言に大歓声が上がる。
「さあ、今こそ地獄の蓋を打ち砕く時だ!」
デネ大司教が右手を上げる。
その合図に、斧を持った2人がアクシスの方を向き、斧を高々と振り上げる。
アクシスが目を見開く。
次の瞬間、大音響がデネ大司教のいる演壇の方で、破壊的な音が響く。
男達は驚いて、斧を下ろして演壇の方を見上げる。
デネ大司教が演説をしていた演壇の真上から、大きな照明装置が落下してきて、演壇に直撃し、演壇を破壊しながら、カーテンを引き裂き、バルコニーの内側に転がり込んだのである。
アクシスに斧を振り降ろさんとしていた2人も、バルコニーの方に駆け寄ろうとする。しかし、木の渡し板が外されている今、深い溝に阻まれ、溝の際に立ち尽くすしか無い。渡し板は演壇側の床に置かれている。
アクシスの真上にロープが垂れ下がってきた。次の瞬間、ロープを滑るように伝ってカシムが降りてきて、素早くナイフでアクシスの戒めを解くと、カシムに気付いていない斧を持った2人の背中を連続して蹴りつける。溝の際に立っていた2人は、あっけなく斧を手にしたまま、底の見えない溝を落ちていった。
バルコニーの中を転がる照明装置が破損して、パイプの中の油が演壇に、その周囲にふりまかれ、そこに引火し、バルコニー内は至る所が炎に包まれている。
大司教の安否も分からず、神殿内は混乱の極みにあった。
そのため、回廊内の集団でカシムに気付いた者がいても、状況も分からずわめくだけしか出来ない。そもそも回廊内は人がぎっちり詰まっていて身動きが取れない状況だ。
その間にカシムはアクシスを抱え起こした。
こんな状況なのに、いや、こんな状況だからこそ激しくアクシスの胸が高鳴る。
「お兄様!来てくれると信じておりました!」
アクシスは、カシムに一度だけギュッとしがみつく。それ以上はカシムの邪魔になってしまうからだ。
カシムが一瞬優しい目でアクシスを見た。だが、2人にはまだまだ、再開と救出を喜び合えるだけの余裕など全くなかった。
数百人の敵に囲まれ、深い溝に囲まれた祭壇からの脱出方法も無い今、2人は未だに絶望的な状況にあるのだ。